原発政策 命と未来を守るには-東京新聞(2014年12月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014120602000143.html
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原発政策が明確な争点として浮上した。反対か、推進かというだけではない。3・11の痛恨を経た私たちが、どんな未来を選ぶかが問われている。

思い出していただきたい。

二〇一二年十二月の衆院選で、原発政策は争点になっていない。なりえなかったというべきか。

福島第一原発事故の翌年、日本中どこへ行っても、まだ恐怖は鮮明だった。

その年の夏に政府が実施した討論型世論調査では、三〇年時点の原発比率について、半数近くがゼロと答えていた。

自民党の変化を受けて
このような世情を背景に、すべての主要な政党が、速やかに原発ゼロをめざすか、原発に依存しない社会づくりを掲げて臨んだ総選挙だったのだ。

昨年七月の参院選の真っ最中に、福島の事故を踏まえた新たな規制基準が施行になった。すると自民党の公約が変化した。

「国が責任を持って、安全と判断された原発稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をいたします」と脱・脱原発依存の姿勢を打ち出した。

そして今回の衆院選。主要政党の原発政策は、おおむね次のように分けられる。

自民党は、ことし四月に公表した国の新たなエネルギー基本計画を踏襲し、規制委が安全性を認めた原発は、速やかに再稼働するという。原子力技術は維持すべきだとする次世代の党は、自民党に近い立ち位置だ。

民主党、維新の党、そして公明党も、将来的には原発ゼロ、脱原発依存を掲げている。

民主党は「三〇年代原発ゼロ」、維新の党は「既設の原発はフェードアウト(消失)」、政権与党の公明党は「四十年運転制限を厳格に適用する」という。

共産党、生活の党、社民党、そして新党改革は、再稼働そのものに反対の立場をとる。

いずれにしても、3・11後初めて、原発が争点になった衆院選と言っていい。

◆福島を忘れたように
やがて三年九カ月、福島はほとんど変わっていない。十二万人もの避難者がいまだ故郷に帰れない。選挙が終われば、避難先で四度目の新年を迎えることになる。

原発の敷地内では、流れ出る汚染水さえ止められない。溶け落ちた核燃料のありかも定かでない。

使用済み核燃料の処分場選定は、公募開始から十二年を経た今も白紙と言っていい。

昨年九月、関西電力大飯原発4号機が定期点検のために停止して以来、原発ゼロの状態が続いてきた。この夏の電力需要期は原発なしで乗り切った。

ところが政府と電力会社は、福島の事故など忘れてしまったかのように、再稼働を急いでいる。

原発さえ稼働できれば、電力会社は火力発電に使う石油やガスを海外から買わずに済んで、楽に利益を上げられる。これ以上、電気代の値上げもしないで済むという。安全を追求すればするほど、莫大(ばくだい)な費用がかさみ、料金に上乗せされるはずなのに。

原子力規制委員会は、九州電力川内原発1、2号機が、福島の事故後新たに定めた規制基準に「適合」すると初めて判断した。

規制委の田中俊一委員長は「安全だとは言わない」と繰り返す。しかし、国や地元自治体は「安全は確認された」と、それこそ速やかに、再稼働に同意した。

再稼働の責任はどこにあるのか。国なのか。県か市か。それとも規制委か。あいまいなまま、ひた走る。

原発廃止、削減を求める声が九割を超える最近の世論調査もある。なのに政府は先の討論型世論調査のあと、国民の意見を直接聞いていない。

川内原発の近くには、巨大噴火の痕跡であるカルデラが五カ所ある。日本火山学会は「巨大噴火は予知できない」と、安全性に疑問を投げかける。

3・11後、原発から三十キロ圏内の自治体には、万一の事故に備えた避難計画の策定が義務付けられた。住民をどこへ、どうやって逃がすのか。お年寄りや病気の人はどうするか。自治体の担当者は途方に暮れている。

◆子孫に何を残せるか
経済性最優先、命や安全安心は二の次のようにも見える再稼働への道順は、本当に正しいといえるのか。

脱原発か、推進か。再稼働を是とするか、非とするか。二者択一にはとどまらない。

福島の尊い教訓を礎に、子どもたちに何を残せるか。どんな未来を残すのか。政党や候補者だけでなく、私たち自身の今が問われる選挙なのである。