秘密保護法 言わねばならないこと(35)戦後の精神」つなぐ 作家 大江健三郎さん-東京新聞(2014年12月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2014120502000168.html
http://megalodon.jp/2014-1208-1049-51/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2014120502000168.html

特定秘密保護法が成立してから、六日で一年。施行は十日に迫った。集団的自衛権の行使容認の問題と合わせ、作家の大江健三郎氏に聞いた。

政府が言う「積極的平和主義」は、憲法九条への本質的な挑戦だ。米国の戦争の一部を担う立場に変えていこうとするために「積極的平和主義」という言葉をつくった。だから、何よりも特定秘密保護法が必要になる。

集団的自衛権を行使できることを日本の態度とするなら、米国が起こしうる軍事行動に踏みとどまる建前を失う。どういう戦闘が行われるか、戦況はどうなるか。米軍と自衛隊のやりとりは何より秘密でなければならない。秘密保護法を一番要求しているのは米国だろう。

日本政府は「積極的平和主義」を内外に宣伝している。最初、それは誰にも滑稽な言葉だった。しかし、半年、一年とたつと、国民は慣れて反発しなくなった。政府が国家の方針として提示し続ければ常態となる。市民は抵抗しなくなるということではないか。いま日本は、かつてなかった転換期にあると感じる。

「積極的平和主義」という言葉に対比すると、いままで日本が取ってきた態度は憲法九条に基づく「消極的平和主義」になる。

日本は平和を守るために戦うとは決して言わなかった。軍備を持たない、戦争はしないと世界に言い続けた。平和という場所に立ち止まる態度だ。僕は尊重されるべき「消極的平和主義」だと考えている。

「積極的平和主義」は言い換えれば「消極的戦争主義」になる。米国の戦争について行く。戦場で肩を組んで行けば「消極的」か「積極的」かは関係なくなってしまう。自衛隊員が一人でも殺される、あるいは自衛隊員が一人でも殺すことになれば「消極的戦争主義」というフィクションも一挙に消えてしまう。憲法九条を残したまま、すっかり別の国になってしまう。後戻りはできない。それは明日にも現状になる。