不登校対策 学舎の選択肢をもっと-東京新聞(2014年11月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014110402000175.html
http://megalodon.jp/2014-1104-0925-36/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014110402000175.html

子どもは減る一途なのに、二〇一三年度は不登校の小中学生が六年ぶりに増えた。学校現場はやきもきしているに違いない。けれども、真剣に考え直したい。子どもの不登校は本当に問題なのか。

十月に公表された文部科学省調査では、学校を三十日以上休んだ不登校の小中学生は一二年度より約七千人多く、約十二万人に達した。〇八年度から五年連続で減少していたが、増加に転じた。

教育現場は結果に一喜一憂しつつ、背景分析や対策に追われてきた。養護の先生やスクールカウンセラー適応指導教室の力を借りたり、担任が家庭訪問を重ねたりして学校への復帰を目指す。恒例の光景である。

効果はどうか。学校や家庭の地道な努力にもかかわらず、すでに二十年近くも、小中の不登校生は十万人を上回ったままだ。改善の兆しは一向に見られない。

かつては不登校になる原因として、その子特有の怠けや甘え、逃げ、反社会性といった性格傾向や心の病が強調されがちだった。

一九九〇年代に入り、どの子も不登校になりうると認識があらためられた。学校や家庭の環境、先生や友人、親との関係などからくるストレスもきっかけになる。

画一的な決まりや集団生活になじめない。いじめや体罰の標的になる。勉強の不出来をとがめられる。自尊心が傷つき、意欲を失う子がいても不思議ではない。

いまでは不登校現象を素直な育ちの表れの一つと見る向きも広がっている。他人を傷つける暴力行為やいじめと並ぶ「問題行動」と捉え、登校を促すべきだとする発想はもはや時代遅れだ。

問題の根っこは、正規の学びの場を学校のみに限ってきた教育制度にある。子どもの学ぶ権利を保障するうえで大切なのは、「どこで」学ぶかではなく、「なにを」学ぶかという視点ではないか。

文科省は、不登校生らが集う民間のフリースクールを正規の教育機関に位置づけ、財政的に支援する方向で検討するという。遅きに失したとはいえ、一歩前進である。欧米諸国のように、在宅をふくめ多様な学びの場が用意されてしかるべきだ。

ただし、フリースクールは理念も規模もまちまちだ。行政の物差しで規格化されたり、安易に選別されたりしないようにしたい。

生きづらさを抱える子をありのまま受け入れ、仲間と共に創り上げる居場所でもある。その意義が損なわれては元も子もない。