秘密保護法 言わねばならないこと(33)表現弾圧される恐れ 作家 あさのあつこ氏-東京新聞(2014年10月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2014102602000147.html
http://megalodon.jp/2014-1026-1740-44/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2014102602000147.html

特定秘密保護法が十二月に施行されようとしている。しかし、特定秘密の指定対象に含まれる「スパイ活動」や「テロリズム防止」に関する情報は定義があいまいなままだ。政府は拡大解釈しないと言うが、今でも恣意(しい)的な言い換えが多い。福島の原発事故でも、いまだに帰れない土地があり、避難している人がいるのに「事故は収束した」とポンと言ってしまう。政府の言うことは信じられない。

私の中に、テロリストの少年が人を殺さないためにはどうしたらいいかというテーマがある。アニメにもなった作品「No.6」は、米中枢同時テロをきっかけに国を恨み、テロリストになろうとする少年を描いた。テロリストとくくられてしまう人たちの思いをさまざまに描くことはあり得る。

戦時中、反戦思想としてさまざまな表現が弾圧された。秘密保護法によって、政府が「テロ国家」と名指しした国と戦うとき、その国民に理解を示すような表現は「国益に反する」と判断され、同じように弾圧されかねない。

法で罰せられるより、周りからつまはじきにされたり、リンチみたいな目に遭ったりする方が怖い。中国や北朝鮮、韓国をめぐる危機が強調され、自由や平等、平和憲法より、国を守る方が大事という空気に乗せられている。そういう空気が強まり、「売国奴」なんて言葉が普通に使われだすと、口をつぐまざるを得なくなる。

地方に住んでいると、貧しさで進学できない子や一日一食で生きているお年寄りがいる。その姿が目に届けば、秘密保護法や集団的自衛権の行使容認などは二の次、三の次にするのが真の政治家ではないか。

1954年、岡山県生まれ。同県在住。小学校講師を経て作家。「バッテリー」で野間児童文芸賞、同シリーズで日本児童文学者協会賞などを受賞。