道徳の教科化―多様な価値観育つのか-朝日新聞

http://shasetsu.seesaa.net/article/407547802.html
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「道徳」が小中学校で子どもたちの学ぶ教科になる。中央教育審議会がきのう、その答申を文部科学相に出した。
これまでは教科外の扱いだったが、早ければ18年度にも格上げされる。戦前の「修身」が軍国主義教育を担ったとして終戦の年に廃止されて以来、70年目の大きな転換となる。
答申は、こう述べる。「特定の価値観を押し付けることは、道徳教育が目指す方向の対極にある」。その通りだと思う。
では、教科にすることで多様な価値観が育つのか。かえって逆効果になりはしないか。その懸念をぬぐえない。
教材には検定教科書の導入が提言された。国がつくるより、民間が工夫したさまざまな教科書が使われる方が望ましい。
ただ答申は、教科書づくりのもとになる学習指導要領の記述を、これまでより具体的にするよう求めてもいる。細かく書きすぎると教科書も縛られる。
「正直、誠実」「公正、公平、正義」などのキーワードの明示も考えられるとした。だが規範や徳目を詰め込むより、何が正直で何が正義かを考える授業であってこそ意味がある。
文科省は今年、検定のルールを変えた。「愛国心」を盛り込んだ教育基本法の目標に照らして重大な欠陥があると判断されると、不合格になる。この運用次第では、かつての国定教科書に近づきかねない。
評価は点数制を見送り、コメントで記すよう求めた。だとしても、何をどう評価するかが問われるのは変わらない。
文科省が今年つくった教材「私たちの道徳」は、二宮金次郎らの偉人伝や格言を集めている。そんな物語から「正しい人間像」を説き、それを受け入れた場合のみ評価するのなら、思考を養うことにはなるまい。
答申は、学校や教員で格差が大きいといった現状を改めるためにも教科にしたいという。だが、それは運用で解決する話ではないか。重要なのは教科化という形ではなく、何をどう教えるかという授業の中身だ。
答申は情報モラルや生命倫理など現代の課題を扱うことや、対話や討論の授業も求めた。ぜひ進めてほしい。そうなると、シチズンシップ(市民性)教育や哲学に限りなく近づく。
生の社会で価値判断の分かれるものこそ、格好の素材だ。そのために教員にはテーマを選ぶ自由がなければならない。
決まった教科書を使っているかどうか、国がいちいち調べているようでは困る。挑戦を応援する姿勢こそ必要だ。