二つの祖国 将来案じ 山口淑子さん死去-東京新聞(2014年9月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014091590070228.html
http://megalodon.jp/2014-0915-1107-07/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014091590070228.html

戦後六十年の二〇〇五年の夏。首相の靖国神社参拝をめぐる議論について本紙が取材した際、山口さんは「自国の加害行為に目をつぶり、独り善がりの美しい歴史につくり変えてはいけない」と穏やかに訴えた。

靖国神社ホームページで、一八九四(明治二十七)年の日清戦争から日中戦争、太平洋戦争までの戦争を「皮膚の色とは関係ない自由で平等な社会を実現するため、避けられなかった戦い」などと説明していた。

これに対し、山口さんは「『アジアを解放するための戦争だった』というのは後から付けた理屈だった。日本には当時、アジア蔑視の考え方があったのに、『アジア解放』と言っても理解されない」と話していた。

中国との感情的な衝突が続く中、最期まで「二つの祖国」の将来を案じていた。


関連)

60年目の戦後<中>傷つけた心癒やす努力を 元女優山口淑子さん-中日新聞(2005年8月14日)

http://archive.today/tgbo5
http://megalodon.jp/2014-0915-1116-33/archive.today/tgbo5

小泉純一郎首相の靖国参拝問題を一つのきっかけに、中国人の抗日の感情が噴き出したのを、私は理解できるんですよ。

十八歳で中国人女優「李香蘭」としてデビューした直後、生まれて初めて祖国日本の土を踏みました。連絡船を下りようと旅券を見せた時の入国係官の言葉が心に突き刺さりました。

「一等国民の日本人が三等国の中国の服なんか着て恥ずかしくないのか」。祖国の人々が、私が生まれ育った母国の中国を見下すことが悲しかったし、そういう日本が嫌いでした。

靖国神社はホームページで、一八九四(明治二十七)年の日清戦争から日中戦争、太平洋戦争までの戦争を「皮膚の色とは関係ない自由で平等な社会を実現するため、避けられなかった戦い」などと説明しています。

でも私は、「アジアを解放するための戦争だった」という後から付けた理屈で、自国の加害行為に目をつぶり、独り善がりの美しい歴史につくりかえてはいけないと思う。

本当に中国を対等だと認めていたなら、「満州国」という傀儡(かいらい)国家はつくらないでしょうし、中国人を差別しなかったはずです。

小泉さんには、日本の戦争指導者を祭る靖国神社の参拝が、どれだけ中国人の心を傷つけるか理解してほしい。

満州の撫順(ぶじゅん)に住んでいた十二歳の時、憲兵らが中国人労働者の頭を銃の台尻で殴る拷問を目撃しました。後から調べると、抗日ゲリラへの報復で、四百人とも三千人ともされる中国人が集団虐殺された「平頂山事件」(一九三二年)の一場面でした。

最近よく、「大東亜戦争侵略戦争というのは誤った歴史観だ」という声を聞きますが、私が見聞きした限りでは、少なくとも中国に対しては、侵略という意味合いが強かったのは間違いない。

六十年前の夏。当時暮らしていた上海の新聞は「李香蘭、銃殺刑へ」と報じました。「中国人でありながら、中国を冒涜(ぼうとく)する映画に出演して日本の大陸政策に協力し、中国を裏切った」という罪状で軍事裁判を受けたのです。

その時は日本人だと証明でき、死刑にはならなかったのですが、戦後四十年ほどして、出演した国策映画を見た時、眠れないほど打ちのめされました。旧日本軍に両親を殺された抗日少女が、日本人の男に殴られ愛に目覚めるという、中国人にとってあまりに屈辱的なストーリーでした。

いまだに戦争被害に遭われたアジアの方々から個人補償を求める声が上がりますね。私が副理事長を務める「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)は、日本政府と国民の協力で元「慰安婦」の方々に、おわびと反省を表す事業をしていますが、政府としてやるべきことはまだまだあります。

多額の政府開発援助(ODA)で「十分償った」という声も聞きますが、政府の個人への戦後補償の仕方を見ていると、人間の尊厳を傷つけられた人たちの心の痛みを癒やす気持ちが足りない気がします。

参考) 

私の思い 大鷹淑子

http://www.awf.or.jp/pdf/k0008.pdf

山口淑子(本名・大鷹淑子)さんは自民党の婦人局長の時代から元従軍慰安婦の救済の問題に熱心に取り組み、引退後はアジア女性基金の呼びかけ人として謝罪と賠償に尽力しました。