戦争、子ども巻き込む 学童疎開経験者 機関紙「赤とんぼ」発行-東京新聞(2014年6月30日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014063002000220.html
http://megalodon.jp/2014-0701-1057-35/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014063002000220.html

疎開先で飛んでいた赤トンボの光景が今も目に焼き付いていることが、タイトルの由来。第一号の「発刊にあたって」の一文には「集団的自衛権の行使が喧伝(けんでん)されるなど、あの戦争の時代へと一歩一歩近づいているようでなりません」と指摘。「学童疎開の体験を歴史としてきちんと記憶にとどめておくことは私たちの責務です。二度と戦争を起こさないための貴重な証しになるはずです」などと記した。

このほかにも資料センター所蔵資料のうち、沖縄からの疎開を記録した出版物四十二冊を特集した。A4判八ページで、五百部を印刷し、交流のある学童疎開経験者や研究者のほか、東京都内を中心に各地の図書館あてに発送した。今後も年四回の発行を目指すという。

小林さんは十二歳の時に東京都荒川区から福島県熱海町(現郡山市)に疎開した。毎日ダイコンの食事ばかりで、最初はおやつとして出たサツマイモも、いつの間にか主食となった。農家の軒先にあった干し柿干し芋を盗む児童も出て、食糧をめぐる争いは激烈だった。中学進学のため半年後に東京へ戻ったが直後の空襲で自宅は焼け落ちた。「食べ物がなくて、つらかった。子どもたちを再び戦争に巻き込ませたくない。この気持ちが活動を続ける気持ちにつながった」