憲法解釈はどんどん変更したらよい、という話-H-Yamaguchi.net(2014年6月14日)


http://www.h-yamaguchi.net/2014/06/post-70fa.html

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

これもあまり意味のない条文となるわけだが、実際、今の皆さんは憲法を大事にはしておられないようだから、今とさして変わらないとみることもできる。憲法なんてそもそもなかった、ということにするのも解釈変更の範囲内でいいのではないか。

というわけで、解釈変更で憲法はどうとでもできることがいまや明らかとなった。いちいち挙げないが、他の条文も解釈変更でおよそ考えうるほとんどの状況をカバーすることができよう。あらゆる体制や制度、あらゆる政治的主張に対応できるという柔軟さだ。軟性憲法どころではない。むしろ超伸縮憲法ぐらいにいってもいいのではないか。

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ネタばかりだとアレなので最後にちょっとだけまじめに書くと、この問題は集団的自衛権を認めるかどうかとは別次元の話だ。国民の生命財産やら幸福追求権やらを守るという趣旨はもちろんわかるしそのために集団的自衛権の行使が必要となる場合があるとの主張も理解できるが、閣議決定で解釈変更したからよい、といった決め方をするのには反対だ。せっかく国民投票法ができたのだから、堂々と憲法改正手続きを行えばいいではないか。反対されそうだから閣議決定で、というのは明らかに逃げであり、憲法をないがしろにするものといわざるをえない。

上にも書いたが、このようなやり方は、今後政権をとるどの党にとっても前例となりうる。現与党の皆様は、将来他の党が政権をとった際、同じやり方で憲法がどんどん解釈変更で実質的に改憲されていくという事態を想像したことがあるのだろうか。政府を縛るという憲法の機能は、そこまで見越した上で設けられている。今やられようとしているような乱暴なやり方がこれまで行われなかったのは、それなりに理由があるのだ。自分たちの都合でいいように扱うことがどんなに危険なことか、もう少しまじめに考えてもらいたい。