裁判員制度5年 社会で経験蓄え育てよう-朝日新聞(2014年5月23日)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11150394.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11150394

すでに約5万人が担い、6千人以上に判決を言い渡した。

くじで選ばれた市民6人が、裁判官3人と刑事事件を裁く裁判員制度が始まって5年たつ。

裁判への市民参加は、先進国では一般的だ。しかし、日本では1943年まで15年間あった陪審制以来のこと。司法における戦後最大の改革だった。

「ふつうの市民にできるのか」「辞退続きで裁判にならないのでは」。そんな懸念があったなか、おおむね順調に進んできたといえるだろう。

市民を迎え入れた法廷は、以前よりも直接証拠を見聞きすることを重んじるようになった。わかりやすい裁判へと変化しつつあるのは評価できる。

だが、判断に市民の感覚を採り入れ、ひいては司法への信頼を高めるという本来の目的は、どこまで進展しただろうか。

さらに実のあるものにするための課題は少なくない。

■冤罪を防ぐ市民の目

まず見直すべきは、裁判員裁判の対象の狭さだろう。

殺人、強盗致死など重大事件に限られ、公判になる事件の2%にとどまる。大方は被告が罪を認めた事件で、裁判員が悩むのはもっぱら刑の重さだった。

刑事裁判は有罪率が100%近く、検察が主張する有罪を確認する場だと指摘されてきた。それをふまえれば、有罪か無罪かの判断にこそ市民の目を生かすべきではないか。

厚生労働省村木厚子さんが巻き込まれた郵便不正事件、警察が捏造(ねつぞう)した鹿児島県議選事件、痴漢の誤認などをみても、冤罪(えんざい)のリスクは重大事件だけでなく身近な事件にもある。

被告が起訴内容を争っている事件には裁判員が関与できるよう、対象を広げるときだ。

死刑の選択に市民が直接向き合うようになったのも、裁判員制度がもたらした変化である。

ことし3月末までに裁判員裁判で28件の死刑の求刑があり、21件で死刑、6件で無期懲役刑、1件で無罪の判決が出た。

死刑判決のうち3件は、控訴審で無期に減刑された。

誤判のおそれは常にある。死刑は執行したら取り返しがつかない。その決定の手続きには一点の疑いもあるべきではない。

しかし、いまの評決ルールは多数決だ。多数意見に1人以上の裁判官が入る必要があるものの、5対4でも死刑は決められる。慎重な上にも慎重なルールとは言いがたい。

死刑を続ける先進国は、日本以外には米国の一部の州があるだけだが、米国でも近年、死刑の選択はほかの手続きより厳格なものに改めてきた。

日本弁護士連合会は、死刑評決は全員一致にすべきだと唱える。議論が尽くされたといえない点であり、再検討を要する。

■たゆまぬ検証の場

裁判員制度はいまだ、完全なしくみとはいえない。絶えず見直し、改善策を検討する常設の場をつくるべきだ。

法務省の検討会は、最初の3年間の検証をした。だが、長期にわたる事件を対象から外すなど小幅の提言をした報告書を昨年まとめて終わった。

裁判所は独自に裁判員経験者へのアンケートなどを通し、改善点を探っている。だが、制度全体の検証は、裁判所から独立してなされるべきだろう。

例えば、制度の成否を握るのは、裁判官と裁判員が対等に議論できるかだと言われてきた。市民参加が「お飾り」にもなりかねないからだが、十分な検証はされていない。

裁判員を務めて急性ストレス障害になったとして国を訴えたケースもあった。終了後の心理面の支援にも考慮がほしい。医療の専門家らも加え、制度の改善を考えていく必要がある。

■根づかせる工夫を

最高裁が毎年行う世論調査で「裁判に参加したい・してもよい」と答えた人は09年度の19%から昨年度は14%まで落ちた。

候補になったが辞退する率は、09年の53%から昨年の63%へと増えている。

制度が定着とは逆行しているように見えるのはなぜか。

裁判員の経験を社会で共有できていないことが妨げとなっている」。この制度と社会のかかわりをみてきた飯(いい)考行・専修大学准教授はそう語る。

打開策の一つは、生涯課される守秘義務の見直しだ。裁判員法は評議の大まかな流れや判決に対する意見を述べることを禁じており、経験を話題にすることさえ、ためらわせがちだ。

だが、罪と罰に悩む現場での市民体験は、司法への理解を深める公共財ともいえる。閉じ込めるのではなく、社会全体で蓄え、高めてゆくべきものだ。

経験者がつながり、公開の場で語る試みも始まっている。そうした工夫がもっと欲しい。

社会の正義は、「お上」にまかせるものではない。市民一人ひとりが考え、かかわることが健全な民主社会を形づくる。

そのはずみになるよう、裁判員制度を成長させたい。