http://www.shinmai.co.jp/news/20140504/KT140503ETI090002000.php
http://megalodon.jp/2014-0508-1021-07/www.shinmai.co.jp/news/20140504/KT140503ETI090002000.php
太平洋戦争末期の1945年元日。こんなふうに日記に書き記した人がいた。
〈日本で最大の不自由は、国際問題において、対手(あいて)の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総(す)べての問題はここから出発しなくてはならぬ〉
今の安曇野市出身の外交評論家、清沢洌(きよし)だ。思想統制の中で戦後に発表するため、政府や軍部の批判をつづった。清沢は終
戦を見ることなく病死し、日記は後に「暗黒日記」として出版された。「大東亜共栄圏の建設」をうたい、実は自国のための植民地支配をアジアで広げた日本。それが当然視された時代に、清沢は他国の立場を理解する教育を求めた。