筆洗 一九五〇年の春、英国で一人の青年が絞首刑に処せられた。幼い…-東京新聞(2014年3月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014032802000124.html
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一九五〇年の春、英国で一人の青年が絞首刑に処せられた。幼い娘を殺したというのが、その罪状だった。彼の名チモシー・エバンスは、死刑廃止の一つの契機をつくった人の名として、英司法史に刻まれることになる。処刑後、真犯人が捕まったのだ。
この悲劇を受け、司法のありように疑問の声がわき起こった。内務省は調査に乗り出したが、出てきた報告書は捜査機関をかばう内容。国会で議員らは、こう追及したという。
「我々がこの報告書を問題にしているのは、真実を明らかにせぬからではない。真実を隠蔽(いんぺい)しているからだ。我々がこれを問題にしているのは、そこに過失があるからでもない。そこに不実があるからだ」
きのう静岡地裁袴田事件の再審開始と、無実を訴えてきた袴田巌さんの釈放を決めた。その決定要旨にある裁判所の指摘は驚くべきものだ。死刑判決の拠(よ)り所となった証拠は「捜査機関によって捏造(ねつぞう)された疑いがある」というのだ。
捜査も人のやること。真実にたどり着けず、過ちを犯すこともある。だが袴田さんに罪を着せるため、当局が証拠をでっち上げたとしたら、真実の隠蔽や不実どころではない。犯罪である。
司法当局が自らこの疑惑の解明にあたらないのならば、国会がその権限で追及すべきだ。それもできぬとしたら、それこそ地裁が言う「耐え難いほど正義に反する状況」だ。