筆洗 <私の名よ/私というかなしい固有名詞よ/私は/私の名によつ…:-東京新聞(2014年3月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014032202000156.html

<私の名よ/私というかなしい固有名詞よ/私は/私の名によつて立証され/どこまで行つても/私は私の名前によつて/私であることが通用する>。昨年八月に八十三歳で生涯を閉じた詩人・塔(とう)和子さんの詩「名前」だ。
人の名というのは、不思議なものだ。無数にある言葉の一つ、固有名詞の一つにすぎぬのだが、自分そのもののようでもある。
自分の名前がある日突然、取り上げられる。使えなくなってしまう。そう想像してみれば、名前というものが、自分という存在のどんなに奥深くまで根を張っているかが分かる。
塔さんの詩は続く。<故郷の村境の小道から/亡命した私の名前/ああしかし今も/私の名は/閉ざされた小さな世界の中で呼吸している/私の影のように/やつかいで愛(いと)しい名前よ>
塔和子は、本名ではない。彼女は十三歳でハンセン病を発症した。この病への偏見は苛烈で、国の隔離政策で彼女も家族に別れを告げ、瀬戸内の島にある国立療養所に入った。他の患者と同様に、家族が差別を受けぬよう名を変えて生き、そのまま島で逝った。
塔さんの遺骨が先日、島の納骨堂から分骨され、父母が眠る故郷・愛媛の墓に納められたという。墓に刻まれた名は「井土(いづち)ヤツ子」。<私がいると名前も有り/私が立ち去ると名前も消える/はかなくやさしい名前>が、ようやく亡命を終え、帰郷を果たした。