アンネ本の受難 「人間の善」を信じたい-東京新聞(2014年3月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014030102000158.html

心底悲しく、憂うべき事件である。多くの図書館でアンネ・フランクにまつわる蔵書が相次いで破られた。ナチス焚書(ふんしょ)さえ想起させる。世界の平和を願い、十五歳で逝った少女の魂を守らねば。

破損していたのは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害下で二年余りにわたり書かれた「アンネの日記」やその関連本である。

東京では四十近い公立図書館や書店で三百冊を超す被害が確認されている。横浜にも及んでいた。

手でびりびりと引きちぎったり、ナイフで切り取ったりしたらしい。図書館は監視を強めたり、開架を取りやめたりした。自由であるべき言論空間が息苦しくなるのは残念だ。

衝撃は国内外に広がり、懸念や非難の声が上がっている。もはや単なる器物損壊事件にとどまらず、国際問題にまで発展した。

警視庁は凶悪犯罪を担う刑事を動員し、異例の捜査態勢を敷いた。知る権利はもちろん、平和や人権を希求してきた戦後の努力を踏みにじる蛮行というほかない。

アンネは一九二九年にドイツで生まれた。反ユダヤ主義を掲げるナチスが政権を握ると、一家は祖国を捨ててオランダに逃れた。しかし、第二次世界大戦中は占領され、隠れ家生活を強いられた。

日記は十三歳から十五歳にかけてしたためられた。恐怖と飢えと不自由にさいなまれながらも勇気や希望、愛情を諦めず、けなげに暮らした様子が伝わってくる。

思春期の少女の成長と苦悩が描かれた文学作品として、戦争や差別、ホロコーストユダヤ人大量虐殺)を考える史料として、世代を超えて読み継がれてきた。世界記憶遺産にも登録されている。

ユダヤ人の抹殺には加担しなかったとはいえ、かつて日本はナチスドイツの同盟国だった。日本が主権を回復した五二年に初めて日記の邦訳が出版されたが、オランダ国内には反発もあったという。

日本は今日までアンネと共に歩んできた。なのに、最近ではホロコーストの歴史を否定したり、日記の創作説を唱えたりする動きもネット上で目立っている。

在日コリアンを攻撃するヘイトスピーチも同根だ。差別を助長し、日本の国際的信用を損ねる愚行である。互いの違いを認め、尊重し合う寛容さ、謙虚さの欠如は民主主義を危うくする。

絶望的な境遇下でも、アンネはつづった。「人間の本性はやっぱり善なのだ」と。その言葉の重みをあらためてかみしめたい。