第4部 9条の21世紀<2> 政界去った戦争体験世代-東京新聞(2013年6月30日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013063002000171.html
http://megalodon.jp/2013-0701-0926-10/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013063002000171.html

一九九四年九月、社民党の前身である社会党は真っ二つに割れた。新政治方針を決める臨時党大会。「自衛隊合憲」「日米安保堅持」「原発容認」。従来路線の大幅転換が、党から約半世紀ぶりに誕生した首相村山富市の発言に沿う形で提示された。沖縄など反対する県本部は修正を求めていた。

「修正したら村山政権は持たない」。幹部の発言に、反対派をたき付けた党政策審議会の河野道夫(71)は憤った。「自民と交渉もせず、何をおびえている」。結局、予想以上の大差で原案が可決。河野は「野党から責められる村山が気の毒、という同情論にやられた」とうめいた。

改称した社民党からは、旧民主党に半数の議員が流出。九六年の総選挙で、議席数は十五にまで落ち込んだ。かつての野党第一党の凋落(ちょうらく)を、村山の首相秘書官も務めた河野は「党大会が分水嶺(れい)。護憲政党としてのアイデンティティーを失った」と悔やむ。
....

昨年末、安倍が首相に返り咲き、改憲論は再び勢いを増す。古賀や野中らハト派の多くは政界を去った。〇七年まで自民の憲法調査会長だった船田元(59)は、三年余の自らの落選期間の間に、憲法への自民の姿勢が「乱暴になった」と懸念している。「われわれの考えを憲法に書き込めばいい、という欲求が高まってきた」