『天使の分け前』

〜ウィスキーの香りをちりばめた社会派コメディ

2002年の『SWEET SIXTEEN』では、労働者や社会の底辺にいる人々の過酷な現実をきわめてリアルに描いた(子ども法21『通信2007年5月号(通巻77号)』 http://www.kodomo-hou21.net/pdf/05_2007-13.pdf)。そのケン・ローチ監督の最新作『天使の分け前』は、2013年5月をもって閉館する銀座テアトルシネマのクロージング作品として公開される。

2012年のカンヌ国際映画祭において審査員賞を受賞。脚本担当で監督とコンビを続けているポール・ラヴァティは「(『SWEET SIXTEEN』の主人公について)彼のような少年たちの物語を描くなら、悲劇は避けられない。ハッピーエンドに終わらせることなんか不可能なんだ。嘘になってしまうからね」と貧困、暴力、家庭崩壊から抜け出せない若者を追い続けている。しかし、今回の作品では、失業率の高いイギリス、ことに貧困層にしわ寄せが集まる若者への希望あるラストが用意されている。それこそが、別な意味での「天使の分け前」となっている。


天使の分け前(Angels' Share)」とは、スコッチウィスキーを樽に貯蔵するうちに年間2%が蒸発する現象のことを言う。

サントリーウイスキー蒸溜所ブログから引用
http://yamazaki-d.blog.suntory.co.jp/000008.html
ウイスキーは、長年樽で熟成している間に少しずつ蒸発し、10年も経つと当初の8割程度の量になってしまうんです。ウイスキー独特の味わいと香りが生まれるためには仕方のないことなのですが、昔の人たちは「天使に分け前を取らせて(飲ませて)いるからこそ、我々は美味しいウイスキーを手に入れることができたのだ」と考え、樽から減った分のウイスキーのことを「Angels' share(天使の分け前)」と呼んできたのです。
蒸溜所に住む天使たちに見守られながら、樽という母体の中で、ウイスキーは静かに呼吸しながら熟成していくんですね。そう考えると、なんだかとてもロマンチックなお話だと思いませんか?(「天使さん飲みすぎ!」と言っている同僚もおりますが。)

ロング・ショットを多用した撮影でスコットランドの風景が旅情をかき立てる。デジタルではなく、35mmフィルムにこだわり、カメラ1台でじっくりと撮影され、一日ごとに役者と話し合いながら、台本を練り上げて作る映画がケン・ローチ監督との緊張関係を産み、登場人物の個性が生き生きと映しだされている。

主人公のロビー役を演じた、ポール・ブラニガン君は地元スコットランドグラスゴー出身の青年で、少年院に収監された時に新聞を丹念に読むことで世間の知識を得ることになる。非行防止対策として作られた地元サッカークラブに所属していた時に、脚本家のポールに声をかけられ、監督のケン・ローチに見出された。彼の頬には兄との諍いの傷跡が残り、また、両親ともに薬物中毒におかされているなどの実生活での過酷な経験から映画初主演と思えないを演技をしている。
(http://www.guardian.co.uk/film/2012/may/31/the-angels-share-paul-brannigan)


監督:ケン・ローチ/脚本:ポール・ラヴァティ
/出演:ポール・ブラニガン、ジョン・ヘンショー、ロジャー・アラム、
ガリー・メイトランド、ジャスミン・リギンズ、ウィリアム・ルアンほか
/2012年/イギリス・フランス・ベルギー・イタリア/101分
/配給:ロングライド/原題:THE ANGELS’ SHARE
公式サイト http://tenshi-wakemae.jp/

〜〜〜ストーリー

ロビーは、傷害事件で懲役になるところをもうすぐ新しい命を授かり父親になることが、更生の可能性ありとして認められ「300時間の社会奉仕活動」を命じられる。父になった喜びをかみしめ、自分の過ちを反省するロビー、取り返しのつかないケガを負わせた被害者との面談(修復的司法)に臨み、自分の罪の重さに潰されそうになるところを連れ合いの彼女が支える。一方で、今まで諍いを繰り返してきたグループとの因縁からひどい嫌がらせと暴力に遭遇する。

不況で職もなく、問題を起こす若者が溢れるスコットランドグラスゴー地区。ロビーは傷害事件を起こして、裁判所に召還され、実刑はまぬがれたものの、暴力沙汰を引き起こす要因が彼の周りにたくさんある危険な日常を送っている。
グラスゴー地区についてはhttp://www.wsws.org/articles/2008/jul2008/glas-j24.shtmlを参照)

墓地の清掃や市立小学校のペイント作業などの社会奉仕活動で、同じく犯罪を犯して更生中の仲間たちと知り合い、またその指導役のハリーに出会い、ロビーは地道に生きる意思を固め、ゆっくりと心の成長をとげていく。
指導役のハリーはスコッチウィスキーに目がなく、ロビーと更生中の仲間たちを地元の蒸留工場見学に連れて行く。ロビーはウィスキーを飲み比べるうちに嗅覚と味覚をききわけるテイスティングの才能に目覚めることとなる。
とある日、ロビーとその仲間たちをエジンバラのウィスキー試飲会へ連れて行く。そして、樽入りの最高級ウィスキー「モルト・ミル」の落札に乗じて、ロビーたちはある計画で大金を得ようとするのだが……。

〜〜〜

指導役ハリーがロビーの子どもの誕生を祝うために開けるウィスキーのシーンがある。そのウィスキーの銘柄はスプリングバンク32年。1971年蒸留の原酒をリフィル・シェリー樽のみで熟成した限定品。最初は非常にオイリーで、じょじょにフルーツのフレーバーが出現、ベルベットのような甘さが長く残る、非常に品薄で大変貴重なモルトとのこと。


イギリスではケン・ローチ監督映画で最もヒットした作品となった一方で、地元スコットランドでは、現実離れした希望のラストシーンに対し「ケン・ローチがファンタジーやってどうすんだよ」と批判する評論家がいた。(http://film.list.co.uk/article/42136-the-angels-share/
このスコットランドグラスゴー地区での負のスパイラル問題については『SWEET SIXTEEN』でスコットランドの失業、貧困の現実を描き、観客を絶望のどん底に落とし込んだ。今回の新作『天使の分け前』の希望のラストシーンは、主人公役を演じたポール・ブラニガン君が現実の社会での絶望の暮らしから役者となって新たな希望の道に導かれることで映画のラストシーンと重なることになる。
(子どもと法21『通信2013年3月号(通巻144号)』から引用し加筆しています)