少年事件の裁判員裁判 県内初の判決-朝日新聞(2011年07月09日)

http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000001107090002
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(解説)
しかし、判決は「少年法の精神に思いを致したとしても」と断ったうえで、悪質性や結果の重大性を重く見た。判決後の会見に参加した裁判員は、少年法について一様に「縛り」と表現し、10年以下の中で刑を選択しなければならなかった難しさを口にした。
 果たして、少年法は縛りなのか。もちろん被害者を死なせた事実は重い。だが、少年事件の裁判の目的は犯した罪を裁くことだけにあるのではない。
 少年事件は周りの大人や社会のひずみが生んだという側面もある。だから社会全体で少年の更生を支える。国親(くに・おや)思想と呼ばれるそんな理念が、少年法にはある。少年の裁判では、この基本に立ち、少年を立ち直らせるための処方箋(しょ・ほう・せん)を考えなくてはならない。
 それを数日間の審理で行うのは可能か。弁護人は「限られた時間の中では事件の凄惨(せい・さん)さばかりに目を奪われてしまう。少年の幼さを理解してもらうのは難しかった」と振り返った。
 また、公判ではプライバシーへの配慮から、家裁の調査官が生い立ちや性格的な傾向をまとめた社会記録を十分調べられないという問題点も浮かんだ。
 海外では、少年事件の特性を理解する教育や心理学の専門家が裁判に立ち会う国もある。審理が非公開のところも多い。制度の見直しまで、1年。日本でも、もっと少年に寄り添う努力が必要ではないか。