「南青山の児相反対派」をボコボコに叩く、そんな風潮がよくない理由(窪田順生さん) (1/6) - ITmedia(2018年12月25日)

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1812/25/news052.html

日本中の子どもたちがクリスマスを楽しみに待ち焦がれていた最中、子どもたちがガッカリするような残念なトラブルが起きてしまった。
東京の一等地で生活するオトナたちが、虐待を受けるなど問題を抱えた子どもに対して、お前らが地域にやって来ると、治安悪化や土地の価値低下が引き起こされ、「青山」というブランドが大きく毀損(きそん)される――などと間接的にディスりだしたのである。
ご存じ、港区南青山の一時保護所を併設した児童相談所建設計画をめぐる反対派住民の主張だが、彼らの子どもに対する「口撃」はこれにとどまらない。
「このあたりのランチは1600円くらいする」「入所した子が青山の幸せな家族や着飾った人を見て、自分とのギャップを感じるのでは」などと「チョー上から目線」のロジックを展開。「不幸な子どもは、不幸で貧しい人間の多い街で暮らしとけ」とでも言わんばかりの勢いで完全に「地域に害をもたらす疫病神」扱いなのだ。
他人を派手にディスれば、その罵声がブーメランのように自らに返ってくる、というのは説明の必要はあるまい。
「差別主義者」「選民思想」など世間から叩かれ、「地元の不動産屋が糸を引いているのでは」なんて真犯人探しがスタート。有名人もこぞって「口撃」している。
お笑い芸人のカンニング竹山さんは情報番組で「ものすごく危険な思想」とバッサリやって、ネット民から「正論だ」と拍手喝采された。また、オセロの松嶋さんはその逆で、「児相が来たら引っ越してしまうかも」と反対派住民の心情に一定の理解を示すようなコメントをしたため「炎上」した。
個人的には、このような批判が出るのは致し方ないし、竹山さんのご指摘もそのとおりだと思う。が、その一方で、反対派住民や松嶋さんらをボコボコに叩いて留飲を下げる今の風潮はあまりよろしくない気がしている。
かばっているわけではなく、我々すべての日本人への「ブーメラン」になるからだ。


......

時代錯誤な「児相観」から脱却できない
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1812/25/news052_5.html
では、なぜ日本人はそのように時代錯誤的な「児童相談所観」からなかなか脱却できないのかというと、「不幸な子どもを社会で協力し合って育てていく」という考えが希薄だからではないか、と個人的には考えている。
本連載の『日本の親が子どもを「モノ」扱いしてしまう、根本的な理由』という記事で詳しく紹介したが、日本は諸外国に比べて際立って「親子心中」が多く、児童虐待対策に力を入れてこなかった歴史的事実がある。背景にあるのは、近代以前から続く子どもの人身売買が象徴する、「子どもは親の所有物である」という思想だ。

(政界地獄耳)政権とメディアの独立性 - 日刊スポーツ(2018年12月25日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201812250000189.html
http://archive.today/2018.12.25-011505/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201812250000189.html

★この1年、メディア独立性は保たれたのか。政権への忖度(そんたく)に拍車がかかったと感じる読者も多いことだろう。「共犯者たち」という韓国のドキュメンタリーが話題だ。約9年間にわたる李明博朴槿恵政権の言論弾圧の実態を告発している。政権は国民の支持率を上げるため公共放送局KBSや公営放送局MBCに露骨な介入を開始。政権に批判的な経営陣は排除され政権に近い政治部系の幹部らが経営権を持つ。両局の労働組合ストライキで対抗するが検察に逮捕され解雇されていく。監督は12年にMBCを不当解雇された記者・チェ・スンホ。韓国のテレビ報道を骨抜きにした「主犯」とそれらに迎合した「共犯者たち」を追うものだ。

★日本でも政治部はともかく社会部には気骨ある記者がいる。「自衛隊の闇組織 秘密部隊『別班』の正体」(講談社現代新書)の著者は共同通信編集委員・石井暁。歴代首相や防衛相も知らない防衛省内の秘密情報組織「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」とは何か。シビリアンコントロールに抵触しないのか、陸軍中野学校の流れを引く小平学校の心理戦防護課程を経て海外にまで拠点を置いていたのではないかと石井は取材を続ける。その動機は特定秘密保護法により都合の悪いことは秘密にできるという仕組みの危険さがあると石井は問うている。

★検察は不起訴にしたものの、まだ謎の多い森友事件はもう終わったことなのか。元NHK大阪放送局司法キャップ・相沢冬樹が記者としての戦いをつづった「安倍官邸vsNHK」(文芸春秋)も読み応えある。相沢は他社との報道合戦よりも社内との闘いに苦悩する。東京の報道局長が政権に忖度してか報道させない、また特ダネも大阪だけの放送や骨抜きの原稿に書き直させられるなどが克明に記される。NHKは早速会見で「主要な部分において虚偽の記述が随所に見られるなど極めて遺憾」「報道局長の意向で報道内容を恣意(しい)的に歪(ゆが)めた事実はない」などと反応している。いずれも原稿にできなかった部分を書籍にして補完している。マスゴミかどうか、是非一読して判断して頂きたい。(K)※敬称略

安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由

安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由

ドイツ政治の潮流 メルケル流を忘れずに - 東京新聞(2018年12月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018122502000146.html
https://megalodon.jp/2018-1225-0934-11/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018122502000146.html

ドイツの保守与党党首がメルケル首相(64)からクランプカレンバウアー氏(56)に代わった。「メルケル流保守」とは何だったか、どう引き継がれるのか。
この時期、各都市中心部の広場には軽食や飾り物を並べた露店が並ぶ。クリスマス市。ドイツの冬を和ますキリスト教の行事だ。
メルケル氏が率いていた党は、その宗教の名を冠した保守党、キリスト教民主同盟
ライバルの中道左派社会民主党と、時に与野党で対立、時に大連立を組みながら戦後、西ドイツ時代を含め計四十六年間、ドイツの政治を担ってきた。うち十三年間がメルケル政権だ。

ソ連の脅威に対処
民主同盟は、ナチ・ドイツの敗戦から間もない一九四五年に結党。ワイマール共和国時代の連立政権与党だったカトリック政党「中央党」と、プロテスタントを統合した超宗派的なキリスト教政党としてスタートした。
初代党首で西独首相となったアデナウアーは、「キリスト教的西欧」の価値観を党の理念に掲げ、それに基づいたドイツ統一と欧州統合を目標にした。
キリスト教的西欧とは、自由、民主主義など西側の価値観を体現したものだった。同時に、冷戦の最前線で東ドイツと対峙(たいじ)していたため、共産主義ソ連の脅威に対処する意味合いもあった。
これらは八九年のベルリンの壁崩壊、九〇年のドイツ統一や、九三年発足の欧州連合(EU)で形となった。
その後、党に新たな理念を継ぎ足したのがメルケル党首だった。
野党時代は米主導のイラク戦争を支持、脱原発に反対していた。
しかし、二〇〇五年の首相就任後、社民党との大連立で本領を発揮していく。
メルケル流の背景には、自らが科学者で、自由のなかった東独育ちの生い立ちがよく指摘される。
しかし、それだけではない。

キリスト教的保守
一一年の東京電力福島第一原発事故後、対応を検討した「倫理委員会」にはカトリックプロテスタント両宗派の代表も参加。環境を破壊することなく、未来でも生活できるようにし続けることが、キリスト教から導き出される人間の義務であることを、脱原発の根拠の一つだとした。
一五年夏には、欧州に押し寄せた難民を受け入れる寛容政策を表明して混乱を招き、以来、批判の矢面に立たされている。受け入れ目安を設けるなど軌道修正はしたが、信念は曲げなかった。
父が牧師でプロテスタント。政治家としては珍しく、信仰に言及することも多い。
難民申請者のトラックがベルリンのクリスマス市に突っ込んだテロ事件翌月、一七年一月の演説では、神の被造物で一人一人異なる人間は、いつも繰り返し関わり合わなければならないと指摘。
「非合法な手段以外の方法で、難民の援助を行わなくてはいけないのは明らかです。困難な課題に直面していますが、引き受けないわけにはいきません」と語った(メルケル氏著「わたしの信仰」、新教出版社)。
別の集会では、キリスト教的人間像から考えると「共に生きる人々の幸福はいわば基礎的なもの」と述べている。
目指したのは、人権の尊重と自然との共生。信仰が大きな原動力だった。
ドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州は、イラク北部で過激派組織「イスラム国」(IS)に暴行されたクルド民族少数派ヤジド教徒の女性約千百人を難民として受け入れ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などのケアを施した。
その一人が国連親善大使に名乗りを上げ、ISの非道を世界に訴えた。
今年、ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさん(25)。メルケル流の誇れる結実である。
次期党首のクランプカレンバウアー氏は、政界引退を表明している首相の後継候補ともなる。

◆後継者はカトリック
メルケル氏同様、女性で考えも近いという。しかし、メルケル氏とは違いカトリックで、昨年合法化された同性婚には異論を唱え、医療機関による中絶広告解禁に強く反対する。
メルケル流は、態勢が不十分なまま理想に走りがちな性急さもあった。共生社会づくりは課題も多く、まだ道半ば。排外的な新興右派政党へと流れた保守層の支持回復も大きな課題だ。メルケル流の精神を引き継ぎつつ、国の分断を克服してほしい。
キリスト教に培われた懐の深いドイツの保守は、EUの連帯を強め、自国第一主義のトランプ流が横行するようになった国際社会の流れを変える力ともなるはずだ。

生活、仕事、勉強チームで支援 入管難民法改正 都内の特養では - 東京新聞(2018年12月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201812/CK2018122502000167.html
https://megalodon.jp/2018-1225-0935-10/www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201812/CK2018122502000167.html

外国人労働者の受け入れを拡大する改正入管難民法が成立した。政府は人手不足が深刻化する介護現場で、五年間で最大六万人の受け入れを見込む。外国人は日本の介護を支える存在になるのか。十年以上前に受け入れを始めた東京都内の特別養護老人ホームの取り組みを取材した。 (五十住和樹)

「晩ご飯は何がいい?」

「お肉」

女性入所者(77)とのこんなやりとりの後、フィリピン人介護福祉士モンティシリヨ・シンデレラ・メイさん(27)が「サンキュー」と声を掛けた。女性は教わった英語で「ユアウェルカム(どういたしまして)」と返した。
板橋区の特養「ケアポート板橋」(竹川節男理事長)で働き始めて三年のモンティシリヨさん。目線を合わせ手を取って話し、すっかり溶け込んだ様子。施設長の村上隆宏さん(44)は「最初は言葉の問題があっても、信頼関係ができれば国籍は関係ない」と話す。
この特養が外国人の介護職を初めて受け入れたのは二〇〇七年。母国の看護師資格を持つ二人のフィリピン人留学生だった。翌〇八年から経済連携協定(EPA)特定活動の候補生として同国やインドネシアから受け入れる。EPAは三年以上の実務経験の後、介護福祉士試験に合格しなければならない。これまで受け入れた十人のうち六人が日本の試験に合格し、五人が現在もここで働く。不合格で帰国したのは二人だけ。
この施設の特徴は、外国人スタッフを生活、仕事、勉強の三方面からチームで支えること。
来日後、職員がアパート探しに同行。使わない家電の寄付を募って提供する。介護技術や仕事で使う日本語は働きながら日本人スタッフがチームで教える。試験のため週一回、一日八時間の勉強時間を確保。講師を招いて日本語学習、制度や法律などを学ぶ。
給与や福利厚生は日本人職員と同等。試験に合格して家族を母国から呼び寄せる場合、子どもの保育園探しも手伝う。村上さんは「日本人を雇うのと同じ。主力として働く人材に育てたい」と話す。
外国人が戦力になるために働きやすい環境をどうつくっていけばいいか。モンティシリヨさんは「どんなことでも母国語で相談できる窓口、来日した人が集まれるコミュニティー、日本語が学べる場所が必要」と指摘する。

◆台湾、韓国とも介護職争奪戦
介護現場は深刻な人手不足に悩んでおり、外国人スタッフに長く働いてほしい思いが強い。ただ台湾や韓国などと介護職の争奪戦もすでに始まっており、「ケアポート板橋」施設長の村上隆宏さんは、「賃金や待遇もある。日本を働き先に選んでくれるだろうか」と話す。
ケアポート板橋は、来日後夜勤ができるようになるまで外国人スタッフとの「交換日記」も実施。「日本語の上達ぶりが分かり、仕事や生活での本音も語ってくれる」と、定着に向けてきめ細かな対応の重要性を訴えている。
ただ村上さんは「都会に希望者が集中し、人材確保で地域格差が出る可能性がある」と指摘する。別の施設の関係者は「日本で働くモチベーションをどう高めるか。永住権はその一つになるのでは」と話す。

学校と指導死 奄美の悲劇から学ぶ - 朝日新聞(2018年12月25日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13826279.html
http://archive.today/2018.12.24-231948/https://www.asahi.com/articles/DA3S13826279.html

生徒がものを言えない雰囲気が、自分の学校にも満ちていないか。先生一人ひとりが胸に手を当ててもらいたい。
鹿児島県奄美市で3年前、中学1年の男子が自殺した。いじめに加わったと担任に疑われ、家庭訪問を受けた直後だった。ところがよく調べると、いじめといえる言動はなく、誤解に基づくものだった。市の第三者委員会がそう結論づけた。
教師の一方的な指導に追いつめられての死を、遺族らは「指導死」と呼ぶ。公の統計はないが、教育評論家武田さち子さんの調べでは、この30年間に全国の小中高校で、未遂を含め少なくとも76件おきているという。
国の指針は、背景に学校生活がからむ自殺については、詳しく調査のうえ、検証結果を地域で共有するのが望ましいとしている。とりわけ教員の行いに原因がある指導死は、学校側の対応次第で根絶できるものだ。徹底した取り組みを求める。
改めて思うのは「性悪説」に基づく指導の危うさだ
報告書によると、担任は生徒らの言い分をよく聞かないまま反省と謝罪を強いた。学校全体も「毅然(きぜん)たる対応」を生徒指導の方針に掲げ、細かな校則違反も厳しく点検。この担任によるものだけでなく、体罰や暴言が以前から目撃されていた。
そんな雰囲気では、身に覚えのないことで叱られても、中学生が抗弁できなくて当然だ。亡くなった生徒も「何でおれが」と漏らしていたようだ。
生徒の「指導」から「支援」へ――。発想の転換を促す報告書の指摘は、重い。
チームワークの欠如も指摘された。担任は自分だけで対処しようとし、校長や一部の同僚はその様子を目にしながら、任せきりにしたとされる。組織で対応する意識を持ち、時間をかけて生徒の言い分を聞いていれば、と思わずにいられない。
一方で、教員の働きすぎが大きな社会問題になり、負担の軽減が求められている。「一体どうしろというのか」との声が、現場から聞こえてきそうだ。
だからこそ、周囲の力も借りた対応が大切になる。
まず思い浮かぶのは養護教諭だ。教室では言えない本音も、保健室では話しやすいと言われる。スクールカウンセラーや事務職員の存在も大きい。教育委員会などが設ける、地域の相談窓口との連携も深めたい。
少し引いた立場から複数の目が注がれる。そんな環境をつくることで、教員ひとりにかかる負担の軽減と、逸脱行為の歯止めが両立できるといい。

(大弦小弦)1997年のクリスマスイブの夜… - 沖縄タイムス(2018年12月25日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/363267
https://megalodon.jp/2018-1225-0937-27/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/363267

1997年のクリスマスイブの夜、「首相官邸で比嘉鉄也名護市長が海上基地を容認し辞任表明」との一報が入った。慌てて名護に向かったが、頭の中は「まさかだろ」と混乱した

▼その3日前に行われた基地建設の是非を問う名護市民投票は、「反対」と「条件付き賛成」が市民を激しく二分した。結果は、反対が条件付きを含む賛成を2372票上回った

▼「振興策で仕事が増える」と夫は期待した一方、妻は「家計は大事だけど、子のために基地はよくない」と判断が割れた家庭もある。地縁血縁が重視される地域で、一人一人が望ましい未来を自問して投じた1票。引き裂かれる思いで市民は答えを出した

▼「過半数の意思を尊重する」と条例に盛り込んだのは当の比嘉氏で、これで決着のはずだった。なのにわずか3日で受け入れ表明し、21年たっても続く混迷が始まった

▼その後、新基地の是非が明確に争点となる主要選挙で、県民は1票を行使し反対の意思を示し続けている。だが安倍政権は今回の知事選結果も尊重せず、土砂投入を強行した。1票の重みを政治家自ら軽んじる愚行

▼市民投票のスローガンは「大切なことはみんなで決めよう」だった。問答無用の「政治判断」が混乱と政治不信を助長させている。民主主義を阻む元凶は、一人一人が断ち切るしかない。(磯野直)

(強制不妊被害の救済)国の責任を明確にせよ - 沖縄タイムス(2018年12月25日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/363271
https://megalodon.jp/2018-1225-0938-44/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/363271

優生保護法下で障がい者らへ強制不妊手術が行われた問題で、与野党は救済法案を一本化して基本方針をまとめた。来年4月ごろ、通常国会議員立法で法案を提出する見通しだ。
旧法制定から70年、「障がい者差別に当たる」として「優生手術」の条文が削除されてから22年。救済に向けて一歩を踏み出したことは、一定の評価ができる。
だが、非人道的な政策に対し被害者側が求める内容からはまだまだ不十分だ。
基本方針は「おわび」と一時金の支給が柱である。
前文に「反省とおわび」として「(被害者が)心身に多大な苦痛を受けたことに対し、われわれは真(しん)摯(し)に反省し、心から深くおわびする」と盛り込む。
主体を「われわれ」と表現し、被害者側が求めていた「国」と明確にしなかった。
「われわれ」とは誰か。
与野党は「議員立法で旧法を制定した国会や、旧法下で手術を進めた政府も含む」と説明するが、ならばそう書き込むべきだ。反省とおわびの主体があいまいのままでは責任の所在もはっきりしない。
旧法の違憲性にも言及していない。
全国各地で国家賠償請求訴訟が進行中のためとみられるが、子どもを産み育てる自己決定権が侵害される違憲な法律だったにもかかわらず、これに触れないのは問題を矮(わい)小(しょう)化するものと言わざるを得ない。
国による謝罪が救済の出発点である。

    ■    ■

被害認定は専門家でつくる審査会を厚生労働省に設置して厚労相が行うという。
厚労省は強制不妊手術を押し進め、かつ救済を放置してきた当事者である。厚労省が被害認定を行うのは疑問だ。第三者機関を立ち上げるのが筋である。
基本方針では、一時金は居住地の都道府県知事を通じて本人が請求するとしている。
果たしてこの方法は現実的だろうか。不妊手術を周囲には知られたくない人が自ら名乗り出るのは難しい。
障がいがあるために、自分が不妊手術を受けたことを知らなかったり、法律の施行が把握できていなかったりすることも想定される。救済の実効性への疑問が拭えない。
手術記録などを把握している行政がプライバシーに配慮しながら、慎重に個別に通知する方策を探ってほしい。
不妊手術を受けた障がい者は約2万5千人。うち同意のない強制手術は約1万6500人で個人名記載の資料は3割しか残っていないといわれる。国と地方自治体が連携を密にしなければならない。

    ■    ■

2016年に相模原市の知的障がい者施設で19人もの入所者が元職員に殺害された事件も「優生思想」につながる考えからだった。
強制不妊手術という過ちを二度と繰り返さないためにも負の歴史である被害実態を徹底的に分析・検証する作業が不可欠である。
検証は私たち一人一人が障がい者への強制不妊出術が行われた事実に向き合うためにも必要である。

奄美復帰65年 琉球弧として共に発展を - 琉球新報(2018年12月25日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-853374.html
https://megalodon.jp/2018-1225-0940-37/https://ryukyushimpo.jp:443/editorial/entry-853374.html

先の大戦後、米国統治下に置かれた奄美群島が1953年に日本へ復帰してから25日で65年の節目を迎えた。
自治よりも米軍の運用が優先され、住民の人権がじゅうりんされた状況から脱しようと、復帰を目指した経験は沖縄と共通する。日本本土から切り離されたサンフランシスコ講和条約発効の日を、沖縄では「屈辱の日」と呼ぶように、奄美では「痛恨の日」と位置付けている。
貧困や食糧難に耐えながら、住民の99%の署名を集め、断食で抗議するなど群島ぐるみの復帰運動は、住民が強大な米軍と対峙(たいじ)し、自治を獲得した貴重な歩みとして記憶にとどめなければならない。
振り返ると、日本本土、奄美、沖縄がたどった歩みは分断の歴史である。奄美群島は1609年、琉球王国への薩摩侵攻により琉球から分割され、薩摩藩支配下に置かれた。1879年の琉球併合(「琉球処分」)後は鹿児島県の一部となり、戦後は本土と切り離された。
日本復帰後も沖縄在住の奄美出身者は「非琉球人」として外国人登録を義務付けられた。公職を追放され、参政権や財産取得権を奪われるなどの苦難を強いられた。
元県教育長の津留健二さん(85)は高校時代に奄美群島で日本復帰を求める署名運動に参加し、琉球大の学生時代には沖縄の復帰運動に身を投じた。沖縄に母を呼び寄せる際には永住権取得に2年もかかり、大学卒業後は、琉球政府が設けた学校の教員になれなかった。
津留さんは「戦争は奄美と沖縄を日本から切り離し、さらに奄美を沖縄から切り離した」と語る。こうした分断に伴う人々の苦しみを忘れてはならない。
一方で、奄美と沖縄は苦難の歴史だけではなく、豊かな自然環境、唄・三線・踊りなどの伝統文化、ゆい(助け合い)の精神など共通の風土を有している。これら可能性に富む資源を今後に生かさない手はない。発展に向けて共に手を携えれば相乗効果も期待できるはずだ。
 奄美と沖縄は、日本復帰後の振興策で道路などのインフラ整備は進んだ。その一方で、島々から成るため物流コストがかかることや交通網の整備、過疎・高齢化、低所得、自治体の国への財政依存など共通の課題を多く抱えている。
しかしお互い「2周遅れのトップランナー」と言われるように、飛躍のチャンスが見えてきた。入域観光客数は着実に増えている。11月に世界自然遺産への推薦が決まった「奄美大島・徳之島・沖縄島北部および西表島」の登録に向けた取り組みや観光ネットワークの形成、農林水産業の技術交流など連携して発展できる要素はいくらでもある。
分断の歴史を乗り越え、新しい未来を切り開くためにも、同じ琉球弧として一体的に発展する構想や取り組みを一層推進する必要がある。<<