パリのデモ、負傷者100人に=各所で黒煙、地下鉄も閉鎖 - 時事ドットコム(2018年12月2日)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018120200038&g=int
http://archive.today/2018.12.02-000959/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018120200038&g=int

【パリ時事】パリで1日、フランス政府の自動車燃料税の増税などに反対して行われた大規模デモで、カスタネール内相は、治安部隊員を含む約100人が負傷したと明らかにした。暴徒化した一部のデモ参加者は警察車両に放火して銃器を奪い、店舗の窓ガラスを破壊。仏紙ルモンドによれば、260人以上が拘束された。市内各地から黒い煙が立ち上り、パリは混乱に包まれた。
マクロン大統領は20カ国・地域(G20)首脳会議が開催されたブエノスアイレスでの演説で、「暴力は決して許容しない」と非難した。仏メディアなどによると、パリでは5500人、仏全体で7万5000人がデモに参加した。
治安部隊は放水車と催涙ガスで暴徒に対応し、デモに参加した看護師の女性(47)はAFP通信に「革命のようだ」と語った。在仏日本大使館は現地在住の日本人や観光客に対し、不要不急の外出を控えるよう呼び掛けた。
 パリ中心部では一部道路が封鎖され、多くの地下鉄駅も閉鎖された。観光名所オペラ座に近いデパートも「安全上の理由」で閉店となり、クリスマスの贈り物を求める大勢の買い物客が避難を余儀なくされた。

「やめたくてもやめられない」 窃盗症 マラソン元代表の原被告 - 東京新聞(2018年12月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018120202000126.html
https://megalodon.jp/2018-1202-1003-40/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018120202000126.html

スーパーで万引したとして、窃盗罪に問われた元マラソン世界選手権代表の原裕美子被告(36)の判決公判が三日、前橋地裁太田支部で開かれる。原被告は、衝動的に万引を繰り返す精神疾患「クレプトマニア(窃盗症)」と診断され、今回の事件も執行猶予期間中の再犯だった。実刑か、もう一度刑の執行を猶予するのか。弁護側は「再犯防止には刑罰よりも治療につなぐ方が効果的だ」と訴える。 (西川正志)
原被告は本紙の取材に「やめたくてもやめられなかった」と語り始めた。
群馬県太田市のスーパーで今年二月、袋詰めのアメなど(販売価格計三百八十二円)をジャケットの内側に入れた状態で店員に呼び止められ、窃盗容疑で現行犯逮捕された。「どうやって服の中に入れたか記憶がない」と振り返る。
原被告は二〇〇五年、マラソン初挑戦だった名古屋国際女子マラソンで優勝。同年、ヘルシンキの世界選手権で六位入賞した。
万引を繰り返し始めたのは一一年秋。厳しい体重制限に伴う摂食障害の影響で骨密度が低下し、度重なるけがに苦しんでいた。「この店は万引しても大丈夫」。そんな客同士の会話が記憶に残っており、寮の近くのスーパーでパンをカバンに入れた。心臓が破裂するほどの緊張感と達成感。「万引をしている時は苦しみを忘れられた」
パン、総菜、お菓子などをトートバッグいっぱいに盗み、それらを食べては吐いた。異常さに気付き、専門の病院に行くと、窃盗症と診断された。競技を引退した一四年には、信頼していたコーチとの金銭トラブルで七百八十万円を失った。昨年一月には、婚約者と婚姻届を出す前日に連絡が取れなくなった。「人生のどん底」。ストレスや怒り、悲しみを忘れようと、さらに万引はエスカレートした。
「やめるには捕まるしかない」。昨年七月、栃木県足利市のコンビニ店で化粧品などを防犯カメラや店員の前で見つかるように万引し、宇都宮地裁足利支部で同十一月に懲役一年、執行猶予三年の有罪判決を受けた。保釈後、三カ月余りの入院治療を受けたが、今回の事件で再び逮捕された。
自分自身に絶望する中、窃盗症患者の被告の弁護を多く手がける林大悟弁護士と知り合った。林弁護士らに支えられながら今年四月から三カ月間、再び入院治療を受けた。八月には知人の紹介で人材派遣会社に就職した。
弁護側は今回の事件で再び執行猶予を求めている。検察側の求刑は懲役一年。代理人を務める林弁護士は「窃盗症は治療をすれば回復可能。アルコール依存症と同じで、嫌なことから逃げたい気持ちで徐々にエスカレートしてしまう」と強調する。
原被告は「昔は不安を一人抱え込んでいた。これからは小さな悩みごとも相談して、気持ちをコントロールしたい」と誓う。

◆「疾患と気づかぬ受刑者も」
警察庁によると、2017年に万引で摘発されたのは約5万8600人で、うち2割超の約1万2400人に窃盗の前科前歴があった。犯罪白書を作成する法務総合研究所の話では、万引は他の犯罪と比べ、再犯者率(摘発人員に占める再犯者の割合)が高い。
窃盗症については、定義などが明確でなく、詳しい統計データはないが、米精神医学会の診断基準は「個人で用いるでも金銭的な目的でもなく、物を盗む衝動に抵抗できなくなることが繰り返される」としている。同基準によると、万引で逮捕された人の4〜24%が窃盗症とされている。
多くの窃盗症の患者の治療を手がけてきた群馬県渋川市の赤城高原ホスピタルでは、患者が万引の経験などを語り合う「集団ミーティング」、回復の進んだ人が治療経験の浅い人に自らの体験を伝える「プライベートメッセージ」などに取り組んでいる。こうした治療を通じ、窃盗症が回復できる病気だと気付き、自助努力で手掛かりを探すことにつながるという。
村道夫院長は「窃盗症と気付かず、無自覚のまま刑務所に入っている人も多い。刑務所では患者同士が語りあう機会はなく、治療はほとんど行われていないのが現状だ」と指摘する。

厚労省WG 児相の「介入」強化 児童虐待防止へ調整 - 東京新聞(2018年12月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018120102000270.html
https://megalodon.jp/2018-1202-1005-04/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018120102000270.html

児童虐待の防止に向け、児童相談所(児相)の業務の在り方を検討している厚生労働省社会保障審議会ワーキンググループが、子どもを保護者から引き離して保護する「介入」の機能を強化する方向で報告書素案の調整に入ったことが一日、関係者への取材で分かった。七日の会合で公表し、年内にも報告書を取りまとめる。
児相には、介入のほか、子どもや家庭に寄り添う「支援」の業務がある。三月に東京都目黒区で両親から虐待を受けていた船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時(5つ)=が死亡した事件では、児相職員が、保護者との関係構築などを重視するあまり、安全確認に踏み込めなかったと指摘されていた。
素案では、必要な場面で職員が行動しやすくするために、介入と支援を担当する部署を分けたり、別の職員が対応したりすることを検討している。介入時に、弁護士ら専門職の協力を得ることも視野に入れている。
二〇一七年度に全国の児相が児童虐待の相談や通告を受けて対応した件数は十三万件を超え、過去最多を更新。心理的虐待に位置付けられている、配偶者への暴力で子どもがストレスを受ける「面前DV」への対応指針が必要との指摘を盛り込むことも検討している。
政府は七月、結愛ちゃんが死亡した事件を受け、二二年度までに児童福祉司を二千人程度増員することや、通告から四十八時間以内に子どもの安全確認ができなかった場合は、警察とも連携して立ち入り調査を徹底することを盛り込んだ児童虐待防止の緊急対策を決定した。

(書評)流砂(りゅうさ) 黒井千次著 - 東京新聞(2018年12月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018120202000194.html
https://megalodon.jp/2018-1202-1006-26/www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018120202000194.html

◆埋もれゆく父の過去追う
[評]清水良典(文芸評論家)
八十歳、九十歳まで人が生きることが、ごく普通になってきた。人生五十年と謡った信長の時代から思えば、ほとんど二代をけみするような長大な人生だ。折しも平成が三十年で終わろうとしているが、昭和を含めれば九十四年になる。その歴史を本書は重く抱えている。
敷地内の庭を挟んだ二棟の家で暮らす「息子」と「父」の物語で、息子主体で語られるが、一貫して人称は「息子は」である。ちょっと変わっている。九十代になって安楽椅子にもたれていることが多い父の姿を、庭越しに日毎(ひごと)眺めている七十代の息子もまた、会社勤めから引退して久しい。元検事だった父が戦前に書いた分厚い報告書を所持していたことを息子は思い出し、やみくもに読んでみたくなる。しまった場所を本人に尋ねるも見つからない。やがて体調を崩した父が入院した留守中に、息子は自力で探し当てて読む。それは「思想犯の保護を巡って」という昭和十二年の報告書で、多くの思想犯を裁き転向へ追いやった「思想検事」と呼ばれる職務に父はついていたのだった。
戦前と戦後を別世界のように隔てる深い溝の向こう側の、「秘」と印が押された父の過去の内面を知る−。何か後ろめたく、引き返せない危うさをはらんでいる。読んだことを父に打ち明けられないまま、息子はたまたま出会った同じ思想検事を父に持つ女に惹(ひ)かれていく。父の過去を知るまでのスリルと、知ってしまってからのスリルがある。
歳月の証しが失われていく心象風景が本書には随所に積み重ねられている。子どもの時からあった向かいの家が、ある日取り壊され更地になっていく。また古いアルバムから一斉に写真が流れ落ちる場面の、「接着剤は死に」という言葉に胸を突かれる。父が孤独に抱え続けた過去も、一家の記憶も、あらゆるものが歳月の流砂に埋没していく。
人と家の老いの姿に重なって、いまや忘却の幕の向こうに消えようとしている昭和の歴史と記憶の自画像を見る思いがした。

講談社・2052円)

流砂

流砂

1932年生まれ。作家。著書『群棲』『一日 夢の柵』『たまらん坂』など。

◆もう1冊 
黒井千次著『老いの味わい』(中公新書)。80代を迎えた作家のエッセー集。

「The Buck Stops Here」責任を取る政治家はいないのか [平安名純代の想い風] - 沖縄タイムス(2018年12月2日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/353197
https://megalodon.jp/2018-1202-1007-33/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/353197

「彼女の見解は、非常に説得力がある」
オバマ前政権の元高官に、玉城デニー知事が米ニューヨーク大学で11月11日に開いた講演のビデオを送ったところ、コーディネーターを務めた島袋まりあ同大准教授の総括について、そんな論評が返ってきた。
玉城知事は講演の中で、「沖縄がアメリカに米軍基地に関する苦情を訴えると、アメリカは日本政府に回し、日本政府は地位協定などを理由に切り捨てる」と強調。島袋氏はこれを「日米両国が設定した土俵で問題がたらい回しされ、沖縄の声がかき消されていく」と指摘した上で、「アメリカの政治の世界では、責任転嫁することを『Pass the Buck』という。沖縄はいわば『たらい(Buck)』だ。『The Buck Stops Here(たらいはここで引き受ける=私が責任を取る)』と主張する政治家はアメリカにも日本にもいない」と説明した。
「The Buck Stops Here」はトルーマン大統領をはじめ、これまで多くの歴代大統領が使ってきた米国ではなじみの深いフレーズだ。オバマ大統領は記者会見で「The Buck Stops with me(最終責任は私にある)」と訴えていたし、最近では責任転嫁するトランプ大統領を批判する決まり文句として、米メディアが「Pass the Buck」を多用する。
前述した元高官は「南北首脳会談が実現したのは『The Buck Stops Here』と『たらい』を引き受けた文在寅・韓国大統領の存在が大きかった」と指摘。同会談と米朝首脳会談の成功後、軍事力重視の米政府内に「対話」による外交を再評価する新たな変化が生まれているとも話してくれた。
確かに沖縄は今、名護市辺野古の新基地建設を巡り、後戻りできない事態へと追い込まれている。そうした状況下で、果たして具体策を伴わない「対話」で事態を動かせるのかと疑問視する人は少なくない。
しかし、私たちが直面している事態は、日米両政府が沖縄と「真摯(しんし)な対話」をせず、常に沖縄を「例外」とする状況を変えてこなかったから起きているのだ。
玉城知事は講演で「政府の扉と法律の門が閉じつつあるという厳しい現実に直面している。沖縄は一体いつまで政府の扉の前で待たなければならないのか」と訴えた。
たらい回しの現状に終止符を打つには「The Buck Stops Here」と責任を引き受ける政治家が必要だ。そのためには、政府に扉を開かせる国民の主体的な行動が必要なのだ。
朝鮮半島の和平へ向け、在米韓国人らは団結し、米政府の背中を押し続けた。対話の力を信じたからこそ、道を切り開けたのだ。沖縄の目の前で閉じられつつある政府の扉を開けるのは誰なのか。問われているのは沖縄だけではない。(平安名純代・米国特約記者)

木村草太の憲法の新手(93)秋篠宮さま異例の発言 政府は皇族と意思疎通を - 沖縄タイムス(2018年12月2日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/353193
https://megalodon.jp/2018-1202-1017-13/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/353193

大嘗祭(だいじょうさい)について秋篠宮さまが発言し、波紋を呼んでいる。大嘗祭は、新天皇即位の際に、神々に五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る、天皇家の行事の一つだ。
今上天皇即位の際に行われた1990年の大嘗祭では、(1)政府が主催する行事ではないこと(2)宗教色の強い儀式であることから、その費用を公費負担とすべきか−が議論された。政府は、大嘗祭が、「一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式」であり、「国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられ」、「公的性格がある」として、公費である宮廷費から支出すると決定した(平成元年=1989年=12月21日 閣議口頭了解)。
2019年には、新天皇の即位があり、それに続き、大嘗祭も執り行われる予定だ。政府は、前例踏襲で、宮廷費から費用を支出することを決定した。これに対し、秋篠宮さまは、11月30日の誕生日に報道された記者会見で、大嘗祭は「皇室の行事として行われ」、かつ「宗教色が強いもの」だから「それを国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を呈した。私は、最高裁判決の分析に照らして、この発言は、もっともだと思う。以下、解説しよう。
しばしば、大嘗祭への公費支出は、最高裁で合憲性が認められたと解説される。しかし、それは誤解だ。
前回の大嘗祭には、各地方公共団体の代表として都道府県知事が参列した。それに関して、幾つかの県で、「知事参列のための県費支出は政教分離原則に反する」として、住民訴訟が提起された。
最高裁は、確かに、知事の大嘗祭への出席は、「天皇に対する社会的儀礼を尽くす」もので合憲と判断し、訴えを退けた。しかし、大嘗祭への公費支出そのものの合憲性については判断していない。
むしろ、「大嘗祭は、天皇が皇祖及び天神地祇(ちぎ)に対して安寧と五穀豊穣等を感謝するとともに国家や国民のために安寧と五穀豊穣等を祈念する儀式であり、神道施設が設置された大嘗宮において、神道の儀式にのっとり行われた」ことから、宗教性があると判断した。明確に宗教性を認めた最高裁判決がある以上、次の大嘗祭への公費支出は、より慎重に検討すべきだったろう。
なお、秋篠宮さまの発言については、「皇族は政治的発言に慎重であるべきだ」との批判もある。しかし、そもそも憲法は、天皇は政治的権能を持たないとするだけで、皇族の政治発言を禁じているわけではない。また、秋篠宮さまは、(1)大嘗祭が「皇室の儀式」であること(2)皇族の一員としての発言であること−を強調する。
そうすると、この発言は、「違憲の疑義ある公費投入によって、儀式の正統性を傷つけたくない」という当事者としての発言であって、政治社会の一員として政府決定を批判する「政治発言」とは性質が異なる、と理解することもできよう。
とはいえ、秋篠宮さまの発言が、かなり異例な発言であることは確かだ。そうした発言をせざるを得ないところまで追い込んだのは、公費支出の決定手続きで、皇族の意思が尊重されなかったということだろう。政府は、皇族との意思疎通からやり直すべきではないか。(首都大学東京教授、憲法学者

(沖縄愛楽園80年)謝罪・反省に終わりなし - 沖縄タイムス(2018年12月2日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/353190
https://megalodon.jp/2018-1202-1015-51/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/353190

「大変苦しい80年だった」

国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」の開園80周年記念式典と祝賀会が開かれた。冒頭の言葉は、この80年を振り返り沖縄ハンセン病回復者の会の平良仁雄共同代表(80)が発した。
迫害、隔離、断種や強制不妊手術、強制堕胎などあらゆる差別や偏見、人権侵害を受けてきたハンセン病の元患者たち。「この苦しみを、もう二度と繰り返さないよう、これからも語り続けていく」と声を振り絞る平良さんの姿に私たちは真摯(しんし)に向き合いたい。
愛楽園は1938年11月10日開園した。80年の間に延べ3904人が入所し、2100人が退園、1372人が園で亡くなった。現在も142人の入所者が暮らす。
入所者の平均年齢は84歳。自力で移動が困難だったり、体調がすぐれなかったりして介護が必要な人もいる。記念式典と祝賀会は多くの関係者が参加する中、入所者の姿は半分ほどだった。
元患者たちの、家族や親族、社会から受けた激烈な差別の記憶は鮮明だ。実名を明かせないまま生涯を終えた人は数知れず、長い年月を経て今ようやく語り始めた人たちもいることを思えば、国の誤った政策の影響の甚大さ、根深さを知る。
司法は2001年、国の隔離政策を違憲とし、翌02年に国は入所者だけでなく非入所者とも和解金を支払うことで合意した。しかし、県内で少なくとも500人といわれている非入所者のうち、和解手続きに着手した人はごく一部。元患者の多くが、今も病歴への差別や偏見を恐れているからだと推測されている。

    ■    ■

元患者の一人、金城幸子さん(77)は約60年前、高校へ進学するため友人と2人で園を抜け出した。目指したのは当時の国立療養所長島愛生園(岡山県瀬戸市)にあった世界で唯一のハンセン病患者専用の普通科高校「新良田(にいらだ)教室」だ。
「学びたかった」と金城さん。しかしそんな学びの場で待っていたのも差別や偏見だった。辞書を購入するため金城さんが渡したお札を、教師は目の前で消毒液に浸して窓に貼り付けたという。
そんな同校の教訓を語り継ぐ自主映画の製作が今進む。2期生の森和男全国ハンセン病療養所入所者協議会会長(78)は「新良田は私たちの青春でもあり、偏見うずまく社会の縮図でもあった」と話す。忘れ去られようとしていたハンセン病の史実の一つが映画化される意義は大きい。

    ■    ■

1948〜72年までハンセン病患者を隔離施設に設置した「特別法廷」で裁いたとして最高裁が謝罪したのは2016年のこと。元患者の家族として差別を受けた人々が国を相手にした「家族訴訟」も継続中だ。
隔離政策の根拠となった「らい予防法」が施行(96年に廃止)されて1世紀以上たつが、元患者や家族の人権回復は道半ばだ。国策にならい、ハンセン病への差別と偏見を助長してきたメディアの責任も重い。過ちへの謝罪と反省に終わりはない。