児相計画 南青山ぎくしゃく 一部住民「おしゃれな街に不似合い」 - 東京新聞(2018年10月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018102102000135.html
https://megalodon.jp/2018-1021-0917-22/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018102102000135.html

東京都港区が南青山に建設を予定する児童相談所(児相)の計画が揺れている。一帯は高級ブランド店が軒を連ねる都内の一等地。後を絶たない児童虐待などに対応する児相の必要性は高まっているが、一部住民が「おしゃれな街に似合わない」などと反発しているのだ。専門家は「児相の役割をしっかり住民に説明するべきだ」と指摘する。 (山田祐一郎)
「世界的に有名なファッションの情報発信地の青山に児相は違和感がある」「非行の少年を預かる施設とは聞いていなかった。不安だ」。今月十四日、南青山にある区立青南(せいなん)小学校で区が開催した説明会では、批判的な意見が相次いだ。
児童虐待が急増する中、二〇一六年に児童福祉法が改正され、東京二十三区が新たに児相を設置できるようになった。これを受けて港区は昨年二月、「子ども家庭総合支援センター(仮称)」の建設を発表。児相とともに、虐待を受けた児童や非行少年を緊急的に保護する一時保護所などの機能を併せ持つ。
区は二〇二一年四月の開設を目指し、工事費約三十二億円を見込む。既に農林水産省の宿舎があった国有地約三千二百平方メートルを約七十二億円で購入。現在は広大な空き地になっている。周辺には海外の高級ブランド店やカフェなどが多く、買い物客らでにぎわう。
昨年十二月の住民向け説明会の参加者は七人だった。ところが今年夏、建設計画を知った住民らが区に説明を要求。区が今月十二日と十四日、あらためて説明会を開くと、二日間で延べ百七十人以上の住民らが参加し、それぞれ二時間近くに及んだ。
反対住民でつくる「青山の未来を考える会」の佐藤昌俊副会長(63)は「他の区有地を検討したかも不明。南青山が適地と言われても納得できない。説明がなく突然、計画を知った住民がほとんどだ」と話す。
区の担当者は「施設には広大な土地が必要で、他に適地がなかった」と強調した上で「青山だから児相をつくってはいけないとは考えていない。地域の理解を得られるよう説明を続けたい」と理解を求める。
愛育クリニック(港区)小児精神保健科の小平雅基部長は児童福祉法改正の際、行政向けに児相設置のためのマニュアルを取りまとめた。今回の騒動について「虐待は誰にでも起こり得る問題で、街中にこそ児相が必要だ。問題がある児童や家庭を地域から分離、孤立させてはいけない。行政は、児相の役割や実態をしっかり住民に説明するべきだ」と訴える。

強制不妊救済で意見書 日弁連、政府に提出へ - 東京新聞(2018年10月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018102102000121.html
https://megalodon.jp/2018-1021-0918-23/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018102102000121.html

優生保護法(一九四八〜九六年)下の障害者らへの不妊手術問題で、日弁連が来年一月にも救済制度に関する意見書を取りまとめ、政府などに提出する方針を固めたことが関係者への取材で分かった。国に謝罪や補償を求めた昨年二月の日弁連の意見書が被害者の救済を探る議論を後押しした経緯があり、与野党が来年の通常国会での提出を目指す救済関連法案に影響を与え、障害者の意向を反映した制度を整備させる狙いがある。
関係者によると、日弁連は十五日、被害者救済の具体策に関し「日本障害フォーラム(JDF)」(東京)傘下の六団体に聞き取りを実施。旧法の問題で障害者団体に聞き取りをするのは初めて。対象とした六団体は「日本身体障害者団体連合会」「日本盲人会連合」「全日本ろうあ連盟」「DPI日本会議」「日本障害者協議会」「全国『精神病』者集団」。各団体が考える救済策や手続きに関する意向を確認した。法律に謝罪を明記することや、被害当事者も加わった上での中身のある検証を進めることなどについて要望があった。
日弁連は今後、知的障害者の親の団体にもヒアリングし、意見書は最終的に理事会などで決議する。政府や、救済法案の提出を目指す自民、公明両党のワーキングチーム(WT)、超党派議員連盟に提出する見込みだ。
日弁連は昨年二月の意見書で(1)優生思想に基づく不妊手術や人工妊娠中絶が対象者の自己決定権を侵害し、障害などを理由とする差別であったと認め、謝罪や補償などの適切な措置を速やかに実施する(2)関連する資料を保全し実態調査を速やかに行う−ことを求めた。
これまで「当時は適法だった」と主張してきた政府は、被害者らによる国家賠償請求訴訟で争う姿勢を示し、謝罪や補償に関する新たな見解は示していない。一方、与党WTと超党派議連は「反省とおわび」や一時金の支給を盛り込んだ法案を来年の通常国会に提出することも検討している。

(余録)二宮金次郎像は、かつて小学校校庭の… - 毎日新聞(2018年10月21日)

https://mainichi.jp/articles/20181021/ddm/001/070/168000c
http://archive.today/2018.10.21-002038/https://mainichi.jp/articles/20181021/ddm/001/070/168000c

二宮金次郎(にのみや・きんじろう)像は、かつて小学校校庭の定番だった。まきを背負いながら本を読み歩くこのスタイル、一説によると1891(明治24)年に出版された「二宮尊徳翁」(幸田露伴(こうだ・ろはん)著)に載ったさし絵のイメージが起源だという。
いまの子どもたちも重荷を背負いつつ、勉強に励んでいるようだ。小学生の使うランドセルがここ数年、重くなっている。大手ランドセルメーカーの調査によると、1週間で最も重い日の総重量は6キロにも達する。
ランドセルが重くなっているのは「ゆとり教育」の見直しなどで教科書の分量が増し、大型化しているためだ。小学教科書のページ数は10年間で3割以上増えたとの別の調査結果もある。背中にずしりと重さを感じて通学し、児童の3割が首などに痛みを感じているという。身体への影響も軽視できない。
そんな状況を受けて文部科学省は先月、教材を学校に置いて帰ることを事実上認める通知を出した。「置き勉」と呼ばれる方法で、家庭学習の妨げになるとしてこれまで多くの教育現場で認めてこなかった。
国の通知を受けて「置き勉」を解禁する小学校は増えているようだ。肩の荷が減るのは子どもたちにとって、まずは朗報といえよう。それでも再来年から小学3年生以上で英語が必修化されるなど、教材が増える傾向は変わりそうもない。
全教科を合わせた教科書の総ページ数を増やさないような発想もそろそろ必要ではないか。教室に置かれたままの教材がふくらんでいく光景はいびつだ。

(認可移行で退園)保育を受ける権利守れ - 沖縄タイムス(2018年10月20日)


https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/332621
http://archive.today/2018.10.21-002309/https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/332621

県の「待機児童対策特別事業」によって、2017年度までの6年間に、17市町村の69保育施設が認可園に移行した。全国ワーストといわれる待機児童問題の解決には必要な支援だが、その陰で退園を余儀なくされている園児がいることはあまり知られていない。
保育の「量」の確保に追われ、子どもの利益や保護者ニーズが後回しにされてはいないか。
本紙の調査によると認可外保育所の認可化を進めた17市町村のうち、他市町村からの越境通園となる「広域入所」を認めているのは那覇、沖縄、嘉手納、中城の4市町村にとどまった。
他方、浦添、宜野湾、南城、南風原の4市町は広域入所を認めておらず、退園児が出た。認めない理由は、「待機児童解消の優先」や「入所申し込み増が見込まれる」などである。
確かに今年4月時点の待機児童率は、南風原町が10・11%と全国一、南城市も7・33%で6番目に高く、問題は深刻だ。
保育サービスは住民票のある場所で受けるのが基本で、保育の実施義務を担う市町村が待機児童解消に躍起になるのは理解できる。
しかしだからといって、現に在園する子どもの保育を受ける権利を奪うようなことがあってはならない。
行政の事情で、子どもたちが慣れ親しんだ園を離れ、友だちとも別れなければならないというのは、あまりに理不尽だ。

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在園する子どもの保育を受ける権利を巡っては、西原町議会が18日、保護者から出された「認可園移行による在園保障」の陳情書を趣旨採択した。
独自の保育プログラムで町外からも多くの子どもが通う認可外保育所が本年度末に閉園し、隣接地に認可園が新設されるのに伴い、町が「町内の待機児童解消を優先する」との考えを示しているからだ。
「一緒に卒園すると伝え育ててきた子どもに、どう説明していいのか分からない」「新しい園に入れなかった場合、職を失うかもしれない」など保護者からは切実な声がもれる。
那覇市など広域入所を認める市町村では、退園児がでないよう定員を設定したり、特例によって在園保障するなど柔軟な対応をとっている。
優先すべきは子どもの育ちであり、保育継続のための手だてに知恵を絞るべきだ。

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1998年の児童福祉法の改正で、自治体間で調整を図れば広域入所が可能となった。
認可化移行に限った問題ではなく、職場や祖父母宅に近い方が利用しやすいなど、居住市町村以外の保育所を希望する保護者は増えている。
保護者ニーズにもっと目を向けなければ、待機児童対策は進んでも、保育サービスに対する満足度は上がらない。
県待機児童対策行動指針は、「地域間の需給調整をする有効な制度」とし広域入所に触れている。市町村間の調整促進には、県も汗をかく必要がある。

明治150年に考える 来た道をたどらぬよう - (2018年10月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018102102000140.html
https://megalodon.jp/2018-1021-1053-22/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018102102000140.html

明治元(一八六八)年から数えて今年は百五十年。政府はさまざまな行事で祝います。明治とはどんな時代だったか。歴史の美化を離れて考えます。
汽車や西洋風の赤れんが建物…。上流階級が舞踏会を楽しんだ鹿鳴館もありました。明治には目をみはる変化がありました。
西洋の思想や文学、科学も入ってきます。それを理解するために和製漢語が生まれました。
交響曲」「空想」「詩情」などは森鴎外が。「不可能」「経済」「価値」「無意識」などは夏目漱石が造語したそうです。「芸術」「科学」「知識」などは哲学者の西周(あまね)が考案したとも…(作家・半藤一利氏の著作による)。

◆松陰の帝国主義とは
何とも「文明開化」の明るい雰囲気が感じられませんか?
別の一面もあります。「富国強兵」のスローガンに駆り立てられ、国内外に無数の犠牲者を生んだ時代です。日本史で「近代」とは、明治維新から一九四五年、太平洋戦争の敗戦までとされます。血みどろの時代でした。

<急いで軍備をなし、隙に乗じてカムチャツカ半島やオホーツクの島々を奪い、琉球にも幕府に参勤させるべきである。朝鮮を攻めて、北は満州の地を割き、南は台湾やフィリピン諸島を手に入れよう。進取の勢いを示すべし>
幕末にこんな趣旨の文章を残した人がいます。長州(山口)の思想家・吉田松陰です。「幽囚録」(講談社学術文庫)に書かれています。
軍事力で他国の領土や資源を奪う帝国主義の思想そのものです。実際に朝鮮や台湾は、日本の植民地になりました。中国東北部満州には日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」をつくっています。
まるで松陰が描いた“戦略図”は、近代日本の戦争の歴史そのものではありませんか。

統帥権で軍が暴走した
カムチャツカ半島はなくとも、樺太の南半分は手に入れ、フィリピンも太平洋戦争のときは日本軍が占領していました。
確かに江戸末期はアジア諸国が西欧列強に蚕食され、植民地になった時代です。その中で松陰は共存共栄の道ではなく、アジア争奪戦に加わらないと日本が滅んでしまうと考えていたのです。
ひょっとして長州の志士たちに「幽囚録」の一節も埋め込まれていたのでしょうか。あくまで仮説ですが、松陰の帝国主義的な思想が彼らに受け継がれていたとすれば、対外戦争の歴史を説明することにはなります。
例えば明治政府の軍を握っていたのは長州閥山県有朋です。「松陰の最後の門下生」と自ら語りました。徴兵制をつくったのも山県、参謀本部の設置や軍人勅諭の制定も山県です。「日本軍閥の祖」と呼ばれ、枢密院議長を三回、首相を二回歴任しました。軍備拡張を推し進めました。
同じ長州閥伊藤博文がつくった明治憲法には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」との条文がありました。統帥権の独立は、軍への政治の介入を防ぎました。昭和になって軍の暴走を招いた原因とされます。
明治維新から七十七年間は「戦争の時代」でしょう。統帥権の規定で、政治によるコントロールが利かない軍隊になっていたのではないでしょうか。
終戦からの今日までの七十三年間は、まさに「平和の時代」です。それを守ってきたのは日本国憲法です。それぞれの憲法の仕組みが、戦争の時代と平和の時代とを明確に切り分けたと考えます。
戦争へ進んだ要因は他にも多々あるでしょう。興味深いエピソードがあります。作家の保阪正康さんは昔、日米開戦時の首相・東条英機らが「なぜ戦争をしたのか」と疑問を抱き、昭和天皇の側近・木戸幸一に書面で質問しました。
「(彼らは)華族になりたかった」と答えの中にあったそうです。内大臣だった木戸の想像ですが、軍功があれば爵位がもらえたのは事実です。公爵や伯爵など明治につくられた特権階級です。満州事変時の関東軍司令官も男爵になっています。爵位さえ戦争の一つの装置だったかもしれません。

◆国民も勝利に熱狂した
むろん国民も戦争に無縁ではありません。日清・日露の勝利、日中戦争での南京陥落、真珠湾攻撃に万歳を叫び、提灯(ちょうちん)行列です。勝利の報に熱狂したのは国民でもあるのです。
でも、戦争は残忍です。日露戦争では日本兵だけで約十二万人が死にました。歌人与謝野晶子は「君死に給(たま)ふこと勿(なか)れ」と反戦詩を発表しています。太平洋戦争では民間人を含め、日本人だけでも約三百十万人の死者−。血みどろの歴史を繰り返さない、それが近代を歩んだ日本の教訓に違いありません。

「愛と法」 日本社会の見えにくい問題を可視化したかった - 毎日新聞(2018年10月21日)

https://mainichi.jp/articles/20181017/mog/00m/040/019000c
http://archive.today/2018.10.21-020753/https://mainichi.jp/articles/20181017/mog/00m/040/019000c

大阪で「なんもり法律事務所」を営む弁護士“夫夫(ふうふ)”、南和行さんと吉田昌史さんの日常を3年にわたり撮影したドキュメンタリー映画愛と法」(2017年)は、第42回香港国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞をはじめ、さまざまな映画祭で高い評価を受けた。同作の監督は、日本で生まれ、10歳からオランダで生活し、イギリスを拠点に映像製作を行ってきた戸田ひかる監督。映画を撮影するきっかけは、一時帰国のたびに感じていた「ある疑問」にあった。
共同体が個人よりも優先される国、日本
「日本では、個人あっての社会ではなく、あくまでも家族や会社という共同体の一員としての個人が尊重されます。自己主張するのが当たり前な環境のオランダやイギリスとは違い、日本では和を乱すと言われる」と戸田監督。
和を重んじることは決して悪くはないが、一度その枠組みから外れると、個人の権利は守られない。同調圧力が強い日本で、マイノリティーはどのように生きているのか−−。一時帰国するたびに、そんな疑問を感じたという。戸田監督自身、海外では「日本人」、日本では「海外暮らしの長い日本人」という目で見られるマイノリティーだ。
映像関係の仕事で大阪に滞在していた12年のある日、南さんと吉田さんに出会った。二人は、ゲイのカップルで法律上は他人という不条理にさらされながら、弁護士として人の権利を守るため、セクシュャル・マイノリティーや親の愛情を得られない子供など、法や社会の枠組みからはじき出された人たちの依頼を受け入れている。「お互いに弱さをさらけ出し、受け入れ合うからこそ、強い。二人三脚で私生活も仕事も乗り越えていく二人の理想的な姿にひかれました」
職業柄、日本の見えにくい問題と対峙(たいじ)している南さんと吉田さんの視点から社会を捉えれば、その答えが得られるかもしれない。二人に撮影の了承を得て、イギリスから大阪に引っ越し、「愛と法」を撮り始めた。
映画には、ある印象的なシークエンスがある。校庭で「1、2、3、4…」の掛け声と共に一糸乱れぬ動きを見せる体操着を着た中学生たちのショット、その後に、「戦争法案! 絶対反対!」と一定のリズムで声を合わせてデモ行進する大人たちのシーンが続く。日本では見慣れた風景だが、戸田監督は「中学生の動きが軍隊みたいで怖い」と感じた。「私が通っていたインターナショナルスクールでは考えられません。少なくとも一人は座り込んでいる。(日本では)誰もが秩序を乱さない。訓練されて体に染みついているんですね」
いまだ根強く残る「家制度」の価値観
映画では、南さんと吉田さんが弁護する三つの裁判をカメラが追う。
一つは、親の都合で出生届が出されなかったことが原因で無戸籍となった女性が、戸籍を求めた「無戸籍者裁判」。パスポートや運転免許なども取得できず、就学や就職の機会が阻害されることもある無戸籍者は日本で1万人を超えるとされている。背景には「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」「離婚後も300日以内に生まれた子は、前夫の子と推定する」という明治時代から続く民法の規定がある。戦後、家制度は廃止されたが、「いまだに男性社会の価値観を維持した法律が、変わらずに残っている」と、戸田監督は訴える。「無国籍の人は、全く罪がないのにこそこそ生きていかなくちゃいけない。そんな現状、おかしいじゃないですか」
また一つは、芸術家で漫画家のろくでなし子さんが、自身の女性器をスキャンした3Dプリンター用データを送信したなどとして「わいせつ電磁的記録等送信頒布」を含む3件で起訴された事件。ろくでなし子さんは「女性器をわいせつだとするのは、男性目線の固定観念だ」と主張し、日本社会のタブーや矛盾を暴き出そうとする。そんな彼女を、表現の自由を守らなくてはならないという思いで、南さんをはじめとする弁護士たちが集まり、サポートする。
“いろいろな普通”があることを知ってほしい
三つ目は、大阪府立高校の卒業式で、国歌の君が代斉唱時に起立しなかったとして減給処分を受けた元教諭が、処分撤回を求めた「君が代不起立裁判」。映画は、かつては君が代を「歌いたくない」という人がマジョリティーだったのが、大阪府の「君が代起立条例」施行後に「歌わなくてはいけない」という風潮に変化した状況を浮き彫りにする。
戸田監督は問う。「多くの人が『たかが歌でしょ、空気を読んで歌えばいいのに』と思うかもしれない。でも、教育の現場に政治が介入し『先生が歌うのは当たり前』という姿を見て育った子供たちには、どういう影響があるでしょう?」
映画では、「君が代不起立裁判」を終えた後、弁護を担当した吉田さんが「社会で虐げられているマイノリティーが守られる最後の砦(とりで)となるべき裁判所が機能しなくなったし、機能しようとする態度すら見せようともしない」と憤る場面がある。戸田監督は「世界的にマイノリティースケープゴートとされる傾向は顕著です」としながら、「でも人ごとではありません。誰でもマイノリティーな部分を持っている。環境が変わって、いつ自分がマイノリティーの立場になるのかわかりません」と続けた。
法律はもろ刃の剣。守られる人も、傷つけられる人もいる。戸田監督は語る。「撮影を通して、誰もが平等に守られていないことがわかりました。表面だけ見るとわからない問題を何とか可視化して、映画で問いかけたかった」
映画の中で、「それでも法律は世の中を変えていけると思っているし、信頼できないと思いながらも期待している」と希望を口にした吉田さん。戸田監督は、映画によって世の中を変えられると思っているのだろうか、最後に聞いてみた。
「世界を変えることはできないかな。物事に対する答えも出せないけれど、他の人の体験を通して、新しい視点で物事を考えて、感じ直すきっかけを作ってくれる。映画は疑問を投げかけるツールとして最適だと思います。皆さんに、『愛と法』を見て、“いろいろな普通”があることを知ってもらえればうれしいです」

とだ・ひかる 10歳からオランダで育つ。ユトレヒト大学(オランダ)で社会心理学ロンドン大学大学院で映像人類学・パフォーマンスアートを学ぶ。10年間ディレクターと編集者として世界各国で映像を制作。本作の撮影で22年ぶりに日本で暮らす。現在は大阪在住。
上映情報
愛と法

渋谷・ユーロスペース京都シネマなどでロードショー、ほか全国順次公開

公式ウェブサイト : http://aitohou-movie.com/