改憲案、自民単独で提示へ…与党協議は見送り - 読売新聞(2018年10月5日)

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20181004-OYT1T50134.html
http://archive.today/2018.10.04-222919/https://www.yomiuri.co.jp/politics/20181004-OYT1T50134.html

自民党は、10月下旬に召集予定の臨時国会で、今年3月にまとめた4項目の憲法改正案を単独で提示する方針を固めた。連立を組む公明党との事前協議は見送る。衆参両院の憲法審査会で条文案を示し、各党による議論を始めることを目指している。
自民党憲法改正推進本部長に内定した下村博文・元文部科学相は4日、党本部で、推進本部の最高顧問に就く高村正彦・前副総裁と会談し、公明党との協議は見送り、条文案を憲法審査会に示すことを確認した。
条文案は、〈1〉自衛隊の根拠規定の明記〈2〉緊急事態対応〈3〉参院選の合区解消〈4〉教育の充実――の4項目。党は「条文イメージ」と位置づけており、幅広い合意を得るため、他党との協議で修正して憲法改正原案を作ることを想定している。

首相「臨時国会に4項目提示」 公明に配慮、改憲前進狙う - 東京新聞(2018年10月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018100502000155.html
http://archive.today/2018.10.05-001703/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018100502000155.html


安倍晋三首相が自民党高村正彦前副総裁との会談で、秋の臨時国会では改憲原案の提出でなく、同党の改憲案の説明を目標とする意向を示したのは、他党が協議に応じやすくする環境を整える狙いだ。改憲原案の提出には与党の公明党も難色を示しており、強引に進めれば協議に入れず、改憲発議そのものの遅れにつながると判断した。 (村上一樹)

首相と高村氏の会談は三日に行われた。高村氏によると、自民党がまとめた自衛隊明記など四項目の改憲条文案について「臨時国会の(衆参両院)憲法審査会で説明する、ということでいいか」とただしたところ、首相は「そういうことだ」と答えた。
首相は二日の記者会見で、改憲について「自民党がリーダーシップを執り、次の国会に改正案を提出すべきだ」と話したが、改憲原案の国会提出を指すのか、憲法審での自民党案の提示だけを意味するのかを明らかにしていなかった。
首相自らが公の場で約束して言質をとられるようなことはしないが、改憲論議を前に進めるため、党憲法改正推進本部の最高顧問に就く高村氏を介して協調路線を演出したとみられる。
背景には、自民党が求める事前の与党協議に公明党が難色を示していることがある。山口那津男代表は「与党の調整を先行し、改憲案を国会に出すことはわれわれは考えていない」と繰り返す。来年の統一地方選参院選を控え、安全保障関連法のように自民、公明両党が足並みをそろえて改憲発議を主導した、と批判されたくないからだ。
自民党竹下亘・前総務会長は四日、首相の意図について「公明党がやろうという気にならないと(改憲の議論が)動かない」と記者団に説明。首相側近の萩生田光一幹事長代行も三日、「(自民党の)案を憲法審査会で各党に議論してもらう。その中で出っ張るものや、引っ込むものもあるかもしれない。その作業を前に進めることが大事だ」として、まず審査会で議論を始めることが大切との考えを示した。
ただ、自民党の考えは野党側に見透かされている。社民党又市征治党首は「憲法審で説明して議論をしたいという誘い水だろう。立憲主義を踏みにじっている人たちとの議論には乗れない」と明言した。

教育勅語 自民根強い容認論 過去に柴山氏以外の閣僚も言及 - 東京新聞(2018年10月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018100502000156.html
https://megalodon.jp/2018-1005-0923-56/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018100502000156.html

柴山昌彦文部科学相が、戦前の教育勅語を活用した教育を「検討に値する」とした発言が波紋を広げている。安倍内閣では過去にも安倍晋三首相に近い閣僚から同様の発言が相次いだ。教育勅語の道徳観を肯定する保守層の意見を反映しているとみられる。 (木谷孝洋)
柴山氏は四日、自身が所属する細田派の会合で、教育勅語をめぐる発言について「ご心配を掛けました」とあいさつ。直後に下村博文事務総長が出席メンバーに対し、「ご心配なく」と述べ、問題は沈静化するとの見通しを示した。自民党の閣僚経験者も四日、「なぜ批判を受けるのか。勅語に書かれた徳目まで全否定されたわけではない」と擁護する考えを示した。
教育勅語を巡っては、二〇一七年三月の国会審議で当時の稲田朋美防衛相が、親孝行などの「核の部分」を取り戻すべきだと発言。直後に政府は、憲法教育基本法に反しない形での教材活用は否定しないとの答弁書閣議決定した。翌四月には菅義偉(すがよしひで)官房長官も記者会見で、道徳教材への使用を「否定しない」考えを示した。
当時は、大阪市の学校法人「森友学園」が系列幼稚園で、園児に勅語を暗唱させたことが問題視されていた。
教育勅語は一八九〇年に発布され、戦前の学校教育で生徒は暗唱することが求められた。内容は明治憲法で主権者だった天皇が親孝行などの十二の徳目を説く一方、危急の事態では「公に奉じ」皇室を助けるべきだとした。戦前の軍国主義教育につながったとされ、衆参両院は一九四八年、排除や失効を決議した。

教育勅語発言 柴山文科相の見識疑う - 朝日新聞(2018年10月5日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13709610.html
http://archive.today/2018.10.05-001857/https://www.asahi.com/articles/DA3S13709610.html

教育勅語には、現代風にアレンジすれば道徳の授業などに使える分野が十分にある。普遍性をもつ部分が見て取れる――。
柴山昌彦・新文部科学相が就任会見でそんな見解を披露した。教育行政をつかさどる閣僚の見識を疑う。
安倍政権下ではこれまでも、首相に近い政治家が勅語を擁護する発言を繰り返してきた。
「至極真っ当。今でも十分通用する」と述べた下村博文文科相しかり、「道義国家をめざす精神は取り戻すべきだ」と唱えた稲田朋美元防衛相しかり。そして今度は、自民党の総裁特別補佐や首相補佐官を務めてきた柴山氏である。
官房長官は「政府としては積極的に教育現場に活用しようという考えはない」と火消しにまわったが、それだけでは不十分だ。首相自身が説明に立ち、勅語の「復権」をきっぱり否定しなければならない。
「危急の大事が起きたら一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」という点に、教育勅語の本質はある。だから敗戦の3年後の1948年6月、衆院は「根本理念が主権在君ならびに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すもととなる」として、その排除決議を全会一致で可決した。至極当然の指摘である。
根幹が国民主権と人権尊重に反するものを、どのようにアレンジしても、学校で使えるわけがない。
柴山氏は、勅語に「普遍性」を見いだす根拠の一つとして、国際協調を重んじている点を挙げた。この認識も疑問だ。
近現代史を研究する辻田真佐憲(まさのり)氏は「むしろ国際協調の視点が足りないとして、日清戦争後には改訂の動きがあった」と話す。勅語には「ここに示した道は天皇歴代の祖先からの遺訓であり、外国にも通用する」という趣旨のくだりもある。結局、国内外に価値観を押しつけ、軍国主義を支える精神的支柱として、勅語は機能し続けた。
擁護派は、きょうだいや友人を大切にする、博愛や公益を広めるなど、勅語には良いことがたくさん書かれているという。だが家族愛や友情、公共の精神は勅語を持ちださなくても教えられる。実際、そうした普遍的な徳目は、どれも学習指導要領に既に盛り込まれている。
戦前の日本は天皇と国家に無批判に従うよう国民に強い、戦争に駆り立て、破局の道をたどった。その苦渋の歩みを教える史料として扱う以外、勅語を教育に生かす道などありえない。

柴山氏の教育勅語発言 早くも時代錯誤の登場だ - 毎日新聞(2018年10月5日)

https://mainichi.jp/articles/20181005/ddm/005/070/025000c
http://archive.today/2018.10.05-002041/https://mainichi.jp/articles/20181005/ddm/005/070/025000c

安倍晋三政権の本音が表れていると見るべきだろう。
先の内閣改造で初入閣した柴山昌彦文部科学相が戦前の教育勅語について「アレンジした形で今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と語った。
時代錯誤の考え方だと言うほかない。しかも教育行政をつかさどる文科相の発言である。今後の道徳教育への活用を否定しなかった点は重大で、看過するわけにはいかない。
これまで自民党総裁安倍氏)特別補佐だった柴山氏は今年8月、自身のツイッターで「戦後教育や憲法のあり方がバランスを欠いていたと感じている」などと記している。
そこで就任直後の記者会見で教育勅語に対する認識を問われ、「同胞を大切にする」といった基本的な内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きがあると紹介し、「検討に値する」と語った。
教育勅語は「森友学園」が経営していた幼稚園で園児に唱和させていたことが注目され、国会で改めて大きな議論となった。政府は昨年3月、憲法教育基本法に反しない形での教材使用は否定しないとの答弁書閣議決定。柴山氏の発言はこうした流れを受けたものではあろう。
ただし教育勅語は戦前の国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たした。その内容の核心は、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある。
教育勅語を再評価する人たちは、親孝行などの教えは普遍的だと言うが、一部分に目をつけて全体を肯定しようとするのは逆立ちした考え方だ。親孝行を説くのにわざわざ教育勅語を持ち出す必要がないにもかかわらず、これにこだわるのは、やはり安倍政権が戦前回帰志向を捨て去れないからではないか。
憲法などに反しない形」とは何を指すのかもあいまいだ。柴山氏は今後も「使える部分」として「国際的な協調を重んじる」点も挙げたが、教育勅語は今日的な意味での国際協調を求めたものではない。
道徳は小学校では今春から、中学校でも来春から「特別の教科」と位置づけられ、児童・生徒の評価対象になっている。戦前の価値観を押しつけるような学校教育が進まないか。不安材料が早くも出てきた。

(余録)昭和史の最後の元老、西園寺公望は… - 毎日新聞(2018年10月5日)

https://mainichi.jp/articles/20181005/ddm/001/070/151000c
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昭和史の最後の元老、西園寺公望(さいおんじ・きんもち)は明治の伊藤博文(いとう・ひろぶみ)内閣で2度文相を務めた。彼は師範学校校長会で「内に安(やす)んじ外を顧(かえり)みず徒(いたずら)に大和魂を唱えるのみで世界文明の大勢に随伴(ずいはん)するを悟らざる」と教育界を批判した。
西園寺は忠孝の上下関係の道徳に偏していた当時の教育に不満で、第2の教育勅語を作ろうと明治天皇から承諾を得る。彼はこれからの世は「人民が平等の関係において自他互いに尊敬する」ことを教えるべきだと側近に語っていた。
今に残る勅語草案は他国民に丁寧親切に接して「大国寛容の気象」を発揮するよう説き、社交の徳義、責任の重視、女子教育の振興などをうたった。だが当の西園寺はおりから盲腸炎を患って文相を辞任、第2教育勅語は幻に終わる。
さてこちらも文相、正しくは文部科学相の就任早々の教育勅語発言である。「アレンジした形で今の道徳に使えるという意味で普遍性をもっている部分がある」。何ともまわりくどいが、要は道徳の教材になりうると言いたいらしい。
いつの世にも通じる普遍的徳目を示すのに、なぜ明治の文相すらも時代錯誤と考えた勅語から苦労して引かねばならないのか。そも戦前日本を滅ぼしたのは、外を顧みず忠孝を偏重する勅語を教え込まされた世代の指導者ではないか。
ナチスが欧州を席巻(せっけん)した時、元老・西園寺は「ヒトラーはナポレオンほど続くか。夢中になるな」と語った。だが「バスに乗り遅れるな」と破滅の道へと殺到したのは明治の教育が生んだ秀才たちだった。

公害病認定50年 水俣事件、なお未解決 - 東京新聞(2018年10月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018100502000178.html
https://megalodon.jp/2018-1005-1013-09/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018100502000178.html

水俣病公害病と認定されて五十年。国は自らの責任を棚上げにして、幕引きを急いでいる。福島原発事故の補償問題の行く末が、オーバーラップするかのようだ。水俣事件、いまもなお未解決。 
一九五六年五月一日、熊本県水俣保健所が「原因不明の脳症状」として、水俣病の存在を公式に確認した。公式確認。不思議な言葉。それ以前から、そんな病気があったらしいということだ。 
五九年には、熊本大の研究班が、原因は有機水銀であると世間に知らしめた。ところが国が公害病と認定し、チッソ水俣工場の排水に含まれる有機水銀化合物が原因だと発表したのは六八年になってから。チッソは認定の四カ月前に、有機水銀の排出源になるアセトアルデヒドの生産をやめていた。
政府の対応が後手に回った十二年間。「せめてあの時…」と振り返る患者は少なくない。政府の不作為が事態をより深刻にした。ゆえに、水俣病問題は「事件」であり、水俣事件は今もなお、未解決のままなのだ。
発足したばかりの環境庁(現環境省)は当初、「可能性を否定できない限り公害病として認定する」という立場に立った。ところが七七年になって、「複数の症状を満たす必要がある」と認定基準を厳格化、「患者」とは認定せずに、一時金でお茶を濁そうとする「政治決着」へと向かう。最高裁が「症状は一つでいい」と断じても、耳を貸そうとはしない。
つまり「水俣病」の実像は未確定なのだ。
これまでの認定患者約三千人に対し、潜在患者は「十万人単位」とも言われている。それなのに、不知火海一帯の広域健康調査の実施は拒み続けている。国の姿勢には、“病”の実態を明らかにせず、「患者」を絞り、補償の支出を抑えようとする思惑が、明らかではないのだろうか。
このようなシナリオが、例えば福島にも及んでいないか。水俣の半世紀を振り返るべき理由は、そこにもある。
東電に国費をつぎ込み、とりあえず原因企業の“救済”を図る仕組みは「チッソ方式」と呼ばれている。一方、原発事故でふるさとを追われた人たちへの賠償打ち切りが始まるなど、被害者救済には積極的とは思えない。原発推進は「国策」であるはずなのに。
「可能性が否定できない限り、救済する」−。国は原点に戻るべきなのだ。水俣でも、福島でも。

ヘイト規制、LGBT差別禁止 都の人権条例 歓迎と懸念 - 東京新聞(2018年10月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018100502000138.html
https://megalodon.jp/2018-1005-0925-14/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018100502000138.html


ヘイトスピーチを規制し、LGBTなど性的少数者への差別を禁止する東京都の人権尊重条例案は、五日の都議会本会議で成立する見通しとなった。当事者からは歓迎の声が出る一方、表現の自由の制限につながりかねないとの懸念や、企業や教育現場で性的少数者への対応を具体的に進めるよう求める意見も出ている。
◆「現状打破のきっかけに」
法律家や研究者らでつくる外国人人権法連絡会の師岡康子弁護士は、「ほかの県などでも制定の検討が進むのでは。ヘイト対策が進まない現状を打破するきっかけになる」と評価する。
師岡さんによると、二〇一六年にヘイトスピーチ対策法が施行された後、ヘイトデモは減少したが、最近は戻りつつある。デモの場所は、新宿や銀座など東京に集中しているという。
条例ではヘイトスピーチを防ぐため、公共施設の利用を制限する基準をつくる。同様の基準は川崎市京都府などが条例ではなくガイドラインで設けている。
ただ、ガイドラインを適用して事前に公共施設の利用を許可しなかったケースはないという。憲法では表現の自由が保障され、自治体の首長が利用の可否を判断するのは難しい。条例化で制限しやすくなるかは不透明だ。
師岡さんは「都は制限する基準は今後つくるとし、条文に明示していない。知事に白紙委任するのはおかしい。権力の乱用を防ぐための仕組みも備えるべきだ」と指摘する。
条例では、集会やインターネット上で差別的言動があったと知事が認めた場合、活動の概要などを公表したり、ネット上の動画などを削除要請したりできるようになる。田島泰彦・元上智大教授(メディア法)は「表現の自由が抑圧される危険性を秘めている。権力への批判なども規制の対象にされかねない」と危ぶむ。
基準づくりや条例の運用では、表現の自由との線引きが課題になる。  (榊原智康)

玉城デニー知事就任 民意後ろ盾に問題解決を - 琉球新報(2018年10月5日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-813924.html
http://archive.today/2018.10.05-003133/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-813924.html

日本復帰後8人目となる玉城デニー知事が就任した。玉城氏の勝利は、圧倒的な力を示す安倍政権へ「ノー」を突き付けた県民の意志の表れだ。
国が押し付ける名護市辺野古の新基地建設問題、任期中に迎える新たな振興計画への対応、子どもの貧困や全国最下位の県民所得など克服しなければならない課題は山積している。
民意を後ろ盾として、公約に掲げた「誇りある豊かな沖縄」「誰一人取り残さない多様な個性が輝く社会」を実現してほしい。
台風25号の襲来に象徴されるかのような嵐の船出だ。初登庁後の記者会見で玉城知事は「辺野古新基地は基地負担軽減にはならない、将来まで過重な基地負担を押し付ける無責任さだ」と述べた。
今知事選で最大の争点になった米軍普天間飛行場の移設先とされる辺野古の新基地建設に対し、改めて断固阻止する意向を示した。
しかし安倍政権は「辺野古が唯一の解決策」との姿勢を崩していない。4年前に翁長雄志知事が誕生した後、政府は県との対話で問題を解決しようとせず、工事を強行してきた。辺野古の海には一部の護岸が完成して、土砂を投入するばかりになった。菅義偉官房長官辺野古移設を進める政府方針が変わらないことを強調している。
県は翁長前知事の遺志を引き継ぎ、埋め立て承認を撤回した。工事は止まったが、国は近く法的対抗措置を取る構えだ。実際、2015年に翁長知事が埋め立て承認を取り消した際、政府は翌日、県の取り消し処分の執行停止を申し立てた。
しかし、4年前、今回と2度にわたって辺野古新基地建設に反対する民意が明確に示されているのに、問答無用で法廷闘争に持ち込むことは、民主主義国家のすることではない。
官房長官は玉城知事と話し合いの場を持つことには肯定的だ。ただし政府はこれまでと同様に「辺野古移設か、普天間の固定化か」の二者択一を迫るかもしれない。沖縄関係予算の減額や来年5月に切れる酒税の軽減措置の見直しなどを絡めて揺さぶりをかける可能性もある。
表面的に見れば玉城知事が持つ新基地建設阻止の材料は多くない。自然環境保護策の弱さや海底の軟弱地盤など辺野古の工事上の問題点が挙げられるが、政府が取り合う様子はない。
ただ、半年以内には県民投票も行われる。県知事選に続き民意が明確に示されるだろう。なおも工事を続けるなら強権国家そのものだ。
翁長前知事は圧倒的な民意を背景に県外や米国、国連での訴えを通じて国内国際世論を動かそうとした。それは道半ばだ。玉城知事は沖縄の民意を背に、国内外の賛同の動きを強めて、沖縄問題の解決に全力を尽くしてほしい。

<金口木舌>瀬長亀次郎とデマ - 琉球新報(2018年10月5日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-813967.html
http://archive.today/2018.10.05-002938/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-813967.html

「人民党はあんなものだ、人殺しや強盗などと一緒になり、扇動して善良な市民生活をおびやかす党だ」。そんなデマが流布されていたと、人民党事件で投獄されていた瀬長亀次郎さんが1954年の日記に書き残している

▼収監中に起きた沖縄刑務所暴動事件を瀬長さんが扇動していたかのような言説だ。立法院議員選挙を目前に控えていた。選挙にデマは付き物という人もいるが、虚偽の情報で有権者の対立をあおることは許されない
▼今回の沖縄県知事選でも真偽不明の情報がネット上で多数、拡散された。若手著述家の古谷経衡(ふるやつねひら)さんが、ヤフーニュースの記事で知事選を論じている
▼「玉城デニー氏が当選すれば、沖縄は中国に乗っ取られる」といった荒唐無稽の陰謀論を叫ぶ人々が佐喜真淳氏を応援したことによる悪影響を指摘した。「ネット右翼活動家」は「いかなる陣営にとっても害毒しかもたらさない」と断じている
▼デマや弾圧に負けずに闘った瀬長さんは2001年のきょう、94歳で亡くなった。50年の沖縄群島知事選挙では「人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を越えてワシントン政府を動かすことができる」と団結を呼び掛けていた
▼新基地建設阻止に向けた道は平坦(へいたん)ではないだろう。デマに左右されなかった県民が強固な意志を明確に示した今、瀬長さんの言葉をかみしめたい。