(政界地獄耳)安倍、質問に狼狽 1度の討論会で玉砕 - 日刊スポーツ(2018年9月17日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201809170000316.html
http://archive.today/2018.09.17-012103/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201809170000316.html

★首相・安倍晋三の狼狽(ろうばい)が、誰にも伝わった。手なずけてきたと思っていたメディアが先日の総裁選討論会で政策ではなく、今までの政治姿勢について質問したのだ。答弁は国会の時と同様、はぐらかしたが、国会で通用した答弁のすり替えを、ベテラン記者たちは容赦しなかった。稚拙な言い逃れを始めた首相に、予算委員会でみられる自民党議員のヤジや、忖度(そんたく)でのし上がった高級官僚の手助けもなく、盟友の閣僚たちの助っ人も来てくれない。

★本来、首相とはこんな孤独な仕事ではないのか。イメージで「やっている感」を出し、それを強調してくれる言いなりの記者も助けてくれない。1人で戦うとはこのことだ。この情景が想定できたのか、首相は討論会を極力避けてきた。出馬に意欲的だった党政調会長岸田文雄総務相野田聖子が立候補していれば、討論会はもっと活発なやりとりになっただろう。首相も討論会を避けなかったかもしれない。議論が分散するからだ。首相への質問も4分の1に減る。しかし討論会を避けるために、元幹事長・石破茂との一騎打ちを選び、討論会の数を減らしたが、1度の討論会で玉砕したといえる。

★討論会では、いくつか看過出来ぬ発言があったが、国民が一番納得できないのは、「私や妻が関係していたとなれば、総理大臣も議員も辞める」と予算委員会で発言しながら、討論会では「私の妻や友人が関わってきたことなので、国民が疑念・疑惑を持つのは当然」としたことだろう。

毎日新聞専門編集委員・倉重篤郎は「幅広い意味で言えば(首相と昭恵夫人は森友問題に)関係があったと思う」「安倍さんの言い方は、賄賂をもらったとかそういう形では関係がなかったという、意図的に関係を狭めて答弁しているところは、不信を呼ぶ」と、予算委員会での発言を修正したことを見逃さなかった。アドリブが利かず、感情的に答える首相に、内閣官房参与で首相のスピーチライター・谷口智彦は、どんな言い訳を生み出してくるのだろうか。(K)※敬称略

安倍首相が総裁選討論会で記者から予想外の追及受けて狼狽! 嘘と逆ギレ連発、口にしてはならない言葉も - litera_web(2018年9月14日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20180915#p9

(日米地位協定改定)保革超えた行動起こせ - 沖縄タイムズ(2018年9月17日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/315789
https://megalodon.jp/2018-0917-0937-26/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/315789

米軍キャンプ・シュワブ近くの名護市数久田で農作業小屋が被弾した事件(2018年)は米軍が捜査に協力せず進展がない。大型ヘリが東村高江で炎上大破(17年)しても、オスプレイが名護市安部の沿岸部で墜落大破(16年)しても、沖縄国際大に大型ヘリが墜落炎上(04年)しても、機体の差し押さえもできず、日本の捜査権が及ばない。
宜野座村の米軍キャンプ・ハンセン演習場で救難ヘリが墜落炎上した事故(13年)では住民の水がめの大川ダムに近接していたため村や県は立ち入りを求めたが、米軍は拒否。土壌調査は7カ月後。安全性の確認まで1年余りも取水停止を余儀なくされた。
日米地位協定によって捜査権や自治権が著しく制約されているにもかかわらず、政府は改定に踏み込まず、運用改善でしのいできた。
凶悪犯罪を巡り米側が日本側への起訴前の身柄引き渡しに「好意的配慮」を払うことや、環境補足協定で汚染事故が発生した場合、米側が立ち入りに「妥当な考慮」を払うことで合意している。運用改善と言っても、米軍の裁量次第なのである。
県は第2次大戦敗戦国のドイツ、イタリアに職員を派遣し比較調査した。
立ち入り権が明記され、緊急時には事前通告なしに立ち入りができる。米軍の訓練や演習は事前通告や承認が必要である。騒音問題など地域の意見を吸い上げる委員会も設置されている。
対等な地位協定へ改定することは主権国家であるかどうかの試金石である。改定に消極的な日本の現状は「半主権国家」と言わざるを得ない。

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地位協定は1960年の締結以来、一度も改定されたことがない。前宜野湾市長の佐喜真淳、前衆院議員の玉城デニー両氏とも地位協定改定を掲げ、一致している。
佐喜真氏は、県がすでに改定を要請している見直し項目を引き継ぐとしている。特に地位協定の運用を協議する日米合同委員会の在り方を変更したい考えだ。
合同委に自治体が関与し、地域で発生する事件・事故の防止について発言できるように改めるとしている。
玉城氏は、最低飛行高度などを定めた航空法に、米軍が縛られない特例法を廃止し、国内法の適用を訴えている。
事故や環境汚染が確認された場合は、自治体の速やかな立ち入りを認めることや、合同委の中に自治体代表が参加する地域特別委員会を設置することを求めている。

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全国知事会は今年7月、米軍に航空法や環境法令など国内法を適用することなど地位協定改定を盛り込んだ「米軍基地負担に関する提言」を全会一致で採択した。
翁長雄志前知事が2016年7月に要望したのがきっかけで研究会が設置され、その成果である。基地のない知事も賛同している意味は重い。
地位協定改定は、県や政党単独では難しい。選挙戦のスローガンに終わらせることなく、誰が当選しても、国民運動として取り組む必要がある。

本土反対で基地集中 差別的押し付けは明白 - 琉球新報(2018年9月17日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-803900.html
http://archive.today/2018.09.17-003812/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-803900.html

「沖縄の米軍基地には軍事的合理性がある」という「神話」の化けの皮が、またはがれた。
石破茂元防衛相が自身のホームページで、沖縄に基地が集中した理由について、本土の反基地運動を恐れたためとの趣旨の発言をしていた。
防衛に精通する政治家の言葉だから、真実味がある。政府が主張してきた地理的優位性や軍事的理由など、在沖米軍基地の存在根拠が乏しいことが明らかになった。
政府は辺野古新基地の建設をすぐに中止すべきだ。代わりに、県外移設を推し進めていくことを強く求める。
石破氏は自民党総裁選に向けた特設サイトで47都道府県別の動画を掲載している。
沖縄県のみなさまへ」として、こう述べていた。
「反米基地運動が燃え盛ることを恐れた日本と米国が、当時まだ米国の施政下にあった沖縄に多くの海兵隊部隊を移したからだ」
「本土から沖縄に基地が集約する形で今日の姿ができあがった。このことを決して忘れてはならない」
まさに、その通りである。
沖縄が米統治下にあった1956年に岐阜、山梨両県から海兵隊第3海兵師団が移転してきた。69年には山口県岩国基地から第36海兵航空群が普天間飛行場に移転した。
いずれも本土で米軍の事件、事故が頻発し、住民の反対運動が激しくなったからだ。
沖縄は各種世論調査で、普天間飛行場の県内移設に7〜8割が反対している。他府県の反対意見は聞くが、沖縄の声は無視して辺野古に新基地建設を強行するのは、差別以外の何物でもない。
同じ国民でありながら異なる扱いをするのは、民主主義に反する二重基準である。
ただ、石破氏はこの発言が報じられた後、沖縄への基地集中理由の部分の動画を削除している。「決して忘れてはならない」と国民に理解を呼び掛けておきながら消してしまったのは、選挙目当てだったのか。沖縄の基地問題に向き合う姿勢に疑問が残る。
政治的理由については、過去にも首相や閣僚経験者が発言している。
総裁選で競い合う安倍晋三首相は今年2月、衆院予算委で、県外への基地移転が進まない理由を「移設先となる本土の理解が得られない」と答弁した。政治的理由で沖縄に基地を押し付けている証左だ。
2012年には民主党政権森本敏防衛相(当時)が「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適地だ」と発言した。
14年には中谷元防衛相(当時)が「九州でも分散できるが、抵抗が大きくてできない」と述べた。
米朝首脳会談後、東アジアに緊張緩和の光が差し込んできている。戦後73年たっても、冷戦の遺物のように、沖縄に大規模に米軍を置いておくのは時代錯誤だ。県外の移設先を模索するべきだ。

陸自、多国籍軍へ派遣検討 政府、安保法を適用 - 東京新聞(2018年9月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201809/CK2018091702000117.html
https://megalodon.jp/2018-0917-0945-07/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201809/CK2018091702000117.html

政府が安全保障関連法の施行で可能となった「国際連携平和安全活動」を初適用し、エジプト・シナイ半島イスラエル、エジプト両軍の停戦監視活動をする「多国籍軍・監視団」(MFO)に、陸上自衛隊員の派遣を検討していることが十六日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。政府は年内にも首相官邸、外務省、防衛省による現地調査団を派遣。安全が確保できると判断すれば、年明け以降に司令部要員として陸自幹部数人を派遣する意向だ。 
安保法に含まれる改正国連平和維持活動(PKO)協力法は、PKOと活動内容が似ているものの国連が統括せず、国際機関などの要請に応じて自衛隊を派遣する国際連携平和安全活動を初めて認めた。PKO参加五原則が準用される。
同法で認められた、武装集団に襲われた国連要員らを救出する「駆け付け警護」と宿営地の共同防護は南スーダンPKOで新任務として付与されており、MFOへの派遣で自衛隊の活動範囲がさらに広がることになる。
自衛隊の海外派遣を巡っては二〇一七年五月に南スーダンPKOから陸自部隊が撤収。現在は〇九年から続くアフリカ東部ソマリア沖アデン湾での海自、陸自による海賊対処活動と、南スーダンPKOへの陸自幹部数人の司令部要員にとどまる。「積極的平和主義」を掲げる安倍政権は、目に見える「国際貢献」として、自衛隊の新たな海外派遣先を模索していた。
米国中心のMFOは一九七九年のエジプト・イスラエル平和条約に基づき、八二年からシナイ半島に展開する。エジプト、イスラエル両軍の展開や活動状況の調査、停戦監視が主要な任務。現在、米、英、仏、伊、豪など十二カ国、約千二百人の軍人が派遣されている。日本は八八年以降、財政支援を行っている。

<銃を手にして… ウガンダの子ども兵>(1)元少女兵の告白 命奪う引き金、軽かった - 東京新聞(2018年9月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018091602000141.html
http://web.archive.org/web/20180916133637/http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018091602000141.html

アフリカ東部ウガンダの首都カンパラから車で五時間。北部最大の街グルは、赤土がむき出しで、ほとんどの家に電気、ガス、水道がない。薄暗い部屋に陽光が差し込むと、ビッキー(32)のガラスの義眼が一瞬、光った。「政府軍の銃弾が首から入り右目を貫通した。二発目はあごに残った」。北部民族アチョリ人の反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)の兵士として政府軍と戦っていたビッキーは、このケガで「戦力外」となり、二〇〇八年に解放された。
LRAは一九九〇年代半ばから約十年間で推定三万八千人の子どもを拉致し、戦闘員や性奴隷として使った。ビッキーが拉致されたのは十五歳の時。すぐに、四十歳ほどの司令官と結婚させられた。「生きるために従った。下品で慈悲のない男だった。今も、憎い」
約三十人の部隊で密林を絶えず移動、自動小銃を手に政府軍と交戦した。やがて身ごもり、年上の女性兵士に助けられながら、密林の中で男児二人を産んだ。
拉致から一年半後、十六歳と十三歳の少女が部隊から脱走を試みた。兵士は二人を連れ戻すと、全員の前でその手足を縛り上げ、ビッキーに処刑を命じた。
「私がとてもおびえていたので、兵士は私を選んだ。やるしかなかった。二人の頭を撃った。銃はとても重かったが、引き金は軽かった」
消え入りそうな声で話すアチョリ語は、ポロポロと鳴る民族楽器の音色のように美しく、語られる惨劇とのギャップに戸惑った。 (敬称略)

◆10代、戦場で過ごした
ウガンダの反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)は、旧ソ連開発の自動小銃AK47(通称カラシニコフ)を好んだ。グルの街で、カラシニコフを手に取った。持ち主の男は「古いが、丈夫な銃だ。パーツを分解し組み立てられれば、一日の訓練で扱えるようになる」と、事もなげに言う。
全長約一メートルのねずみ色の銃は、ずしりと重かった。三十発入りの弾倉を付けた重さは約五キロ。水平に構えるだけで手が震える。弾倉を外し、引き金を引いた。今度はその、おもちゃのような軽さにぞっとした。人さし指一本で簡単に人が殺せる。だから、LRAはこの銃を子どもに手渡した。
アレックス(32)は八歳でLRAに拉致され、十歳で戦場に立った。「初めて銃を持たされた日、密林の切れ目で戦闘が始まった。敵の姿は見えず、泣き声と銃声しか聞こえなかった。銃は重くて、一発も撃てないまま右足を撃たれた」
十二歳の時、一カ月の戦闘で三百人以上の遺体を見た。「自分が誰かを殺したかどうかも分からない。殺さなければ殺される、殺せ、とだけ教えられた」。十三歳で左脇腹を撃たれた。「七カ月間、山に身を潜め、薬がないので湯をかけ続けた」
十四歳で政府軍の大規模な掃討作戦に遭う。「ヘリから投下された爆弾が花火のようにはじけた」。上の歯八本が飛び、舌が真っ二つに割れた。爆弾の破片が体中に刺さり、服が吹き飛び、真っ裸で倒れた。部隊は壊滅していた。
「一人、取り残された」。話しながら、冷静だったアレックスの様子が変わっていた。両手を広げ、充血した目を見開き、アチョリ語で訴え続ける。目が合っている気がしなかった。そこには、当時の戦場が映っていたに違いない。
「トマトを見つけ、はって行き、傷に搾り汁をかけ、食べた。腐り始めた遺体の隣で、自分もいずれこうなると悟った。神に、もし私が罪を犯したなら許してくださいと祈り、泣いた」
二〇〇九年までの拘束中、さらに左半身の三カ所を撃たれ、右目を失明した。その間、LRAと政府の和平交渉の場に立ち会ったことがある。仲介にあたったモザンビークのシサノ元大統領は、傷だらけのアレックスを見て「なぜ子どもを兵士にするのか」とLRA幹部に尋ねた。幹部は答えた。「子ども兵は大人よりも勇敢だからだ」 (敬称略、ウガンダ北部グルで、沢田千秋、写真も)

   ◇

アフリカでは今も、多くの子どもが兵士として戦場に駆り立てられている。ウガンダで銃を手に戦い、生還した元子ども兵の姿を追った。 (ウガンダ北部グルで、沢田千秋)

◆子ども兵世界に30万人
戦場に立つ「子ども兵」(十八歳未満)について、国連は世界で三十万人と推計する。二〇一八年五月の報告書では、十四カ国で政府軍を含む延べ六十五組織が子ども兵を使っていると公表。中央アフリカなどで活動を続ける「神の抵抗軍(LRA)」のほか、ナイジェリアのイスラム過激派「ボコ・ハラム」、過激派組織「イスラム国」(IS)などを挙げた。この時点で、ウガンダ内の組織の活動は確認されていない。

ウガンダコンゴ(旧ザイール)で帰還した元子ども兵を支援する日本のNPO「テラ・ルネッサンス」によると、子どもを拉致した組織は、殺人の強要や拷問、薬物などで服従を強いる。スパイや前線での弾よけ、地雷探知や荷物運びに使い、死んだら再び調達する「消耗品」のように扱うという。少女には強制結婚や性的虐待を強いている。
子ども兵には、無理やり連れ去られるほか、貧困などにより自ら志願する場合もあるが、健やかに育ち、教育を受ける権利を失っていることに変わりはない。
国連は〇〇年、十八歳未満の紛争への参加、強制徴兵を禁止する「子どもの権利条約」選択議定書を採択。日本を含む百六十七カ国が批准している。 (沢田千秋)



ウガンダ反政府軍> ウガンダは、植民地時代の英国の分断統治の影響を受け、1962年の独立後も、南北の民族の一方が政権を取ると、他方が反乱軍となる内戦を繰り返した。86年に誕生した南部出身のムセベニ政権下で、北部アチョリ人の虐殺が続く中、90年前後、霊媒師を名乗るジョゼフ・コニー指導者がアチョリの勢力回復を掲げ「神の抵抗軍」(LRA)を結成。ムセベニ政権はLRA制圧に同胞のアチョリ人を起用する一方、LRAは4万人近いアチョリ人の子どもを拉致し、2006年に同政権と停戦合意後も近隣国で活動を続けている。

<銃を手にして… ウガンダの子ども兵>(2)民族分断の果て 拘束13年 家族からも「裏切り者」 - 東京新聞(2018年9月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018091702000140.html
https://megalodon.jp/2018-0917-0947-47/www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018091702000140.html

ウガンダ北部最大の町グルから、車で数分も走ると、辺りは低木のブッシュと呼ばれる茂みが広がる。点在する民家は、干し草の屋根に土壁の伝統的家屋「ハット」だ。南部の首都カンパラ出身の運転手は「北部のアチョリ人はわれわれよりも肌の色が濃く手足が長い」と、「違い」を強調する。この国では長年、南北民族が内戦を繰り返し、政権を奪い合ってきた。
アチョリ人の反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)が一九九〇年前後に蜂起した目的は、南部出身のムセベニ政権打倒と北部アチョリ人の結集だった。ムセベニ政権はあえて、制圧軍にアチョリ人を起用し、民族分断を図った。LRAは政府に加担した村人を「汚れたアチョリ人」とさげすみ、虐殺、強奪を始める。見せしめに鼻や耳、唇をそぎ、拉致した少年兵には母親の腕を切り落とすよう命じた。
大統領の思惑通り、アチョリ人の憎悪は政府ではなくLRAに向いた。同胞の支持を失ったLRAは戦力確保のため、次々と子どもの拉致を敢行。村人の憎しみは増幅し、LRAと行動を共にした元子ども兵も同罪視するようになった。
小さな集落にあるロナルド(31)の自宅はトタン屋根にコンクリート壁。周囲のハットに比べ不自然なほど立派だった。LRAの拘束は十歳から十三年間に及んだ。二〇一〇年の解放時、頭と左腕に銃弾が残り、後遺症に苦しむロナルドのため、欧米の支援団体が、この家を建てた。
皮肉にも、この大きな家は憎悪と嫉妬の象徴になった。命からがら帰ってきたロナルドを、家族や村人は「裏切り者」と呼んだ。祖母は、この家にLRAの指導者「コニー」の名を付けて嫌悪し、建設中、親族に壁を壊させた。父親はロナルドが死んだと決め付け、彼が受け継ぐはずだった耕作地を処分していた。
「たとえアチョリ人だろうが、LRAへの恨みと怒りは言い尽くせない。彼らは多くの虐殺を行い、私の息子を殺した」。ロナルドの家の近所に住むミリー(50)は声を荒らげた。


父ローレンス(63)は「ここで、彼の新しい土地は探せない。村の年長者たちが嫌っている」と語り、母ビシェンティナ(58)は「彼の兄はLRAに殺された。複雑な心境を抱く人はいる」と、ため息をついた。
両親の話を聞きながら、誰とも目を合わせず、大きな家の壁を無表情に見つめていたロナルド。最後に、ひと言だけ口を開いた。
「銃弾の傷が痛くて満足に働けず、家族を支えられなくて申し訳ない」 (敬称略、ウガンダ北部グルで、沢田千秋)

敬老の日に考える 物語をしてください - 東京新聞(2018年9月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018091702000153.html
https://megalodon.jp/2018-0917-0949-07/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018091702000153.html

戦中戦後を生き抜いた人たちは、誰もが“鍵”を持っています。私たちの未来を開く鍵。だからおじいさん、おばあさん、今宵(こよい)また物語をしてください。
「あたしは金日祚(キムイルチョ)=写真。日本名は松本君代。君が代ね。学校の友達にはキミちゃんと呼ばれてました。昭和三年九月十八日生まれ、数え年九十一歳。もう年寄りでね、耳が遠いけん…」
ロビーのいすに腰を下ろすやいなや、金さんの小さな体から、言葉があふれ出しました。
滑舌良好、正確な日本語、歯切れのよい広島弁でした。
韓国南東部の陜川(ハプチョン)郡。戦前から戦後にかけて、多くの人が職を求めて日本にわたり、原爆の被害にも遭いました。
戦後帰国した被爆者が今も多く住んでおり、「韓国のヒロシマ」と呼ばれています。
金さんは街を見下ろす高台の中腹の「陜川原爆被害者福祉会館」に入居する約百人の被爆者の一人です。一九九六年に日本政府の支援で建設されました。金さんは開館二年目から、ずっとそこで暮らしています。
金さんの両親は、大正時代に、同胞のつてを頼って陜川から日本へやってきました。
金さんは京都で生まれ、二歳の時に広島へ引っ越しました。
金さんの家があったのは爆心地から南へ三キロ。漫画「この世界の片隅に」の舞台にもなった「江波(えば)」という地区でした。
なりわいは同胞相手の「乾物屋」。母親が特に働き者で結構繁盛したそうです。
「親は苦労したけれど、私たちには苦労がなかった。日本人と一緒に暮らしていても差別はなかったし、高等小学校へ上げてもらって、卒業後は広電バスの車掌にも採用されました。べらべらしゃべるのは、そのせいね」と、おどけて笑います。
「今朝のことはすぐ忘れてしまっても、日本のことは忘れられん」と繰り返し、金さんの“ファミリーヒストリー”は、よどみなく続きます。

◆日常が砕けて散った

そんな暮らしが粉々に砕け散った、四五年八月六日。
早朝に発令された空襲警報が解除され、金さんが家で遅い朝食の後片付けをしていたときでした。
「何かがピカッと光ったと思ったら、ババーンと広島がひっくり返るような音がして、天井が頭の上に落ちてきて−」
気が付くと、頭から血まみれの母親が、がれきの中から引っ張り出してくれていた。
家に防空壕(ごう)がなく、軍の射撃演習場近くにある避難所まで一時間ほどかけて歩いて行った。
そこには、焼けた着物が体に張り付いて、男女の別さえつかなくなった数百人の人々が、力なく地面に身を横たえていた。半数以上はすでに息絶えていたらしい。
やがて救護所がしつらえられたが、薬と言えばバケツで薄めた赤チンだけ。
「今にも死にそうな人たちに、どうにかして水の一杯、くんできてあげようという気持ちにもなれなんだ。本当にまあ、かわいそうに、かわいそうに…」
冗舌が涙で途絶え、広いロビーがしばし、沈黙に包まれました。
「結局あたしが話をしたいと思うのは、被爆のこと、皆さんや子どもたちに伝えたいのはね、もう二度と戦争を起こしてほしくないからなんよ」。沈黙を破ったのも金さんでした。
「本当のことを知ってわかり合えれば、みんな仲良くなれるのよ。でもね、一回や二回で語り尽くせるもんじゃないけんね、またいらっしゃい。六年前に胃を三分の二切り取って、こんなにやせてしまったけんが、口だけは元気じゃけ」と言いながら、携帯電話の番号を教えてくれました。

◆記憶の中にある未来

えたいの知れない黒く大きな何者かの足音が、じわじわと近づいて来ているような気がします。被爆者に限らず、戦前、戦後を知る人たちの記憶や体験が、今ほど貴い時代はありません。そしてそれらを記録にとどめ、次世代に手渡すことも。未来を照らし、生き抜くヒントは記憶と記録の中にこそ、必ず隠れているものだから。
金さん、あるいは君代さん、また物語を聞きに参ります。だから、いつまでもお達者で。

(書評)戦時の音楽 レベッカ・マカーイ著 - 東京新聞(2018年9月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018091602000200.html
http://archive.today/2018.09.16-041510/http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018091602000200.html

◆残酷な運命に抗う人たち
[評者]師岡カリーマ(文筆家)
指を一本切り落とされた演奏家がバイオリンを弾いている。その演奏から、戦争と迫害の記憶は聞こえてくるのか。彼の心の鏡には今、何が映っているのか。それはわからない。著者はひとりの少年の不確かなイマジネーションにその場面を語らせることによって、登場人物と私たちの間に、なにかガラスの仕切りのようなものを、この短篇集の冒頭から立ててしまう。「次世代が脚色する戦争談には要注意」という警告とも取れる。
エイズが猛威を振るった一九八〇年代ニューヨーク。人種問題に敏感にならざるを得ない現代アメリカ。うさん臭いリアリティ番組の撮影現場。物語の舞台は戦場とは限らない。でもそれは、誰かにとっての戦時だ。誰か? 美貌への異常なこだわりから、自らを追い込む文学講師。ピアノの中からひょっこり出てきたバッハ(妄想ではないらしい)の子を身ごもって天才児を生んでやろうと目論(もくろ)む女。一見どうでもよさそうな人物の心理描写にはたくさんの言葉を注ぎつつ、戦争の闇を知る本来の主役の内面に踏み込むことは執拗(しつよう)に避ける著者の意図は、最後の短編「惜しまれつつ世を去った人々の博物館」を読み終わったとき、初めて明らかになる。
ガラス越しに表面をなぞるだけのようだった歯がゆさはいつしか、主人公の苦悩に感染する不安のない心地よさに変わり、私たちは次から次へと提示される独創的な主題に魅了されながら、最後に用意された「結論」へと巧みに導かれていく。その鮮やかな超絶技巧には脱帽だ。
十七篇の物語を通奏低音のように貫いているのは、実は音楽でも芸術でもなく、残酷な運命に抗(あらが)う人間の姿だ。生き残るために下される決断は時に善悪の審判を超越する。芸術はむしろその副産物であり、舞台の黒子であり、人生の解説書のようなもの。かつてナチス・ドイツの脅威が目前に迫ったハンガリーで、祖父らしき人物が犯した「罪」の影を振り切れずにいる著者の、葛藤の末にたどり着いたひとつの答えが、そこにあると見ることもできるだろう。 (藤井光訳、新潮クレスト・ブックス・2160円) 

1978年生まれ。作家。米国シカゴ近郊で育つ。父親はハンガリー出身。

戦時の音楽 (新潮クレスト・ブックス)

戦時の音楽 (新潮クレスト・ブックス)


◆もう1冊 
A・ドーア著『すべての見えない光』(新潮クレスト・ブックス)。藤井光訳。

(書評)「ふつうのおんなの子」のちから 子どもの本から学んだこと 中村桂子著 - 東京新聞(2018年9月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018091602000199.html
http://archive.today/2018.09.16-041326/http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018091602000199.html

◆丁寧に生きて開花する個性
[評者]南沢奈央(女優)
『普通。』というタイトルの写真集を出したことがある。女優という立場にいても、中身はフツーの十八歳の女子高生だった。そのギャップに悩み、特別になろうと肩肘(かたひじ)張ってみたこともあった。だけどやっぱり、「普通だね」と言われると、安心し、何よりもうれしかった。だから「ふつうのおんなの子」へのエールのような一冊と出会って、二十八歳までの生き方を肯定してもらえたような気がして、救われた気分だった。
本書では、「日常の中で接するものやことをよく見て、自分の言葉で考え、納得しながらふつうに暮らす」人を、「ふつうのおんなの子」として括(くく)る。年齢や性別は関係ない。これはまさに、八十歳を越えても心がけている、著者の生き方なのだという。
ご自身の戦争体験や読書体験、研究されている生命誌を通して、いかに「ふつうのおんなの子」が素晴らしいか、説得力をもった言葉で語られていく。自分で体現し、証明する――。こういう示し方はさすが、研究者!
不思議の国のアリス』の不思議の国は、わたしたちの体の中ではないかという説も印象的だった。体が小さくなったアリスが入った新しい世界では、常識が通用せず、ナンセンスなことばかりが起きる。著者が体内の細胞やDNAの研究をする時、それらを身近に感じるために、細胞になったつもりになることがあるという。ファンタジーと科学、通じるものがありそうだ。ちなみにアリスの作者、ルイス・キャロルは数学者だったというから、不思議の国は数学の世界かも? 想像は尽きない。
日頃出会う本や人、出来事から、さまざまな気付きがある。考えずに通り過ぎることは簡単。だが、「自由に日常を大切に丁寧に生きて楽しむという前向きな気持ち」を持てたら、どれだけ幸福なことだろう。そして「ふつうのおんなの子」らしさは、個性になる。普通が、特別になる。
今日からわたしの目標は、「ふつうのおんなの子だね」と言ってもらえるような生き方をすること! (集英社クリエイティブ・1620円)

1936年生まれ。JT生命誌研究館館長。著書『生命誌とは何か』など。

「ふつうのおんなの子」のちから 子どもの本から学んだこと

「ふつうのおんなの子」のちから 子どもの本から学んだこと



◆もう1冊 
ジーン・ウェブスター著『あしながおじさん』(岩波文庫)。遠藤寿子訳。

ツイッターで懲戒が許されるのか? 岡口裁判官の分限裁判で報道されなかった論点とは。(伊藤和子弁護士) - Y!ニュース(2018年9月16日)

https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20180916-00097022/

この件については賛否がいろいろとありますが、報道で正しく伝わっていないな、と思うことがありますので、ここで弁護団最高裁に提出した主張書面に引用した事実関係をもとに解説してみたいと思います。

関連サイト)

木村草太の憲法の新手(88)判事の懲戒申し立て 根拠薄弱、表現の自由侵害 - 沖縄タイムズ(2018年9月16日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20180916#p4

岡口裁判官、白ブリーフ姿のアイコンについて語る「裁判所から批判されたことない」 - 弁護士ドットコムニュース(2018年09月11日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20180912#p4

裁判官がSNS発信で懲戒?最高裁大法廷が判断へ…岡口基一判事「裁判を受ける国民の皆さんにとって悲劇」 - FNNプライムオンライン(2018年9月10日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20180911#p1

裁判官のツイッター、どこまでOK? 最高裁が判断へ - 朝日新聞(2018年9月7日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20180908#p2

岡口基一判事、懲戒請求、裁判官の市民的自由を侵害しないよう - 中小企業の法律サポーター(2018年7月25日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20180801#p4