言わねばならないこと(110)奪われた自由 戦前想像して フリージャーナリスト・斎藤貴男さん - 東京新聞(2018年6月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2018061502000207.html
https://megalodon.jp/2018-0615-1603-05/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2018061502000207.html

共謀罪」法(改正組織犯罪処罰法)の成立から一年。権力が市民を監視し、民主主義の絶対条件である「思想信条の自由」を奪う内容に危機を感じ、廃止を訴え続けてきた。その自由を安倍政権に奪われてしまったことに、改めて怒りと屈辱を感じている。
共謀罪は、テロの未然防止の名目で一般市民がテロリストか否かを見分けるところから捜査を始める。性悪説に立ち、市民を見張るべき対象に位置づけている。本来、見張るべき対象は権力側ではないのか。
この一年間に財務省の文書改ざんや自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)などの問題が次々と明らかになった。権力こそ暴走したら恐ろしい。「権力は判断を誤らない」という考えはもはや信用できない。
こういう話をすると「被害者意識ばかり膨らませている」と批判を受ける。確かに共謀罪の疑いで逮捕された人はまだいない。でもそれは、単に権力が逮捕しなかったということにすぎない。恣意(しい)的な判断で逮捕できるという現状は変わらず、むしろ社会は監視の度合いを強める方向に向かっている。
共謀罪法が成立した前年には通信傍受法が改正され、警察が会話を盗聴できる対象犯罪が広がった。今月から他人の罪を密告すれば自分の罪を軽くできる司法取引制度も始まっている。全ての動きは連動している。この国の「自由度」は極端に狭まっている。
気掛かりなのは、社会が現状に無関心であるように感じられること。戦争がない状態が当たり前の時代に育った人が大半を占めているから仕方ないかもしれない。だが、思想信条の自由が奪われた戦前を思い起こしてほしい。無理にでも想像する力を働かせないと、歴史は必ず繰り返される。

<さいとう・たかお> 1958年、東京生まれ。早稲田大卒。日本工業新聞週刊文春などの記者を経てフリーに。2013年から放送倫理・番組向上機構BPO放送倫理検証委員会委員。主な著書に「戦争経済大国」など。

「共謀罪型捜査」に批判 法成立1年 - 東京新聞(2018年6月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018061502000152.html
https://megalodon.jp/2018-0615-0957-16/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018061502000152.html


犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法が成立して十五日で一年。参院法務委員会での採決を省き、本会議で「中間報告」を行う異例の手法で与党が採決を強行し、市民らの激しい反発を招いた。警察庁によると適用例はまだないが、法律家団体などからは「プライバシー侵害や監視を強める共謀罪型捜査が行われている」と懸念の声が上がる。 (奥村圭吾)
改正法は昨年七月十一日に施行。共謀罪の適用対象はテロ集団や暴力団などの「組織的犯罪集団」とされる。犯罪を計画したメンバーら二人以上のうち、少なくとも一人が現場の下見などの「準備行為」をすれば全員が処罰される。
捜査機関は、ニセ電話詐欺や薬物犯罪などに有効だと強調してきたが、逮捕や家宅捜索などの適用例は一件もないという。
共謀罪は、犯罪実行前の計画段階で捜査、処罰するため、通信や会話の内容、関係者の供述が重要となり、監視社会や冤罪(えんざい)を招く恐れが高いとされる。二百七十七の対象犯罪には組織的な逮捕監禁や威力業務妨害罪などもあり、市民団体や労働組合の活動も対象になりかねない。
有志の弁護士らでつくる「共謀罪対策弁護団」によると、昨年十一月、選挙で野党系の統一候補を支援する勝手連の代表をしている東京都内の男性が名誉毀損(きそん)容疑で警視庁の家宅捜索を受け、パソコン三台とスマホ、携帯電話各一台を押収された。インターネット上のブログで発信した個人的な内容に関する容疑だったが、勝手連の事務所まで捜索された。パソコンの解析を終えて全て返却されたのは今年の六月だった。
弁護団側は「個人的な話なのに何で市民団体の事務所まで捜索するのか。団体に目を付けられ、人間関係や活動内容を全て調べられたようだ。容疑は共謀罪ではないが、共謀罪につながってきたら怖い」と危ぶむ。

年収380万円未満対象 大学無償化、文科省が最終報告 - 東京新聞(2018年6月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201806/CK2018061502000138.html
https://megalodon.jp/2018-0615-0958-14/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201806/CK2018061502000138.html


大学など高等教育の無償化を議論する文部科学省の専門家会議は十四日、年収三百八十万円未満の世帯を対象に、収入に応じて段階的に大学などの授業料を減免するほか、生活費についても返済不要の給付型奨学金を支給するとの最終報告をまとめた。将来的には全進学者の二割程度をカバーする想定。文科省は制度の大枠を政府の骨太方針に反映させ、来年の通常国会に関連法案を提出、二〇二〇年度から導入する。
高等教育無償化は政府が掲げる「人づくり革命」の柱で、大学や短大、高専、専門学校に通う学生を想定。消費税増税分を活用し、一九年十月からの幼児教育・保育の無償化と合わせて実現する。大学進学率が低い低所得層への支援を厚くし、経済的理由で進学を断念することがないようにする。
文科省によると、夫婦と子ども二人の家庭で、子どものうち一人が大学生の場合、年収二百七十万円未満の住民税非課税世帯は国立大では授業料に相当する標準額約五十四万円と入学金約二十八万円を全額免除する。公立大は国立大の額を上限とし、私立大の授業料は最大約七十万円を減額、入学金も私立大の平均額(約二十五万円)まで支援する。
教科書代などの修学費や通学費、下宿生の食費、住居・光熱費などの生活費に充当するための給付型奨学金も出し、支給額は今後検討する。
支援額は住民税非課税世帯をベースに、年収三百万円未満は三分の二、三百八十万円未満は三分の一とする。年収条件に該当しても一定の資産があれば対象としないことも検討したが、資産状況の把握が難しく、判断を先送りした。
学生の成績状況を毎年確認し、下位四分の一に低迷するなどの場合は警告。連続して警告を受けたり、停学や留年となったりした場合は支援を打ち切る。進学先の大学などにも教員や理事への外部人材活用や、厳格な成績管理、財務情報の開示などに一定の要件を課す。経営状態が極端に悪い状況が続く大学は対象外とすることも検討する。


◆何を学ぶかが重要
<教育評論家の尾木直樹法政大特任教授の話> 教育は未来への投資で、経済的に困窮していても意欲さえあれば進学への道が開かれるという無償化の理念には大賛成だ。ただ、大学進学率は約五割にとどまり、高校卒業後に働く選択をした人たちからすれば無償化に不公平感もあるだろう。日本は学歴を重視する社会だが、本来は大学を出たかどうかよりも何を学んだかが重要だ。学習意欲に応えられるよう大学教育の質を上げていくとともに、いったん進学をあきらめた人でも、大学などで無償で学び直せる環境の整備にも注力すべきだ。

孤立するアメリカ 破壊のつけは我が身に - 東京新聞(2018年6月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018061502000167.html
https://megalodon.jp/2018-0615-0959-52/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018061502000167.html

今や米国は世界の深刻な不安要因である。トランプ大統領がいそしむ秩序破壊の後には混乱が広がる。そのつけは自身に返ってくることを悟るべきだ。
米国の威信低下が著しい。米ギャラップ社が昨年、百三十四の国・地域で実施した世論調査によると、米国の指導力を評価する人は30%と、オバマ政権時の二〇一六年から18ポイントも下落した。
しかも同盟国・友好国で評価しない人が多い。ノルウェーは評価しない人が83%と最も高く、カナダとメキシコも七割を超えた。
◆同盟国も「敵国」扱い
自由、人権、民主主義という共通の価値観で結ばれた同盟国・友好国とのあつれきは、カナダで先週開かれたG7サミットを引き裂いた。米国の金利上げに伴う新興国の通貨安、イタリアの政治不安による欧州市場の動揺、中東情勢の混迷−。リスク要因に事欠かない状況を前にG7は結束できなかった。
はらわたが煮えくり返る思いだったのだろう。議長国カナダのトルドー首相は総括記者会見で「第一次大戦以来、われわれは米軍兵士と肩を組んで異国の地で戦ってきた。米国が安全保障を理由にすることを軽く見るわけにはいかない。これは侮辱だ」と述べた。
トランプ政権がカナダはじめ欧州連合(EU)や日本という同盟国に導入した鉄鋼・アルミニウムの輸入制限の理由に、よりによって安全保障を挙げたことを批判した発言だ。
敵国同然の扱いをされたと怒るカナダと欧州は報復する構えだ。貿易戦争に発展しかねない雲行きである。
第二次大戦の欧州戦線の先行きが見え始めた一九四四年七月、米国東部のブレトンウッズに連合国が集まり、米ドルを基軸通貨とする国際経済の仕組みを固めた。国際通貨基金IMF)と世界銀行の創設も決まり、ブレトンウッズ体制は産声を上げた。
ホワイトハウスの西側にはIMFと世銀の両本部が付き従うように立つ。米国が事実上支配した戦後の世界経済体制を象徴する光景である。
四八年には関税貿易一般協定(ガット)ができた。二九年の大恐慌によって各国が保護主義に走り世界経済のブロック化が進んだ。それが第二次大戦の遠因になったという反省から生まれた自由貿易推進のための協定だ。九五年にガットは発展的に解消し、世界貿易機関WTO)が発足した。
米国自身が大きな恩恵を受けたこうした経済体制を、トランプ氏は壊しにかかっている。
◆大国に求められる自律
輸入制限には米国内でも、鉄鋼の大口消費者である機械メーカー、アルミ缶を必要とするビール業界などが反対を唱える。コスト上昇や雇用喪失につながるからだ。米製品の競争力もそがれ、世界経済も混乱する。貿易戦争に勝者はいない。
独善と身勝手で米国を孤立に追いやるトランプ氏。それでも最近、支持率は持ち直し四割台に乗った。
大国が身勝手な振る舞いをすれば、他国とのあつれきを生む。誰も国際規範を守ろうという気をなくす。混乱が広がり、そこにつけ込んで自分の利益を図る者が現れる。だからこそ大国は自ら律する意思が求められる。
超大国の米国であっても力には限界があり、難しい国際問題には他国との協調対処が必要となる。昨年、北朝鮮に最大限の圧力をかけるよう各国に呼び掛けたのは、トランプ氏ではなかったか。
一方、G7サミットと同時期に開かれた上海協力機構(SCO)の首脳会議。ホスト国の習近平中国国家主席がロシアや中央アジアなどの各国首脳らを前に、SCOは「世界の統治を完全なものにする重要な勢力だ」と述べた。国際舞台では米国の退場で生じた空白を中国やロシアが埋めにかかっている。
G7サミットに出席したトゥスクEU大統領は「ルールに基づく国際秩序が試練に立たされている。その元凶が秩序の保証人たる米国であることにはまったく驚かされる」と語った。
◆秩序の保証人のはずが
そのうえで「秩序を損ねるのは無意味なことだ、と米国を説得する。民主主義も自由もない世界を望む連中の思うつぼになるからだ」と力を込めたが、トランプ氏は耳を貸さなかった。
破壊した後にどんな世界をつくる考えでいるのか。トランプ氏の場当たり的で一貫性に欠ける言動からは、そんなビジョンはうかがえない。
責任あるリーダーの座から降りた米国。この大変動を乗り切るために、日本も選択肢をできるだけ増やして外交政策の可能性を広げる必要がある。

袴田事件で再審取り消し 鑑定評価の仕組み検討を - 毎日新聞(2018年6月15日)

https://mainichi.jp/articles/20180615/ddm/005/070/063000c
http://archive.today/2018.06.15-010151/https://mainichi.jp/articles/20180615/ddm/005/070/063000c

科学的とされる鑑定結果でも、その評価は難しい。
1966年に起きた「袴田事件」で、死刑が確定した袴田巌元被告の再審決定を東京高裁が取り消した。
焦点になったのは、犯人のものとされる着衣に付いていた血痕のDNA型鑑定だ。再審を決めた静岡地裁は「袴田元被告のものと一致しない」との弁護側鑑定の信用性を認めたが、高裁は信用性を否定した。
鑑定の評価がなぜ正反対になったのか。高裁では、検察側が申請した鑑定人が、弁護側鑑定の手法を検証した。その中で、DNAの抽出に当たり、試薬を使った独自の方法を取ったことを「不適切だ」とする報告書をまとめた。他にも批判的な法医学者の意見書が出て、高裁はそうした意見をくんだ形だ。
静岡地裁の決定から4年がたつ。専門家が別の専門家を否定する科学論争のためにいたずらに時間が経過した感は否めない。鑑定を科学的に突き詰めて事実解明することは重要だが、最先端の科学でも場合によってはあいまいな部分は残る。そこをどう考えるかだ。
弁護側、検察側双方の鑑定人が意見をぶつけ合うだけでは限界がある。今回は極めて古い試料でのDNA型鑑定の信頼性が問われた。そのような難しい事案の場合、裁判所の主導下で、第三者的な立場の専門家を集め、鑑定や検証を担ってもらう仕組みが築けないだろうか。
もちろん、鑑定結果が全てではない。その上で全証拠を総合して結論を出すのは司法の責任だ。
事件発生から半世紀がたつのに、なぜ再審の決着がつかないのか。主な原因は、再審段階での証拠開示が検察の判断に委ねられていることだ。袴田事件で検察が衣類発見時の写真などを開示したのは第2次再審請求後の2010年だった。再審での証拠開示のルール作りが必要だ。
この事件では1審段階で45通の自白調書のうち44通が証拠採用されなかった。捜査は自白偏重だった。
「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則は再審でも例外ではない。弁護側は週明けにも最高裁に特別抗告する。最高裁は鑑定結果を含め十分かつ迅速な審理をし、その上で検察の立証が合理性を欠くならば再審の扉を開くべきだ。

福島第2原発の廃炉 計画の具体化は速やかに - 毎日新聞(2018年6月15日)

https://mainichi.jp/articles/20180615/ddm/005/070/065000c
http://archive.today/2018.06.14-223323/http://mainichi.jp/articles/20180615/ddm/005/070/065000c

福島第1原発の重大事故から7年余り。東京電力が、ようやく福島第2原発廃炉にする方針を明らかにした。実現すれば、福島県内に10基あった原発はすべてなくなる。
福島第2の存在は、避難生活や風評被害に苦しむ県民の心を逆なでしてきた。東電は、円滑な廃炉に向けた工程表づくりを急ぐ必要がある。
福島第2は東日本大震災の際、第1と同様に津波をかぶった。それでも一部の外部電源が残ったため、重大事故は免れた。
その後も停止したままだが、大量の核燃料は残っている。安全性や将来の再稼働を巡る県民の不安は根強く、県は東電や事実上の筆頭株主である国に、早期廃炉を求めてきた。
再稼働には立地自治体の同意が必要だ。第2の再稼働はもともと、政治的にはあり得ない選択肢だった。
また、第2の4基はいずれも運転開始から30年を超えている。原則40年のルールを延長して稼働するためには巨額の安全投資が必要となる。経営的にも存続させるメリットは乏しかったわけだ。
それにもかかわらず、東電は廃炉決定を先延ばしにしてきた。
廃炉を決めると原子炉や核燃料などを資産に計上できなくなるため、財政基盤が悪化する。東電はそれに耐えられる経営体力が整うのを待っていたとも思われる。
しかし、そんな台所事情があったとしても、十分な説明もせず、うやむやな態度に終始してきたことは誠実さに欠けると言わざるを得ない。
今回、福島県の内堀雅雄知事に廃炉の方針を伝えた東電の小早川智明社長は、第2が「復興の足かせになっている」と認めた。そうであれば、廃炉に向けた準備に早急に着手すべきだ。
東電は福島第1の廃炉という極めて困難な作業を抱えている。重ねて第2の廃炉を円滑に進めるには、資金や人員などの経営資源の配分にも知恵を絞る必要がある。国とも連携し、計画の具体化を急いでほしい。
福島第2が廃炉となれば、東電の原発柏崎刈羽新潟県)だけになる。再稼働に向け、地元への働きかけを一段と強めることも予想される。しかし、肝心なのはあくまで安全の確保と地元の納得であることを忘れてはならない。

福島第二廃炉 東電は責任まっとうを - 朝日新聞(2018年6月15日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13540631.html
http://archive.today/2018.06.14-223324/https://www.asahi.com/articles/DA3S13540631.html

福島第一原発で大事故を起こした東京電力が、近くの福島第二原発廃炉にする方向で検討する、と表明した。7年前の事故以来、福島県をはじめ地元自治体や議会から、廃炉を再三求められていた。遅きに失したとはいえ、当然の判断である。
廃炉について明言を避け、あいまいな状況を長引かせたことは、被災地の復興の足かせになった。東電は、はかりしれない深手を負わせた責任の重さを改めて胸に刻み、後始末をやりとげなければならない。
まずは廃炉を正式に決め、時期や進め方など具体的な計画づくりを急ぐ必要がある。
大切なのは安全の確保だ。東電は今後、2カ所で廃炉を並行して進めることになる。東日本大震災で福島第二は大事故を免れたが、通常の廃炉でも、大量の放射性廃棄物の管理などに細心の注意が求められる。
一足早く着手した福島第一では、事故で核燃料が溶け落ちた炉内の状況をいまだつかみきれず、作業は難航を極めている。数十年に及ぶ廃炉を安全に進められるのか、不安を抱く住民も少なくない。体制の整備に万全を期さなければならない。
原発周辺では事故後、住民が長期の避難を強いられた。生活の基盤が根こそぎ壊され、今も帰還が進まない地域も目立つ。廃炉作業に伴う雇用や、県が進める再生可能エネルギー関連のプロジェクトへの協力などを通して、東電は地域の再生にも、積極的に貢献するべきだ。
福島第二を廃炉にすれば、震災前に福島に10基あった原発はすべてなくなり、東電は半数以上の原発を失うことになる。これを機に、原発頼みの経営から転換を図るべきではないか。
実質国有化された東電は、巨額の事故処理費用をまかなうため、利益を大幅に増やすことを求められている。そのため、柏崎刈羽原発新潟県)の再稼働や東通原発青森県)の完成をめざすが、どちらも実現の見通しは立っていない。
福島第一の事故以来、国内では原発に批判的な世論が強く、安全対策コストも大幅に上がった。この先も多くの経営資源原発に割くことが、東電にとって得策だろうか。海外では多くのエネルギー企業が、コスト低下や技術革新が進む再エネなどを新たな成長分野と見定め、先を競って投資や研究開発を進めている。
悲惨な事故を起こした後も、国民負担で延命されている特殊な会社が、社会への責任を果たす道はどこにあるのか、いま一度、問う必要がある。

公文書管理 これで「徹底見直し」か - 朝日新聞(2018年6月15日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13540632.html
http://archive.today/2018.06.15-010511/https://www.asahi.com/articles/DA3S13540632.html

安倍政権による公文書管理の見直しは、「政府をあげて徹底的に実施する」(首相)どころか、表面をなでるだけで終わる恐れが強くなっている。
あれだけ多くの問題が噴きだしながら、政治家は誰ひとりとして責任をとらず、再発防止策にも本腰を入れない。国会、そして国民軽視の姿勢は、根底から正されなければならない。
先日開かれた政府の公文書管理委員会では、弁護士や学者の委員から厳しい声が相次いだ。
「改ざん文書に基づいて1年間も国会審議が行われるとは、民主主義の根幹に関わる」「組織ぐるみの隠蔽(いんぺい)であり、外部の人間が調査できる仕組みが必要だ」「記録管理の専門家を置かないと、状況は変わらない」
いずれももっともな指摘である。だが政府は、こうした指摘に真剣にこたえることなく、月内にも一定の手当てをして区切りとする考えのようだ。
「本気度」の欠如は随所にあらわれている。
森友文書の改ざんをめぐる財務省の調査報告を受けて、首相は今月初めの閣僚会議で指示を出した。だがそれは、コンプライアンス意識の向上や決裁文書の管理のあり方の見直しなど、漠然とした内容にとどまった。
記録が「個人メモ」として勝手に廃棄されないよう、公文書の定義を広げる。意思決定に至るまでの経緯と議論が、後世にしっかり伝わるように、メールでのやりとりやメモ類もきちんと残す。そうした本質に迫る対策には一切触れていない。
いくらか具体性があったのが「電子決裁システムへの移行の加速」だが、総務省によれば、既に9割で実施されている。何より森友問題では、電子決裁済みの文書も見事に改ざんされていた。行政手続きの一部である決裁だけを取り出し、何らかの措置を講じたところで、再発防止の決定打にはなり得ない。
文書管理を政府内で横断的に監視するポストの新設も検討されているという。だが各省庁にはいまも、総括文書管理者、文書管理者、文書管理担当者、監査責任者など、もっともらしい肩書のついた官僚が大勢いる。新ポストをつくっても「役所の論理」から抜けださなければ、屋上屋を架すばかりだ。
それよりも、外部の専門的な目をもつ公文書管理委員会の活用を考えるべきだ。首相の諮問機関という現在の位置づけを見直し、独立性と権限を備えた組織とし、政府側に改善などを迫れるようにしてはどうか。
このまま幕引きに走るようでは、将来に大きな禍根を残す。

(大弦小弦)広辞苑第7版によると、万引とは「買い物をするふりをして… - 沖縄タイムズ(2018年6月14日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/267198
https://megalodon.jp/2018-0615-1005-02/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/267198

広辞苑第7版によると、万引とは「買い物をするふりをして店頭の商品をかすめとること」。映画の題名は単に行為を指すのでなく、家族の「ふりをして」懸命に生きる人々の記録と深読みもできる

カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した是枝裕和監督の「万引き家族」は、祖母のわずかな年金と日用品の万引で生活する家族の物語。失業や児童虐待、年金の不正受給など、暮らし向きに世相がにじむ

▼声高な告発でなく、淡々と細部の描写を積み重ねる。決して「清貧」でなく、駄目な部分も多いリアルな人間像を描く。善悪とは何か。家族とは何か。一方的に断罪するだけでいいのか。観客の想像力に委ねるラストが重く問い掛けてくる

▼国際的に活躍した日本人に直接電話するなどの祝福を好む安倍晋三首相が今回、映画界最高の栄誉に賛辞を贈らなかった。「クールジャパン」と対極の国の暗部を描く作品が、政権にとって面白くないことは容易に想像がつく

▼東京・目黒区で両親から虐待を受けていたとされる5歳の女児が「もうおねがい ゆるして」と記して亡くなった。映画の少女の姿と重なり、何もできなかったことに、もどかしさを感じた大人は多いのではないか

▼親の罪を問うだけでは事件はなくならない。背景や裏側を考え続けていく必要がある。(田嶋正雄)

米軍F15飛行再開 撤去こそ有効な安全対策 - 琉球新報(2018年6月15日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-738898.html
http://archive.today/2018.06.15-010710/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-738898.html

米軍の安全宣言は何度も聞いた。だが、事故は後を絶たない。墜落原因さえ解明されないままの飛行再開はあり得ない。強く抗議する。
米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機が飛行訓練中に那覇市の南方約80キロの海上に墜落してから2日後、米軍は同型機の飛行訓練を再開した。
県などは原因究明までの同型機の飛行中止、実効性ある再発防止策などの実施を沖縄防衛局を通して米軍に要求していた。防衛局は米軍にしっかりと伝えたのだろうか。伝えても無視されたならば、防衛局の存在意義を疑う。
嘉手納基地を管理する第18航空団副司令官のリチャード・タナー大佐は「24時間でわれわれのF15全てを点検した結果、機体は安全に飛行再開できることを確信した」としている。
信用できない。米空軍は、死傷者を出す重大事故が相次いでいることを受け、全ての航空機の飛行を1日停止し、安全点検を5月に実施したばかりある。点検したにもかかわらず、墜落事故は起きたのである。事故原因が分からないままでは、墜落の危険性は解消されない。
事故原因は嘉手納基地の点検体制の不備、操縦士のミス、もしくはF15の欠陥などが考えられる。
時間をかけて事故原因を徹底的に究明し、有効な再発防止策を講じない限り、県民の安全だけでなく、操縦士の安全も守れない。米軍はそのことを深く認識し、飛行訓練をやめるべきである。
許せないのは日本政府の対応だ。防衛省は墜落事故が起きた際、原因が判明していないのに飛行停止を米側に求めなかった。それだけではない。飛行再開についても小野寺五典防衛相は「(米側が嘉手納基地に)今ある全機を確認した上で、飛行を再開したという判断だと思う」と述べた。まるで傍観者である。
県民の安全が保障されていない中での飛行再開を問題視せず、米側の判断を追認する小野寺氏には、国民の安全を守る強い意志が一切ないと断じるしかない。
墜落事故を重く受け止めず、事故原因が明らかになっていない中、飛行訓練を再開する米軍に異議を唱えず、追認することに終始する日本政府の責任は極めて重い。日本政府の主体性のなさが米軍機墜落事故の遠因にもなっていることを知るべきである。
当事者意識のない日本政府の対応が米軍の訓練激化を招き、外来機の暫定配備を常態化させ、県民生活に重大な影響を与えている。
F15は1979年に配備されて以降、今回を含めて県内で10件11機が墜落事故を起こしている。日本復帰後に県内で起きた米軍機の墜落事故は49件を数え、2割をF15が占め、機種別では最も多い。ここまできたら欠陥機だろう。
最も有効な安全対策は、老朽化も進む危険なF15を全て撤去することである。