柳瀬氏喚問、与党が拒否=野党反発、追及緩めず−加計問題 - 時事ドットコム(2018年5月15日)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018051500951&g=pol
http://archive.today/2018.05.15-115330/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018051500951&g=pol

学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題をめぐり、立憲民主党は15日、自民党に対し、柳瀬唯夫元首相秘書官の証人喚問と中村時広愛媛県知事参考人招致を主要5野党の総意として要求した。
自民党はこれを拒否した。与党は先の柳瀬氏の参考人招致などで「区切りが付いた」として幕引きを図る考え。こうした姿勢に野党は強く反発しており、疑惑追及を続ける方針だ。
立憲など5野党は15日、国対委員長会談を開き、柳瀬氏と中村知事の説明に食い違いがあることから、両氏を含む関係者の国会招致を求めていくことを確認。この後、立憲の辻元清美国対委員長自民党森山裕国対委員長と国会内で会い、直接申し入れたが、森山氏は応じなかった。森山氏は中村知事について「当事者ではない。絶対に呼ばない」と断言した。
柳瀬氏は10日の参考人招致で、2015年に学園関係者と3回面会したと認める一方、愛媛県職員らの同席については曖昧にし、県文書に記録されていた「首相案件」発言を否定した。これに対し、中村知事は柳瀬氏の名刺を公開して県職員の出席を主張。「首相案件」との趣旨の発言もあったと強調している。辻元氏は15日、記者団に「白黒はっきりつけないといけない」と語った。

 

(政界地獄耳)「異次元」で「問題ない」与党の理屈 - 日刊スポーツ(2018年5月15日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201805150000207.html
http://archive.today/2018.05.15-011917/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201805150000207.html

★確かに安倍政権では今までの自民党の常識や政治の常識が覆され、開き直ることが多い。政権が好む言葉に「異次元の」と前置きする政策がある。その異次元とは何か。今までの常識を覆すというよりはセオリー無視、流れに逆行するという意味を含む無秩序ということなのだろうか。14日の衆参の集中審議での首相の答弁を聞きながら、なぜ愛媛県知事中村時広を国会に呼ばないのか、なぜ教育者たる加計学園理事長・加計孝太郎は国会に出てくるどころか、何も発言しないのだろうか。親友である首相の危機を救わないのだろうかと思いをはせる。
★とはいえ、与野党の攻防とはそんなもので新しい事実を突きつけられないから、進展がないからと野党の攻撃能力を批判するのではなく、「真摯(しんし)で丁寧に説明する」という首相・安倍晋三の言葉を与党が実行すればいいのだ。「異次元」の次にこの政府が多用する言葉に「問題ない」がある。周辺が問題といっても、当事者が問題ないと言っているので問題ないという理屈だ。これでは法治国家が成り立たない。公明党代表山口那津男が「国家戦略特区の制度を用いて四国に獣医学部を新設し、すでに開学をして学生が学び始めている。(国会で)議論することがどんな国政上の意味があるのか」と首相を援護したが、「事実解明に直接結びつかないような発言を何度繰り返しても、それは深まることにはならない」。国民はそこにイラ立っているのだ。
★国民はいつまでたっても進まない森友・加計学園疑惑にイラつくと同時に、決着を見ない展開が続くことで関心が薄れる状況に陥る。一方でこんな遅々として進まない疑惑に時間を費やしているのは無駄と野党を批判するが、当事者が国会に出頭し正直に話せばいいだけなのだが、その出頭を阻んでいるのが自民党予算委員会理事たちや国対幹部たちであることを忘れてはならない。論より結果を導き出せないのは野党ではなく与党の拒否にある。(K)※敬称略

(復帰46年 自治)沖縄は今も憲法番外地 - 沖縄タイムズ(2018年5月14日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/251151
http://web.archive.org/web/20180514024844/http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/251151

沖縄の施政権が返還されてからあす15日で46年になる。
復帰を2日後に控えた1972年5月13日、行政府ビル(現在の県庁)前で、琉球政府の閉庁式が行われた。
屋良朝苗主席は、およそ千人の職員を前にあいさつし、自治への期待を熱く語った。
那覇市の沖映本館ではこの日から、山里永吉原作の沖縄芝居「首里城明け渡し」が上演されている。住民は明治政府の琉球併合と復帰をだぶらせ、舞台にくぎ付けになったという。
翌14日、復帰の前日、屋良主席とともにテレビ出演した山中貞則総務長官は、復帰批判が高まっていることを意識し、こう述べている。
「米民政府がなくなったかわりに日本政府が同じことをしているといわれることだけは絶対しない」
その上で山中氏は「償いはします」と明言した。「償い」という言葉は沖縄振興開発特別措置法に盛り込まれた文言だ。
軍事上の必要性がすべてに優先される米軍統治下にあって、住民が強く希求してきたのは「自治と自立」の実現であり、「人権と尊厳」の確立だった。
50年9月に実施された群島知事選挙。合同演説会の写真は、会場を埋め尽くしたおよそ2万人の人びとの、その数の迫力によって、見るものを圧倒する。
写真から伝わってくるのは、軍政下の住民のたぎるような「自治への希求」だ。
だが、復帰は他府県と同様の「自治」を実現するものではなかった。

■    ■

沖縄の住民は、サンフランシスコ講和条約の締結の際、国会において、主権者としてその是非を意思表示することができなかった。
政策決定によって最も影響を受けるにもかかわらず、住民に判断の機会が与えられることはなく、一方的に押しつけられたのである。
復帰の際、未契約米軍用地を強制使用するために制定された公用地暫定使用法もそうだ。同法は沖縄だけに適用された法律で、本来、憲法に基づいて県民投票を実施すべきであったが、住民の要求は無視された。
政治学者で西銘県政の副知事をつとめた比嘉幹郎さんは、復帰前年の71年に沖縄自治州構想を発表した。
「復帰により沖縄の自治は縮小する」との懸念から、比嘉さんはこう指摘している。
「沖縄の自治は住民の闘争によって獲得したものであり、沖縄に特別自治体を置くことは『日本変革』の突破口になるものと確信している」

■    ■

比嘉さんの自治論は、今も古びていない。
名護市辺野古の新基地建設を進める政府は、建設反対の翁長雄志知事や稲嶺進前名護市長に対し、徹底した「ムチの政策」を続け、地域を分断し、沖縄の自治をずたずたにしてきた。軍事上の要請で自治は形骸化し、沖縄はさながら「政府直轄領」のような様相を強めている。
「現実だから仕方がない」とあきらめてはならない。現実を突き破る自治構想と実践が求められている。

日本復帰46年 沖縄振興の根本的転換を - 琉球新報(2018年5月15日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-718771.html
http://archive.today/2018.05.15-003139/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-718771.html

1972年の5月15日、沖縄は日本に復帰した。その前年の71年11月、沖縄国会と言われた第67臨時国会に、琉球政府屋良朝苗行政主席は復帰措置に関する建議書を提出した。建議書は「はじめに」の項で「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ。
復帰後も改善されない最も大きな障害は米軍基地の存在だ。在日米軍専用施設の集中度は復帰時の約75%から約70%に減るにとどまり、整理縮小は進んでいない。2016年の米軍属女性暴行殺人事件、米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの名護市安部墜落、17年の普天間第二小学校への米軍ヘリ窓落下事故など事件事故が頻発し、県民の命が脅かされている。
しかし基地の負担を軽減するどころか、安倍政権は普天間飛行場の名護市辺野古への新基地建設を強行している。沖縄県知事が明確に反対し、新基地建設の賛否が争点となった全県選挙ではほぼ反対の候補者が当選した。建議書が掲げた「地方自治の確立」は、新基地建設を強行する政府によって妨げられている。
建議書は「県民本位の経済開発」も掲げた。本土に比べて大きく立ち遅れた沖縄の振興策として、約10兆円の「振興開発費」が投下された。確かに道路や港湾などインフラは大きく進んだ。
しかし県民所得は全国平均の約7割、失業率は全国ワーストといった貧しさの部分は解消していない。子どもの貧困率は全国平均の2倍に上る。保育サービスが貧弱で、待機児童が多く、保育料は高い。離島の過疎化も深刻だ。過去の沖縄振興は社会資本整備に偏り、教育福祉施策を充実させる努力を怠ってきた。沖縄振興の仕組みを根本から見直す必要がある。
12年に始まった沖縄振興一括交付金は、地域主権に基づいた沖縄の裁量による予算との当初の意義付けは失われ、基地政策の見返りで予算の多寡が決まる、国にとって都合のよいものとなってしまった。それが沖縄振興のゆがみを増幅している。
復帰と同時に始まった沖縄振興開発特別措置法に基づく沖縄振興計画は第5次の折り返し点を過ぎた。私たちは第5次の終わりと、次の沖縄振興の仕組みを真剣に論議し、真の「県民本位の経済開発」を考えねばならない時期に来ている。
建議書が挙げた新生沖縄像は、国家に押し付けられるのではなく、自らの未来を自らが決めるという姿だ。苛(か)烈(れつ)な沖縄戦と米国統治による圧政を経験した呻吟(しんぎん)の中から生み出された県民全体の願いと言えよう。自立と自律。これを実現することこそ、次世代に対する私たち世代の責任だ。
沖縄自治構想会議は「沖縄エンパワーメント」と題した構想を発表し、沖縄振興と自治の在り方の根本的転換を提唱している。沖縄の将来について考える日としたい。

<金口木舌>「復帰の日」の色 - 琉球新報(2018年5月15日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-718776.html
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2013年に急逝した歌手大瀧詠一さんの代表作「君は天然色」の一節「想い出はモノクローム 色を点(つ)けてくれ」を時々口ずさむ。明るい曲調に乗せた松本隆さんの歌詞は1980年代の空気を思い出させる

▼モノクロが中心だった家族写真がカラーになるのは70年代半ばだった。今はデジカメの時代。富士フイルムは先月、モノクロフィルムの販売終了を発表した。思い出を刻んだフィルムがなくなるのは惜しい
▼「日本復帰の日」を記録した本紙の写真もモノクロだった。古い紙面を見て、この日の色を想像する。激しい雨を降らせた空は鉛色、抗議集会を開いた与儀公園の地面は赤茶色だったろうか
▼時代は激しく動いている。朝鮮半島の2国が融和に向けて動きだした。来月は米朝首脳会談だという。海の向こうの激動を報じる紙面は刺激的な色を放つ。さて日本はどうか
▼セクハラに絡む暴言を吐く大臣がいる。疑惑に対する国民の憤りに背を向ける首相がいる。そんな政府が憲法を変え、沖縄に新基地建設を強いる。この国を時代遅れのカーキ色に染める気らしい
▼46年前のきょう、本紙は「変わらぬ基地 続く苦悩/いま 祖国に帰る」という見出しを掲げた。紙面ににじむ怒りと悲しみを希望に塗り替えることが復帰後の県民の歩みだった。これからも絵筆を握ろう。たとえ困難な作業だとしても。

沖縄復帰46年 許されぬ再びの捨て石 - 朝日新聞(2018年5月15日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13493684.html
http://archive.today/2018.05.15-003307/https://www.asahi.com/articles/DA3S13493684.html

憲法が適用されない米軍統治下から沖縄が日本への復帰を果たして、きょうで46年になる。
だがこの地では、憲法の精神を踏みにじるような出来事が、日常的に起きている。
たとえば名護市辺野古。米軍普天間飛行場を移設するための埋め立て工事が急ピッチで進む。海を囲い込むように伸びる護岸は、新たに背負うことになる基地の重荷を、目に見える形で地元住民に突きつける。
工事は、埋め立て海域内にあるサンゴを移植したうえで行うという県との約束を破って、昨年4月に始まった。県は沖縄防衛局に対し、工事を中断して話し合うように、くり返し行政指導してきた。しかし防衛局は聞く耳を持たない。
また最近になって、工事区域の地盤が予想以上に軟弱だとわかり、そばに活断層が存在する恐れも浮上した。そうであれば大幅な設計変更が必要だが、政府から詳しい説明はない。
他の都道府県で大型の公共事業を進めるときも、同じ態度で臨むだろうか。
国が約束を無視し、地元と協議すること自体を拒む。それが2018年の沖縄における民主主義や地方自治の現実だ。「沖縄差別」という受けとめが、県民の間に広く、深く浸透する。
辺野古だけではない。この1年に限っても、オスプレイや軍用ヘリの事故、トラブルが県内で頻発した。
昨年12月に米軍ヘリの窓が校庭に落ちてきた普天間第二小学校では、今も米軍機が近づくたびに子どもたちは校庭から屋内に避難する。今月8日までに367回もあったという。
本土では考えられない話だ。平時に米軍に飛行ルートを守らせることすらできず、何が「沖縄の方々の気持ちに寄り添い、基地負担の軽減に全力を尽くします」(1月の安倍首相の施政方針演説)だろうか。
辺野古への基地移設反対を訴えてきた翁長雄志知事は、県内の首長選で支援する候補が相次いで敗れるなど苦境にある。11月に予定される知事選までに埋め立て工事を進めて既成事実を積み重ねれば、氏の求心力はさらに低下し、県民のあきらめムードを誘うことができる――。政府の最近の動きからは、そんな狙いが透けて見える。
太平洋戦争で本土防衛の「捨て石」となった記憶は、今も多くの県民の脳裏に残る。日本の安全を守るためとして、この島の人々にまたも大きな犠牲を強いることが正義にかなうのか。
5月15日。改めて沖縄の歴史と未来を考える日としたい。

沖縄きょう復帰の日 野中氏の思い胸に刻む - 東京新聞(2018年5月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018051502000152.html
https://megalodon.jp/2018-0515-0933-31/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018051502000152.html

沖縄に思いを寄せる政治家がまた一人この世を去りました。自民党幹事長や官房長官を務めた野中広務さん。その半生は沖縄の苦難の歴史と重なります。
今年一月二十六日、九十二歳で亡くなった野中さんが初めて沖縄の地を踏んだのはまだ三十代だった一九六二年。京都府園部町長としてパスポートを携えて米軍統治下の沖縄を訪れたのは、宜野湾市の「嘉数の丘」に、京都府出身の戦没者を慰霊する「京都の塔」を建てるためでした。
米軍普天間飛行場を望む高台は太平洋戦争末期の沖縄戦の激戦地。京都府出身の犠牲者二千五百四十五人のほとんどが、この高台で亡くなりました。

◆妹失った県民の叫び
那覇から嘉数の丘に向かう途中で、野中さんが生涯、胸に刻み続けた出来事に遭遇します。タクシーが宜野湾に差し掛かると、サトウキビ畑の中で急停車し、運転手が肩を震わせて叫んだのです。
「お客さん、あそこで、私の妹は殺されたんです。アメリカ軍にじゃないんです」
それは、野中さんも属した日本軍が、沖縄県民の殺害に関与していた衝撃の事実でした。
野中さんの生前の回想によると運転手は一時間ほど、ハンドルに泣き崩れたままだったそうです。
ようやく涙が収まったとき、野中さんはその運転手に「気の毒でしたね。ひどいことが行われたんですね」と声を掛けるしかなかった、といいます。
沖縄は日本国内最大の地上戦の戦場でした。当時六十万県民の四分の一が犠牲になり、親しい人を失った悲しみと、今もなお米軍基地の負担と重圧に苦しむ県民の苦悩が、野中さんを沖縄と深く結びつけることになります。
野中さんはその後、京都府府議や副知事を経て、五十七歳で衆院議員に当選します。

◆軍靴で踏みにじるな
国会議員としては遅咲きですが「政界の狙撃手」と呼ばれる辣腕(らつわん)ぶりで、田中派から橋本派へと続く当時の自民党最大派閥の中で実力政治家として頭角を現します。
初めて閣僚に起用された村山富市内閣の自治相として阪神大震災オウム真理教事件に対応し、政治手腕をいかんなく発揮します。
しかし、沖縄のことが頭から離れることはありませんでした。
九七年のことです。野中さんは楚辺通信所(読谷村)の使用期限切れを契機に、期限後も米軍用地の暫定使用を可能にするための改正米軍用地特別措置法案を審議する衆院の特別委員長でした。
委員長は委員会での審議結果と経過を本会議で報告します。通常は用意された文書を読み上げるだけですが、野中さんは壇上で突然脳裏に蘇(よみがえ)ったタクシー運転手の叫びを紹介し、こう続けたのです。
「この法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじるような結果にならないようにしてほしい。そして、多くの賛成で可決されようとしているが、『大政翼賛会』のような形にならないように若い方々にお願いしたい」
この発言は特措法改正のために当時第一党と第二党だった自民、新進両党が手を結んだことを、大政翼賛会にたとえてけん制したものでした。批判勢力を排除し、沖縄に安全保障の負担を押し付ける政治の在り方が、戦前・戦中と重なったのでしょう。
沖縄県はきょう本土復帰から四十六年を迎えました。苛烈な米軍統治は終わりましたが県内には在日米軍専用施設の約70%が残ります。米軍による訓練や運用中の事故や騒音、米兵らの事故や事件も後を絶たず、県民は重い基地負担を強いられています。
危険な普天間飛行場返還のためとはいえ、名護市辺野古という同じ県内への移設では県民の基地負担は抜本的には軽減されません。
米兵らの特権的な法的地位を定めた日米地位協定の存在は、日本国憲法が沖縄では厳格適用されていない、との疑念も生みます。
沖縄では今もなお「戦争」は身近な存在としてあるのです。

◆遺骨の一部を沖縄に
野中さんは生前、本紙の取材に「沖縄を忘れることは第二次世界大戦を忘れることだ。戦争の恐ろしさを忘れないためにも、沖縄のことを絶対に忘れてはいけない」と語っています。
自分の子どもたちには「私が死んだら、遺骨の一部を嘉数の丘の慰霊塔に納めてほしい」と託しました。ゆかりの人たちが沖縄を忘れないために、だそうです。
時を経るにつれ、戦争体験世代は政界を去り、沖縄に思いを寄せる政治家も少なくなりました。自衛隊の増強が続き、安倍晋三首相自らが平和憲法の九条改憲論を提唱する時代です。
「いつか来た道」を再び歩まないためにも、野中さんの思いを私たちも胸に刻まねばなりません。

(筆洗)ここまで世間を騒がせても支持率増とは - 東京新聞(2018年5月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018051502000115.html
https://megalodon.jp/2018-0515-0934-43/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018051502000115.html

「犬が西向きゃ尾は東」「北に近けりゃ南に遠い」−。いずれも言うまでもないこと、あたりまえであることをたとえる古い言い回しである。
分かりきったことを臆面もなく主張する者への当て付けの言葉。まだまだある。「ニワトリは裸足(はだし)」「親父(おやじ)は俺より年が上」「雨の降る日は天気が悪い」…
シッポの大きく曲がった犬や足下駄(あしげた)をはいたニワトリが浮かぶ。何かといえば、内閣支持率である。
安倍政権の支持率は先月の調査から1・9ポイント増の38・9%。不支持(50・3%)が上回っているが、加計学園獣医学部新設問題などで厳しく批判されながら、下がるどころか上昇している。
一連の問題を世間が許しているわけではないことは同じ調査結果を見れば分かる。加計学園をめぐる元首相秘書官の国会答弁に対し、「納得できない」の回答は75・5%。獣医学部新設を認可した政府のやり方を不適切だったと考える人も約七割である。この問題だけで支持率が左右されるわけではないのは承知しているが、ここまで世間を騒がせても支持率増とは「雨の降る日も天気は良い」か。
景気は悪くない。世間には疑わしきことや不届きな言動に目をつぶってでも安倍政権を支持したい空気があることは理解するとしても、「政治家が怪しげなことをすれば、支持を失う」のあたりまえの判断がしにくい日本の政治の現状は寂しい。

(私説・論説室から)板門店で握手する人たち - 東京新聞(2018年5月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018051402000144.html
http://web.archive.org/web/20180514044656/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018051402000144.html

南北首脳会談が行われた板門店に、観光客が殺到しているという。といっても、警備が厳しい本物ではない。二〇〇〇年に公開された韓国映画「JSA」を撮影する時、ソウル郊外に作られたそっくりのセットだ。
ここで、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領、北朝鮮金正恩(キムジョンウン)・朝鮮労働党委員長がやったように、南北を分ける軍事境界線を挟んで握手をし、写真を撮るのだという。
南北の急速な和解ムードを警戒する声は強い。そもそも北朝鮮が核を放棄するはずがない。正恩氏は、韓国から経済支援を引き出すために芝居を打っているという人もいる。
確かに、交渉は相当な時間と労力がかかるだろう。しかし、たとえ長い対話であっても、戦争よりはましだ。
平和を求める気持ちは、映画のセットで、握手を追体験する一般の市民が高め、実現させていくものかもしれない。
核兵器が消えて朝鮮戦争が終わり、緊張が解ければ、今度は本物の板門店で人びとが普通に握手し、行き来することになる。
幅四キロの非武装地帯は、野生動物がすむ広大な自然公園となり、北朝鮮の海や山は、開発がほとんどされていない、世界でも珍しい観光地になるだろう。
六月十二日には米朝首脳会談も行われる。うたぐるだけでなく、未来を心に描きつつ、交渉の行方を見守りたい。 (五味洋治)

(東京エンタメ堂書店)<江上剛のこの本良かった!>政治家・官僚は直視を 国家が国民を苦しめた歴史 - 東京新聞(2018年5月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/entamedo/list/CK2018051402000167.html
https://megalodon.jp/2018-0515-0939-01/www.tokyo-np.co.jp/article/book/entamedo/list/CK2018051402000167.html

財務次官のセクハラ疑惑は論外だが、森友学園への国有地売却に関する財務官僚の文書改ざんが大きな問題になり、政権を揺るがしている。これらは政治家や官僚の傲慢(ごうまん)さの表れではないか。過去にも政治家や官僚が問題に真摯(しんし)に向き合わず、人々を苦しめ続けた事実がある。

◆被害民 踏みにじり
<1>城山三郎著『辛酸 田中正造足尾鉱毒事件』(角川文庫、四七五円)

田中正造は明治二十四年十二月の帝国議会で「足尾銅山鉱毒事件」について初めて質問。しかし被害民の救済などは進展せず、議員を辞し、明治三十四年十二月、天皇に直訴する。本書の第一部は、正造の運動が挫折しつつあった頃の話である。正造は、鉱毒反対運動の急先鋒(きゅうせんぽう)である谷中村を守る戦いに明け暮れていた。国家は村を買収して遊水池にしようとし、十九戸の家族は村を残すべく政府に徹底抗戦していた。
しかし大正二年九月四日、正造は頭陀袋(ずだぶくろ)に鼻紙、新約聖書、小石だけを残して亡くなる。集まった人々は「よしよし、正造がきっと敵討ちをしてやるぞ」という言葉を懐かしく思い出す。第二部は、正造の支援者宗三郎が主人公。正造の遺志を受け継ぎ、村の強制収用に徹底して戦う。
第一部、第二部とも「強制破壊にあった谷中堤内十六戸の残留民が国家に対して何の害をなしたというのだろう。かつて一反あたり八俵もとれた富裕な村をここまで追い込んだのは、足尾銅山とその銅山資本家の言うがままになっていた国家の方ではないか」という正造(実は著者)の、人々を踏みにじる国家権力に対する怒りで貫かれている。

辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫)

辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫)


◆侮蔑と破壊の体質
<2>石牟礼(いしむれ)道子著『苦海浄土(くがいじょうど)−わが水俣病』(講談社文庫、七四五円)

第三章「ゆき女(じょ)きき書(がき)」で自身の病を語るゆきは、漁師の夫に嫁いで三年もたたずに水俣病に侵される。それまでは夫を助ける働き者だった。ゆきは「あをさの汁をふうふういうて、舌をやくごとすすらんことには春はこん」と言うが、痙攣(けいれん)して一人で食事もできない今、汁を吸うことはできない。病気になって夫に離婚され「ここは、奈落の底でござすばい、墜(お)ちてきてみろ、みんな。墜ちてきるみゃ」と怨念の言葉を吐く。
水俣市チッソの町。水俣病を問題にすれば工場が潰(つぶ)れ、市は消滅する。著者は「水俣病イタイイタイ病も、谷中村滅亡後の七十年を深い潜在期間として現れるのである。新潟水俣病も含めて、これら産業公害が辺境の村落を頂点として発生したことは、わが資本主義近代産業が、体質的に下層階級侮蔑と共同体破壊を深化させてきたことをさし示す」と書き、そのことが集約された水俣病の直視を訴える。この問題提起は今も生きている。


◆文書改ざん「予言」
<3>黒川清著『規制の虜(とりこ) グループシンクが日本を滅ぼす』(講談社、一八三六円)

著者は、東京電力福島第一原発事故の原因調査のため国政調査権に基づき国会に設置された、民間人から成る憲政史上初の調査委員会(国会事故調)の委員長を務めた。
彼は冒頭から怒りをぶつける。「志が低く、責任感がない。自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事(ひとごと)のようなことばかり言う。普段は威張っているのに、困難に遭うと我が身かわいさからすぐ逃げる。これが日本の中枢にいる『リーダーたち』だ」。調査報告を実現するまでの並々ならぬ苦労と、何よりも「国会事故調などまるで『存在しなかった』かのよう」に原発を推進する現政府への深い失望からだ。
著者は調査の過程で、国民の安全のための規制当局(原子力安全・保安院)が事業者(東電)の利益のために機能する逆転現象が起きていると気付き、これこそ日本社会の問題で「規制の虜」であると指摘する。規制機関が規制される側の勢力に取り込まれ、支配されてしまう状況を指す経済用語だ。森友学園問題なども「規制の虜」になった結果ではないだろうか。
また日本を滅ぼす「グループシンク」(集団浅慮)とは、日本の組織、特に同質性の高い人が集まる大企業や役所などで起きやすい「異論をなるべく排除しようとする関係者の独善的なマインドセット(思い込み)」に基づく意思決定パターンだ。ここに陥ると「時としてとんでもない大間違いをしてしまう」と著者はいうが、財務省の公文書改ざん事件を予言したように読めないか。
日本は国家の無作為、もっと強く言えば国民無視の事件が多い。そしてその歴史に政治家も官僚も学ぼうとしない。これでは国民の絶望は深くなるばかりである。謙虚に歴史に学ぶ姿勢になってもらいたい。

規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす

規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす



(えがみ・ごう=作家)

*二カ月に一回掲載。

(大弦小弦)規律違反は「軽微」。よって、懲戒処分ではなく… - 沖縄タイムズ(2018年5月14日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/251152
http://web.archive.org/web/20180514043652/http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/251152

規律違反は「軽微」。よって、懲戒処分ではなく内規による訓戒。これが、幹部自衛官が国会議員を罵倒するという前代未聞の行為に対する防衛省の処分だった

自衛隊の中枢、統合幕僚監部の3等空佐が4月、路上で小西洋之参院議員を見かけ、暴言を吐いた。「国益を損なう」「ばかなのか」。内部調査に対して、小西氏が安保法制に反対したことを理由に挙げている

▼軍隊の暴走を防ぐため、非軍人が上に立つ仕組みがシビリアンコントロール文民統制)。その一環で国民の代表として自衛隊の活動に歯止めを掛ける国会議員を、自衛官が攻撃した。本質はクーデターである

▼ところが、防衛省は「文民統制は揺らいでいない」と主張する。3佐を直接調査した担当者の一人は「自衛隊対国会ではなく、一対一の偶発的なできごと。本人もまじめな性格で猛省している」と言う

▼戦前の例を持ち出すまでもなく、自衛隊が組織として国会を攻撃するようになってからではもちろん手遅れだ。個人の資質の問題でもない。この危険な先例に厳正に対処することが組織の統制を守る唯一の道だった

▼責任者の小野寺五典防衛相は当初「国民の一人であり、当然思うことはある」と、内心の問題にすり替えて擁護した。これなら、自衛官の暴言は続くだろう。その先には、何があるだろう。(阿部岳)