88歳女子高生 いま学ぶ喜び 戦争や生活苦…小学5年から学校通えず - 東京新聞(2018年5月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018051202000245.html
http://web.archive.org/web/20180512120524/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018051202000245.html

少女だった昭和初期、家庭の事情や戦争の混乱で学校に通うことができなかった八十代の女性が、夜間中学と夜間の定時制高校で学び直している。夫の三回忌を終えた四年前、「人生でやり残したことを」と思い立った。学ぶ喜びをかみしめ、十代の生徒たちに交じって青春を謳歌(おうか)している。 (川田篤志
四月下旬、都立足立高校の定時制。午後五時四十五分から始まった化学の授業で、大森みどりさん(88)=同区=が背中を丸め、一生懸命に黒板を書き写していた。
「覚えるのは苦手だけど努力家です」と話すのは、一年生時の担任阿久井正己教諭(59)。同級生も一目置き、担任の名前は呼び捨てにしても、七十歳近く年長の大先輩には「さん付け」になる。
生徒約二百四十人のうち五十歳以上は六人で、大森さんは最高齢だ。得意科目の地理や国語を同級生にアドバイスする代わりに、スマートフォンの操作を教わる。苦手科目は数学で「青春にはこんな伏兵がいたのか」と苦笑いする。
世界恐慌が起きた一九二九年に生まれた。三歳の時、子どものいない親族の養子に。尋常小学校五年の夏、養父から「女に学問はいらない」と子守を命じられ、学校通いを禁止された。
「悔しさのあまり舌をかんで死のうとしたけど、痛くて諦めちゃった」。家計は苦しく、その後も学校に通えなかった。四五年二月に空襲で南千住の実家が焼失。数日後に養父が病死し、失意のどん底終戦を迎えた。十五歳だった。
「無一文で、食料難の殺気だった世の荒波に放り出された。何の希望もなかった」と振り返る。
戦後は国鉄の電話交換手として働き、結婚して三人の子宝に恵まれた。六年前に夫が亡くなり、三回忌を終えた二〇一四年、「失った学校生活を取り戻したい」と決心。地元の夜間中学に入学した。数学では分数を丁寧に教わり、学ぶ楽しさも知った。
同高の定時制課程は四年制で、三年後に卒業できる。目標は、墨田区の自主勉強会「えんぴつの会」の先生役になることだ。戦争の混乱などで学校に行けなかった高齢者や在日外国人らの学びの場で、教員OBらが週二回支援している。大森さんは「学んだことを生かしたい。同じ境遇の人の励みになれたら」と意気込んでいる。

◆義務教育未修了 百数十万人か
戦後の混乱や貧困が顕著だった一九四〇〜五〇年代、義務教育が未修了だった人は、全国夜間中学校研究会などの調査で累計百数十万人とみられる。大森さんのように中学から学び直すケースもあり、全国で夜間中学に通う六十歳以上は、昨年七月時点で約四百五十人いる。
夜間学級を併設する「夜間中学校」は四七年、昼間に仕事をする子どものため、大阪市などで誕生した。東京都内では五一年に初めて開設された。
昨年七月時点で八都府県に三十一校あり、生徒数は約千七百人。八十校以上あった五〇年代からみると、半数以下に減った。
二〇一六年に教育機会確保法が成立し、夜間中学での就学機会の提供が地方公共団体に義務付けられた。文部科学省は「全都道府県に少なくとも一校」の目標を掲げ、新設を促している。
一方、都教育委員会によると、夜間定時制の都立高校に通う五十歳以上の生徒は、昨年五月時点で五十一人いる。

週のはじめに考える 「働き方改革」は必要? - 東京新聞(2018年5月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018051302000168.html
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働き方改革の法案審議が本格化しています。日本人の働き方に問題は多々ありますが、そもそも政府が画一的にルールを決めるべきなのでしょうか。
花粉やウイルス対策用のマスクなのに一枚六百五十円−。びっくりするほどの高価格ですが、三年前の発売以来、花粉の飛散時期を中心に注文が引きも切らない。
その秘密は、抗菌や消臭に有効なナノ銀イオンが独自開発の染色技術でたっぷりと生地に定着させてあるから。繰り返し洗濯しても効果は続き、長持ちするのでお値打ちでもあるのです。

◆仕事が好きになる環境
繊維産業が盛んな福井県の「ウエマツ」という染色メーカーが手がけました。従業員四十五人の小さな会社ですが、全国コンテストで最高賞をとるなど染色加工技術に実績があります。
高い技術力で右肩上がりの経営を続ける秘訣(ひけつ)を尋ねると、上松信行社長(69)からこんな答えが返ってきました。
「タイムカードもなければ残業もありません。心がけているのは社員が仕事を好きになる環境づくりだけ」
同社には染め、仕上げ、検査、出荷、試験、開発、事務の部署があり、社員に各部署を経験させてみて、自分に向いていると思う仕事に就かせている。
職場環境の改善要望もアンケートで聞く。仕事場は乾燥作業などで室温が五〇度にもなる。その『暑さ』を何とかしてほしいとの声が強かった。一千万円以上かけて地下二百メートルの井戸を掘り、スプリンクラーで屋根に散水することで室温を五度以上も下げた。「もっと下げる」と意気軒高です。
上松社長の言葉で驚かされたのは「経営者の仕事は人件費を増やすこと」。多くの経営者は乾いたタオルをさらに絞るように「経費節減」「人件費削減」と叫んでいます。それに抗(あらが)うように社員のための投資を惜しまず、付加価値の高い製品づくりを目指している。
育児休暇や手当などの支援も手厚く、そうした配慮を意気に感じた社員は、他社がまねできないような多品種・スピード処理といった高い生産性で応えています。

◆社員を幸福にする役職
経営者が働きやすい環境に努めれば生産性が向上する−それは何も理想論ではありません。米国の心理学者三人の共同研究(「幸福は成功を導くか、二〇〇五年」)はその答えを証明しました。
「幸福度の高い従業員は、そうでない従業員に比べて生産性は30%、営業成績は37%、創造性にいたっては三倍も高い」−。
「幸せ」を感じながら行動すると、脳内の神経伝達物質ドーパミンが多く分泌され、やる気や学習能力が高まるからだそうです。
欧米では、社員が幸福に働けるよう専門的に取り組む役職を設ける企業が増えています。CHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)という役職で、かのグーグル社が先駆けとなるや米西海岸のIT企業などに広まりました。
オフィスで瞑想(めいそう)の時間を採り入れたり、女性のCHOが一人ひとりの座席を回ってはコミュニケーションを深める。こうした社員の幸福度と会社の発展が車の両輪のように回るのを目指している。
働き方改革」に目を転じてみると、どうでしょうか。政府は成長戦略に位置付けて生産性を高めよう、女性も高齢者も一億総活躍で働こうとルールを押し付けます。財界、つまり働かせる側の論理が優先されていて、働く人の幸せなど置き去りです。
時間外労働に法定上限を設けるのが画期的だと喧伝(けんでん)するが、繁忙月は百時間未満まで認めるなど、ワークライフバランスはおろか過労死防止も怪しい。
焦点の高度プロフェッショナル制度高プロ)は残業代も深夜や休日の割増賃金もなく、働く人を保護する労働法制が適用されない、極めて危うい制度です。
制度に適した働き手が少なからずいるとしても、いずれそれが普通の人まで拡大されるおそれが強いのも、また事実でしょう。

◆モデルの米国は縮小へ
高プロのモデルである米国のホワイトカラー・エグゼンプション(WE)を現地調査してきた三浦直子弁護士は、こう語ります。
「残業代を支払わなくてよいなら、使用者側は間違いなく長時間働かせる。そして本来適用されない人にまで拡大していく」
米国ではWEが低賃金労働者にまで著しく拡大、長時間労働健康被害の蔓延(まんえん)により規制強化に動いています。日本は明らかに逆の方向へ進もうとしているのです。
働き方とは、企業の労使が自発的に決めるべき慣習。本来、政府が制度や法改正して上から決めるのは不自然でしょう。この「働き方改革」が本当に働く人のためなのか、よく見つめるべきです。 

強制不妊手術の調査 歴史的経緯の検証も必要 - 毎日新聞(2018年5月13日)

https://mainichi.jp/articles/20180513/ddm/005/070/003000c
http://archive.today/2018.05.13-021342/https://mainichi.jp/articles/20180513/ddm/005/070/003000c

優生保護法の下で障害者らに強制不妊手術が行われた問題で、厚生労働省は救済に向けた実態調査を始めた。全国の都道府県・市区町村に調査書を配布し、手術を受けた個人の特定を進める。
強制不妊手術を受けたのは1万6475人だが、資料が残っているのは2割程度にとどまる。自治体が「捨てた」としていた資料がその後発見された例もある。医療機関福祉施設に資料が残っている可能性もあり、徹底した調査が求められる。
戦前、優生思想に基づいて障害者の不妊手術を認める法律は各国にあったが、日本のように戦後になって強制不妊手術を徹底してきた国は他にない。どうして人権侵害の政策が進められたのか、過去の経緯についても実態を解明する必要がある。
「悪質な遺伝因子を国民素質の上に残さないようにするため」。議員立法による旧優生保護法案が1948年に国会に提出されたときの説明だ。反対意見はなく、全会一致で可決された。手術費や入院料、付添人の旅費も国が全額負担した。
その後、国会では手術件数が少ないことが度々批判された。それを受けて厚生省(当時)は手術を徹底するよう自治体に通知を出した。そのための予算も増やした。
52年には遺伝性ではない精神疾患も保護義務者の同意で強制手術を可能とする法改正が行われた。
当時は人口爆発への懸念から出生数を抑える政策が重視されていたとはいえ、これだけ執拗(しつよう)に障害者の不妊手術を国が推し進めたのは不可解だ。諸外国では優生思想への批判や反省から、障害者の権利擁護に関する議論が高まっていたのにである。
96年に優生保護法母体保護法に改定された。98年には国連が強制不妊手術の被害者に補償をするよう日本政府に勧告した。しかし、「当時は合法だった」というのが政府の見解で、今日に至るまで被害者の救済には背を向けてきた。
現在、超党派議員連盟がワーキングチームを設置、来年の通常国会に救済法案を出す準備をしている。
だが、それだけでは足りない。
独立性の高い第三者委員会を設置し、国会や政府の責任についても検証すべきである。形式的な調査と補償では真の被害救済にはならない。

大学奨学金の「出世払い」案 門戸広げる議論の加速を - 毎日新聞(2018年5月13日)

https://mainichi.jp/articles/20180513/ddm/005/070/002000c
http://archive.today/2018.05.13-021342/https://mainichi.jp/articles/20180513/ddm/005/070/003000c

大学進学の意欲はあるものの、家庭の経済状況が壁となってためらうケースは多い。幅広く若者を支援できる方策を、どう考えるか。
大学などの授業料を国が学生に代わって給付する制度の原案を、自民党教育再生実行本部がまとめた。
本人が就職後、所得に応じて国に返済する。所得がない場合は返さなくてもいいため、奨学金の「出世払い」方式と言われる。
子供が大学などへ進学する際、学費負担は家計に重くのしかかる。このため大学進学者の2人に1人が奨学金を利用している。
住民税非課税世帯を中心とする低所得の家庭への進学支援については、返済が不要な給付型奨学金が、昨年度から導入されている。
ただし、通常の奨学金は返済が原則だ。数百万円の返済額を抱え、支払いに苦しむケースもある。中間所得の家庭であっても、学費負担は重いというのが実態だろう。
自民党案はオーストラリアが導入している制度がモデルだ。学生らを対象に、国が入学金約28万円のほか、国公立大は約54万円、私立大は70万円か120万円を肩代わりする。
対象世帯の年収上限は、現在の利子付き奨学金支援の上限である1100万円程度とし、保証人は不要だ。所得はマイナンバーで把握し、課税所得に達しなければ、その期間は返済しなくてもよい。
「出世払い方式」は給付型に比べ、支援対象を広げやすい利点があるといえるだろう。だが、実際に制度を設け導入するのであれば、多くの課題もある。
まず、財源の調達だ。自民案は財政投融資の資金をあて込むが、年間9800億円が必要と試算する。長期間低金利の資金だが、金利次第では追加負担を要する。
保証人がいないため、返済できない場合に誰がどう、穴埋めするのか。これまでのタイプの奨学金と併存させるかも課題になるだろう。
定員割れするような大学への安易な救済策に陥る懸念もある。学費の見直しなど、支援拡充は大学教育改革と一体で行うべきだ。
意欲ある人材が進学できることは、最終的には社会の基盤強化にもつながる。自民案をきっかけに、環境を整備する議論を加速すべきだ。

<金口木舌>紙の力 - 琉球新報(2018年5月13日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-717726.html
http://archive.today/2018.05.13-021513/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-717726.html

携帯電話の電源が入った瞬間、女性は思わず「あっ」と声を上げた。画面では双子の赤ちゃんが笑っていた。母親は何度もハンカチで目頭を押さえた

KDDI沖縄セルラーが使えなくなった携帯の写真データを復活させ、印刷して渡すイベントを那覇市で開いた。企画したKDDIの西原由哲さんの印象に残ったのは、福岡県で音声データを戻したことだ
▼亡くなった母親の留守電が残る女性の携帯を4時間かけて復活させた。「保険の人から書類が来ています」。たわいもない内容だが、9年ぶりの声が記憶を呼び起こし、女性の涙は止まらなかった
▼1917年に沖縄を訪れた英国人アーネスト・H・ウィルソンは59枚の写真を残した。1枚に写る男性の身元が4月に判明し、話題を集めた。男性は沖縄戦で亡くなり戸籍も失われていた。生前の姿を知る人は写真で記憶をよみがえらせた
▼冒頭の女性の赤ちゃんは今3歳。0歳の頃の写真がなく、母親は携帯を駄目にしたことを悔やんでいたという。今はスマホで簡単に撮影や録音ができる。その一つ一つがかけがえのないものだ
▼思い出を残すためにほかの記録媒体に保存することも必要だ。新聞に関わっているからではないが、紙の力も信じたい。ウィルソンが100年前の記憶を写真でよみがえらせ、写真データが復活してそのプリントを手に笑顔が広がったように。

信じたい。ウィルソンが100年前の記憶を写真でよみがえらせ、写真データが復活してそのプリントを手に笑顔が広がったように。