「教科書が読めない」子どもたち 教育現場から見えた深刻な実情 - AERA dot.(2018年4月15日)

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子どもたちは想像以上に文章を理解できていない。「だが、解決策はあるはずだ」。教育の現場では、対策が始まっている。

*  *  *

「うちの子、算数の計算問題はできるけど、文章題はだめで」
この傾向は、おそらく多くの親が実感しているのではないだろうか。しかし、なぜ文章題ができないのか。それを明らかにしたのが、国立情報学研究所新井紀子教授が開発した、基礎的読解力判定のリーディングスキルテスト(RST)だ。
RSTは、生活体験や知識を動員して、文章の意味を理解する「推論」、文章と、図形やグラフを比べて一致しているかどうか認識する「イメージ同定」、国語辞典的、あるいは数学的な定義と具体例を認識する「具定例同定」など、読解力を6分野に分け、その能力を問うものだ。
このテストをいち早く取り入れたのが、戸田市(埼玉県)教育委員会だ。教育政策室指導主事の新井宏和さんは、その経緯を次のように語る。
全国学力・学習状況調査の活用問題が解けるような子どもたちにしたかった。幸いにも新井教授と戸田市の戸ケ崎勤教育長が知り合いで、教育長がRSTに高い関心を示し協力して取り組むことになりました」
テストは2015年から段階的に実施され、17年は市内の全中学生と、小学6年生全員の4500人が参加した。問題は、国立情報学研究所特任研究員の菅原真悟さんの指導のもと、市内の小中学校の教員が作成した。戸田第二小学校研究主任・狗飼英典(いぬかいひでのり)教諭は言う。
「夏休みや放課後を利用し、中学生の教科書などを参考にして作りました。教員にとっても初めての経験でしたから、どういう問いを立てたら答えにたどりつくのか、試行錯誤の連続でした」
テストの結果は、イメージ同定、推論、具体例同定の正答率が半分に達せず、想像以上に子どもたちが文章を理解できていないことがわかった。
「今まで教科書は読めて当たり前で、その前提で授業を進めていた。教科書が読めていないという事実は、衝撃的でしたね」(新井主事)
さらに担当者を混乱させたのが、その分析結果だった。学力テストとの相関関係を調べたところ、学力の高い児童・生徒がRSTの点数も高いわけではなく、関連を示すことができなかった。
「RSTが低いのに、なぜテストでは問題が解けているのか。問題のパターンを暗記して解いているのではないかと思われるのです。今の時点ではよくても、将来つまずくのではないか。小学校から読解力のスキルをつけていかなければ、と感じました」(同)
2年連続でテストに参加した戸田第二小学校も、意外な結果が出た。小高美惠子校長は言う。
「本校は学力調査では全国平均を上回っていたので、RSTも高い点数を出すと思っていたのですが、思った以上に低かった。特に推論とイメージ同定が弱かったですね」
同校も学力テストの結果とリンクせずに、なぜこのような成績が出たのか分析できないでいる。ただし現場に立つ教員として、感覚的に理解できる点もある、と狗飼教諭は言う。
「たとえば、コミュニケーション力が足りていない児童の推論の点数が低いなど、能力や性格的な面が、RSTの結果に表れているような印象を受けました」
子どもの読解力やコミュニケーション力に異変が起きている。その原因は何なのか。気になる調査結果がある。カギとなるのは、10年以降急速に普及し、内閣府の調査で今や青少年の約6割が使用しているスマートフォン。これが、言語機能やコミュニケーション機能をつかさどる脳の前頭前野に悪影響を与えている可能性があるというのだ。
調査を行ったのは、ニンテンドーDS用ソフト「脳トレ」シリーズの監修者としても知られる東北大学川島隆太教授だ。仙台市立小中学校の児童・生徒7万人を対象に追跡調査した結果、スマホの使用で明らかに学力が低下し、使用を中止するとまた学力が向上するということが分かった。
なかでも、LINEなどメッセージアプリの影響が大きく、17年度の調査では、LINEなどを全く使用していない生徒の4教科の平均偏差値が50.8なのに対し、使用時間の長さに応じて偏差値は下がっていき、1日4時間以上使用している生徒の偏差値は40.6。実に10以上の差がついてしまった。川島教授によると、学習時間は十分にあっても、友人とメッセージをしながら……といったマルチタスク化が進むことで集中力がそがれ、勉強の効率が落ちてしまったことが要因の一つと考えられるという。
さらに恐ろしいことに、スマホを長時間利用すると、読書をした時に活発に働く前頭前野に、安静にしている時よりもさらに働かなくなる「抑制現象」が起き、健常児でも言語機能の発達に遅れがでることがあるらしい。この抑制現象はテレビやゲームを長時間利用した時にも起こるという。
スマホはお酒と同じで、『利用時間を1時間以内に留める』など、自制心を持って利用すれば悪影響は出ないことも分かっています。ただ、それは大人でもかなり難しいことだと思います」(川島教授)
相手の気持ちを思いやった上で言葉を発したり、試行錯誤したり、新しいアイデアを発想したり……。前頭前野が担うのは、AIが苦手で、かつ人間が得意とする「思考」や「発想」だ。AI時代を生き抜くために最も必要とされる能力が、スマホやテレビ、ゲームといった、かつて人が生み出した機器によって衰えつつあるとしたら何とも皮肉だ。
とはいえ、悲観してばかりもいられない。教育現場も動きだしている。前出の狗飼教諭はRSTの結果を受けて、授業にも一工夫、加えるようになった。
「従来なら、この資料から読み取りなさいという問いを、複数の資料を見せて結果を先に提示し、なぜそうなったのか、道筋を考えさせるような授業を取り入れています」
今後は学校の教員全員で研修をしながら、読解力をつけるための授業のあり方を模索していきたいという。小高校長は言う。
「昔から読解力の重要性は認識され、読書や作文が推奨されてきましたが、そもそも読解力とは何かという視点で分析されたことはなかった。RSTで6分野の視点を得たことは、授業改善のきっかけになる。分かった以上、逃げられないですね」
本物の読解力や思考力を養うためには、家庭教育も重要だ。AIに詳しいメタデータ社長の野村直之さんは、膨大なデータを扱うのが得意な一方で発想の転換や真偽の解明が苦手なAIを扱える人材になるためには、「なぜ」を問える力を幼いころから養うべきだと指摘する。
「『なぜ宿題を忘れたの!?』などと『なぜ』を叱責に使う親が多いようですが、良くないと思います。むしろ、子どもの素朴な『なぜ』に答えてあげたほうがいい。そういう大人が身近にいれば、AIが決して太刀打ちできない、情操豊かで、今日のAIが苦手な論理を駆使できる人間に育つはずです」
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』などの著書がある東北福祉大学の西林克彦さんも、一歩進んだ読解の訓練が必要だと説く。西林さんによると、読解力は知識に偏る面もあり、興味があったり、新鮮に感じる内容の文章は注意深く読める一方、表面的に「分かったつもり」の文や興味のわかない文は読み飛ばしたり、誤読をしたりする傾向があるという。自らの思い込みを疑い、もっともらしく書かれている部分は特に注意するという読み方も必要だ。西林さんは言う。
「読解とは文章の意味を理解すればいいものではなく、書いてある内容を知り、世界に迫るための道具です。『感想主義』に偏りがちな小学校、指示語の抜き出しなど構造理解を問う中高の国語教育だけでは、本物の読解力は養われにくい。文章を読んで理解した上で、知識として再構築する訓練をする必要があります」

(編集部・市岡ひかり、小柳暁子/ライター・柿崎明子)

「道徳」をカタルのは誰か 文科省の授業報告要請問題(4) - 共同通信(2018年4月4日)

https://this.kiji.is/354090849653441633
http://archive.today/2018.04.04-030630/https://this.kiji.is/354090849653441633

文部科学省の初中局教育課程課の課長補佐が名古屋市教委に出した最初の質問状の「3」は、前川喜平さんが授業することの不適切さを直截(ちょくせつ)に指摘する。
「3、前川氏は、文部科学事務次官という教育行政の事務の最高責任者としての立場にいましたが、いわゆる国家公務員の天下り問題により辞職し、停職相当とされた経緯があります。また、報道などにより文部科学事務次官在任中にいわゆる出会い系バーの店を利用し、そこで知り合った女性と食事をしたり、時に金銭を供与したりしていたことなどが公になっています。こうした背景がある同氏について、道徳教育が行われる学校の場に、また教育課程に位置づけられた授業において、どのような判断で依頼されたのか具体的かつ詳細にご教示ください」

■誤記・重複・おかしな日本語

次の質問4では、授業の準備段階にまで踏み込む。

「4、一般的に、ある方の生き方に学ぶことをねらいとする場合、その方のそれぞれの生き方などを詳しく説明した上で授業に臨むことになると思われますが、今回の前川氏の授業に当たって、同氏の「2」に掲げたような経緯について、生徒に予め(あるいは事後に)説明した上で授業に臨んだのでしょうか。その場合、具体的にはどの程度の経緯を説明されたのでしょうか、具体的かつ詳細にご教示ください」
質問4の文中の「2」は「3」の誤記と思われる(「2」は授業の目的を聞いている)。ここで誤記が起きたのは、おそらく後で質問2を挿入したか、あるいは質問1を分割して「1」「2」とし、箇条書きのナンバリングを振り直したためと思われるが、そうだとすれば、再構成後の校閲がずさんだ。質問4を文字通りに読めば、趣旨不明となる。また、質問4の最後の一文は「その場合、具体的には…説明されたのでしょうか、具体的かつ詳細に」とあって「具体的」が重複している。質問者の作文力と決裁者の注意力が疑われる事態が出来(しゅったい)している。
質問4は「ある方の生き方に学ぶことをねらいとする場合、その方のそれぞれの生き方などを詳しく説明した上で授業に臨む」という授業観を示す。ここにも「その方のそれぞれの生き方」というおかしな日本語が登場するが、目をつぶろう。事前にどんな情報を与えて授業に臨むか、実際には多様なやり方があり得る。「詳しく説明した上で」という一般化はあり得ず、現場のダイナミズムを知らない陳腐な授業観と言うしかない。
このシリーズの1回目で書いたように質問状は全体として不遜な印象を与える。また、2回目・3回目で言及したように「謝金」や「動員」など質問者の個人的な興味・関心に基づく質問があって、法に違背する疑いが強い。そして、今回ここまで見てきたように、基本的な表現力にも疑問符が付く。全体としてぬるく、脇が甘い。これは本当に官僚が書いた文書だろうか。この疑問は質問を熟読していくと、さらに深まる。

規範意識が最重要なのか■

本論に戻る。質問「3」を要約すれば、天下り問題で処分され、出会い系バー通いまでしていた人物に話をさせたのはなぜか、ということになる。質問の体裁をとっているが、そんな人物に授業を依頼したのはけしからんという趣旨だ。とりわけ、道徳を講じる学校において。
前川さんの授業は道徳でなく、総合学習として行われた。最初の質問への市教委回答でもそれは明記されたが、質問者は追加質問状でも「天下り」と「バー」を蒸し返し「道徳教育を行う学校において授業を行ったことについて、改めて校長の見解を具体的にご教示ください」と執念深い。
ここで質問者の道徳教育に関する理解が焦点になる。文科省ホームページで「道徳教育」の項をみると、こう説明されている。「児童生徒が、生命を大切にする心や他人を思いやる心、善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付けることは、とても重要です」
ここに列挙された道徳性のうち、質問者は「規範意識」を重視しているようだ。追加質問状では、天下り問題で「自らの非違行為を理由として停職相当とされ」たと断じ、出会い系バーについても一部報道を引く形で「教育行政のトップとして不適切」「疑われるような行動は取るべきではない」と、内実に立ち入ることなく非難している。
道徳は今春から小学校で、来春には中学校でも教科化される。目標として文科省自身は「考え、議論する道徳」を掲げる。複雑な現代社会を生きるためには、規範や価値をそれとして学ぶだけでは足りない。自分の頭で考え、決定する力を育てなければならない。そう捉えているのだ。
例えば、誰かを思いやる行為が公共の利益を損なう場合がある。その場合、どちらを優先するのか。「誰か」に「権力者やその配偶者」を代入し、「思いやる行為」を「忖度」と言い換えれば、問いの深刻さは明らかだろう。この問いへの答え次第では、統治機構が揺らぎ、自殺者まで出るということを、私たちはいま現実から学んでいる。

■本当の書き手は誰か■

NPO法人マザーハウス」の理事長、 五十嵐弘志さんは3度服役し、拘禁生活が20年に及んだ。3度目のとき、キリスト教に帰依して更生を誓った。出所後は受刑者や出所者との交流・支援を続けている。質問者の規範意識に従えば、彼を授業に招いてはならない。規範を逸脱したことのない人物だけが、人に道を説く資格がある。だが、五十嵐さんの更生の歩みこそが絶好の教材であると、私は思う。
そして、道徳にせよ総合学習にせよ、前川さんの官僚としての仕事やその中での悩み・迷い、退任後の正義を取り戻そうとする行動にも、学ぶべき多くのことが含まれている。人選の適切さを疑う質問に対し、校長はきっぱり答えている。「私が直にお会いしてお聞きしたお話や私が感じた前川さんの人となりから判断した」
こうして見ると、質問の名義人が「教育課程課課長補佐」であることに大きな違和感を抱く。教育課程課は学校の教育内容の基準を示す学習指導要領を所管し、道徳の教科化に当たっても中心的な役割を果たした。道徳教育を最も深く理解するはずの官僚が、このような底の浅い道徳観に基づく質問状を、本当に書いたのだろうか。(47NEWS編集部、共同通信編集委員・佐々木央)=続く

補助線を引いて見える恐ろしい光景 文科省の授業報告要請問題(5)- 共同通信 2018年4月13日

https://this.kiji.is/357344795649246305
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教育基本法の改正がまさかこんな場面で効いてくるとは思わなかった。不明を恥じるしかない。そのことをざんげするために、少し時をさかのぼりたい。
教育基本法は2006年に改正されたが、改正が現実味を帯びてきたのは2000年前後だった。これに対しては、戦前のような国家主義的な教育への回帰をもくろむ動きとして、警戒する声が強かった。当時、文科省詰めの記者だった私は、省内を回ってどう考えればいいのか取材していた。
ある課長は楽観的だった。「『基本法』と呼ばれる他の法律と違って、教育基本法は個別の教育関係法令と切れている。だから変えてもあまり意味を持たないよ。それに時代に合わなくなっているところも確かにある」
その課長は非常に有能とされ、後に事務次官になった。なかなか本音は漏らさなかったが、法解釈や実務のありようを明快に解説してくれるので、私はその点で彼を信頼していた。だから改正してもさして影響はないという話に、少なからず安心した。

■意図的に切られたリンク■

その課長に取材した後で、前川喜平さんの席にも顔を出した。「教育基本法のことで」と問いかけると、開口一番、彼はこう言った。「僕は教育基本法が今の形であって良かったと思いますよ。なかったら今ごろどうなっていたか」。改正には明確に反対のようだった。
私は聞きかじりの知識をぶつけた。「でも学校教育法などとはリンクしてませんよね。変わろうが変わるまいが、あまり影響はないんじゃないですか」。前川さんは首を振った。
教育基本法がなくてその場所が空白だったら、そこには容易に復古調の、古い共同体や国家を中心に置いた『何か』が座っていたに違いないですよ。今の基本法が先にそこを占めていたから、『何か』に取って代わられずに済んだ。その場所に、例えば国家教育法といったものが座っていたら、他の法令だって全然違っていたはずです。日本の教育は今のような形ではなかったかもしれない」
そう言われて調べると、教育基本法はもともと他の教育法令と切れていたわけではなかった。例えば、このシリーズの3回目で言及した「地方教育行政の組織および運営に関する法律」(地教行法)は、1956年に教育委員会法を改正したという形式をとっている。今はなき教育委員会法1条は次のように宣言する。
「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする」
この条文の前段で掲げる「自覚」の内容は、旧教育基本法10条1項の文言をほぼそのまま引用している。つまり、かつての教育委員会法とそれによって組織された行政システムは、教育基本法の理想を実現するために存在した。だが、1956年の地教行法は第1条を無味乾燥な自己規定の文章に置き換えた。教育基本法とのリンクを意図的に切ったのだ。

■「不当な支配」残ったが…■

教育基本法は2006年に改正されたが、10条の「不当な支配に服することなく」という文言は16条に移って生き延びた。今回の文科省の介入に対しては、この「不当な支配」に当たるということが、中心的な論点となっている。
そこで改正前の10条1項と改正後の16条1項を比べてみたい。

【旧10条1項】教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

【新16条1項】教育は、不当な支配に服することなく、この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担および相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

「国民全体に対し直接に責任を負って…」が「法律の定めるところにより…」と変わっている。それは何を意味するのか。
旧法の「国民全体に直接に責任を負って」とは、現場の教師や学校、教育委員会が子どもや保護者、地域の人たちに直接責任を持つという意味だろう。議会や首長に対して、あるいは文科省や首相・文科大臣に対して責任を負う(つまりは命令に従う)ことによって、間接的に国民に責任を負うのでない。
逆に言えば、こうした権力を持つ人間や組織が教育内容について不当に口を出してはならないし、それをすれば前段の「不当な支配」に当たるということになる(その意味では国による一斉学力テストや教科書検定、日の丸・君が代の強制なども問題になる)。
しかし、新法16条1項は「法律の定めるところにより…」とした。法律が認めていることなら介入も支配も合法と読める。文科省が今回の名古屋市長委への質問状について「地教行法に基づく調査であり適法」という強気の姿勢を堅持している根拠はここにあった。教育基本法の改正を軽視した私は、実に浅はかであった。

■撤回し謝罪しなくてならない■

補助線を一本引けば、本質がくっきりと見えてくることがある。文科省の言うように、この行為が適法であるなら、彼らはいつでも、全国津々浦々の、あらゆる授業について、同様の調査をすることが可能になる。
「その教師や招かれた大人に教える資格はあるのか」「前科前歴・背景は調べたのか」「何を教えたのか(録音を提出しなさい)」と。
学校は子どもや教師、大人たちが自らを自由に表現して交流し、学んだり、遊んだりする場だ。その中で何かをつかみ、育っていく。そこに権力を持って監視し、自分たちが「善」と信じることを押しつけ、実践させようとする人が入り込んでくる。恐ろしい光景だと私は思う。
今回の文科省の行為が適法であるはずがない。法文に戻ろう。基本法16条1項後段は「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担および相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」と述べる。
文科省の調査は「適切な役割分担」「相互の協力」「公正かつ適正」という要件全てに違背する。これを適法とし、前例とすることを許してはならない。
文科省は直ちに調査の違法性を認め、再度の質問状を撤回し、「国民全体に直接に」謝罪しなければならない。(47NEWS編集部、共同通信編集委員・佐々木央)=終わり

加計、森友…「平気でウソ」 怒る市民が国会前占拠 - 東京新聞(2018年4月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201804/CK2018041502000124.html
https://megalodon.jp/2018-0415-0956-01/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201804/CK2018041502000124.html

加計(かけ)学園に森友学園自衛隊イラク派遣部隊の日報隠蔽(いんぺい)。相次ぐ問題に不満を募らせた人々が国会正門前を埋め尽くした。「国民をなめるな」「もううんざりだ」。大規模デモの参加者は十四日、安倍内閣の総辞職を求めて怒りの声を上げた。 (神野光伸、内田淳二)
森友学園を巡る財務省の文書改ざんが発覚する直前には、国の裁量労働制のデータでも誤りが見つかっていた。根は同じ。国民をだましている」。東京都町田市の大学生條大樹さん(19)は、不満をぶちまけた。
国会前の歩道は、デモが始まる午後二時前から、大勢の人が集まり、すれ違うのも難しいほど。千葉市の大学四年高橋郁臣さん(21)は「政府が政府として機能せず、権力が暴走している。権力は上が腐ると下も腐る」と訴えた。
都内の会社員小磯友香さん(27)も「平気でウソをついたり、ごまかしたりしている」と憤った。掲げたのは「Don’t tell lies(うそをつくな)」と書かれた紙。「以前、安保法制に反対するデモのときに使ったもの。残念ながら状況は、それからずっと変わっていない」
午後三時半ごろには、主催者側の「国会前へ」との声に促され、柵で隔てられていた車道にまで人があふれた。
神奈川県鎌倉市のアルバイト桜井俊也さん(62)は「平然と国民にうそをつく安倍政権にいいかげんにしろと言いたい。政権交代し、新しい政治をつくり直す必要がある」と求めた。静岡市葵区の無職梶山さよ子さん(68)は「安倍政権の下で、何が真実か分からない状況になっている。国民を愚弄(ぐろう)している」と話した。

東京新聞チャンネル(2018/04/14 に公開)
森友改ざんや、加計問題、イラク日報の隠ぺいなど次々噴出する疑惑、隠ぺいに怒る市民ら3万人(主催者発表)が国会前で抗議の声を上げました。3月に森友改ざん問題が明らかになって以来、最大の規模です。

「安倍退陣」5万人/怒りの声 国会包む/全国20カ所以上で行動 - しんぶん赤旗(2018年4月15日)

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-04-15/2018041501_01_1.html
http://archive.today/2018.04.15-004945/https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-04-15/2018041501_01_1.html


森友・加計疑惑の真相究明、内閣総辞職を求める行動が14日、全国20カ所以上で行われ、安倍内閣に対する国民の怒りが列島を包みました。国会正門前の抗議行動にはのべ5万人(主催者発表)が参加。国会前の車道まで参加者で埋め尽くされ、「安倍はやめろ」「総辞職、総辞職」の大コールがわき起こりました。
安倍内閣は今すぐ退陣!」―午後3時35分、ふくれあがった参加者で国会正門前の車道にも人々があふれました。これは、2015年夏の安保法制反対の大行動以来のことです。マイクを持った抗議スタッフらを中心に何カ所も人だかりができ、地鳴りのようなコールが響きわたりました。ベビーカーを押した人や若者、大きなスーツケースなどを手に各地から参加した人の姿が目立ちました。
東京都内の大学3年生の女性は、友人を誘って参加。「今の社会に対して自分が思うことを表明したいと考えてきました。政府に都合のいい人たちのためだけの政治ではなく、一人ひとりが大切にさせる政治をしてほしい」
国会前の抗議行動は、「総がかり行動実行委員会」「未来のための公共」「Stand For Truth」の3団体が主催。
代表してあいさつした総がかり行動実行委共同代表の福山真劫(しんごう)さんは、安倍政権によって憲法破壊と政治の私物化が進んでいると指摘。「これ以上、安倍政権を延命させたら、日本の平和と民主主義、誇りは地に落ちてしまう。今度こそ市民と野党の共闘で退陣させよう」と呼びかけると、「そうだ」の声と拍手が起こりました。
京都市から夜行バスで参加した男性は、「今の政治について自分の言葉で語る人の声を直接聞きたくて来ました。公文書の改ざんが明らかになり、すべての問題に対して疑惑をもっています。その疑惑を晴らす責任は内閣にあります」と話しました。
大阪府から参加した男性(26)=団体職員=は「公文書の改ざんや隠ぺいが明るみに出ても『自分は悪くない』というような安倍首相の態度に腹が立ちます。野党はあきらめないで追及して、この国をよくしてほしい」
立憲民主党日本共産党社民党の国会議員がスピーチ。共産党から志位和夫委員長が訴えました。
志位委員長がスピーチ
日本共産党志位和夫委員長はスピーチで、森友・加計疑惑、自衛隊イラク「日報」隠ぺいなど一連の疑惑について国会で徹底究明する決意を表明。市民と野党の力を合わせて「安倍内閣を即刻退陣させよう」と呼びかけると、参加者は割れるような拍手と歓声で応えました。
志位氏は、森友・加計疑惑について、「首相夫妻の関与の疑惑は真っ黒に近いグレーだ。首相は『ウミを出す』というが、出すべき『ウミ』は首相自身ではないか」と痛烈に批判。「希望は市民と野党の共闘です」と述べ、「安保法制のときに国会前を埋めた新しい市民の運動が伏流水のように続き、今またここにわき起こっている」と強調しました。
志位氏は市民と野党の共闘の力によって、厚労省のデータねつ造を認めさせて「働き方改革」一括法案から裁量労働制を削除させ、森友公文書改ざん事件では佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問を実現させたと指摘。「一歩一歩、追いつめている。この力で安倍政権を倒し、ウソのない正直な政治、日本の民主主義を取り戻そう」と呼びかけました。

 混迷深まる「政と官」 不都合な事実隠したツケ - 毎日新聞(2018年4月14日)

https://mainichi.jp/articles/20180414/ddm/005/070/021000c
http://archive.today/2018.04.14-001749/https://mainichi.jp/articles/20180414/ddm/005/070/021000c

まるで泥沼の様相だ。森友学園加計学園問題、自衛隊イラク派遣の日報問題等々をめぐって連日のように新事実が発覚している。
きのうは加計問題に関し、2015年4月、当時の首相秘書官が愛媛県側などに「首相案件」と発言したと記録した文書が農林水産省にもあったことが確認された。対応は全て後手に回っており、政府のガバナンス(統治)は危機的状況にある。
なぜこんな事態に陥ったのか。いずれも問題発覚後、きちんと調査もせずに安倍政権に不都合な事実を強引に否定しようとしてきたからだ。そのツケが一気に回ってきている。
例えば加計問題だ。安倍晋三首相は官邸の関与を疑うなら証拠を出せと言ってきた。ところが重要証拠と思われる愛媛県の文書が見つかると、今度は「国としてコメントする立場にない」と国会で答弁する。
これでは事実確認が進むはずがない。そもそも議論の大前提となる事実が認定できないこと自体、行政機能に欠陥があると言うべきだ。
森友問題は首相がいきなり妻昭恵氏らの関与を強く否定するところから始まった。だが、その後も関与の疑いは晴れず、首相答弁とのつじつま合わせのために財務省は決裁文書を改ざんしたのではないかとの疑問も消えないままだ。
裁量労働制を違法適用したとして東京労働局が特別指導した野村不動産の問題も同じだ。同社社員が特別指導前に過労死し、労災認定を受けていた事実が報道された後も、厚生労働省はそれをしばらく認めようとしなかった。これも働き方改革関連法案の成立に不利になると政治的な配慮をしたからだろう。
安倍政権は官僚の幹部人事を官邸が取り仕切ることで各省に強い影響力を行使してきた。官僚が首相らにおもねる「政と官」のいびつな関係はさらに深刻になり、官僚の政治化、つまり官僚が立場を踏み外して政治と一体になる兆しがある。国会で質問する野党議員に対し、首相秘書官がヤジを飛ばしたのが象徴的だ。
国会は事実確認に集中せざるを得ない状態になっている。自民党からも「挙証責任は政府側にある」との声が出始めているのは当然だろう。泥沼から抜け出すには、まず首相が根本的に姿勢を改めることだ。

「同情より、できることしたい」震災きっかけ 子どもたちを支える側に - 沖縄タイムズ(2018年4月13日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/231716
https://megalodon.jp/2018-0415-1850-20/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/231716

◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第4部 見つけた居場所 歩 一歩ずつ(4)
たくさんの人に支えられてきた玉城歩(あゆみ)(27)が、子どもたちを支える側に回ったのは東日本大震災がきっかけだった。大学の卒業式を翌日に控えた2011年3月11日、地震が発生。テレビに映し出される津波やがれきの山、どんどん増える犠牲者数を見ても、当時20歳の歩の目から涙は出なかった。「同情より、できることがしたい」。大学保育科の教授らに来ていた派遣要請に手を挙げ、子どもの居場所づくりボランティアに参加した。
国際NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに数カ月間所属。避難所を転々としながら子どもたちと遊んだ。「大人は原状回復に必死で動き回る中、子どもは一人になりがちだった」。だが、そこで見たのは子どもたちがたくましく生きる姿。「逆に生きるエネルギーをもらった」と振り返る。
16年4月発生の熊本地震でも同団体でボランティアを経験した後、沖縄市の「ももやま子ども食堂」に就職した。
今年2月下旬、18歳まで暮らしていた児童養護施設を訪ねた。歩を支えてきた女性指導員は「昔から芯が通った子」と褒める。照れる歩を前に、女性は「子どもたちに一目置かれててさ、私より歩が叱ったほうが効いたよね」と笑った。クリスマス会のこと、彼氏とけんかして泣いた日のこと−。毎日話し込んだ2人だから、思い出話は尽きない。
「毎日どんな話でも、私の目線に立って聞いてくれた」女性らの背中を追って、歩は施設で働く指導員を目指している。孤独や空腹、暴力に傷つけられた過去。大好きな母へ複雑な思いを抱いた時も、周りの人に支えられながら母と本音で向き合った。今も頻繁に連絡を取り合う家族仲の良さが自慢だ。
子ども食堂では、子どもたちと全力で向き合う。でも「自分が頑張れたからあなたも頑張れるなんて、絶対に言わない」と決めている。「だって人によって耐えられる苦痛の種類も、キャパシティー(容量)も違うから」。一人だって同じ人間はいない。
「自分らしく笑える場所があれば、人生それでいいと思うんです」
目標は子どもの個性を伸ばせる指導員。家庭環境やお金の有無に関係なく、子どもが子どもらしく甘えられる居場所づくりに、歩はこれからも奮闘する。
信条の「同情ではなく行動を」を胸に。=敬称略(社会部・宮里美紀)=この項おわり

中国残留孤児 足跡展

http://38300902.at.webry.info/201804/article_37.html

中国残留孤児の体験記『この生あるは』の著者、中島幼八氏の体験を中心にした「七人の親を持ち、二つの国を生き抜く 中国残留孤児・足跡展」と銘打った回顧展が5月に東京都内で開催されます。
帰国時に着用していた衣服、持ち物、沙蘭小卒業証書、写真など多数展示され、それらを通して、中国残留孤児としての生い立ちと帰国後の生き様が生々しく紹介されます。
回顧展では、また「1958年における強制連行の劉連仁と残留孤児の中島幼八」と題して、今井雅巳氏(岐阜大学平和学)が記念講演を行います。
足跡展
2018年5月4日(金)〜7日(月)9:00〜20:00
三茶しゃれなあどホール 5階
東京都世田谷区太子堂2-16-7 三軒茶屋分庁舎内

三茶しゃれなあどホールへのアクセス
http://www.setagayamusic-pd.com/event/map_sancha-sharenade01.html

記念講演会
2018年5月6日(土)14:00〜17:30
三茶しゃれなあどホール 集会室

主催 中国残留孤児問題研究会