加計学園認可間もなく 文科省、マスコミやる気なし - 田中龍作ジャーナル(2017年11月1日)

http://tanakaryusaku.jp/2017/11/00016887

衆院選の大勝を受け、安倍首相は加計学園岡山理科大学今治獣医学部の設置を力づくで認可させる・・・そんな見方が永田町と霞が関で支配的だ。
認可の発表が今月上旬にも迫るなか、モリカケ疑惑を追及する市民団体が、きょう、文科相や大学設置審議会長あてに「厳正なる審査を求める」意見書を出した。
バイオハザードの危険性が指摘されることから、今治市に設置された専門委員会の結果が出てそれが市民に周知されるまで、結論を出すのを待つべき ― という意見も含まれている。
意見書を手渡した後、市民団体は文科官僚と交渉を持った。文科省からは高等教育局・大学設置室の麻生亘・室長補佐ら3人が出席した。
市民側が「審議会はいつ開かれるのか?」と聞くと官僚は「現時点では分からない」。
「審議会の議事録は出るのか?」との問いには「議事録ではなく議事要旨」と答えた。獣医学部をめぐる議事要旨はこれまでにも改ざんが指摘されている。
「意見書は大学設置審議会長に渡るのか?」には「検討します」と素気ない返事だ。
市民団体のなかには豊中市議会の木村真議員もいた。木村議員は、近畿財務局が森友学園に国有地をタダ同然で払い下げた問題を明るみに出した人物だ。
木村議員は「渡す、渡さないを役人が判断すべきではない」と厳しく詰め寄った。
加計学園獣医学部をめぐっては次回の大学設置審で認可されそうな気配が濃厚だ。にもかかわらず、「次回がいつなのか」も答えない。議事録も公開されない。設置審議会の会長の名前をさんざん問い合わせても明かさなかった。
田中が大学設置室の麻生室長に「会長の名前は言えないのですか?」と聞くと、室長は「ホームページに載っているはずです」と冷たく言い放った。
文科省のホームページで調べた。審議会のメンバーは載っているが、会長の名前はなかった。麻生室長がウソをついたと思いたくないのだが。
官僚との交渉に先立ち、市民団体は記者クラブで会見を持った。
幹事社の産経新聞が「安倍首相への刑事告発は受理されたのですか?」と質問しただけ。
記者クラブからの質問はこれ一つだった。各社、まったく無言だった。
「選挙が終わったらモリカケ問題も終わる、とマスコミが言っている」。マスコミ出身の国会議員が選挙前に話していたのを まざまざ と思い出した。

憲法9条と日本の行方を探る 世界平和アピール七人委 鎌倉で16日に講演会:首都圏 - 東京新聞(2017年11月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/201711/CK2017110102000167.html
https://megalodon.jp/2017-1101-0902-24/www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/201711/CK2017110102000167.html

「9条改憲」に反対する世界平和アピール七人委員会のメンバー全員が参加する講演会「壊してはいけない日本国憲法−今こそ凝視、この国の行方」が16日午後2時から、神奈川県鎌倉市鎌倉芸術館小ホールで開かれる。 (野呂法夫)
同委員会は一九五五年、ノーベル物理学賞を受賞した科学者の湯川秀樹氏や日本婦人団体連合会会長の平塚らいてう氏ら七人が設立。その後、作家の川端康成氏や井上ひさし氏ら日本を代表する文化人、学者が先頭に立ち、核兵器禁止や紛争の非軍事的解決などを国内外に訴えてきた。
戦後七十二年、憲法の下で日本は戦争の当事者になることはなかった。しかし安倍政権は特定秘密保護法や安保関連法、「共謀罪」法に続き、平和主義の九条を変えようとしている。こうした憲法を壊し「戦争ができる国づくり」に向けた動きの中、民主主義や基本的人権の行方について私たちの暮らしに照らし合わせて考えたいという。
委員会の七人は、上智大教授の島薗(しまぞの)進、作家の高村薫、慶応大名誉教授の小沼通二(みちじ)、写真家の大石芳野、作曲家の池辺晋一郎国際政治学者の武者小路公秀、名古屋大名誉教授の池内了(さとる)の各氏。さらに講演会を共催する鎌倉・九条の会の呼びかけ人で経済評論家の内橋克人氏も登壇する。
定員六百人。入場券九百九十九円、二十歳以下無料。全席自由。申し込みは、氏名、住所、電話・ファクス番号、予約枚数を書いて、ファクス0467(60)5410、またはメールkamakura9jo@gmail.comで。
問い合わせは、事務局の井上さん=電0467(24)6596=へ。

18歳未満 模擬投票6000人参加 衆院選の自民支持本選挙より高め - 東京新聞(2017年11月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201711/CK2017110102000141.html
https://megalodon.jp/2017-1101-0903-35/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201711/CK2017110102000141.html

主権者教育を推進する教育関係者でつくる「模擬選挙推進ネットワーク」は三十一日、衆院選に合わせて実施した十八歳未満による模擬選挙で、政党に投票する「比例区」の開票結果(三十日付の暫定版)をまとめた。最も支持を集めたのは自民党で、衆院選の得票率(比例代表の全国集計)より約3ポイント高い36・3%だった。
希望の党衆院選より約2ポイント高い19・3%で二位。衆院選では二番手だった立憲民主党は約8ポイント低い11・7%で三位だった。共産、日本維新の会、社民の三党は実際より得票率が高く、公明党は低かった。
ネットワークの呼び掛けに応じて二十二日の衆院選投開票日までに模擬選挙を行い、結果公表に同意した計三十校(小学校一、中学校七、高校十九、大学三)の投票を集計した。投票総数は六千二百十三票で有効投票は六千二十四票。十八歳以上の投票も一部に含まれている。
投票の感想には「政治への関心が深まった」(中学生)などの声があった。
ネットワークの林大介代表は「幼少期から主権者意識を育てることが求められている。政治家も未来の有権者と向き合ってほしい」と話している。 (安藤美由紀)

野党質問削減 立法府が空洞化する - 朝日新聞(2017年11月1日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S13207781.html
http://archive.is/2017.11.01-000432/http://www.asahi.com/articles/DA3S13207781.html

またも「数の力」を振り回す安倍政権の立法府軽視である。
政府・自民党が、国会での野党の質問時間を削ろうとしている。議席の割合より野党に手厚い現状を見直すというのだ。
衆院選での大勝を受けて、安倍首相が「これだけの民意をいただいた。我々の発言内容にも国民が注目している」と自民党幹部に指示したという。
決して容認できない。
国会議員は全国民の代表であり、質問の機会もできる限り均等に与えられるべきではある。
ただ、自民、公明の与党は政府が法案や予算案を国会に出す前に説明を受け、了承する。その過程で意見は反映されるので、質問は政府を後押しするものがほとんどだ。
だからこそ、法案や予算案を厳しくチェックするのは野党の大事な役割だ。その質問時間を大幅に削れば、国会審議は骨抜きになりかねない。
たとえば、ことしの「共謀罪」法の審議はどうだったか。
政府は「成案が得られていない」と野党の質疑をはねつけたまま、与党と対象犯罪を絞り込むなどの実質的な修正をし、法案を閣議決定した。野党も加わった質疑は2カ月ほどで、参院では委員会審議を打ち切る不正常な状態で強行成立させた。
昨年のカジノ法審議では、質問時間の余った自民党議員が般若心経を唱える場面もあった。
こんな状況のまま、議員数に応じた時間配分にすればどうなるのか。衆院予算委員会の質問時間は、近年一般的とされる「与党2対野党8」が、「7対3」へと逆転する。
そうなれば、法案や予算案の問題点をただし、広く国民に知らせる立法府の機能は確実に低下し、空洞化するだろう。
森友・加計学園問題のような野党による疑惑追及の場も、限定されるに違いない。それが首相の狙いにも見える。
首相に問う。
加計問題で国会での説明を求められると、「国会が決めること」とかわしてきた。なのになぜ、まさに国会が決めるべき質問時間の配分に口を出すのか。
行政府の長として三権分立への理解を欠いたふるまいと言うほかない。最後は多数決で決めるにしても、少数者の声にも耳を傾ける。議会制民主主義のあるべき姿からも程遠い。
安倍政権はきょう召集する特別国会で実質審議に応じるのかどうかさえ、明確にしない。
「いままで以上に謙虚な姿勢で真摯(しんし)な政権運営に努める」
選挙後、そう誓った首相の言葉は何だったのか。

<金口木舌>ふるさとへ帰る - 琉球新報(2017年11月1日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-605660.html
http://archive.is/2017.11.01-000606/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-605660.html

那覇市に世帯数、人口ゼロという町がいくつかある。現在は那覇軍港の中にある住吉町はその一つ。東京で一坪反戦地主会の運動に尽くし、26日に急逝した上原成信さんの生まれ故郷であった

▼さまざまな集会に足を運んでいた。7月、辺野古新基地建設に反対する米軍キャンプ・シュワブ包囲行動でお見掛けしたばかりだった。かんかん照りの下、仲間と手をつなぎ、抗議の意思を示した
▼22日の衆院選も投票所にいくつもりだった。「最近、字を書いていないから」と言い、字の練習をしていたという。最期を看取(みと)った養女の美智子さんは、お通夜の席で「完全燃焼の人生でした」と振り返った
▼口数は少なく近寄り難かったが、茶目っ気もあった。オスプレイ配備に反対するハンガーストライキの場で「これが本当のハンストだ」とばかり、服をかけるハンガーを掲げる上原さんのいたずらっぽい笑顔を思い出す
▼長い東京暮らしの中でも、心は常に沖縄にあった。自著「那覇軍港に沈んだふるさと」が描く「生まり島」に心が和む。「私は自称民族主義者で、ウチナーンチュであることを自慢しています」とも記した
唱歌が好きだった。美智子さんは「早春賦」を歌い、上原さんを送った。基地のない沖縄を願い、ウチナーンチュの奮起を訴えた不屈の魂は、金網の向こうにある故郷へ帰ったのだと思う。