「教育の憲法」改正…あれから 大西隆・論説委員が聞く - (2017年10月28日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2017102802000215.html
https://megalodon.jp/2017-1031-1650-21/www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2017102802000215.html

かつての教育基本法は「教育の憲法」と評され、戦後社会の民主的な発展を支えました。第一次安倍政権下の二〇〇六年に改正されてから十年が過ぎ、教育行政にどんな影響をもたらしてきたのか。文部科学省の中枢を歩み、官僚トップの次官を務めた前川喜平氏は「日本ファースト的な風潮が強まり、危うい」と警鐘を鳴らしています。

◆今こそ主権者教育を 前文科事務次官前川喜平さん
大西 旧教基法は、国民の学ぶ権利を守るために国家を縛る法律といわれた。新法は愛国心を養うといった徳目を「教育の目標」として列挙し、国民を縛る傾向が強くなりました。
前川 旧法の前文にはこう書いてありました。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」。基本的人権の尊重、国民主権、平和主義という憲法の理想を実現することが教育の基本だとうたっていた。軍国主義を植え付けた戦前の教育への反省からです。大事なことだと思って仕事をしてきたので、書き換えられたのは残念でした。
「教育行政」条項が変わった意味は大きい。改正前は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」でした。改正後は「不当な支配に服することなく」は残りましたが、続いて「この法律及び他の法律に定めるところにより行われるべきもの」となった。旧法の「不当な支配」は国家権力も想定されていたわけだけれど、新法では法律に基づいていれば、国家が教育内容を決めるのは問題ないとされたのです。
大西 政権の性格によって教育は大きく左右されうると。
前川 その背景には、旭川学力テスト事件の最高裁判決があります。旧法の「教育行政」条項を巡り、「国家の教育権」説と「国民の教育権」説がぶつかり合った。政治過程を経て国会で法律を作り、国民の信託の下に教育をする権限が国家にはあるというのが前者の考え方。国民に直接責任を負う形で、教育者が学問の自由に基づき真理を求めつつ教えるべきだというのが後者の考え方。例えば日本は中国を侵略しなかったと国会で決議したとしても、それは真理ではない。政治は真理を決められないし、政治過程を経て間接にしか国民に責任を負えない。だから教育には介在するなと。
判決はけんか両成敗のように双方の権限を認めました。ただ、教科書検定などを巡る教育裁判でよくよりどころとされたこの条文は、保守派にとって目障りだったので意図的に変えられてしまった。国家教育権的な立場を鮮明にしたわけです。政治は教育に介入するなと、国民の教育権を主張する声が少なくなったのは懸念されますね。
大西 今や経済界による「不当な支配」が強まっているように見えます。稼ぐ力を磨くことは否定しませんが、教育はそんなに薄っぺらいものかと。
前川 稼ぐ力がないと確かに生きていけないけれど、それだけでは生きる意味がないでしょう。個人として自分なりの考えを持ち、市民社会を一緒につくる力、競争ではなく共生する力が重要です。近年盛んに「グローバル人材の育成」が叫ばれますが、それは「世界に勝つ人材」だといわれます。自分たちさえ勝てれば、他の世界は負けてもいいと。「日本ファースト」の発想には違和感を覚えますね。日本人は集団への帰属を重視しがちですが、国籍や民族、人種などで優劣をつけようとするのなら問題です。
例えば、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が提唱してきたESD(持続可能な開発のための教育)やGCED(地球市民教育)の考え方は大事です。人権とか平和とかエネルギーとか、地球環境や世界遺産の保護といった皆で力を合わせないと解決しない問題がある。国際市場競争に勝つことばかりを目指すのではなく、グローバルな共生社会をどう構築するのかを学び、考えなくてはいけない。


大西 新法には「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」という「家庭教育」条項が新設された。自民党は家庭教育支援法案を用意している。私的領域に干渉するのかと気になります。
前川 自民党の二〇一二年の憲法改正草案には、家族は社会の単位と記されています。天皇家という本家があって家族はすべてその分家。日本国は血でつながったでっかい共同体。そんな家族国家観が根底にあるのでしょう。家族は国家の一単位という考え方はもともと国体思想にあった。教育勅語の世界です。国家が統制するのは当然と考えているのだと思う。法案のベースは親学(おやがく)(伝統的な子育てのために親が学ぶべきだとされる考え)ですが、いじめとか不登校とか非行、自殺といった子どもの問題の責任を親に転嫁する発想がある。ひとり親の増加や子どもの貧困の広がりという子どもを取り巻く状況の変容を踏まえると親を責めても仕方がない。貧困や虐待、孤立に苦しむ子どもを放置し、社会で支えることから逃げることにつながります。
もっとも、子どもの健やかな成長は親の関心事です。歓迎したいのは、血縁も地縁もない自由な個人と個人が結びついて教育に関わろうとする動きが増えていることです。子どもの学習を支援したり、子ども食堂を開いたりしている。子どもにとって親でも教師でもない大人の存在は貴重です。親がその輪に自発的に加わればいい。
大西 第一次安倍政権下での教基法改正は、憲法改正の露払いだったともいわれます。
前川 教育の自律性を決定的に奪う結果にはならず、我慢できる範囲内にとどまったと感じます。でも、国を愛する態度を教育目標に盛り込み、国家の権限を強め、家庭の役割を強調する。政治権力が改憲を見据え、教基法の名の下に教育に介入する危険性はあります。外国人がどんどん日本に入ってくるこの時代に、日本民族憲法を作ると言っている人たちに改憲はさせたくない。日本人としての誇りなどというものより、個人の尊厳に立脚し、一人一人の人権を尊重することの方がずっと大事です。日本国憲法は人類の歴史の成果だと考えています。
やはり主権者意識を備えた人たちが育ってもらわなくてはいけない。憲法が掲げる人権や平和や民主主義という人類共通の価値が、どうやって発展してきたのかを学んでほしい。その意味で、近現代の日本史と世界史を併せて勉強する高校の「歴史総合」(二二年度導入)には期待したい。二度の世界大戦に負けて今の民主主義を手に入れたドイツの歴史は、特に学ぶべきです。当時最先端といわれた民主的なワイマール憲法を持ちながらヒトラーを生み出した。民主主義が独裁を生んだという痛恨の歴史がある。日本は大正デモクラシーが消えて軍部独裁に陥ったことへの反省が足りないし、戦後は「一億総ざんげ」で済ませてしまった。自由や民主主義を根付かせ、戦争を再び繰り返さないためにはどうするべきか。立憲主義や戦争違法化の人類史に学び、自ら考える主権者を育てる教育が今こそ必要だと思うのです。
大西 前川さんは、義務教育を終えていない人々が学び直す自主夜間中学で、学習支援のボランティアをしていますね。国家が決めた教育の枠組みにとらわれず、市民が自由に学び合う場を大切にしたいものです。

<まえかわ・きへい> 1955年、奈良県生まれ。東京大卒。79年、文部省(現文部科学省)に入り、初等中等教育局長、文部科学審議官、文部科学事務次官などを歴任。2017年1月、天下り問題で事務次官引責辞任。学校法人加計学園獣医学部新設問題で「行政がゆがめられた」と告発した。

 <旭川学力テスト事件> 北海道旭川市立中学校で1961年、文部省の全国中学校一斉学力テストの阻止に及んだとして、教員らが公務執行妨害罪などに問われた。一、二審は、学テは国による教育の「不当な支配」に当たり違法としたが、最高裁は適法として教員らを有罪とした。判決は国の教育権限を広く認めたが、子どもの学習権という視点を打ち出し、注目された。

「民主主義の履き違えだ」 野党の質疑 短縮批判続出 - 東京新聞(2017年10月31日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201710/CK2017103102000118.html
https://megalodon.jp/2017-1031-0949-40/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201710/CK2017103102000118.html


安倍政権が衆院選の与党勝利を受け、衆院予算委員会などの国会質疑で野党の質問時間を減らす方針を打ち出したことについて、立憲民主党など多くの野党は三十日、反対する意向を表明した。会派の代表者が集まる衆院各派協議会では、自民党が理解を求めたのに対し、批判が相次いだ。 (中根政人)
同日夕に開かれた各派協議会では、立憲民主党辻元清美国対委員長が野党の質問時間削減に関し、説明を要求。安倍晋三首相の発言を引き合いに「謙虚な姿勢と言いながら、最初(に行うの)が野党の質問時間を削ることか。民主主義を履き違えている」と、与党の対応を強く非難した。
これに対し、自民党石田真敏国対筆頭副委員長は、与党の質問時間の確保について「若い議員から要望がある。有権者からも『なぜ質問しないのか』と言われる」と強調したが、希望の党笠浩史(りゅうひろふみ)国対委員長は、民主党政権時代に自民党が野党の質問時間を増やすよう提案したことに触れて「とんでもない話だ」と反発。民進党議員による「無所属の会」や共産党も同調した。日本維新の会は、強引な国会運営をしないようくぎを刺した。
質問時間の配分は国会法に規定がなく、与野党の協議で決まる。衆院では予算委員会などの審議について、議席数の少ない野党に配慮し、最近は与党二割、野党八割を目安に割り振っている。だが、森友学園や加計(かけ)学園を巡る疑惑追及などに費やされることを嫌った政府・与党には以前から見直し論がくすぶっていた。
菅義偉(すがよしひで)官房長官はこの日の記者会見で「各会派の議席数に応じた質問時間の配分は、国民からすればもっともな意見だ」と語った。
この問題を巡っては、首相と自民党の萩生田(はぎうだ)光一幹事長代行が二十七日、これまでの慣例を見直し、野党の質問時間を削減する方針を確認している。

国会の質問時間 野党への配慮は当然だ - 東京新聞(2017年10月31日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017103102000130.html
https://megalodon.jp/2017-1031-0952-51/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017103102000130.html

安倍政権が、国会での野党の質問時間を削減し、与党分を拡大することを検討している、という。野党質問は政権監視には必要不可欠だ。厳しい追及を避ける狙いがあるとしたら、見過ごせない。
本会議や各委員会での各会派への質問時間の割り振りは、国会法に規定はなく、与野党が協議して決める。議席数に応じた配分が原則だが、政権を監視する野党の役割を考慮して野党側により多く配分するのが慣例になっている。
例えば、今年の通常国会では、衆院予算委員会の基本的質疑などで、与党二、野党八の割合で質問時間が配分された。
この割合を与党に多くしようというのが第四次に突入する安倍政権だ。自民党安倍晋三総裁(首相)は萩生田光一幹事長代行に、この慣例を見直すよう指示した。
背景には、議席数に比べて与党への時間配分が少なく、発言機会が制限されているとの不満が、特に若手の与党議員にあるようだ。
国会議員は全国民の代表だ。発言機会は与野党を問わず、できる限り等しく確保すべきではある。
同時に、政権を監視する野党の役割を十分に考慮することも必要だ。質問時間を議席数の割合よりも多く野党側に配分してきたのにはそれなりに妥当性がある。少数意見の尊重は民主主義の要諦だ。
菅義偉官房長官は「議席数に応じた質問時間の配分を行うべきだという主張は国民からすればもっともな意見だ」と語ったが、「数は力」という民主主義の一側面しか見えていないのではないか。
ただでさえ、自らの党首を首相に頂く与党議員の質問は問題点の指摘よりも、政権を持ち上げることに偏りがちだ。与党は法案の国会提出前、政府から説明を受けて事前に了承しており、質疑が「出来レース」に陥る可能性もある。
質問時間を持て余して、般若心経の一部を唱え、夏目漱石の文学論をぶった与党議員もいた。与党の質問時間を増やせば国会審議形骸化の恐れなしとは言えない。
それとも、それが狙いなのだろうか。野党議員の質問時間を減らすことに学校法人「森友」「加計」両学園の問題などをめぐる野党からの厳しい追及を避ける意図があるのなら論外だ。
首相が、衆院選後の記者会見で「今まで以上に謙虚な姿勢で、真摯(しんし)な政権運営に全力を尽くさねばならない」と語ったのは、口先だけだったのか。数の力を背景に、野党議員の質問機会を減らすもくろみは、とても認められない。

(筆洗)自民党が国会での野党の質問時間を削減し、その分、与党の質問時間を増やすことを検討 - 東京新聞(2017年10月31日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017103102000128.html
https://megalodon.jp/2017-1031-0953-48/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017103102000128.html

木守(きも)り柿とは、木の梢(こずえ)に一つだけ、あえて取らず残しておく柿の実のことである。残し柿ともいう。木枯らしに揺れる柿の実一つとは、寂しい風景にも映る。
こんな意味があるそうだ。一つは来年もまた柿がなりますようにという願いや感謝の気持ち。もう一つはおなかをすかせた野鳥への「おすそ分け」なのだそうだ。自然に対し「分け前」を用意したのか。いわれを聞けば、寒々しい柿の風景が温かい。
木守り柿とは無縁な考え方に木枯らし1号がひどく身にしみる。自民党が国会での野党の質問時間を削減し、その分、与党の質問時間を増やすことを検討しているという。総選挙での大勝で「鳥に分け前をやる必要はない」とでも考えているのだとしたら、与党のおおらかさも気概も感じない話である。
政府と与党が事実上一体化している現状を考えれば、その見直しは身内の政府に温かい目を増やし、野党の厳しい目を減らすことに他ならぬ。
たとえは悪いが、縁故入社の面接試験のようなもので、国会全体の行政、法案に対するチェック力を弱めるだろう。野党の耳の痛い質問時間はもいではならぬ民主主義を守る柿である。
自民党のためでもある。「総理、ご苦労さまです」のゴマスリ質問ばかりとなれば、自民党議員の評判、印象にも障る。それにである。政界は一寸先は闇。野党に転落した場合のことも少しは…。

核廃絶と日本 信頼取り戻す努力を - 東京新聞(2017年10月31日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017103102000129.html
https://megalodon.jp/2017-1031-0955-11/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017103102000129.html

日本政府の主導で国連に提出された核兵器廃絶決議が、昨年より賛成が二十三カ国も減る百四十四カ国によって採択された。内容への不満が原因だ。唯一の戦争被爆国としての信頼を取り戻せるか。
決議は、米国やロシアなど核保有国に核軍縮の努力を求める内容で、日本が一九九四年以来、毎年提案し、採択されてきた。日本の決意を、世界に示すものだ。
昨年までは、「核兵器のあらゆる使用」が「壊滅的な人道上の結末」をもたらすと明記していた。今年の決議は、「あらゆる」という文言が削除されるなど、非人道性に関する表現が大きく後退していた。
さらに問題視されたのは、七月に国連で採択された核兵器禁止条約(日本は未参加)に、まったく言及していない点だ。
「まるで核保有国が出した決議のような印象」(長崎市の田上富久市長)といった批判のほか、「核兵器使用もありうるというニュアンスを含んだ、危険な内容」(広島で被爆し、今年国連で自らの体験を語った日本原水爆被害者団体協議会の藤森俊希事務局次長)という怒りの声も相次いだ。
日本の決議案が提出された国連総会第一委員会(軍縮)では、「核軍縮を後回しにする書きぶりだ」という批判もあったという。
この決議が最初に国連に提出された時の外相は河野洋平氏だった。息子である河野太郎外相は、採決後に談話を出している。
この中で外相は、「核兵器国と非核兵器国の立場の違いが顕在化している」と指摘した。決議は「すべての国が核軍縮に改めて関与できる共通の基盤を提供するものであり、幅広い支持を受けたことを心強く思う」と自賛した。
確かに、核保有国である米英に加え、核兵器禁止条約に参加しなかったドイツ、イタリアなども共同提案国となり、賛成している。
しかし、ブラジルやオーストリアなど核兵器禁止条約に熱心に取り組んでいる国は棄権に回り、決議の賛成国が、昨年より大幅に減った事実は重い。
北朝鮮の核問題が深刻化する中で、唯一の戦争被爆国としての信頼や中立性、核廃絶に対する姿勢を疑われたといえよう。
日本政府は十一月下旬に広島で、核軍縮をめぐって国内外の専門家が討論する「賢人会議」を主催し、具体的な提言をまとめる計画だ。日本が本当に核廃絶に向けた「橋渡し役」になるのか。証明なくして胸は張れない。

「慰安婦」裁判 韓国の自由が揺らぐ - 朝日新聞(2017年10月31日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html
http://archive.is/2017.10.31-005347/http://www.asahi.com/articles/DA3S13206113.html

自由であるべき学問の営みに検察が介入し、裁判所が有罪判決を出す。韓国の民主主義にとって不幸というほかない。
朴裕河(パクユハ)・世宗大学教授の著書「帝国の慰安婦」をめぐる刑事裁判で、ソウル高裁が有罪の判決を出した。
著書には多くの虚偽が記されていると認定し、元慰安婦らの名誉が傷つけられたと結論づけた。朴教授には罰金約100万円を言い渡した。
虚偽とされたのは、戦時中の元慰安婦の集め方に関する記述などだ。研究の対象である史実をめぐり公権力が独自に真否を断じるのは尋常ではない。
一審は、大半の記述について著者の意見にすぎないとして、無罪としていた。高裁は一転、有罪としながら、学問や表現の自由は萎縮させてはならないと指摘したが、筋が通らない。
学問の自由が守られるべき研究の領域に踏み込んで刑事罰を決める司法を前に、学者や市民が萎縮しないはずがない。
韓国では、植民地時代に関する問題はデリケートで、メディアの報道や司法判断にも国民感情が影響すると言われる。
そんな中で朴教授は、日本の官憲が幼い少女らを暴力的に連れ去った、といった韓国内の根強いイメージに疑問を呈した。物理的な連行の必要すらなかった構造的な問題を指摘した。
社会に浸透した「記憶」であっても、学問上の「正しさ」とは必ずしも一致しない。あえて事実の多様さに光を当てることで、植民地支配のゆがみを追及しようとしたのである。
朝鮮半島では暴力的な連行は一般的ではなかったという見方は、最近の韓国側の研究成果にも出ている。そうした事実にも考慮を加えず、虚偽と断じた司法判断は理解に苦しむ。
韓国では、民意重視を看板に掲げる文在寅(ムンジェイン)政権が発足して、もうすぐ半年になる。政権は、歴史問題で日本に責任を問うべきだと唱える団体にも支えられている。もし高裁がそれに影響されたのなら論外だろう。
日韓の近年の歩みを振り返れば、歴史問題の政治利用は厳禁だ。和解のための交流と理解の深化をすすめ、自由な研究や調査活動による史実の探求を促すことが大切である。
その意味で日本政府は、旧軍の関与の下で、つらい体験を強いられた女性たちの存在を隠してはならず、情報を不断に公開していく必要がある。
日韓の関係改善のためにも、息苦しく固定化された歴史観をできるだけ払拭(ふっしょく)し、自由な研究を尊ぶ価値観を強めたい。

高校不登校・退学最多 貧困の連鎖絶ち希望を - 琉球新報(2017年10月28日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-603472.html
http://archive.is/2017.10.31-005527/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-603472.html

貧困と不登校、高校退学が関連していることを示す調査結果が発表された。貧困の連鎖を断ち、希望が持てる施策が必要だ。
文部科学省の2016年度問題行動・不登校調査によると、私立を含む県内の高校生の不登校者数は1510人。千人当たり32・3人で全国平均の2・2倍、全国最多だった。中途退学者は1098人で退学率は全国平均の1・5倍、全国最多だった。
県立高校での不登校の要因は「『無気力』の傾向」が最も多く29・3%だった。表面上「無気力」としているが、中身を精査する必要がある。
県が3月に発表した高校生の実態調査の中間報告によると、困窮の中で育った生徒は学費や昼食費、交通費を稼ぐため、アルバイトに追われている。過半数は週4回働いている。「無気力」に見えるのは、アルバイトで疲れ、学業がおろそかになっているのかもしれない。
中退の理由の内訳に「経済的理由」6・8%、「家庭の事情」4・7%がある。背景に貧困があると考えられる。アルバイトでも金が工面できず学業を諦め、自らの進路を絶たれる生徒がいる。
中退すると、正規雇用の職を得るのが難しくなり、貧困から抜け出せないという悪循環に陥る可能性がある。
高校の授業料の無償化制度はあるが、申請手続きが複雑で生活に追われて申請できない家庭もある。手続きの簡略化など工夫が必要だ。
政府は教育を受けるチャンスを確保する責務がある。県の貧困対策推進計画は、高校生期を対象に就学継続の支援や中途退学の防止、キャリア教育などの充実に取り組むとしている。具体的な施策としては給付型奨学金制度の創設や低所得者世帯に対する学習支援の充実を盛り込んだ。支援の速度を速めてほしい。
一方、国公私立の県内小中高、特支校のいじめ認知件数は1万2482件。前年度(2335件)の5・3倍、約1万件増えた。全国的にも約10万人増えた。
増加したのは文科省が今回の調査から、これまで対象になかった「けんかやふざけ合い」なども認知するよう求めたからだ。深刻ないじめの芽を事前に摘もうとしているが、自殺防止にまでは至っていない。
沖縄県の場合、認知されたいじめのうち92・8%は「解消」、6・9%が「取り組み中」で、解消率は前年度の81・6%から10ポイント以上改善している。認知件数は大幅に増えたが重大ないじめ事案は県内でも発生しいる。さらにLINEなど携帯を利用したいじめの把握は難しい。
認知件数大幅増は教員の負担増を意味する。一つ一つの案件に丁寧に対処するために、教員の増員は欠かせない。長野県はLINEを使って全中高生を対象にした相談窓口を設置した。先行事例も参考にしたい。

アウシュビッツのガイド、中谷剛さんに聞く ヘイトとガス室は一本の線 「今の日本は黄信号」 - 毎日新聞(2017年10月6日)

https://mainichi.jp/articles/20171006/dde/012/030/025000c
http://archive.is/2017.10.06-080121/https://mainichi.jp/articles/20171006/dde/012/030/025000c

ナチス・ドイツアウシュビッツ強制収容所の跡地にあるポーランド国立博物館オシフィエンチム)で、唯一の日本人公式ガイドを務める中谷剛(なかたにたけし)さん(51)を訪ねた。ぜひ聞いてみたかったからだ。戦後72年。戦争の記憶が薄れ、排外主義が台頭する中、「負の歴史」を繰り返してしまう懸念があるのか、と。【鈴木美穂】
9月17日午後。アウシュビッツ強制収容所跡に降り立つと、朝から降り続く雨で視界はかすみ、赤レンガの建物群は、陰気な空気を漂わせていた。
日本語での見学ツアーの参加者は記者を含め25人。博物館として公開されている、アウシュビッツ第1収容所(20ヘクタール)と、3キロ先のビルケナウ(140ヘクタール)の両収容所跡を3時間かけて歩いて回る。
中谷さんは大学卒業後、ベッドメーカーに就職。転機は1991年だった。学生時代に旅したポーランドで出会った若者と再会するため、仕事を辞めて再訪した。永住権を取り、働いていたワルシャワの日本料理店で、同僚のポーランド人から「アウシュビッツに収容されていた」と打ち明けられ、壮絶な実体験に衝撃を受けた。「歴史に関わろう」と一念発起し、ガイドを目指した。日本人初の公式ガイドとなって20年。昨年は年間430組を案内した。
アウシュビッツは、ナチス・ドイツ第二次世界大戦中の40年、占領下のポーランド政治犯を収容するため開設、後にユダヤ人らを大量虐殺する「絶滅収容所」となった。130万人以上が連行され、ユダヤ人がその9割を占めた。
「ここは、博物館であると同時に犠牲者を追悼する場でもある。どうか忘れないで」と中谷さん。
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれた収容棟の正門前ではこう語った。「収容者は毎日、この門を通って十数時間の労働に出ました。逃亡を防ぐ有刺鉄線が敷地を囲み、電流が通っていました。少ない食事で重労働を強いられ、餓死する人も少なくなかった」
正門をくぐると、赤れんがの収容棟が整然と並んでいた。ポプラの緑が目に染みる。大学のキャンパスを歩いているかのようだ。心中を察したのだろうか。中谷さんが口を開く。「水たまりに気をつけて。水はけの悪い道がなぜこのままか。収容者がローラーを引き、地ならしした道だからです」

収容所生んだ民主主義
展示室は収容棟などとして使われていた建物だ。敷地内には、ユダヤ人らが虐殺されたガス室や焼却炉跡、犠牲者の骨粉を捨てた池が残されている。欧州各地に住んでいたユダヤ人は当時、「東部に移住させる」と言われ、連行された。ナチス親衛隊(SS)が没収した犠牲者の革靴やかばんに加え、命を奪った害虫駆除薬「チクロンB」の空き缶などが虐殺の痕跡を残している。
あるガラスケースは部屋ほどの大きさがあり、犠牲者の髪で埋め尽くされていた。目にした時、「どれだけの量があるのか」と聞かずにはいられなかった。中谷さんが語調を強める。「8トンですが、何人分かは計算していません。衝撃的ですが、それ以上の人が殺された。もっとも数が問題ではありません。たとえ1人でも、『髪や目の色が違う』『ユダヤ人だから』と殺されたのが問題なのです」
ユダヤ人は人間らしい扱いを一切されず、列車で到着すると、引き込み線脇の荷降ろし場でSSの医師らに「選別」された。労働できるか否か、を顔色を見て決める医師の指先が生死を分けた。連行されたユダヤ人の75〜80%がすぐさまガス室に送られたという。
収容所ではドイツ人の精神的負担を軽減するため、ガス室への連行や死体焼却はユダヤ人らに担わせた。証拠隠滅のため、こうした役割の収容者も定期的に殺した。
一枚の写真に言葉を失った。ガス室に送られる直前の人たちを収容者が隠し撮りした白黒写真。野外で裸にされた女性らがガス室へと誘導されている。天地が傾き、ピントがずれていることが撮影者の緊迫感をも伝える。戦後、ナチス・ドイツ戦争犯罪を立証する一枚となった。「事実を伝えなければとの思いがあったのではないか。フィルムは歯磨き粉のチューブに隠し、抵抗組織を通してポーランドの古都クラクフに送った。彼らの命を懸けた知恵と工夫によって、今知ることができるのです」
歴史を冷静に伝えることを信条にする中谷さんだが「ぜひ認識してもらいたい」と熱弁を振るう場面があった。「収容所をつくった政治家は民主主義の下で、国民から選ばれました。だから国民が訴えれば閉鎖できたでしょう」と。
加えて、国際社会の役割にも言及する。「多くのユダヤ人が列車で欧州各地からこの地に連行された。世界は当然知っていたのに見て見ぬふりをした。過ちを一国だけで防ぐのは昔も今も難しい。でも、国際社会が連携して働き掛けていたら、ナチス・ドイツの行動を止められたかもしれない」
解説は「本質」に近づいていく。「ナチス・ドイツはなぜ収容所をつくることができたと思いますか」。次のような解釈が広く知られている。
第一次世界大戦に敗れ、多額の賠償金にあえぐドイツに、世界大恐慌が追い打ちをかけた。社会荒廃が進む中で、裕福な人が多いと思われていたユダヤ人への妬み、積年の偏見が噴き出した。そこにナチス・ドイツが受け入れられる土壌が生まれた−−。
中谷さんはさらに踏み込む。「当時の政治家は国民のこうした『反ユダヤ』感情を利用し、社会不安の要因をユダヤ人のせいにした。しかもこうした政治家ほど人気を集めた。常識から離れた『人間の優越性を髪や目の色で決める』という政策にブレーキがかけられなかったのは、なぜか。国民の支持があったからです。異を唱えた学者は主流派から外され、国民も『都合の悪い真実』に耳を貸さなくなった。衆愚政治の結果、アウシュビッツの悲劇は起きた。民主主義の恐ろしさ、その教訓は今にも通じています」
参加者からの反応が少ないことが気になっていたのだろうか。見学が終盤に差し掛かった時、中谷さんは私たちを「挑発」するかのような言葉を発した。
「皆さんがアウシュビッツに関心を持つということは、今の社会にも多かれ少なかれ(排他的な空気が)見え隠れしているからでしょう。でも考えてください。今、私の話を『聞かなくては』という雰囲気ですよね。私はこの場でもう権力を持っている。危ない道に入っています。いぶかしげな目を向けるならいいが、皆が身を乗り出して私の話を聞いている。これこそが誤った道を歩んだ権力者と国民の姿というものなのです」
危険な社会を生み出す萌芽(ほうが)は日常生活に常に隠れているということなのか。

私たちの選択が次世代左右
見学後、中谷さんの考えを詳しく知ろうとインタビューに応じてもらった。語り口は変わらず、穏やかだ。「ホロコーストの始まりは市井の人々が口にした『反ユダヤ』感情、ヘイトスピーチでした。それが時間をかけ、ガス室での虐殺につながった。ヘイトスピーチガス室は『一本の線』で結ばれている。歴史を学ぶことは、私たちの国が今どこに位置しているかを知る『道具』となるのです」
ならば、日本の「現在地」が気にかかる。中谷さんは「黄色信号ではないか」と危機感を募らせている。日本でのヘイトスピーチを伝えるニュースに心底驚いたからだ。「参加者の中にはナチスのシンボルであるかぎ十字を身につけ、ヒトラーへの忠誠を表すあいさつを使う人もいた。悪意がないだけに、無知は怖い」
原因は「日本の教育に責任がある」と見ている。「近代史、とりわけ20世紀の戦争についての知識が欠如していることが問題。歴史と現在は地続きで切り離せません。歴史に学び、教訓として未来に生かすことが必要なのです」
政治家からはナチスに学べ、というような発言が飛び出した。「僕は政治家の発言を許容する社会が気持ちが悪い」と言い切った。
日本ではナチス・ドイツへの抵抗感が乏しいだけでなく、「歴史修正主義」の動きも見え隠れする。やはり負の歴史は繰り返すのかと不安を吐露すると、中谷さんはこの日一番の笑みを浮かべ、「人間って捨てたもんじゃないですよ」と語り、こう続けた。
「一人でも多くの人が歴史の現場に足を運び、自らが正しいと思う歴史を選ぶことが大切です。私たちの選択は次世代の20年、30年先をも左右する。政治指導者の歴史観をうのみにするのでなく、自分自身で将来を引き受ける覚悟が重要なのです。そう生きる人が増えていけば、おのずと社会はバランスが取れていくと思います」
人間の手による惨劇を今に伝える中谷さんは、「人間の可能性」を限りなく信じていた。

関連サイト)
(音声配信)「耳で聴くアウシュヴィッツ強制収容所・見学ツアー〜荻上チキ渾身の取材報告」ガイドは中谷剛さん - TBSラジオ荻上チキ・Session-22」(2017年10月19日)
https://www.tbsradio.jp/190855