貧困たたき 新宿で緊急抗議デモ 作家の雨宮処凛さんらも - 毎日新聞(2016年8月27日)

http://mainichi.jp/articles/20160828/k00/00m/040/019000c
http://megalodon.jp/2016-0827-2115-36/mainichi.jp/articles/20160828/k00/00m/040/019000c

子どもの貧困問題を扱ったNHKのニュース番組で体験を語ったひとり親家庭の女子高校生がインターネット上で中傷され、人権を侵害された問題で、「生活苦しいヤツは声あげろ 貧困たたきに抗議する新宿緊急デモ」が27日、東京・新宿であった。最低賃金引き上げを求める若者グループ「AEQUITAS(エキタス)」が主催し、作家の雨宮処凛さんらも参加した。
約500人(主催者発表)の参加者が「貧困たたきは今すぐやめろ」「貧困知らない政治家いらない」とコールしながら繁華街を歩いた。都留文科大3年、栗原耕平さん(21)は「当事者の女子高校生に見てほしいと思い、デモとスピーチをした。ものすごく生活が苦しい人しか声を上げられないというのではおかしい」と話した。
番組に登場した女子高校生は、ネット上でプライバシーをさらされたうえに発言や容姿を中傷され、持ち物や趣味についても「ぜいたくだ」「貧困ではない」などと非難された。エキタスのメンバー、原田仁希(にき)さん(27)は「貧困状態にある人が抑圧されて声を上げられなくならないよう、バッシングを許さない人がいることを示したかった」と話した。平均的な生活水準を下回る「相対的貧困」では貧困とみなさないかのような風潮に対し、原田さんは「どこまで貧困だと声を上げられるというのか。貧困のラインが必要最低限の衣食住を満たせない『絶対的貧困』の方に引き寄せられようとしている」と危惧する。
28日には名古屋市京都市でも同様のデモが予定されている。【西田真季子】

NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した 日本の子どもの6人に1人が「貧困」だ。- BuzzFeed News(2016年8月28日)

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日本社会に欠けている視点
山野教授は、「どういう家に生まれたかによって、その子の将来が変わり、学力などにも差が出てしまう社会」を、変えなければならないと強調する。
「子どもを平等にするということは、彼らが将来、納税者になって社会を豊かにしてくれるということを意味しています」
「貧困家庭の子どもたちがそのまま大人になると、税金や年金代が払えなくなったり、医療費や生活保護費がかさんだりする可能性もある。つまり、社会的なコストをもっと生み出してしまうことになります。社会全体にとっても、子どもの貧困を放置することはお得ではない」
日本は、子育て支援に使う予算が、GDP比率で1.0%(2009年)、教育予算が3.5%(2012年)と、いずれも先進国でも最低だ。高齢者に使う予算は10%と、その差は歴然としている。
「貧困とは、努力が報われないこと。生まれたときから、機会が平等でないこと。どんな家に生まれても、努力するための基礎がある、スタート地点には平等に立てる社会を目指すために、子どもの平等を社会全体で考えること。いまの日本には、その視点が欠けていると思うのです」

(いま読む日本国憲法)(23) 第29条 財産「公」により制約 - 中日新聞(2016年8月28日)

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2016082802000096.html
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大切な人権の一つで、資本主義の基本とも言える私有財産制を保障した条文です。財産権には、土地やモノの所有権だけでなく、債権や著作権特許権なども含まれます。
二九条は三項に分かれています。一項で「侵してはならない」と無条件で財産権を認めているのにもかかわらず、二項と三項では「公共の福祉」と衝突したときに財産権を制限する可能性を示しているのは、一見、矛盾しているようにも見えます。
実は二項と三項は、生活に必要な道路や空港の建設など、国民全体の幸福のために個人の土地を収用することがある、ということを示しています。財産権を侵される側に対しては、当然、国などが補償することになります。
過去の国会での憲法論議でも、財産権の制限をもっとはっきり書くべきだという意見も出ました。
自民党改憲草案は、一項の「侵してはならない」という表現を「保障する」に改めました。個人の財産権を積極的に認めた現行憲法の表現から、後退しているようにも見えます。
改憲草案では、二項の「公共の福祉」も「公益及び公の秩序」に置き換えました。一二条や一三条と同様の修正ですが、国家が「公益・公序のため」という理由をつけて、個人の財産権に立ち入ることにならないか懸念されます。
草案は、二項に「知的財産権については、国民の知的創造力の向上に資するように配慮しなければならない」という文言も書き加えています。草案のQ&Aは「特許権等の保護が過剰になり、かえって経済活動の過度の妨げにならないよう配慮する」と説明。知的財産権が生み出す個人の利益より、社会全体の利益が優先されることがある、との考え方が表れています。

<戦時中の思想弾圧>カトリック信者、72年前突然の逮捕 - 毎日新聞(2016年8月29日)

http://mainichi.jp/articles/20160829/org/00m/070/004000c
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表現や思想、信教の自由は憲法で保障されているが、かつて罪に問われる時代があった。新潟県上越市の金沢美保子さん(92)は第二次大戦末期にキリスト教の信仰を理由に刑法の不敬容疑で逮捕された。「世の中が一つにまとまり、反対するものはつぶされた時代だった」と振り返る。敗戦直後に即日裁判で執行猶予付きの有罪判決を受けたことを証言したが、判決文や裁判資料は残っていないという。【青島顕、写真も】

「皇室の尊厳冒とく」
1944年4月9日は雨の日曜日だった。20歳の金沢さんは母トキさんと一緒に家の近くのカトリック高田教会のミサに出掛ける準備をしていた。男たちから「すぐに出てこい」と名前を呼ばれた。家の周りに5、6人の男たちが待ち構えていた。トキさんと引き離され、取り囲まれて警察署に連れて行かれた。
身に覚えはなかった。数日後に「お前はハレンチ罪ではない」と思想犯だと示唆された。留置場の房には悪臭が漂い、布団は汚れていた。
金沢さん宅には軍人の家族が間借りしていたが、信仰のことを打ち明けていた。その相手が憲兵だったと後に知った。
戦争末期で教会は徐々に信徒が減り、残った人々で「聖書研究会」を作っていた。そのうち7人が相次いで逮捕され、指導していたドイツ人のサウエルボルン神父も5月ごろ逮捕された。
戦時下の全国の特別高等警察の活動を記録した「特高月報」という冊子がある。同年4月分に事件が掲載されている。「新潟県特高課にありては、日本天主公教会(カトリック教会の当時の呼称)司祭ドイツ人サヴエルボルンの指導下にある同教会伝道婦、信者等が、天主(キリスト)を絶対視するのあまり、神宮ことに皇室の尊厳を冒とくし奉るべき不敬言辞を弄(ろう)しおる事実を探知し、本月16日、7名を検挙取り調べ中」「不穏教理の研究宣布を目的として結成せる集団存在するやの嫌疑ある」などとある。7人の中に金沢さん母子の氏名も載っている。当時、刑法で定められていた不敬容疑がかけられていたとみられる。
金沢さんらは警察署を転々と移されながら、取り調べを受け続けた。暑い夏を迎え、新潟県加茂市の加茂署で、めがねをかけた特高警察の刑事が担当になった。聖書を差し入れてくれ、金沢さんは「この人は信者になってくれるかもしれない」と心を許して、人生観や信念など求められるまま手記を書いた。
できあがった調書は驚くべき内容だった。「『神でない』と天皇をおとしめて、世の中を乱した」。金沢さんは立場も忘れて思わず鉛筆を刑事に投げつけた。「私をよくもだましたね」。刑事は「当たり前ではないか」と冷笑していた。
秋ごろ、新潟市の新潟刑務所に移された金沢さんは、起訴に先立って面談した予審判事から、天皇に対する不敬罪に問われたことを教えられた。「オオカミのような顔をした刑務所長に転向(して信仰を捨てることを)しないと死ぬことになるぞと言われた」
翌45年春、体調を崩して保釈となり帰宅できたが、警察の監視下に置かれ、離れに住まわされ、家族と会話することはできなかったという。

即日判決で有罪
終戦後まもなくだったと記憶している。突然、裁判所に呼び出された。即日判決が言い渡され、執行猶予付きの有罪になった。「大急ぎで裁判をやり、形式的な判決だった」
逮捕された人たちについて教会が戦後まとめた記録によると、神父と金沢さんら少なくとも4人が有罪判決を受けたとみられる。しかし正確な罪名や量刑は分かっていない。
「ドイツ人のサウエルボルン神父は英国にいたことがあり、米国人と付き合いがあったために、スパイ容疑をかけられていた」との記載もある。逮捕された女性信者の中島邦(くに)さんはスパイだとのうわさを流され、戦後も地域から冷たく扱われたという。後に修道女となって、ブラジルに移住し亡くなった。
不敬罪治安維持法は戦後廃止されたが、名誉回復がなされた形跡は見当たらない。金沢さんによると、証拠となりうる判決文さえ見た記憶がないという。「私の手元にも当時の記録が全くない。とてもひどいことです」と話した。
金沢さんはいま、思う。「世の中が一つになって戦争に向かうとき、反対する人間はつぶされる。あのころは人を治める人たちが惑わされていたのだろう」

記録なく名誉回復困難
敗戦とともに慌ただしく判決が言い渡され、裁判記録が残らない。これは金沢さんたちの事件だけではない。同じ時期の言論弾圧事件として有名な横浜事件でも同じことが起き、名誉回復のための再審を阻む要因となってきた。
横浜事件の弁護人だった海野普吉弁護士(後に日本弁護士連合会会長、故人)は、雑誌「総合ジャーナリズム研究」(1966年11月号)に手記を寄せている。それによると、連合国軍が本土に上陸した45年8月28日、横浜地裁の裁判長から「即日言い渡しをするから私にまかせてください。けっして悪いようには計らわないから」と言われた。翌29日から形式的な公判が始まったという。

海野弁護士の手記にはさらにこうある。「8月28日、裁判所に寄ってみると、その裏庭で山のような書類を燃やしているのを目撃した。そのなかには膨大(ぼうだい)な量に達する横浜事件関係の書類があるはずであった。(中略)法曹界の一人としてまことに遺憾千万であり、憤慨にたえない」
治安維持法は45年10月に廃止されたが、有罪の事実は残った。元被告たちは再審請求を起こしたが、1次、2次は退けられた。裁判記録が残されていないことが名誉回復を阻んだ。2005年に3次請求で再審が開始されたが、有罪・無罪を判断しない免訴判決が確定した。
今も解決していない。元被告2人の遺族が「裁判記録の焼却によって再審請求が遅れた」として国に損害賠償を求めた訴訟を起こした。今年6月、東京地裁は請求を棄却したが「当時の裁判所職員による何らかの関与で記録が廃棄されたと認められる」と認定した。
中央公論社員の木村亨さん(98年死去)の妻まきさん(67)は原告の一人だ。「国に裁判記録の保存義務があるのに焼却されたのは、無責任極まりなく犯罪だと思う」と話した。東京高裁に控訴した。

■ことば

横浜事件
1942年、雑誌「改造」に掲載された論文が共産主義の宣伝だとして、神奈川県警特高課などが治安維持法違反容疑で出版社社員らを逮捕した事件の総称。45年までに約60人が逮捕され、拷問による取り調べで4人が獄死した。横浜地裁は45年9月までに、約30人に執行猶予付きの有罪判決を出した。

高浜原発避難訓練 悪天候での避難手段に課題残る - テレ朝(2016年8月27日)

http://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000082177.html
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福井県関西電力高浜原発での過酷事故を想定し、半径30キロ圏内の住民らが県外に避難する初めての広域訓練が行われました。しかし、天候が悪く、想定していた船3隻やヘリコプターも一部使用中止となり、課題が残りました。
今回の訓練では、福井県京都府の住民のほか、近隣の滋賀県や受け入れ先の兵庫県、国などの約150機関の関係者ら計約9000人が参加しました。けが人や大きなトラブルはありませんでしたが、悪天候で海と空からの避難手段に課題が残りました。船舶では波が高かったため、海上自衛隊海上保安庁が予定していた船3隻の使用が中止。また、ヘリコプターでは雲が多くて視界が悪かったため、4機飛ぶ予定が陸上自衛隊の2機が中止となりました。これについて、福井県の西川知事は訓練後、「航空機が天候で影響を受けるが、陸上でできたか、次回以降は色んな天候のなかで航空体制が取れるかが課題になると思う」として、天候が悪い場合の避難に課題が残ったとしています。原発の再稼働には原子力規制委員会の安全審査に合格する必要がありますが、「安全の車の両輪」とされる避難計画については、規制委員会の対象外です。高浜3、4号機は今年初めに再稼働した原発です。3月に大津地方裁判所が住民の訴えを認め、運転差し止めの仮処分が出されて止まっています。避難計画では船やヘリコプターの使用を想定していますが、天候が悪かった場合の想定まで細かくできていません。

もんじゅ 10年で6000億円 政府試算、廃炉含め検討 - 毎日新聞(2016年8月29日)

http://mainichi.jp/articles/20160829/k00/00m/040/111000c
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管理上の相次ぐミスで停止中の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について、現行計画に基づいて今後10年間運転する場合、国費約6000億円の追加支出が必要になると政府が試算していることが28日、分かった。既に約1兆2000億円をつぎ込みながら稼働実績がほとんどなく、政府は菅義偉官房長官の下のチームで、廃炉も選択肢に含めて今後のあり方を慎重に検討している。【岡田英、阿部周一】

もんじゅを巡っては、原子力規制委員会が昨年11月、運営主体を日本原子力研究開発機構から他の組織に代えるよう所管の文部科学相に勧告。それができなければ廃炉も含めた抜本的な運営見直しをすることも求めた。文科省もんじゅの運転・管理部門を同機構から切り離して新法人に移す方向で調整していた。
複数の政府関係者によると、もんじゅの再稼働には、福島第1原発事故を踏まえた高速増殖炉の新規制基準を規制委が作った上で、これに適合させる改修工事が必要になる。運転には核燃料198体を4カ月ごとに4分の1ずつ交換しなければならないが、もんじゅの燃料を製造する茨城県東海村の工場も新規制基準に対応しておらず、耐震補強などが必要だ。内閣官房を中心にした費用の検討では、こうした対策費に10年間の燃料製造費や電気代、人件費などを加えると追加支出額は約6000億円に達するという。停止中の現在も、維持費だけで年間約200億円がかかっている。
政府内には「(原型炉の次の段階の)実証炉を造れる金額。それだけの支出に見合う存続の意義を国民に説明するのは難しい」という厳しい意見など、廃炉論さえある。原子力機構は2012年、廃炉には約3000億円かかるとの試算をしており、再稼働するかどうかに関わらず今後も多額の国民負担が必至だ。
もんじゅは1985年に着工、95年8月に発電を開始したが、約3カ月後に冷却材のナトリウム漏れ事故で停止した。10年5月に再稼働したが3カ月半後に燃料交換装置の落下事故が起き、稼働・発電実績は1年に満たない。
文科省の担当者は「再稼働後の運営方法の想定次第でいろいろな試算があり、それぞれ精査中。金額についてはコメントできない」と話している。

【ことば】もんじゅ
通常の原発の使用済み核燃料から取り出したプルトニウムとウランを燃料とし、使った以上のプルトニウムを生み出す「高速増殖炉」の実用化に向け試験を行う原型炉で、国の核燃料サイクル政策の中核。冷却に使うナトリウムは空気や水に触れると発火する恐れがあるため扱いが難しく、1995年には漏えい事故が発生。2012年には約1万件の機器点検漏れが発覚し、規制委から運転禁止命令を受けた。

<記憶 戦後71年>(上)極寒の地 極限の苦 シベリア抑留3年・宮嶋孝吉さん - 東京新聞(2016年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082902000109.html
http://megalodon.jp/2016-0829-0912-50/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082902000109.html

今、憲法を考える(1) 平和の道しるべたれ - 東京新聞(2016年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016082902000121.html
http://megalodon.jp/2016-0829-0926-06/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016082902000121.html

マッカーサーの執務室が今も残っている。皇居堀端の第一生命本社ビルの六階。連合国軍総司令部(GHQ)が一九四五年の終戦後、そこに置かれた。執務室は広さ約五十四平方メートル。引き出しのない机と革製の椅子…。背もたれのばねが弱り、今は座ることを許されない。
四六年一月二十四日。当時の首相幣原喜重郎は正午にGHQを訪れた。年末から年始にかけ肺炎で伏せっていたが、米国から新薬のペニシリンをもらい全快した。そのお礼という口実をもって、一人で訪問したのである。
お礼を述べた後、幣原は当惑顔をし、何かをためらっている様子だった。最高司令官のマッカーサーが「意見を述べるのに少しも遠慮する必要はない」と促すと、幣原は口を開いた。
何と「戦争放棄」の条項を新憲法に入れる提案をし始めたのだ。日本が軍隊を持たないということも…。「マッカーサー回想記」の記述だ。こう続く。
<私は腰が抜けるほどおどろいた。(中略)この時ばかりは息もとまらんばかりだった。戦争を国際間の紛争解決には時代遅れの手段として廃止することは、私が長年情熱を傾けてきた夢だった>
二人の会談は三時間に及んだ。マッカーサーは後に米国議会上院でも同じ趣旨の証言をした。
また五七年につくられた憲法調査会会長の高柳賢三がマッカーサーに書簡を出したことがある。戦争放棄はどちら側から出た考えなのかと−。
五八年十二月に返信があった。その書簡でもマッカーサーはやはり幣原による提案だと書いていた。今年になって、堀尾輝久東大名誉教授が見つけた新史料である。こう綴(つづ)られている。
<提案に驚きましたが、心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました>
幣原側にも史料がある。五一年に亡くなる十日ほど前に秘書官だった元岐阜県知事平野三郎に東京・世田谷の自宅で語った文書である。その「平野文書」が国会図書館憲政資料室に残る。
<風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった>
天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた>

天皇制存続と絡み合う
オーストラリアなどは日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制を問題にしているのではない、という幣原の計算があった。戦争放棄をすれば、天皇制を存続できると考えたのだ。この二つは密接に絡み合っていた。そして、マッカーサーと三時間かけて語り合ったのである。
<第九条の永久的な規定ということには彼も驚いていたようであった。(中略)賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった>
憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来(でき)ることではなかった>
平野文書」は九条誕生のいきさつを生々しく書き取っている。
むろん、この幣原提案説を否定する見方もある。GHQに示した当初の政府の改正案には「戦争放棄」などひと言もなかったからだ。大日本帝国憲法をわずかに手直しした程度の内容だった。かつ、二人の会談は録音がないから、明白な証拠は存在しない。ただ、会談から十日後に示されたマッカーサー・ノートと呼ばれる憲法改正の三原則には、戦争放棄が入っている。
ドイツの哲学者カントは十八世紀末に「永遠平和のために」で常備軍の全廃を説いた。第一次大戦後の二八年にはパリで戦争放棄をうたう不戦条約が結ばれた。実は大正から昭和初期は平和思想の世界的ブームでもあった。軍縮や対英米協調外交をすすめた幣原もまた平和主義者だった。

◆戦後国民の願いでも
憲法公布七十年を迎える今年、永田町では「改憲」の言葉が公然と飛び交う。だが、戦争はもうごめんだという国民の気持ちが、この憲法を支え続けたのだ。多くの戦争犠牲者の願いでもあろう。行く末が危ういとき、この憲法はいつでも平和への道しるべとなる。
私たちは憲法精神を守る言論に立つ。戦後の平和な社会は、この高い理想があってこそ築かれたからだ。一度、失えば平和憲法は二度と国民の手に戻らない。
読者のみなさんとともに、今、あらためて憲法を考えたい。

(筆洗)買い占めた男に腹を立てる。 - 東京新聞(2016年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016082902000120.html
http://megalodon.jp/2016-0829-0927-38/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016082902000120.html

若いカップルがクラシックの演奏会に向かう。窓口の前には当日券を求める長蛇の列。手持ちのお金はわずかだが、安い席ならなんとか足りる。二人はほっとする。
ところがである。二人の前に並んでいた怪しい男がその安い席を全部買い占めてしまう。高値で転売する目的である。その値段では、二人には買えない。
青年が男に注意すると反対にのされてしまう。二人のデートは台無しである。黒沢明監督の「素晴らしき日曜日」(一九四七年)。この場面を見るたびに二人が悲しく、買い占めた男に腹を立てる。
終戦ほどない時代の映画だが、入場券をめぐる状況は現在もさほど変わっていないようである。サザンオールスターズや嵐など百を超えるアーティストと音楽業界団体がコンサートチケットの高額転売に反対する共同声明を発表した。
公共の場でのダフ屋行為は都道府県の条例によって禁止されているものの、ネット上では高額転売が公然と行われている。通常で買っても安いとはいえぬコンサートのチケットが買い占めと高額転売の結果、一枚何十万円になっていると聞けば、あの映画の二人は気絶するだろう。
ファンか転売目的かを見分けるのは難しいが、買い占めを完全に防ぐ方法を考えたい。いつの時代も熱狂の音楽を求め、いつの時代も懐寂しい若者たちの夢を大人の「ぬれ手で粟(あわ)」が奪ってはならない。

(私説・論説室から)「助け」のリレー - 東京新聞(2016年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016082902000122.html
http://megalodon.jp/2016-0829-0940-06/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016082902000122.html

小柄だった松田悠介さん(33)は中二の頃、壮絶ないじめに遭っていた。柔道部の同級生が毎休み時間やって来て、技をかける。「死んでしまいたい」とさえ思い詰めた。
そんな時「どうしたら強くなるか一緒に考えよう」と声をかけてくれたのが体育の先生だった。先生は図書館で運動生理学、栄養学などを一緒に調べてくれた。毎朝六時半に学校のトレーニングルームを開け、体力作りにも付き合ってくれた。松田さんの身長は三年間で三十センチ伸びた。いじめはやんだ。
この体験を通じ、体育の教員を志したが、いざ現場に入ると問題が見えてくる。二年で学校現場を離れ、米国留学した。そこで出会ったのが教育格差をなくそうと、優秀な人材を非常勤講師として二年間雇い、貧困地域の学校に派遣しているNPOティーチ・フォー・アメリカ(TFA)」。
松田さんは六年前、TFAの日本版「ティーチ・フォー・ジャパン」を立ち上げた。青年海外協力隊やオリンピック選手のコーチなどさまざまな経歴を持つ社会人を教師として採用し、貧困率が高い地域の学校に派遣。子ども同士で徹底的に褒め合う授業、インターネット電話「スカイプ」で毎日、海外の人と交流する−。ある学校では学力テストの平均点が飛躍的に上がった。「生まれた環境にかかわらず全ての子どもの可能性が生かされる社会を作りたい」との思いだ。 (上坂修子)

大分隠しカメラ “署の暴走”幕引きへ説明迷走 - 毎日新聞(2016年8月29日)

http://mainichi.jp/articles/20160829/k00/00m/040/121000c
http://megalodon.jp/2016-0829-0948-55/mainichi.jp/articles/20160829/k00/00m/040/121000c

大分県警別府署が参院選の公示前後に、大分県別府市にある野党の支援団体の敷地に隠しカメラを設置した事件は、県警が26日、署幹部ら4人を建造物侵入容疑で書類送検し、“署の暴走”として幕引きを図った。しかし発覚後、署を指導すべき県警本部の説明自体がころころと変わり、対応は迷走した。さらに、一般市民になじみの薄い隠し撮り捜査が、日常的に繰り返されている実態も露呈し、その是非を含め追及の舞台は国会や県議会へと移る。【西嶋正法】
「カメラの設置は必要に応じて県警本部に報告しなくてはいけない。今回は当然報告すべきだった」。県警本部の江熊春彦・首席監察官は26日、そう強調した。
ところが県警本部は、問題が表面化した3日、「カメラは署長の判断で設置でき、本部に報告する必要はない」と正反対の説明をしていた。どちらも「だから本部には責任はない」という結論だけは共通している。
迷走はまだある。県警本部は3日、「署員はカメラの設置場所を公有地だと誤認した」と説明していたが、2日後には「私有地と分かっていた」と一転させた。設置の目的も、当初は選挙違反の捜査だと認めなかったが、相次ぐ報道と「選挙妨害」批判に耐えかねたのか26日、「選挙運動が禁止されている特定の人を録画するためだった」と認めた。捜査関係者によると、選挙運動を禁じられた自治体の特定公務員「徴税吏員」の出入りを確認するためだったという。
県警はこの間、署幹部らの「独断」だった点を強調。上司の署長と副署長は懲戒処分でない訓戒にとどめ、本部の監督責任は認めていない。しかし、支援者が監視された形の足立信也参院議員=民進党=は国会質問で取り上げる方針で、9月の県議会でも野党の追及は必至だ。

そもそも、捜査手法に問題はないのか。

県警は26日、「これまでカメラを使う捜査はあったか」と聞かれ「あった」と認めた。ただ「ガイドラインはない。侵害される利益の重大性と、撮影の必要性、緊急性などを(比較し)個別に判断していく」と説明した。これは大阪府警大阪市西成区のあいりん地区に設置した監視カメラを巡り、1998年の判決で最高裁が示した「正当性や必要性、妥当性などを検討すべきだ」との判断を踏まえた発言とみられる。
捜査によるプライバシー侵害は「必ずしも不相当とは言えない」とする甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は、「行きすぎた捜査を認め、カメラ設置の経緯や署員の処分理由を明確にした。大分県警は一定の説明責任は果たした」と評価する。一方、一橋大の村井敏邦名誉教授(刑事法)は「よほどの緊急性がない限り、隠しカメラは肖像権の侵害にあたり、行動の自由を萎縮させかねない。今回の事例は緊急性がなく、選挙期間に出入りした不特定多数の人のプライバシー権を侵害しているので、国家賠償訴訟が起きれば敗訴するのでは」と指摘している。

【ことば】大分県警別府署の隠しカメラ事件
7月10日投開票の参院選を巡る捜査で、別府署員が6月18〜21日、民進、社民両党を支援する連合大分・東部地域協議会などが入る別府地区労働福祉会館(同県別府市)の敷地に計7回無許可で侵入し、隠しカメラ2台を設置したとされる。カメラを見つけた会館側が同24日に通報し、8月3日に表面化した。県警は26日、署の刑事部門を統括する刑事官(警視)、刑事2課長(警部)、刑事2課の捜査員2人(警部補と巡査部長)を建造物侵入容疑で大分地検書類送検した。

元慰安婦支援金 和解の思いを伝えたい - 毎日新聞(2016年8月29日)

http://mainichi.jp/articles/20160829/ddm/005/070/004000c
http://megalodon.jp/2016-0829-0400-45/mainichi.jp/articles/20160829/ddm/005/070/004000c

存命の韓国人元慰安婦は、もう40人だけだ。この事業が心の傷を癒やす一助になることを願う。
韓国の「和解・癒やし財団」が行う元慰安婦に対する支援事業の大枠が固まった。
日韓合意があった昨年末時点で存命だった46人には1人につき1億ウォン(約900万円)程度、亡くなっていた199人の遺族には2000万ウォン(約180万円)程度ずつ支給する。元慰安婦の名誉・尊厳の回復と心の傷を癒やすための事業で、合同慰霊祭なども行われる。
日本が拠出する10億円が原資で、医療や介護など日韓が合意した使途の範囲内で現金が支給される。財団が、一人一人の事情を聞き取って詳細な支給額を決めるという。
日本は日韓合意の際、慰安婦問題の「責任を痛感する」と表明した。1965年の日韓請求権協定で法的には解決済みという立場で使ってきた「道義的な責任」という表現から一歩踏み込んだ。
一方で韓国も、請求権協定では解決されていないという立場から要求してきた「法的責任」という表現へのこだわりを捨てた。双方の歩み寄りがなければ、合意は成立しなかったはずである。
日本政府は90年代にアジア女性基金を通じて「医療・福祉支援」名目の現金支給を行っている。
韓国で女性基金の事業を受け入れた元慰安婦に支給されたのは500万円だ。国民からの寄付を原資とする「償い金」200万円とは別に、政府資金から300万円が「医療・福祉支援」として支払われた。
政府資金の支出は韓国と台湾、オランダ、フィリピン向けに計約7億5000万円。政府は「道義的責任を果たす事業」と位置付け、請求権と切り離した。財団を通じた現金支給はこれを踏襲したものだろう。
日韓関係は合意を契機に改善基調にある。北朝鮮の核・ミサイル開発が進む中、両国の連携強化はきわめて重要だ。和解への動きを確かなものとしなければならない。
韓国政府は、ソウルの日本大使館前に建つ少女像について「適切に解決されるよう努力する」と約束している。ただ、韓国世論は依然として少女像の移転に否定的だ。財団の事業を円滑に進めることで、世論の理解を得られるよう努めてほしい。
菅義偉官房長官は10億円拠出を閣議決定した際、「資金の支出が完了すれば、日本側の責務は果たしたことになる」と述べた。
日本は資金を出して終わりという認識なら間違っている。日本には、元慰安婦の心の傷が癒やされるよう韓国側の努力を見守る姿勢が求められている。

制服・部活…学校関連の出費、就学援助とつらい時間差 - 朝日新聞(2016年8月29日)

http://www.asahi.com/articles/ASJ8Q5SJNJ8QUUPI003.html?iref=comtop_latestnews_03
http://megalodon.jp/2016-0829-1616-33/www.asahi.com/articles/ASJ8Q5SJNJ8QUUPI003.html?iref=comtop_latestnews_03

公的手当の「まとめ支給」について3月と6月、フォーラム面で議論したところ、「就学援助もまとめ支給なので困っている」という声が子育て世帯から寄せられました。就学援助は経済的に困っている世帯の子どもに、学用品や給食費、修学旅行費などが支給される制度です。どんな問題が起きているのか、再び考えます。

「共謀罪」法案 政権の手法が問われる - 朝日新聞(2016年8月29日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12532834.html?ref=editorial_backnumber
http://megalodon.jp/2016-0829-0920-20/www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_shasetsu_01

またぞろ、というべきか。
安倍内閣が、人々の強い反対でこれまでに3度廃案になった「共謀罪」法案を、「テロ等組織犯罪準備罪」法案に仕立てなおして、国会に提出することを検討しているという。
ついこの間おこなわれた参院選ではそのような方針はおくびにも出さず、選挙が終わるやいなや、市民の自由や権利を脅かしかねない政策を推し進める。特定秘密保護法や安全保障法の制定でもみせた、この政権のふるまいである。
いや、自民党は治安・テロ対策を選挙公約に掲げたうえで多くの支持を得ている。政府はそう反論するかもしれない。
しかしそこに書かれていたのは「国内の組織・法制のあり方について研究・検討を不断に進め、『世界一安全な国、日本』を実現します」という、著しく具体性を欠く一文だ。連立与党を組む公明党は、公約でこの問題にいっさい触れていない。
そんな状況で本当に法案を提出するつもりなのか。内容以前に、政権の体質そのものがあらためて問われよう。
実際に行動に移さなくても、何人かで犯罪をおこす合意をするだけで処罰する。それが共謀罪だ。マフィアなどの国際犯罪組織を取り締まる条約を結ぶために、日本にも創設することがかねて議論されてきた。
しかし小泉内閣が提出した法案には、▽共謀罪が適用される組織の範囲があいまいで、ふつうの労働団体や市民団体、企業の活動が制約されるおそれがある▽共謀だけで罪となる行為が600以上に及び、処罰の網が広くかかりすぎる▽犯罪が行われてはじめて刑罰を科すという刑法の大原則がゆらぐ――といった批判が寄せられた。
今回の案では、当時の国会審議や与野党協議の到達点を踏まえ、組織の定義などについて相応の修正がなされるようだ。
だが対象罪種は前のままで、引き続き600を超すという。数を絞り込む方向で積み重ねてきた、これまでの議論はどうなったのか。この間も捜査のいきすぎや不祥事は後を絶たず、そんな当局に新たな力を付与することに疑問をもつ人は少なくない。さらなる見直しが必要だ。
東京五輪をひかえ、テロ対策や国際協力の看板をかければ、多少の懸念があっても大方の理解は得られると、政権が踏んでいるのは容易に想像できる。
もちろんテロの抑止は社会の願いだ。だからこそ権力をもつ側はよくよく自制し、人権の擁護と治安というふたつの要請の均衡に意を砕かねばならない。