(政界地獄耳)憲法議論 スピードに違和感 - 日刊スポーツ(2016年7月23日)

http://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/1683029.html
http://megalodon.jp/2016-0725-1506-46/www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/1683029.html

時事通信が実施した7月の世論調査憲法改正をめぐる議論についての問いに「急ぐべきではない」が54%と過半数を占め、「速やかに議論を始めるべきだ」は36%にとどまったという。秋の国会では参院選の結果を受け、憲法議論が活発化する可能性が高いが、国民はそのスピードに違和感があるのだろうか。
★1つは憲法の中のどの箇所の改正議論かということが定まっておらず、漠然とした憲法議論になっていること。そして天皇陛下生前退位のお考えがあることの議論が優先されるべきという国民感情があるからではないか。21日、公明党代表山口那津男は会見で「憲法という奥行きが深く大きいテーマについて議論するには相当の時間がかかる。あらかじめ時間を区切ることは不適切」として、丁寧な議論にすべきとの考えを示した。また、「落ち着きのいい合意形成のためには、野党第1党の理解を含めた合意形成を図るべきだ」と、この議論は与野党の垣根を越えるべきで、議会での議論にすべきという考えとともに、憲法観でまとまりのない民進党をけん制。テーブルに着くように促す意図があったとみる。
★15日には参議院行政監視委員長・礒崎陽輔ツイッターに「御理解いただきたいのですが、自民党憲法改正草案は、野党時代に作成した『歴史的文書』です。したがって、それを改正するなどということはあり得ません。一方、具体の憲法改正手続きにおいて、それをそのままの形で与野党協議の場に案として提出する性格の文書でもありません」と意味不明の書き込みをした。礒崎は首相補佐官の時、安保法制議論の中、「立憲主義などという言葉を知らない」と言い張った人物。先が思いやられる。(K)※敬称略

https://twitter.com/isozaki_yousuke/status/754102355835039744?lang=ja

憲法議論 国会・各党の実績は 審査会、今年は参院1回 - 東京新聞(2016年7月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201607/CK2016072502000118.html
http://megalodon.jp/2016-0725-0946-01/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201607/CK2016072502000118.html


安倍晋三首相(自民党総裁)は改憲に前向きな勢力が衆参両院で発議に必要な三分の二以上の議席を確保したことで、秋の臨時国会から衆参両院の憲法審査会で議論を進めたい考え。憲法審や各党内の議論の実績や見通しを探った。 (清水俊介)
両院に置かれた憲法審査会は憲法に関する重要事項を審議する機関。国会議員が改憲原案を提出した場合は国民投票で賛否を問う前に内容を審議する。具体的な改憲項目について議論を進めたい首相に対し、公明党憲法審での「熟議」を求めている。野党第一党民進党改憲を前提としない議論なら応じる姿勢を見せる。
だが、今年の実質的な審議回数は衆院がゼロ、参院も一回のみ。昨年六月の衆院憲法審で参考人憲法学者が審議中の安全保障関連法を「違憲」と明言。与野党の対立が激しくなって以降、まともに開催できていない。
自民党衆院憲法審関係者は「急がば回れだ。野党が参加する方が早く進む」と、野党側に配慮を見せながら再開を模索する考えを示している。
主な政党の党内議論の状況と見通しはどうか。
自民党は野党時代の二〇一二年に憲法改正推進本部で改憲草案を策定。その後も有識者などを招いた勉強会を続けてきた。本部長の森英介元法相は「草案はあくまでたたき台」と指摘。今後は草案の修正も視野に入れながら、党内議論を進めていく構えだ。
公明党は時代に合わせて条項を加える「加憲」を掲げ、〇四年に「論点整理」をまとめた。具体的な改憲項目の絞り込みは行っておらず、党憲法調査会も昨年五月を最後に開かれていない。山口那津男代表は党内の意見調整には「相当時間がかかる」と話している。
民進党は結党直後の今年四月に憲法調査会を開き、旧民主党が〇五年にまとめた「憲法提言」と、維新の党の「憲法改正による統治機構改革」を歴史的文書として引き継ぐことを確認した。調査会長の江田五月参院議長が引退するため、九月の党代表選後に後任が決まらないと、本格的な議論が始められない状況だ。

改憲問う国民投票とは? 項目ごと賛否に「○」- 東京新聞(2016年7月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201607/CK2016072402000150.html
http://megalodon.jp/2016-0725-0948-26/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201607/CK2016072402000150.html


先の参院選を経て、自民、公明、おおさか維新、日本のこころの「改憲四党」が参院改憲発議に必要な三分の二以上の議席を確保することになり、衆院と合わせて改憲案を国民に問う「国会発議」の環境が整った。発議があった場合、改憲するかどうかを国民投票で決する。国民投票とはどんなものなのか。 (大杉はるか)

Q 国民投票の手順は。
A 通常の選挙と同様に、有権者は投票日、市区町村が指定した投票所に行き、投票用紙をもらう。記載台の近くに掲示された改憲案を確認し、投票用紙に記された「賛成」か「反対」のいずれかを「○」で囲み、投票箱に入れる。

Q 一回の国民投票で扱うのは一つのテーマだけ?
A そういう場合もあるし、複数のテーマについて賛否を問う場合もあるだろう。以前、衆院憲法審査会で自民党議員が「ぎりぎり五問が限界」との見通しを示したが、五問もあると混乱する有権者もいるかもしれないね。
複数の場合、投票用紙は項目ごとに異なる。一方は賛成、一方は反対という人が、まとめて判断しろと言われても困るからね。

Q 一つの条文の変更、あるいは新設ごとに「○」をつけるということか。
A 基本的にはそうなるが、違う条文でも同じテーマなら、一つの項目としてまとめられる。国会に改憲原案を提出する段階で、「関連事項ごとに区分」すると国会法で定められているんだ。
極端な例では、現行の衆参二院制を一院制にする場合、憲法四章「国会」の大部分に当たる二十二の条文変更が必要とされる。一つずつ「○」をつけるのは大変なので、「一院制に賛成か反対か」といった形になるだろう。逆に、戦争放棄を定めた二章と、裁判所の仕組みに関する六章の条文は関連事項とは言えず、別の項目になる。

Q 国会発議までの手順は。
A まず、衆院なら百人以上、参院なら五十人以上の賛同で、改憲原案を国会に提出。提出先の院の憲法審査会で審議され、過半数の賛成で本会議に上程。全議員の三分の二以上が賛成すれば可決となり、もう一方の院に送られる。同様の手続きを経て本会議で可決されれば、初めて国民に発議できる。

Q 発議したら、すぐに国民投票になるの?
A 改憲案はじっくり考える必要があるため、投票日は発議日から六十〜百八十日の間で国会が決めた日となる。有権者はこの間、同じ分量の賛成意見と反対意見が記された公報や、各政党の主張、メディアの情報を参考に判断する。

Q 改憲案の成立条件は。
A 有効投票総数の過半数の賛成が必要。成立したら、天皇が公布する。

Q 先の参院選のように、国民投票も十八、十九歳が投票できるのか。
A 今は二十歳以上だが、二〇一四年六月に成立した改正国民投票法に基づき、一八年六月二十一日以降は十八歳以上に引き下げられる。

検察誤認起訴 “イロハのイ”ができず - 東京新聞(2016年7月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016072502000130.html
http://megalodon.jp/2016-0725-0952-26/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016072502000130.html

起訴された男性二人が犯人でないことがわかり、東京地検が公訴を取り消した。写真で容疑者を特定する「面割り」に頼り、間違った。客観的証拠がないのに起訴に踏み切る検察の安易さに驚く。
「捜査のイロハのイができていなかった」「捜査不十分」「情けない」−。東京地検の幹部が漏らした言葉だ。犯人でないことを理由に公訴を取り消すという事態は異例である。それほどまでにおそまつな捜査だったといえる。
二年半前の傷害事件だった。東京都八王子市内で、深夜に四十代の男性二人が外国語を話す複数の男に殴られたり、蹴られたりして、それぞれ二週間と一カ月のけがを負った。犯人はタクシーに乗って逃げた。
警察は今年三月に中国籍の会社経営者二人を傷害容疑で逮捕した。二人とも容疑を否認していたが、東京地検立川支部は同罪で起訴した。このとき決め手としたのが、写真による「面割り」だった。目撃者に何枚もの写真を見せて、容疑者を特定する捜査手法である。証拠らしいものは、それら目撃情報しかなかったようだ。
六月の裁判が始まる前に、弁護側がタクシー会社に問い合わせたところ、ドライブレコーダーの映像が残っていた。そこに映っていたのは、全く別の三人組の姿だった。会話をする言語も、中国語ではない外国語だった。つまり起訴された二人は犯人ではない−。
二人は無実だと言っていたし、アリバイがあることも主張していた。犯行時間に居酒屋から別の店に移動して飲食していたのだ。それらの言い分が捜査当局になぜ聞き入れられなかったのだろう。犯人だと決め付けて、聞く耳を持たなかったのではないか。
仮に犯人だと疑ったとしても、客観的な証拠を集めなかったのは致命的である。逆に言えば犯人でないから客観証拠がないのだ。弁護側に指摘されるまで、捜査側はドライブレコーダーの映像を確認してもいなかった。ずさんな捜査が繰り返されている。
過去の失敗から検察は、数々の教訓を読み取ったはずである。証拠を十分に収集することは当然として、それに対して冷静で多角的な評価を加えなければならない。
「イロハのイ」の誤りであるからこそ深刻なのだ。慎重さが足りなさすぎる。
ぬれぎぬを着せられた二人の身柄拘束は約百日にも及ぶ。その重大さをかみしめねばならない。

(私説・論説室から)再び「自由からの逃走」か - 東京新聞(2016年7月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016072502000132.html
http://megalodon.jp/2016-0725-0953-10/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016072502000132.html

世界各地のさまざまなレベルで秩序が綻(ほころ)び、液状化しているように見える。殊に厄介なのは、過激派組織イスラム国による無差別テロの拡散である。悲しいかな、最近もバングラデシュで多くの日本人が犠牲になった。
不可視な敵ネットワークへの恐怖と不安から、民衆は強力なリーダーを望んでいる。欧州諸国では排外主義を掲げる極右勢力が台頭し、米国ではムスリムの入国制限を訴えるトランプ氏が共和党大統領候補に決まった。
人間同士の殺戮(さつりく)行為は同じなのに、国家間の戦争に反対はしても、テロとの戦争には異を唱えない風潮がある。諦めなのか。国境が意味を失った現代、民衆は差し迫った脅威の除去を請い、権力依存へと傾くのだろう。
テロの封じ込めを大義名分に、権力が肥大化しやすい時代である。裏返せば、自由や人権、民主主義といった近代社会の理念を、民衆が無自覚に放棄しかねない危うさがある。
第一次大戦末期の君主制の崩壊や資本主義の進展は、ドイツ民衆を封建的束縛から解放した。同時にそれは伝統や慣習を解体し、自由ゆえの孤立感や無力感を増大させた。一九三〇年代、民衆の経済的欠乏はもとより精神的不安を解消したのはヒトラーだった。
ドイツの社会心理学者フロムが「自由からの逃走」と分析したその民衆心理が、地球規模で広がらないか。今は少なくともテロが煽(あお)る憎悪や差別にのみ込まれまい。 (大西隆

被災地の子に異文化体験を 関東の外国人が「留学」招待 - 東京新聞(2016年7月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201607/CK2016072302000241.html
http://megalodon.jp/2016-0725-1007-52/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201607/CK2016072302000241.html

東日本大震災で被災したひとり親家庭の子どもを夏休み中、関東地方の外国人が自分の家庭に招待する国内ホームステイプログラムが三十一日から始まる。親が仕事で家にいない子どもの孤独感を取り除き、親にも安心して働いてもらうのが目的だ。
企画したのは、岩手県陸前高田市NPO法人マザーリンク・ジャパン。ひとり親家庭の小学四年〜高校三年の子どもが対象で、面接を終えた外国人家庭約十組の家に、それぞれ滞在する。外国人の出身は米国やカナダなどさまざまで、その国の文化や英会話を学べる。期間は三十一日から最大二週間、参加費は無料。
寝占(ねじめ)理絵代表は「協力してひとり親家庭を支えたい」と話す。
ジンバブエ出身の鈴木エリザベスさん(48)は茨城県美浦村で夫と娘四人と暮らす。「文化が違っても、幸せに生活できることなどを知ってほしい。外国の料理を一緒に作って楽しみたい」と心待ちにしている。
参加者を募集しており、問い合わせはマザーリンク・ジャパン=電070(2625)8130。

週のはじめに考える 宿営地共同防衛は合憲か - 東京新聞(2016年7月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016072402000152.html
http://megalodon.jp/2016-0725-0955-23/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016072402000152.html

安全保障関連法の施行に伴い南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された自衛隊の武器使用範囲が広がりました。解説しつつ考えてみます。
政府は南スーダンの自立のためのPKOに二〇一二年一月から陸上自衛隊を参加させ、施設科部隊を中心とする三百五十人が道路補修などに従事しています。今月上旬、自衛隊のいる首都ジュバで大統領派と副大統領派との間で戦闘が発生、自衛隊は外での活動を中止して宿営地にこもりました。
日本の国際協力機構(JICA)は自力で脱出、日本大使館の四人は急きょ派遣された自衛隊機で南スーダンを離れました。

◆改正PKO法で可能に
気遣われるのは居残った自衛隊の安否。現在は宿営地内の施設工事や戦闘を逃れて宿営地に入った地元住民の生活支援をしています。宿営地が攻撃された場合、自衛隊はどうするのでしょうか。
これまでPKO部隊の自衛官は自分や近くにいる同僚、管理下に入った者を守るための武器使用しか認められていませんでした。安保法のひとつの改正PKO法が施行され、宿営地の囲いの中に一緒にいる他国軍を守るための武器使用ができるようになりました。
結果的に他国軍とともに宿営地そのものを守ることになります。これを「宿営地の共同防衛」といいます。攻撃してくる武装勢力が国や国に準じる組織なら海外での武力行使にあたり、憲法九条違反のおそれが出てきます。
一三年十二月、最初に起きた大統領派と副大統領派による武力衝突の際、自衛隊はPKO本部から宿営地の防衛強化を求められました。その中に「火網(かもう)の連携」、すなわち発砲して弾丸の網を張り巡らせることが含まれていました。
陸上自衛隊研究本部は「教訓要報」の中でこう報告しています。

◆時間不足の国会論議
「『火網の連携』の実効性を高める上で隣接部隊間の相互支援は不可欠である。しかし、我が国の従来の憲法解釈において違憲とされる武力行使にあたるとされていた」。だから「火網の連携」は実施しなかったというのです。
では、なぜ「火網の連携」もあり得る「宿営地の共同防衛」は合憲になったのでしょうか。
入手した改正PKO法をめぐる内閣官房の想定問答にはこうあります。「宿営地は最後のとりで」「宿営地を防護する要員は相互に身を委ねあって対処する関係にあり、自己保存型の武器使用権限を認める」「自己保存のための武器使用は自然権的権利であるため相手が国または国に準じる組織でも憲法九条の禁じる武力行使にはあたらない」。宿営地の他国軍を守るのは自然な権利、だから合憲だと三段論法で主張しています。
防衛省幹部は「宿営地の囲いの中であれば一キロ、二キロ離れた他国軍を守るために武器使用しても合憲」と解説します。そうでしょうか。大統領派や副大統領派には正規軍が含まれます。軍と撃ち合っても武力行使にならないなんておかしくありませんか。PKO参加の自衛隊は自己保存を大義名分に交戦可能となっていたのです。
安保法は十一本もの法案を審議したにもかかわらず、わずか四カ月で成立。憲法解釈を変更した集団的自衛権行使の議論に多くの時間が割かれ、野党の追及はPKOの変化にまで及びませんでした。
南スーダンにいるのは五月に派遣された北海道の部隊です。派遣前、中谷元防衛相は参院選への影響を避ける狙いからか改正PKO法で実施可能になった「駆け付け警護」とともに「宿営地の共同防衛」も「任務として与える予定はない」と明言しました。
法律上、「駆け付け警護」は閣議決定される実施計画に任務として書く必要があり、確かに書かれていないので実施できませんが、「宿営地の共同防衛」は別です。「改正PKO法の施行と同時に実施できる」(内閣府国際平和協力本部)うえ、首相がさだめた実施要領でも実施可能となっている。
その点を指摘すると防衛省は見解を出してきました。「突発的な事態の発生に際しては、実際に発生する個別具体的な状況を踏まえ、その時点で実施可能な任務を適切に果たしていく所存です」。できる範囲のことはやるという意味で「宿営地の共同防衛」を排除していません。結局は現地部隊の裁量に委ねられているのです。

◆現地部隊の裁量次第
東西二キロの宿営地にいるPKO部隊はルワンダ軍、エチオピア軍など。自衛隊は十分に意思疎通できているでしょうか。日本政府を頼っても無駄です。公式見解通りなら「任務としては与えていないが、法的には可能だ」と答え、暗に自分たちで判断するよう求めるに決まっているからです。

沖縄の米軍基地 対話でしか打開できぬ - 東京新聞(2016年7月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016072302000150.html
http://megalodon.jp/2016-0723-0901-33/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016072302000150.html

米軍普天間飛行場の返還に伴う新基地建設をめぐり、政府が再び沖縄県との法廷闘争に入った。和解プロセスからの逸脱である。対話を通じてしか打開できないことを安倍政権は肝に銘じるべきだ。
話し合いで問題解決の道を探る心積もりなど、最初からなかったのではないか。そう勘繰らざるを得ない強権的な姿勢である。
政府が沖縄県名護市辺野古での新米軍基地建設をめぐり、翁長雄志知事が国の指示に従わないのは違法だとして県を相手取って新たな訴訟を起こした。法廷での決着を経て、本格的な建設作業を早期に再開したいのだという。
政府と県は今年三月に和解し、新基地建設をめぐる双方の訴えを取り下げ、打開に向けた協議のテーブルに着いていた。その最中の政府による訴訟再提起である。
沖縄負担軽減担当相でもある菅義偉官房長官は訴訟と協議は両立すると強弁したが、同時並行が円満解決につながるとは思えない。
参院選が終わったのを機に、協議による解決を一方的に放棄したとの誹(そし)りは免れまい。政府は陸上部分の工事を再開する意向も示している。いずれも辺野古での新基地建設を既成事実化しようとする動きであり、看過できない。
六月の県議選では翁長県政与党が過半数を確保した。今月十日の参院選沖縄選挙区では自民党の島尻安伊子沖縄・北方担当相が野党統一候補に惨敗し、沖縄から与党系国会議員がいなくなった。
いずれも、在日米軍専用施設の約74%が集中する沖縄県に、米軍基地はこれ以上造らせないという県民の強い意思の表れだ。
安倍政権は選挙で示された民意を尊重し、辺野古「移設」をまず白紙に戻し、国外・県外移設など県民の抜本的な基地負担軽減策の検討に入るべきである。
安倍政権は、米軍北部訓練場の一部返還の条件とされている東村高江のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設工事も再開した。
選挙が終われば、結果に関係なく、地元の反対を押し切ってでも米軍専用施設の建設を進める。そんな強権的な姿勢で、県民の理解が得られるわけがない。
沖縄県では米軍関係者の事件・事故も相次いでいる。米軍施設を強引に造っても、県民の敵意に囲まれるだけだ。そんな状況で米軍への基地提供という日米安全保障条約上の義務を果たせるのか。
安倍政権にとっては、県民や翁長知事との真摯(しんし)な対話こそ「唯一の解決策」のはずである。

小林正樹監督の生涯 世田谷文学館、生誕100年で展覧会 - 東京新聞(2016年7月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201607/CK2016072502000153.html
http://megalodon.jp/2016-0725-1303-21/www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201607/CK2016072502000153.html

人間の條件」や「切腹」「東京裁判」「化石」などの作品で知られる映画監督、小林正樹さん(一九一六〜九六年)の生誕百年を記念し、その生涯と全仕事を振り返る展覧会が、世田谷文学館で開かれている。
小林さんは、北海道小樽市生まれ。女優、田中絹代が父親のいとこだったことから、撮影所に出入りするようになり、早大会津八一に東洋美術を学んだ後、四一年松竹に入社。軍隊、捕虜収容所生活を経て、戦後は木下恵介監督の助監督としてキャリアを積み、五二年に「息子の青春」で監督デビューした。
会場には、戦争中に関東軍に配属された小林さんがソ連国境警備中に書き、奇跡的に現在まで保存されていたシナリオ「防人(さきもり)」の原本や、自身初のカラー映画「怪談」の色彩イメージを構想するための設計図など貴重な資料が数多く展示。会期中には「東京裁判」などの上映会も予定されている。
小林さんは、七一年のカンヌ国際映画祭フェリーニチャプリンらと共に「世界十大監督」の一人として功労賞を受賞、日本を代表する巨匠と国際的に評価されている。生誕百年、没後二十年にあたる今年は、市立小樽文学館新潟市會津八一記念館でも特集が企画され、十月の渋谷・ユーロスペースでの特集上映や、岩波書店からの書籍の刊行も予定されている。
世田谷文学館の庭山(にわやま)貴裕学芸員は「戦争当事者として、被害者でありながら加害者である日本人の二重性を見つめた小林作品の重要性は、今ますます高まっている。生誕百年記念のDVDやブルーレイなどの発売も始まっており、若い世代にも小林作品をもっと知ってほしい」と話している。
 展覧会は九月十五日まで。問い合わせは世田谷文学館=電03(5374)9111。

生誕100年 映画監督・小林正樹
会場:世田谷文学館2階展示室
http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html

児童虐待 電子版で再ブレーク 漫画「ちいさいひと」再開 - 毎日新聞(2016年7月25日)

http://mainichi.jp/articles/20160725/k00/00e/040/145000c
http://megalodon.jp/2016-0725-1313-25/mainichi.jp/articles/20160725/k00/00e/040/145000c

25日発売の「少年サンデーS増刊」で
児童虐待をテーマに、週刊少年サンデー小学館)などで2010〜13年に連載された漫画「ちいさいひと 青葉児童相談所物語」が、25日発売の「少年サンデーS増刊」で再開された。連載終了後、電子版が販売されたところ、子育て中の母親を中心に支持され再ブレークしたためで、出版側は「全力で子どもを守る児童福祉司を通して、公的機関の児童相談所の役割を問いかけたい」と話している。
「ちいさいひと」は子どもを守るため奔走する若い児童福祉司が主人公。連載が始まると、親の育児放棄により餓死寸前の子どもや継父からの性虐待に悩む子ども、DV(ドメスティックバイオレンス)現場など虐待の本質に切り込み、少年誌では異例として話題になった。
連載終了後、15年から電子書籍として販売されると、20〜40代の子育て世代を中心に、「子どもを産んでから普通の親と虐待する親は紙一重だと思った」「虐待してしまう親も苦しんでいる」などと共感を呼んだ。小学館によると、ダウンロードは累計で50万件、単行本は20万部を突破したという。
再開される連載の第1回は居所不明児を取り上げた。生活苦から住民票を移さずに住まいを転々とし、福祉の網から漏れた親子。その親子を懸命に捜し出そうと奔走する児童福祉司。子どもの泣き声を聞きながらも通報をためらう住民−−。
取材を担当したジャーナリストの小宮純一さん(58)は「児童相談所が直面している問題を常に追いかけたい」と説明する。作画を担当する漫画家、夾竹桃(きょうちくとう)ジンさんは「親はどんな理由で虐待してしまうのか。虐待を受けた子どもはどう感じているのか。虐待を防ごうとしている人は何を思っているのか。その思いを描いていきたい」と話す。
小学館は前シリーズの電子書籍の売り上げから約60万円をNPO法人児童虐待防止全国ネットワーク」に寄付した。同法人の吉田恒雄理事長(駿河台大学長)は「子育て中の親の不安や孤独も描かれている。多くの人が、虐待の背景に気づくきっかけになるのではないか」と話している。【鈴木敦子】

新・ちいさいひと 青葉児童相談所物語
https://www.sunday-webry.com/comics/shinchiisaihito/

(筆洗)スティーブン・ピンカー氏の『暴力の人類史』- 東京新聞(2016年7月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016072402000128.html
http://megalodon.jp/2016-0725-0942-45/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016072402000128.html

その学者はこんなふうに書き出している。「信じられないような話だが」。続いて「ほとんどの人は信じないに決まっているが」としつこい。
そこまでためらい、やっとこう主張する。「長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ」。スティーブン・ピンカー氏の『暴力の人類史』(青土社)。ハーバード大の心理学教授である。
教授がためらった理由は分かる。誰もそう感じていないからである。テロに紛争に殺人事件。世界は暴力に満ちている。「最も平和な時代」の実感がまるでない。
それでも、同書によると家庭内から国家間にいたるまであらゆる暴力は減少に向かっている。英国での殺人件数でいえば、十四世紀と二十世紀と比較した場合、95%減である。
安定した国家統治や知識、理性の向上によって人類は暴力を大幅に減らすことに成功したという。現代をより暴力的な時代と考えるのは血なまぐさい事件を記憶にとどめやすい一種の「錯覚」で教授は、「現在はそれほど邪悪ではない」という。
さて、また銃乱射事件が起きた。ドイツのミュンヘン。九人が死亡した。マクドナルドでハンバーガーを楽しんでいた子どもも撃たれた。ねえ教授。これでも、われわれは暴力が減った、「最も平和な時代に暮らしている」のでしょうか。

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

ヒロシマ 孫世代が継ぐ 来月3〜8日、みなとみらいでイベント:神奈川 - 東京新聞(2016年7月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201607/CK2016072402000115.html
http://megalodon.jp/2016-0725-0942-14/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201607/CK2016072402000115.html

一九四五年八月六日の広島に原爆が投下された日の記憶を、「孫の世代がつないでいく」との思いを込めた催し「第三世代が考える ヒロシマ『 』継ぐ展」が八月三〜八日、横浜市西区のみなとみらいギャラリーで開かれる。実行委員会代表の久保田涼子さん(33)=東京都武蔵野市=には、被爆者の祖母(90)がいる。「戦争を経験していない自分たちこそ、戦争や平和に向き合っていく必要がある」と話している。 (志村彰太)
久保田さんは広島市出身。祖母は爆心地から二・一キロの自宅で被爆した。割れた窓ガラスの破片が右腕に刺さるなどし、爆心地から離れるように避難しながら、がれきの下敷きになった人らを助けたという。
高校卒業後に上京した久保田さんは、被爆体験を聴くなどの「平和学習」について、「東京では知らない人が多くて驚いた」。ただ、自身は行動を起こすことなく、ウェブサイトの設計や製作の仕事をしていた。
二年前、原爆投下後の広島を描いた「父と暮らせば」の朗読劇を演じる知り合いの女優から、広島弁の指導を頼まれた。「広島と縁のない人が、真剣に伝えようとする姿に心を打たれた」。同時に「平和教育を受けていながら、何もしていなかった自分」に気付き、知人に「私にできることをしたい」と相談した。
三十代を中心とする三十人ほどのアーティスト仲間が協力し、昨年夏に東京都中野区で初めてイベントを開いた。「何を伝え、受け継いでいくか、それぞれが考えてほしい」との思いから、催しの名称には空白のかぎかっこを入れた。
昨年は、被爆者らへのインタビュー内容を記載したパネルや冊子、平和記念資料館から借りた写真などを展示。ほかにも、インターネットで鎮魂の灯籠流しを疑似体験できるウェブサイトを久保田さんが開発し、会場に専用端末を置いた。「仮想灯籠流し」にはメッセージを寄せることができ、多くの来場者が書き込んだという。
「昨年は『戦後七十年だからやるのか』『一回だけじゃ意味がない』と、平和記念資料館の人に指摘された」と久保田さん。「十年は続けたい」と、今年は前回の展示内容に加えて、神奈川県内の被爆者、伝える活動をしている人や研究者ら計十六人のインタビュー結果をパネルにして並べる。広島大の「原爆瓦発送之会」から借りた、焦げ跡がついた瓦や石も展示する。
また、八月五、六の両日、被爆体験の伝承者で、昨年にノーベル平和賞授賞式に招かれて出席した岡田恵美子さん(79)=広島市=と対話する催しや、七日は被爆者への聞き取りを基にした朗読劇「ヒロシマの孫たち」の発表会もある。
今回は、横浜市内の大学生を含めた九十人が協力。関東学院大四年の宮野健人さん(21)は、「二月に一人旅で広島に行った。見たものや聴いてきたことを伝えたい」と話す。
久保田さんは「テーマは重い。でも、広島から離れたところに住む人たちが、原爆被害を学ぶきっかけになれば」と期待する。詳しいプログラムは「継ぐ展」のホームページで閲覧できる。

第三世代が考える ヒロシマ「   」継ぐ展
http://tsuguten.com/

(余録)米東部のバーモント州が今月から遺伝子組み換え食品の表示を義務付けた… - 毎日新聞(2016年7月24日)

http://mainichi.jp/articles/20160724/ddm/001/070/147000c
http://megalodon.jp/2016-0725-0941-36/mainichi.jp/articles/20160724/ddm/001/070/147000c

米東部のバーモント州が今月から遺伝子組み換え食品の表示を義務付けた。全米初の試みだ。「日々口にする食品の原料がどう作られるのかを知りたい」という消費者の声を食品業界の圧力が封じる状況に風穴をあけた。他の州にも広がる勢いという。
バーモント州はもともと住民の意識が高く革新的だったわけではない。風土を変える第一歩は、バーニー・サンダース氏による44年前の挑戦だったと言われる。小さな地域政党から上院議員選に出て得票率2%で惨敗した。
挑み続けて1981年、州最大の都市バーリントンの市長になった。それでも、市議会の抵抗で1年間は仕事ができなかったと「バーニー・サンダース自伝」(大月書店)は書く。地道に市民の支持を広げ、市議会でも勢力を得て公約実現に動く。低価格住宅の提供や警察組織の拡充、芸術文化の振興などを実行し、住民本位の地域政治を進めた。
その後、下院、上院議員と転じ、この1年は民主党の大統領候補指名をヒラリー・クリントン氏と争い、「時の人」となった。不屈の精神、公正や平等を重んじる姿勢は長い苦闘で身につけたものだろう。
彼の足跡は、地域や国の政治がどうやって、どのくらいかけて変わるかを物語るようだ。自伝には「私が政治に真面目だとしても、アメリカ国民よりも私の方が真面目だとは思わない」とあり、政治の主役である市民への敬意がにじむ。
指名争いで25歳以下の8割に支持された彼の戦いは、あすからの民主党全国大会で終わる。しかし、その遺産はいずれ米国の、世界の変革を起こす波を生むのではないだろうか。そう予感させる。