安倍応援団が民進党・山尾志桜里の「地球5周分」ガソリン代を追及も、安倍首相はその倍以上「地球12周分」を計上! - litera_web(2016年4月3日)

http://lite-ra.com/2016/04/post-2127.html

たとえば、安倍首相が代表をつとめる「自民党山口県第4選挙区支部」が同じ12年に計上したガソリン代はなんと573万2858円と、山尾政調会長の「民主党愛知県第7区総支部」の2.5倍! 山尾氏が地球5周分なら、こちらは地球12周分のガソリンを計上したことになる。
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また、菅義偉官房長官も安倍首相ほどではないが、12年には、山尾政調会長とほぼ同額の222万5345円、13年は山尾政調会長の2倍以上にあたる194万5748円を計上している。

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民進党は先手をうって山尾政調会長の疑惑をきちんと国民に説明し、そのうえで安倍首相の政治資金疑惑追及に打って出るべきではないか。正直言って、今の民進党に期待する気持ちはもてないが、それでも官邸の謀略政治を食い止め、この国の民主主義を守るためには、野党の踏ん張りが絶対に必要なのだ。

関連)
「安倍首相ガソリン代地球13周分」- 日刊ゲンダイ(2016年4月5日)

春の新聞週間を前に 自由な言論空間を守る - 東京新聞(2016年4月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040502000124.html
http://megalodon.jp/2016-0405-0935-33/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040502000124.html

春の新聞週間が六日から始まる。夏には参院選安倍晋三首相は在任中の憲法改正にも意欲を示している。メディアの役割がより重要なときとなろう。
「あなたの言うことに全く賛成できないが、あなたがそのように言う権利があることは、私は命をかけて守る」
こんな名言がある。フランスの思想家ボルテールが言ったともいう。自分に反対の意見であれ、尊重されねばならない。「表現の自由」の核心を突いている。
とくに主権者たる国民は意見を持ち、選挙で国政に反映させようとする。その判断をするためにも、多様な意見が大事だ。
◆自己規制なら敗北だ
自由な言論空間は果たして確保されているだろうか。それに疑問を投げかける出来事があった。
高市早苗総務相が、政治的公平性を欠いた放送をした放送局に「電波停止」を命じる可能性に言及した件だ。これに対する波紋が大きく広がった。
田原総一朗氏や鳥越俊太郎氏らキャスター有志が二月末、記者会見を開き、「電波停止発言は憲法放送法の精神に反している」という声明を発表したのだ。
同法は「放送による表現の自由を確保する」「放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」などを第一条で定める。気になるのは声明の次のくだりだ。
<現在のテレビ報道を取り巻く環境が著しく「息苦しさ」を増していないか><「外から」の放送への介入・干渉によってもたらされた「息苦しさ」ならば跳ね返すこともできよう。だが、自主規制、忖度(そんたく)、萎縮が放送現場の「内部から」拡(ひろ)がることになっては、危機は一層深刻である>
キャスター有志は外からの介入・干渉というよりも、放送現場の自主規制に危機感を持つのだ。
◆「政権がチェックする」
例えば、デモを警戒している権力に気を使って、デモの批判的な映像を自粛する。今まで当然のようにやってきた掘り下げた問題提起は、政権批判と受け取られかねないので自粛する−。
街頭取材では、政権と同じ考えを話してくれる人を探して放送する−。そんな現場の声も聞かれるという。つまり自主規制や政権を忖度したような報道がなされはしないか。そんな息苦しさがテレビ・メディアの中に生まれてはいないか。
民主主義の根幹をなす、国民の「知る権利」から考えれば、放送はむろん政府のものではなく、たんに株主たちのものでもない。広く国民のものといえよう。もし、放送局の姿勢が揺らいでいるなら、それだけで国民は情報に対して疑心暗鬼に陥るだろう。
これはテレビ・ジャーナリズムだけの問題なのか。鳥越氏は記者会見でこう語った。
「メディアが政権をチェックするのではなく、政権がメディアをチェックする時代になっている。負けられない戦いで、負ければ戦前のような大本営発表になる」
政権がメディアをチェックする時代−。本来、権力はメディアに対して、特定の考えを押しつけることはできないし、メディアの自由な活動に介入することはもちろん許されない。今やまさに、「表現の自由」の領域が侵されつつあるのではないか。
自民党憲法改正草案を見てみよう。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める憲法条文に、こんな規定を加えている。
<前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない>
つまり、政府や国会、司法が「公の秩序を害する」と判断したときは、言論も集会なども禁止される。そうならば「表現の自由」が否定されるのと同然ではないか。大日本帝国憲法にも、言論や集会、結社の自由を定めた条文があった。ただし、それには「法律ノ範囲内ニ於テ」という一文が付いていた。言論の自由は国民の権利だが、法律で例外をつくることができたわけだ。
自民党の草案にある「公の秩序」の言葉も同じ役目を果たす。原発反対や米軍基地反対、安保法制反対…、さまざまな声が「公の秩序を害する」と判断されれば、封印することもできる。
言論や思想が政府の統制下にあった時代がもしや蘇(よみがえ)りはしないか。そんな不安がよぎる時代になった。
◆権力には猜疑心を持て
そもそも権力という存在自体が信頼を寄せるものではなくて、常に猜疑(さいぎ)心を持って監視せねばならない対象である。
その監視役の一人として、私たちメディアは存在することをあらためて自覚したい。

経験者だから支える 60歳まで覚醒剤で何度も服役…依存者更生へNPO:茨城 - 東京新聞(2016年4月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201604/CK2016040502000150.html
http://megalodon.jp/2016-0405-0937-14/www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201604/CK2016040502000150.html

プロ野球選手の清原和博被告(48)が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕、起訴されるなど、薬物犯罪への注目が集まる中、60歳まで覚醒剤使用で服役を繰り返した後、NPO法人を立ち上げ、薬物依存症などのリハビリを支援している男性がいる。鹿嶋市の栗原豊さん(73)で「体験した自分だからこそ、できる仕事」と活動を続けている。 (宮本隆康)
「調子はどうだ」。鹿嶋市内の畑で農作業をする男性たちに、栗原さんが声をかけると、生き生きとした笑顔が返ってきた。農作業は、NPO法人潮騒ジョブトレーニングセンター」の職業訓練の一つ。「働く喜びや達成感を知れば、社会に出やすくなる」と、センター長の栗原さんは期待する。
入所するのは、薬物やアルコール、ギャンブル依存症の二十〜八十代の男女約百三十人。市内などの約十カ所の施設で生活する。回復プログラムの集団ミーティングのほか、農業や建築、介護などの職業訓練にも力を入れている。
栗原さんは埼玉県出身。三歳の時に養子になり、養父母から虐待を受けたという。「怒りと恨み、反発心の塊だった」と振り返る。十三歳から酒を飲んでは暴れ、二十歳で暴力団組員に。二十五歳で覚醒剤に手を染め、依存症になった。
刑務所を行き来し、妻と娘二人は離れていった。常に幻聴と幻覚を抱え、日常生活に支障が出るようになり、組を追われた。覚醒剤を買うため借金を重ね、仲間からも相手にされなくなった。服役は七回、計二十年余りに及んだ。
二〇〇三年に六十歳で出所した時、出迎える仲間がいないことにショックを受けた。めいに強引に連れられ、茨城県内で薬物依存症患者の民間リハビリ施設「ダルク」に入った。
かつての仲間がいない見知らぬ土地で、回復プログラムを受け、ほぼ順調に立ち直った。数カ月後には職員として働き始め「組員、薬物、アルコール依存症を全部経験し、接し方が分かる。自分にうってつけの仕事」と〇六年に独立した。
各地の刑務所や拘置所の薬物依存症患者に「私のような人間でもやめられる」と、入所を呼び掛ける手紙も送る。発足から十年以上がたち、刑務所から視察を受けるまでになった。
すぐに施設を出て行き、再び逮捕される覚醒剤依存症患者でも、裁判で弁護側の証人を引き受ける。入所者が薬物などを断った日は毎年、「生まれ変わった誕生日」として祝う。「ポケットマネーでプレゼントを買い、手渡すのが至福のとき」と目を細める。
「事業を始め、仲間がいて、必要とされ、人として生まれ変われたと実感する」という。覚醒剤使用で瞳孔が開き、まぶしくて避けていた日光を、暖かく心地よいと感じるようになった。疎遠だった娘からは初めて「お父さん」と呼ばれた。栗原さんは最近、「今日のために、苦しんだ過去はあった」と思っている。

広島で学んだ平和の大切さ 昨夏派遣の中学生文集が完成:栃木 - 東京新聞(2016年4月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201604/CK2016040502000159.html
http://megalodon.jp/2016-0405-0938-22/www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201604/CK2016040502000159.html

戦後七十年だった昨夏、平和について学ぶ親善大使として、広島市に派遣された宇都宮市立中学校の生徒たちの作文集が完成した。二〇〇〇年から毎年実施している事業で、一五年度も市内全ての市立中学校二十五校から二年生が一人ずつ参加。作文集には、平和とは何かを考え、歴史を伝えていく必要性を自分たちの言葉でつづった。 (後藤慎一)
「怒り、悲しみ、はかなさ…様々な感情が湧き出てきました。(中略)もう二度と同じ過ちをしてほしくないという願いが強くなりました」
曽祖父が広島で被爆したという女子生徒の一人は、小学四年で初めて広島平和記念資料館を訪れた時を振り返り、今回との心情の変化を丁寧に書いた。当時は「怖いよ。早く出ようよ」と言って施設を出たが「(今度は)曽祖父そして祖母が苦しんできたことを少しでもわかってあげたい」と思いを明かした。
資料館や原爆ドームを見学した感想のほか、広島へ行く前に立てた目標と、派遣を通じて学んだことをそれぞれ記入した欄もある。「戦争の恐ろしさを知ると、なおさら『平和』の意味が難しくなった」と、複雑な気持ちを記した生徒もいた。
昨年八月五日から三日間の派遣で、最終日には宿泊先のホテルで「平和とはどういうことか」をテーマに討論した。戦争を身近な問題として考えるため、世界の紛争を学び、被爆国である日本から平和の必要性をどう発信していくか、一人一人が考えた。
「武力を使わずに物事を解決すること」「差別をしないこと」といった意見のほか、「一人ひとりが戦争や核兵器の恐ろしさを多くの人に伝える」という考えが多かった。「学校で毎月折り鶴を作製する」という提案もあった。
派遣事業に取り組む市男女共同参画課の担当者は「平和への思いを、それぞれの学校で伝えてほしい」としている。
作文集はA4判、計百五ページ。市立図書館などで閲覧できる。

中学生誘拐 これだけの不可解 - サンデー毎日(2016年4月17日号)

http://mainichi.jp/sunday/articles/20160404/org/00m/040/009000d

まさに死角を突いたのか。2014年3月、埼玉県朝霞市から当時中学1年生の女子生徒(15)を誘拐した容疑で逮捕された寺内樺風(かぶ)容疑者(23)。優秀だが目立たなかったエリートの、「社会の死角」「心理の死角」を突いた不可解すぎる手口が明らかになりつつある。
「被害少女が姿を消したのは下校途中の時間帯だというのに、あまりにも手がかりが少なかった。このため、当初から複数犯説から家出説までさまざまな見方が出ていました」(事件を取材したジャーナリスト)
身長155センチの女子中学生をどうやって連れ去ったのか。“神隠し”の様相すら見せていた事件の真相が、逮捕後の調べで徐々に明らかになりつつある。
これまでの調べでは、下校途中の少女を自宅近くで突然フルネームで呼びとめ、「両親が離婚することになったので弁護士の所に連れて行く」と声をかけ、不審がる少女を無理に車に乗せると、「親に貸した金のカタにお前を預かることになった」などと脅し、目隠しをして連れ去ったという。
「当初の取材では“家出の疑い”も捨てきれないとの感触だったのですが、取材を進めると、少女の父親は、いなくなった娘と憔悴(しようすい)した奥さんを本当に心配していた。家出の原因となるような具体的な家族間のトラブルも見当たらず、やはり事件か事故に巻き込まれた可能性が高い、と確信しました」(前出・ジャーナリスト)
そもそも、なぜ彼女が狙われたのか。
寺内容疑者が少女を監禁していたのは、通っていた千葉大近くにある千葉市内のマンション。埼玉県朝霞(あさか)市とは約50キロ離れており、とくにゆかりはなかったとみられる。大阪府池田市にある寺内容疑者の実家近辺を取材すると、
「賢くておとなしい、品のよい子だった。お母さんが大切に育てていたのに、なぜこんなことに……」(高校時代の同級生の母親)
寺内容疑者は、名門の大阪教育大付属池田中学・高校を経て千葉大へ進学したエリート。その半面、調べに対し、「中学時代から女の子を誘拐したいと思っていた」などと供述しており、歪(ゆが)んだ欲求を内面に抱え込んでいたようだ。
朝霞市を選んだ理由は、「都会過ぎず、田舎過ぎない土地」が誘拐に適していると考えたようだが、土地勘もなく、詳しい理由は明らかではない。加えて、被害少女、寺内容疑者ともに「(互いに)全く面識はなかった」という。ただし、寺内容疑者は「女の子を誘拐しようと学校を見て回った」「一人で歩いていた少女の後をつけた」などとも供述しており、朝霞市内の学校施設周辺で“獲物”を物色し、たまたま一人で下校中だった被害少女に目を付け、尾行して自宅を調べるなどした疑いが強い。
それにもまして不可解なのは、少女を誘拐した後、どうやって2年間も少女を監禁し続けることができたのかという点だ。
同種の事件では、強固な監視態勢下で自由を奪われていたケースが多い。
2000年に発覚した、新潟県柏崎市での監禁事件では、当時9歳の少女が10年間監禁された。容疑者は引きこもりのような生活を送る傍ら、常時少女を監視下に置いていた。また14年に岡山県倉敷市で発生した事件では、容疑者は防音仕様の“監禁部屋”を自宅に設けて、当時11歳の少女を5日間閉じ込めていた。
だが今回の事件では、千葉市、今年2月に移り住んだ東京都中野区の現場とも、防音仕様でもない普通のマンションの一室。いずれも外からかけられるカギで玄関が施錠されていたとされるが、寺内容疑者はごく普通の学生生活を送り、被害少女が一人で部屋にいた時間は少なくなかったと考えられる。少女の証言によると、身体的な拘束はされなかったものの、容疑者は少女に繰り返し「お前のことは誰も捜していない」と言い含めていたという。これが少女に絶望感を植え付け、抵抗や脱出を試みる思考を奪っていったのか。
立正大心理学部客員教授で心理学者の内藤誼人(よしひと)氏は、寺内容疑者の行動をこう分析する。
「容疑者の心理には“気の緩み”あるいは“愛情の喪失”があったのではないか。心理学的には新婚夫婦の愛情も、4年もすれば冷めてしまうものとされます。誘拐後、時間の経過とともに少女への執着心も薄れていった可能性はある。『逃げられたら逃げられたで構わない』と監視を緩めてしまい、逃げられた後で自分の行動を振り返り、とんでもないことをしたと戦慄(せんりつ)してしまったのでしょう」
「息子さんの印象は全然ない」
再び寺内容疑者の実家がある池田市に話を戻そう。
住宅地の戸建て住宅を拠点に、父親は防犯機器類の販売業を営む。寺内容疑者が千葉大に進学するまでは両親、妹と4人家族だった。近くの女性は「一家は息子さんが小学校4年生の時にこの借家へ引っ越していらした。市内には親戚の家もありますが、裕福そうな大きな家ですよ。近所付き合いはあまりなかったみたい。息子さんはおとなしい印象でしたが……」と話す。
通っていた高校の副校長は「容疑者をよく知る教員はみんな転勤してしまいましたが、当時からいる教員に聞いてみると『彼のことはほとんど記憶にない』と話していました。問題行動を起こすようなことはなかった」と振り返る。実家の大家の男性も「十数年、借りてもらってるけど、息子さんの印象は全然ないですね」と言う。教師や周囲の大人には印象の薄い子どもだったらしいが、その半面、得意分野での才能は一目置かれていたようだ。
「パソコンとかの知識もすごかった。頭の良さが違った。うらやましかった。変な性格とかじゃ全然なかったのに」と、高校の同級生は首をかしげる
前出の同級生の母親も、「大学でも頑張っていて、『セスナの免許を取った』とお母さんから聞いていました。何でこんな事件を起こしたのか。信じられません」と驚く。
悪の萌芽(ほうが)は何がきっかけだったのか。真相解明は始まったばかりだ。
(本誌・中西庸/ジャーナリスト・粟野仁雄)

ハンセン病法廷 最高裁は誠実に謝罪を - 毎日新聞(2016年4月5日)

http://mainichi.jp/articles/20160405/ddm/005/070/096000c
http://megalodon.jp/2016-0405-0939-48/mainichi.jp/articles/20160405/ddm/005/070/096000c

ハンセン病患者の刑事裁判が、かつて裁判所外の隔離施設などに置かれていた「特別法廷」で一般に公開されずに開かれていた問題を巡り、最高裁が近く検証結果を公表する。
最高裁が第三者の意見を取り入れるために設けた有識者委員会は「特別法廷は、憲法が保障する法の下の平等や裁判の公開原則に反する疑いがある」との見解を大筋で示す見通しになった。
最高裁は、委員会の報告に誠実に向き合うべきだ。検証結果の公表の際は過ちについて丁寧に説明し、誠実に謝罪することが、国民の人権を守るとりでとしての責務だろう。
1948年から72年まで、ハンセン病患者の刑事被告人らの裁判計95件が、特別法廷で実施された。
世界保健機関(WHO)がハンセン病患者の隔離を否定する見解を示したのが60年だ。だが日本で、強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのは96年だった。
ハンセン病をめぐっては、療養所に隔離された入所者らが「人権侵害を受けた」と起こした国家賠償訴訟で、熊本地裁が2001年、「60年には隔離の必要性が失われていた」と認定し、違憲の訴えを認めた。
判決は確定し、政府は謝罪し元患者らの救済を図った。衆参両院も反省と謝罪の国会決議を採択した。司法だけが長年、過ちと向き合うことを避けてきたが、重い腰を上げた。
憲法は裁判の公正さを担保するため、公開の法廷で開く原則を定める。特別法廷による裁判は例外的な措置だが、ハンセン病患者の裁判は、伝染の恐れを理由に一律に特別法廷で開く運用がされていたという。
有識者委員会は「患者の裁判を一律に特別法廷で開いてきた最高裁の手続きは差別的な措置だった」と指摘するとみられている。
どういった判断で、一律の運用がなされたのか。社会に広がっていた差別が、なぜ裁判の場にまで持ち込まれてしまったのか。公表する検証では、その背景を掘り下げ、経緯をつまびらかにしてほしい。
また、公正であるべき審理に与えた影響についても、最高裁には突き詰めた検証を求めたい。
国内の新規患者はほとんどおらず、完治する病気になったにもかかわらず、ハンセン病に対する偏見は根強い。毎日新聞が療養所の入所者と退所者を対象に行ったアンケートでは、全体の77%が「病気への差別や偏見がいまだにある」と回答した。
差別や偏見を受けたとして患者の家族らが今年、新たに集団で国賠訴訟を起こしてもいる。最高裁の検証にとどまらず、ハンセン病に対する差別や偏見の解消は、私たちの社会が向き合うべき課題である。

国家に管理される社会に警鐘 赤川次郎、吉川英治文学賞 - 朝日新聞(2016年3月22日)

http://book.asahi.com/booknews/update/2016032500002.html?iref=comtop_rnavi_chumo_n
http://megalodon.jp/2016-0405-0940-42/book.asahi.com/booknews/update/2016032500002.html?iref=comtop_rnavi_chumo_n

報道や思想の自由が国家に管理される世界を描いた、赤川次郎さんの『東京零年』(集英社)が、吉川英治文学賞に決まった。赤川さんは3月初めの受賞決定の会見で「近未来小説として書いたが、現実が追いついてしまった」と危機感を語った。
赤川さんは近年、ことさら直接的に社会問題を小説に描き、エッセーでも問いかけている。周辺事態法や国旗・国歌法の成立後、驚くほど反発がなかったのがきっかけだった。「ジャーナリズムを担う方々は重く受けとめないといけない。特に原発については腰が引けているとしか思えません」。原発事故自体は『東京零年』には描いていないが、「事故に至るまでの精神構造は描きたかった」。
これまでも軍事独裁政権下の日本を書いた『プロメテウスの乙女』など、弱い立場の人間の生き方を模索してきた。「僕の作品に優秀な刑事はほとんど出てきません。警察は国民に奉仕する立場じゃないといけないと思う。いまは国民を監視する立場になっている」
『東京零年』には、権力を握る快感を描く場面がある。紛争やテロも、力を持った者が弱者を従える快感が問題の根幹にあるという。「支配される側がどう感じるのか、という想像力を育てることが、遠回りだけれど問題解決の唯一の道。想像力を育てられなかったのは、作家としての怠慢であり、足らなかった部分だと反省しております」(高津祐典)

東京零年

東京零年

高裁宮崎支部あす即時抗告審で判断 川内原発差し止め - SankeiBiz(2016年4月5日)

http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/160405/cpd1604050500002-n1.htm
http://megalodon.jp/2016-0405-0916-30/www.sankeibiz.jp/compliance/news/160405/cpd1604050500002-n1.htm

九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の周辺住民らが再稼働差し止めの仮処分を申し立てた即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部(西川知一郎裁判長)は6日、決定を出す。
昨年4月の鹿児島地裁決定は差し止めを認めなかったが、関西電力高浜原発3、4号機(福井県)をめぐり、大津地裁は3月、差し止めの仮処分決定を出した。川内でも認められれば国内で稼働中の原発がゼロになる。判断が注目される。
主な争点は鹿児島地裁の審理と同様で(1)地震対策が十分かどうか(2)火山による危険性の有無(3)避難計画の実効性。地裁決定は「東京電力福島第1原発事故を踏まえた原発の新規制基準は合理的。耐震性は確保されており、噴火の可能性も小さい。避難計画も実効性がある」と、九電側の主張にほぼ沿った判断をした。