法制度・規制:原子力発電の新規制基準を疑問視、再稼働禁止の仮処分決定で - スマートジャパン(2016年3月11日)

(1/2)http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1603/11/news043.html
(2/2)http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1603/11/news043_2.html

滋賀県の住民が大津地方裁判所に求めた高浜発電所3・4号機の再稼働禁止に関する仮処分が3月9日に決定した。福島第一原子力発電所の事故原因が究明されていない現状では、原子力規制委員会による新規制基準に疑問があると裁判所が判断。原子力発電の経済性よりも国民の人格権を重視した。
....

津地裁の判断は世界最高水準かどうかに関係なく、現在の新規制基準に問題があることを指摘した。福島第一原子力発電所の事故原因が究明できていない状況では、津波が主な原因と特定することはできない。そのほかの要因を含めて徹底的に究明したうえで、「十二分の余裕をもった基準」を策定して安全対策を実施すべきであると強調している。

....

さらに原子力発電の経済性と環境破壊の危険性について、明快な主張を展開したことも注目に値する。「原子力発電所による発電がいかに効率的であり、発電に要するコスト面では経済上優位であるとしても、(中略)、環境破壊の及ぶ範囲は我が国を越えてしまう可能性さえある、(中略)、単に発電の効率性をもって、これらの甚大な災禍と引換えにすべき事情であるとはいい難い。」
津地裁原子力発電の経済性よりも重視したのは国民の「人格権」である。人格権は個人が社会生活を営むうえで必要な利益を保護するための権利で、生命・自由・名誉などの利益を侵害すると不法行為になる。原子力発電所の周辺地域に暮らす住民が人格権の侵害のおそれを理由に運転の差し止めを求めることに理解を示した。
本来は人格権の侵害について原告側の住民に立証責任がある。ただし原子炉施設の安全性に関する資料の多くを電力会社が保持していることなどを理由に、大津地裁は電力会社側が資料を明示して立証すべきと結論づけた。関西電力が仮処分の不服申し立てを実行した場合には、原子力発電所の運転によって周辺住民の人格権を侵害するおそれがない点を立証する必要がある。

....

原子力発電が国益に見合わなくなったことを多くの国民が感じている。電力の安定供給や電気料金の値上げ抑制の面でも、原子力なしで十分に実現できる状況になってきた。残る課題は温暖化対策だが、再生可能エネルギーや水素エネルギーを最大限に導入することで解決の道は開ける。
政府と電力会社は原子力発電所の再稼働に多大な時間と経費を注ぎ続けるよりも、未来志向のエネルギー政策に早く転換すべきだ。決断が遅くなるほど電力会社の体力は衰えていく。

関連サイト)
仮処分命令申立事件(高浜3,4号機)について、再稼働差し止めの仮処分決定 - 福井原発訴訟(滋賀)支援サイト(2016年3月9日)
http://ur0.link/szRz

津地裁
高浜原発の再稼働差し止めの仮処分決定を出す。

仮処分決定(1/2)
http://www.nonukesshiga.jp/wp-content/uploads/e9782c2ea5fefaea7c02afd880dd3bfc.pdf
仮処分決定(2/2)
http://www.nonukesshiga.jp/wp-content/uploads/b6c5742c4f89061d95ceb8a0675877e2.pdf

司法、原発止める 県内首長ら「住民の不安を認めた」- 佐賀新聞(2016年3月10日)

http://www.saga-s.co.jp/column/genkai_pluthermal/20201/287487
http://megalodon.jp/2016-0311-1518-51/www.saga-s.co.jp/column/genkai_pluthermal/20201/287487

再稼働したばかりの原発を司法が止めた。東京電力福島第1原発事故から5年。大津地裁は9日、関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを命じた。原発と長年向き合ってきた住民側の弁護団長は「全国の裁判官に受け継いでほしい」。住民らも「福島から学んだ判断」と喝采したが、政府は再稼働の方針継続を強調した。
稼働中の原発の差し止めを命じる司法判断に、拍手と歓声が湧き起こった。「歴史的」「福島から学んだ当然の判断」。関西電力高浜原発3、4号機の差し止めを申し立てた住民には、東京電力福島第1原発事故の被災者も。大津地裁の決定を踏まえ「政府が進める原発再稼働の歯止めになる」との声も上がった。
........

◆双方の主張公平に比較
吉岡斉九州大教授(科学史)の話 関西電力の主張にも一定の合理性を認め、住民側の主張には不十分な点もあると指摘した上で理詰めの判断をしている。双方を公平に比較し、裁判官が自分の頭で考えて是々非々の結論を出した。行政や電力会社は、東京電力福島第1原発事故前の基準を少し厳しくすればいいと考えているのだろうが、裁判官ははるかに厳しい基準で臨まなければならないとの前提に立った。福島の事故の歯止めになれなかったことを悔い、自立して責任ある裁判をやろうとの流れが司法界にあると感じさせる。

原発再稼働なくても余力 節電定着、夏の需要13%減 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201603/CK2016031102000120.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0906-18/www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201603/CK2016031102000120.html


東日本大震災による東京電力福島第一原発事故から五年を経て、電力需給を取り巻く環境は大きく変わった。原発の危険性が再認識され、全国の原発は次々と停止。九日には大津地裁関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分を決定し、十日に稼働中の原発が停止した。震災後は電力の供給が厳しくなる時期もあったが、利用者の節電意識の高まりや発電所の増強で、最近二年間は原発の稼働がなくても余力を確保できている。 (岸本拓也)
東日本大震災津波で福島の原発を含め、沿岸部の発電所が被災。東電管内では電力不足が叫ばれ、五年前には計画停電が実施された。東京都心部などではネオンが消え、夜の街は真っ暗になったが、電力不足による突然の大停電は回避した。
問題は電力の利用が最大となる夏場。電力は需要が多すぎても、供給がだぶつきすぎても周波数が乱れて停電を引き起こす恐れがある。需要に見合った供給と、ほどよい余力を確保することが必要だ。供給力が足りない中で、企業や家庭は徹底した節電に迫られた。
その結果、省エネ生活が定着し、震災前より夏の需要は大きく減った。原発を持つ大手電力九社の二〇一五年夏の最大需要を合計すると、東日本大震災前の一〇年夏と比べて13・5%減少した。加えて、電気料金が割安で自家発電した電力を販売する新電力への契約に企業が切り替え、大手はその分の需要も減った。
利用者の節電だけでなく、供給面の取り組みも進んだ。老朽化した火力発電所に加え、新しい火力発電所も運転を始めた。夏の需要ピーク時に発電能力を発揮する太陽光発電も一五年夏には導入量が前年から倍増。原発十二基分の出力に相当する計千二百万キロワットの電力を生み出したこともピーク時の供給を下支えした。
発電に占める原発の依存度が五割近くあった関西電力でさえ、火力発電の増強や中部電力などから電力の融通を受け、原発稼働ゼロで夏場を乗り切った。
五年間の対策が進み、全国の需要に対する供給余力は一〇年の8・5%から一五年に11・1%に増え、十分確保された。電力業界が「安定供給のために原発は必要」(電気事業連合会八木誠会長)と繰り返している主張は年々、説得力を失いつつある。

高浜3号機 司法判断で初停止 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016031102000115.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0914-52/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016031102000115.html

関西電力は十日午後七時五十九分、大津地裁による高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止め仮処分決定を受け、3号機の原子炉を停止した。稼働中の原発が司法判断で停止したのは初めて。異議や執行停止の申し立てが認められない限り、関電は二基を再稼働できない。全国で運転可能な原発は当面、九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)だけとなる。
高浜4号機は発送電開始作業中に原子炉が緊急停止するトラブルがあり、既に冷温停止状態になっている。
3号機の原子炉停止作業は十日午前十時ごろに始まった。原子炉の核分裂反応を抑えるため制御棒を挿入、ホウ素濃度を調整して一次冷却系の温度を下げ、午後五時二分、発電と送電を止めた。
3、4号機の原子炉にはプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を含む燃料集合体が装填(そうてん)されたままで、関電は今後、燃料を取り出すか検討している。
津地裁は九日、東京電力福島第一原発事故の原因究明が進んでいない上、規制委の新規制基準にも疑問点があるとし、高浜原発から半径約七十キロの範囲に住む滋賀県の住民の訴えを認め、3、4号機の運転を差し止めた。
3、4号機の仮処分をめぐっては福井地裁が昨年四月、運転を差し止める仮処分を決定したものの、関電の不服申し立てを受け、別の裁判長が決定を取り消した。これにより3号機は一月二十九日、4号機は二月二十六日に再稼働した。

原発政策 対照的 安倍政権は推進路線 野党「ゼロ」を目標に - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201603/CK2016031102000118.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0915-37/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201603/CK2016031102000118.html

東京電力福島第一原発事故は、原発政策に対する国民の関心を高めた。安倍政権は原発推進路線を掲げるが、野党は「原発ゼロ」を目指す党が多い。各党の政策を比較した。 (関口克己)
現在、政党要件を満たす政党は十一党。このうち八党が二〇一四年十二月の衆院選を戦い、公約には原発に関する政策もあった。
自民党は公約で、原発を安定的に電力を供給するベースロード電源として今後も活用すると明示。公明党は将来は原発ゼロを目指すとしつつ、当面は活用することを認めた。
安倍政権は昨年七月、三〇年度の電源構成で原発の割合を20〜22%とする方針を決定。公明党が主張する「原発ゼロ」は遠のいた。
衆院選で「三〇年代に原発ゼロ」を掲げた民主党は八日、維新の党と合流してつくる新党の綱領案に「三〇年代稼働ゼロを目指す」との文言を盛り込んだ。維新の党は衆院選で「原発はフェードアウト(自然に消える)」させるとしてゼロの時期を示していないが、新党の原発政策は民主党を踏襲する形となった。
維新の党から分裂したおおさか維新の会。正式な原発政策はないが、馬場伸幸幹事長は八日の記者会見で「フェードアウト」の考えを引き継いでいると表明。新規制基準を満たした原発は再稼働を認め、新設には反対すると説明した。
他の野党は「脱原発」色が濃い政党が多い。
共産党の主張は即時ゼロ。生活、社民両党も再稼働・新増設を認めない。新党改革も消費者が電力生産者になる社会の実現で原発を不要にすると訴える。昨年十二月にできた改革結集の会も自然エネルギーの推進で原発ゼロを目指す。

高浜再稼働は変わらず 首相、原発の必要性強調 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201603/CK2016031102000117.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0916-33/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201603/CK2016031102000117.html

安倍晋三首相は十日、東日本大震災から五年を迎えるのを前に首相官邸で記者会見した。大津地裁が運転を差し止める仮処分決定をした関西電力高浜原発3、4号機は、原子力規制委員会の新規制基準に適合したとして、再稼働させる考えを示した。「世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合すると判断した原発のみ再稼働を進めるのが政府の一貫した方針であり、変わりはない」と述べた。 =会見詳報<6>面
仮処分決定を受けた今後の対応について「関電がさらに安全性に関する説明を尽くすことを期待する。政府もそのように指導する」と述べた。
原発の必要性については「資源に乏しいわが国が経済性、気候変動の問題に配慮をしつつ、エネルギー供給の安定性を確保するには、原子力は欠かすことができない」と説明。再稼働に向けては「安全性の確保が最優先で、国民の信頼回復が何よりも重要だ」と指摘した。
津地裁が決定で、地方自治体が作る原発事故時の避難計画を国主導とするよう求めたことについては「国が前面に立って自治体をしっかり支援する体制により、これまで同様、万全の対応を行う」と説明。すでに作られた避難計画も検証を重ね、原子力災害対策を強化するとした。

故きを温ね次に備える 3・11から5年 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016031102000132.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0946-14/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016031102000132.html

巨大地震の恐怖に向き合わねばならぬことは、日本列島に暮らすわたしたちの宿命である。東日本大震災の教訓を風化させず、次に備えねばならない。
渥美半島の先端近く、太平洋に面する愛知県田原市の堀切地区に「かいがらぼた」と呼ばれる江戸時代の盛り土が残っている。
海岸沿いに二・五キロほど、高さは地面から三メートル程度。頂上部分で海抜十メートルほどになるという。
一八五四年の安政東海地震で大きな津波被害を受けた後、先人たちが土砂と一緒に貝殻を積み上げて築いたと伝えられる。今でいうところの防潮堤である。
◆先人が残したもの
草木に覆われ、海岸の風景に溶け込む何げない盛り土だが、確かに浸水抑制に効果のあることが近年、科学的に示された。
田原市が二〇一二年に行った東海・東南海・南海の三連動地震が起きた場合の被害想定調査では、堀切地区は津波による浸水がないと予測された。ところが、かいがらぼたを除去した地形データを使ったシミュレーションでは、安政東海地震の時と同じように浸水するという結果が出たのである。
もちろん、もっと規模の大きな地震を想定すれば、かいがらぼたで津波を食い止めることはできない。だからといって、先人の遺産を軽視することはできないのである。
かいがらぼたの存在は、そこが津波被害に遭った場所であることを目に見える形で教えている。それは、心の準備につながる。その地区の子どもたちは大震災後、揺れたら一キロほど先の高台まで全力で走る訓練を繰り返してもきた。
いざというとき、一人一人が自分の命を守る基本動作ができるかどうか。東日本大震災で再確認した最も大事な教訓である。
そこでは何が起きうるのか。まずは、災害の痕跡が発するメッセージに謙虚に耳を傾けよう。
◆繰り返す南海トラフ
東日本大震災の大津波は仙台平野を奥深くまで襲い、思ってもみなかった場所にまで大きな被害をもたらした。想定外だったと言っていいのだろうか。
海岸から四キロ入った所でも、地面を掘り返せば砂が出る。それが貞観地震(八六九年)の津波で運ばれた砂であることも分かっていた。つまり、その一帯がかつて大津波に襲われた場所であることは分かっていたのである。
災害の痕跡を軽視していたことが福島第一原発事故にまでつながったことを忘れてはならない。
大地に刻まれた災害の痕跡、文献に残る記録から列島の宿命として警戒しなければならないのが東海・東南海・南海の三連動地震南海トラフ巨大地震である。
日本書紀」に記録が残る白鳳地震(六八四年)以降だけでも駿河湾から四国沖を震源とする巨大地震は九回も起きている。
最後に起きたのは一九四四年の昭和東南海地震と四六年の昭和南地震。これまでの知見から、次がいつ起きてもおかしくないと覚悟しなくてはならない。
どんな被害が予想されるか。
これまでの大地震の経験から、地震の被害は、場所によって形態が大きく変わることが分かる。
例えば、九五年の阪神大震災では建物被害で多くの犠牲者が出たが、東日本大震災津波被害が突出した。あるいは東日本大震災でも、東京湾岸では液状化による被害が大きくなった。
同じ津波でも、東日本大震災よりも震源が近い南海トラフ地震
ら、到達時間は早くなろう。津波到達より前に河川の堤防が崩れて浸水する恐れもある。
地震史は、つまり、予断を持ってはいけないと教えている。
東日本大震災では、津波を封じ込めるべく造られた新しい防潮堤が破壊され、古い防潮堤が持ちこたえた事例も知られる。防潮堤が高い場所ほど逃げ遅れの犠牲が目立つという傾向も見られた。
物だけでは守れない。行動を忘れるな、ということだろう。
国土交通省東北地方整備局の防災ヘリコプターは地震発生直後、乗員が機転を利かして格納庫の壊れたシャッターを切断し、仙台空港津波にのみ込まれる前に離陸できたことで脚光を浴びた。同整備局が後にまとめた「災害初動期指揮心得」には「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった」とある。最後にものをいうのは、一人一人の状況判断と応用力、ということである。
◆史実には謙虚に
温故知新という通り、地震対策も、故(ふる)きを温(たず)ねて次に備えることが欠かせない。心構えに必要な教訓は歴史の中から、五年前のつらい経験の中からいくつでも見つけ出すことができるはずである。
何が起きうるのか。史実を謙虚に見詰め、その日に備えよう。

(筆洗)「ここは避難区域のため このポストは使用禁止です」 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016031102000133.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0947-16/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016031102000133.html

いつもと変わらない
朝がくる。
けれど今日は新しい朝なのだ。
おめでとうございます
どこかで誰かの声がする。
けれど私は言わない。


福島の詩人・根本昌幸さん(69)の詩集『荒野(あらの)に立ちて』に収められた一節だ。震災があり、原発事故が起き、たくさんの人が死んだ。だからおめでとうとは言わない、と詩人はうたう。

新しい朝に
太陽に向かって
今年は良いことが必ず
ありますように と
祈るだけだ。
頭をさげて
手を合わせるだけだ。

原発事故により、先祖代々何百年も暮らしてきた里から離れて五年。根本さんが重ねてきたのは、そういう歳月だ。
根本さんの妻でやはり詩人の、みうらひろこさん(73)は事故直後、幼いころの体験を突然思い出したという。先の見えぬ避難が、終戦直後の中国での逃避行で弟を失った時の記憶を呼び戻したのだ。
巨大な力に振り回されての逃避行。帰りたいのに帰れぬ望郷の念。ひろこさんは、そんな思いを住民が消えた街の郵便ポストに語らせた。「ここは避難区域のため このポストは使用禁止です」との張り紙で口を塞(ふさ)がれたポストだ。

私は届けることが出来ません
誰にも思いを届けられません
私は届けたい…
悲しみや悔しさややりきれなさと
張り裂けそうな心の便りを
届けたい 届けたい 届けたい

そんなポストが今日も立ち続けている。

詩集 荒野に立ちて―わが浪江町

詩集 荒野に立ちて―わが浪江町

大震災から5年 福島の現実 向き合い、そして前へ - 毎日新聞(2016年3月11日)

http://mainichi.jp/articles/20160311/ddm/005/070/038000c
http://megalodon.jp/2016-0311-0948-07/mainichi.jp/articles/20160311/ddm/005/070/038000c

日本中が震えたあの日から5年を迎えた。地震津波による死者・行方不明者は1万8000人を超える。今も約17万4000人が避難生活を余儀なくされている。復興はまだ途上である。国を挙げて被災地の支援を続けたい。
とりわけ、原発事故に見舞われた福島の現状は厳しい。原子力災害からの復旧のめどは立たず、古里を追われた人は全都道府県に散り散りになっている。2000人を超える震災関連死は、被災各県の中で突出している。心と体への重い負担が現在進行形で続いているのが現状だ。
被害の全体像なお不明
除染後の廃棄物が詰まった大きな黒い袋が日々、山のように積み重ねられていく。福島の被災地のあちこちでみられる光景だ。
どれだけの土地がどれほどの放射能で汚染され、被害回復はどんなかたちで図れるのか。避難した人たちは将来的に古里に戻れるのか。
その問いに答えるには、放射能汚染の実態と、今も続く被害を正確に把握しなければならない。
福島と真剣に向き合い、共に前へ進んでいくことこそ、いま求められていることだろう。
原発事故については、政府の事故調査・検証委員会のほか、国会や民間の事故調査委員会などが、事故の経緯を検証し、報告書をまとめた。だが、原子力災害による被害に焦点を当てた政府の総括的な調査や検証はいまだ不十分だ。一定のデータの蓄積はあっても、体系化された記録は残されていない。
福島大の小山良太教授は「原子力災害の政府報告書がないことは、事故の総括がまだされていないということだ」と指摘する。
具体的には、避難状況や土壌などの汚染実態の把握、健康調査、農産物の検査結果などの現状分析、放射線対策への取り組みと、それに対する評価が必要だと説く。
中でも、県内外で避難を続けている約10万人の詳細な状況調査は欠かせないのではないか。移住を決めた人が増えているが、将来を見通せない人はなお多い。
自主避難者を含め、どんな困難に直面しているのか。その現実を把握して初めて個々の人に寄り添った選択肢の提示が可能になるはずだ。
たとえば、チェルノブイリ原発事故を起こした旧ソ連ウクライナと隣国ベラルーシは事故後、5年に1度、詳細な報告書を作成している。
ウクライナの報告書には、放射能汚染の動向や住民の健康状態、経済的影響といった項目が並ぶ。政府が責任を持って報告書を公表する姿勢は評価できるだろう。
本来、被害の実態が明らかになって初めて復興の過程が描ける。回復すべき損害の範囲も見えてくる。現在はその出発点があいまいなまま、復興政策が独り歩きしている。
品質に定評があった福島の米は、全量全袋検査で安全性が担保されるが、震災前の評価に戻っていない。風評被害でブランドイメージが損なわれ、流通の段階で価格が安く抑えられる構図が定着してしまった。だが、そうした構造的な問題は、賠償には反映されない。農業政策の見直しにもつながっていない。
「福島白書」の作成を
住民への賠償問題がこじれているのも根っこは同じだろう。各地の地裁に起こされた集団訴訟の原告はいまや1万2000人以上だ。政府が決めた指針と賠償の枠組みが、被災者の感じる被害の実態とかけ離れているのだろう。
この現状をどう見るか。国会事故調で委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大客員教授が先週、日本記者クラブで会見し、こう述べた。
「何をするにも誰が責任者かはっきりしない。リーダーの無責任という日本社会の現実が、ご都合主義のごまかしの対応を生み、国際社会の信頼を失っている」
この国の根幹にかかわる指摘だ。今後の5年を、これまでと同じスタンスで歩んではならない。地に足をつけた政策が求められる。その礎とするために、原子力災害による被害を真っ正面から見据えた年次の「福島白書」の作成に国を挙げて取り組むべき時ではないか。
そして、作成に責任を持つことこそ政治の役割だ。
省庁のタテ割りというしがらみにとらわれないためには、国会事故調のようなかたちで、国会が主導するのも一案だ。検討してもらいたい。
福島の被災地でも、少しずつ復興のきざしが見え始めている。
南相馬市の小高区について、政府は来月の避難指示解除を打診した。生活インフラは不十分で、帰還をめぐる住民の意見も割れる。それでも、一時帰宅者が増え、真っ暗だった夜間の住宅街に、ぽつりぽつりと明かりがともり始めたと住民は語る。
古里を取り戻すまでの道のりは遠いが、未来に向けこの明かりを確かなものにしなければならない。国民の支えがその原動力になるだろう。

震災から5年 心は一つ、じゃない世界で - 朝日新聞(2016年3月11日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12251678.html?ref=editorial_backnumber
http://megalodon.jp/2016-0311-0950-19/www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_pickup_p

戦後最大の国難といわれた東日本大震災福島第一原発の事故が起きた「3・11」から、5年がたつ。
宮城県岩手県の海沿いでは工事の音が鳴り響く。だが、暮らしの再建はこれからだ。福島県をはじめ、約17万人が避難先での生活を強いられている。
震災と原発事故は、今もなお続いている。被災地から離れた全国で、その現実感を保つ人はどれだけいるだろう。
■深まる「外」との分断
直後は、だれもが被災地のことを思い、「支え合い」「つながろう」の言葉を口にした。年の世相を表す「今年の漢字」に、「絆」が選ばれもした。
あの意識ははたして本物だったろうか。被災地の間ではむしろ、距離が開いていく「分断」を憂える声が聞こえてくる。
住み慣れた土地を離れる住宅移転。生活の場である海と陸とを隔てる防潮堤。「忘れたい」と「忘れまい」が同居する震災遺構。それぞれの問題をめぐり地元の意見は割れてきた。
人間と地域の和が壊れる。その痛みがもっとも深刻なのは、福島県だ。
放射線の影響をめぐり、住民の価値観や判断は揺れた。線量による区域割りで東京電力からの賠償額が違ったことも絡み、家族や地域は切り刻まれた。
ささくれだつ空気の中で、修復を求めて奔走する人たちはいた。無人の町を訪問者に案内したり、自主避難者向けに福島からの情報発信を始めたり。さまざまな活動が生まれた。
南相馬市の番場さち子さんもその一人だ。医師と一緒に放射線についての市民向け勉強会を80回以上重ねた。まずは正しい知識を得る。それが今後の生活の方針を納得して選び、前向きになる支えになると考えた。
番場さんらがいま懸念するのは、5年にわたる苦悩と克服の歩みが、被災地の「外」に伝わらず、認識のギャップが広がっていることだ。
福島県では外出時にマスクは必要か」「福島産の米は食べられるのか」。県外から、そんな質問が今も続く。
空間線量や体内の被曝(ひばく)の継続的な測定、食材の全量検査、除染作業などさまざまな努力を重ねた結果、安全が確かめられたものは少なくない。だが、そうした正常化された部分は、県外になかなか伝わらない。
郡山市に住む母親は昨年、県外の反原発活動家を名乗る男性から「子供が病気になる」と非難された。原発への否定を無頓着に福島への忌避に重ねる口調に落胆した。「まだこんなことが続くのか」
■「言葉」を探す高校生
時がたてば、被災地とほかとの間に意識の違いが生じるのは仕方のないことでもある。
だが、災害に強い社会を築くには、その溝を埋める不断の努力が欠かせない。いま苦境と闘う人と、そうでない人とは、いつ立場が変わるかも知れない。
福島の人びとが「この5年」を外に知ってほしいと思うのは、原発事故がもたらす分断の実相と克服の努力を全国の教訓として共有すべきだと考えるからでもある。
模索は続いている。
福島県広野町に昨春開校した県立ふたば未来学園高校では必修科目に演劇を組み入れる。
指導する劇作家の平田オリザ氏が生徒たちに課したのは、「立場の違いによるすれ違いや解決できない課題をそのまま表現する」こと。
授業の冒頭、平田氏は言う。「言っとくけど、福島や君たちのことなんて世界の誰も理解なんてしてないからね」
関心のない人に、どうやったら自分の思いが伝わるか。それは同時に、自分が他者の思いを想像できているかを自問することにもなる。
番場さんは、福島担当の東電役員を招いた勉強会も始めた。事故を起こした東電とあえて交流するのは、最後まで福島の再生に努める責任を負っている相手のことを知るためだ。
この世は、「心は一つ」ではない。歴史をみれば、分断はいくつも存在した。原爆に苦しんだ広島と長崎、水俣病など公害に侵された町、過大な米軍基地を押しつけられた沖縄――。
重い痛みを背負い、他者との意識差に傷つき悩みながら闘ってきた全国の地域がある。いま、そうした地域と福島とで交流する催しが増えている。
■伝わらないことから
住む場所も考える問題も違う人間同士が「つながる」ためには、「互いにわからない」ことから出発し、対話を重ねていくしかない。
「伝えたい気持ちは、伝わらない経験があって初めて生まれる。その点で、震災と助け合いと分断とを経験した被災地の子どもたちには、復興を担い、世の中を切りひらく潜在的な力がある」と平田氏は言う。
被災地からの発信を一人ひとりが受け止め、返していくことから、もう一度始めたい。

保育所問題 首相「早急に対策」 ブログ反響、ようやく本腰 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201603/CK2016031102000119.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0942-26/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201603/CK2016031102000119.html

安倍晋三首相(自民党総裁)は十日の政府与党連絡会議で、子どもを保育所に入れられない怒りを投稿した匿名ブログに関して、「保育の受け皿整備を進めているが、地域によってはなかなか入れない実態がある。地域と連携しながら早急に対策に取り組みたい」と表明した。保育制度の充実を求める二万七千六百人を超える署名が提出されるなどブログへの共感は広がっており、首相も対策に本腰を入れざるを得なくなった。
会議では、公明党山口那津男代表が匿名ブログを念頭に「子供を預けるところがなければ仕事をやめないといけないという切実な国民の声だ」と指摘。「必死の思いで保育園を探す人たちの気持ちに寄り添い、丁寧な対応をしていく必要がある」と強調した。
匿名ブログをめぐっては、首相が先月二十九日の衆院予算委員会で「(投稿が)本当かどうか確かめようがない」と答弁したことに批判が集まり、国会前で抗議デモが起こる事態に発展。首相は三月七日の参院予算委員会で「保育士の待遇改善にも努めたい」と理解を求めた。 (生島章弘)

関連サイト)
子どもを保育所に入れられない怒りを投稿した匿名ブログ
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

「初動ミス」与党も苦言 「保育園落ちた」巡る首相答弁 - 朝日新聞(2016年3月11日)

http://www.asahi.com/articles/ASJ3B55T2J3BUTFK00R.html?iref=comtop_6_01
http://megalodon.jp/2016-0311-0944-21/www.asahi.com/articles/ASJ3B55T2J3BUTFK00R.html?iref=comtop_6_01

「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名のブログをめぐり、与党内から、安倍晋三首相の当初の対応を疑問視する声が上がっている。首相は夏の参院選をにらんで「1億総活躍社会」を掲げるだけに、待機児童対策を早急に打ち出すなど、政権への不満の広がりを食い止めようと躍起だ。
「(ブログへの)対応もそうだけれど、最初からぱっとやっておけばトラブルは起こらないんですよ。後先を見極める能力を、みなさんよく身につけておいてください」。伊吹文明衆院議長は10日、自民党二階派の会合で首相に苦言を呈した。2月29日の衆院予算委員会民主党山尾志桜里氏がブログを取り上げた際、安倍首相は「実際に起こっているのか確認しようがない。これ以上、議論しようがない」と答えたのを念頭に置いたものだ。
10日の政府与党連絡会議で、公明党山口那津男代表が「切実な国民の声に丁寧な対応をしていく必要がある」と注文。自民の閣僚経験者も「初動を誤った。首相の答弁がはねつけるような印象を与え、(待機児童問題に)火を付けた」と指摘した。
与党内からこうした声が出るのは、自民党内に苦い記憶があるからだ。第1次安倍政権では「消えた年金」など年金記録問題への対応が後手に回り、2007年の参院選で惨敗。当時の閣僚の一人は「国民に身近な問題だという認識が薄く対応が遅れた」と悔しがった。

(余録)その夜、なぜか6歳の女の子が赤い服を着せるよう母親にせがんだ… - 毎日新聞(2016年3月11日)

http://mainichi.jp/articles/20160311/ddm/001/070/147000c
http://megalodon.jp/2016-0311-0949-02/mainichi.jp/articles/20160311/ddm/001/070/147000c

その夜、なぜか6歳の女の子が赤い服を着せるよう母親にせがんだ。着せると髪を結いリボンをつけろという。最後は化粧までしてあげた母親が「かわいい」というと、その姿で寝てしまう。昭和三陸津波が女の子をさらったのは未明だった。
昨年亡くなった児童文学者の松谷(まつたに)みよ子さんが1970年代に宮城県女川町の岩崎(いわさき)としゑさんから聞いた津波の伝承である。松谷さんが現代民話採録をライフワークにしたのは、岩崎さんの語りに触発されてのことだった。
赤い服の子の話が事実とも思えないが、このような語りでしか表せぬ哀切な心の真実もある。時代は変わり、多くの映像や文字により記録されてきた東日本大震災である。だがやはり歳月をくぐり抜け、肉声で語ることによってしか伝えられぬ真実もあるに違いない。
小学5年の時に東松島市津波に遭った雁部那由多(がんべなゆた)さんは高校1年になった今、仲間と語り部の活動に取り組んでいる。目の前で津波に流された男性や、車の中で見つけた遺体、避難所での大人たちの行(ぎょう)状(じょう)といった震災の記憶は子供時代は固く胸に秘めていたという。
その後、震災を語り合う人々を見て、自分の体験を話し出すと気持ちが楽になり世界が広がった。今は小学生が見て感じた震災の実相を高校1年の肉声で伝えている。5年間という歳月が、それを言い表す言葉を授けてくれたのである(「16歳の語り部ポプラ社
震災から5年、悲しみや痛みを共にした人々をつなぐ言葉や物語も日々新たにつむがれなければ、やがて失われよう。昭和の女川の古老から現代の高校生へ、時空を超えて継がれるバトンもある。

16歳の語り部

16歳の語り部

「あと20年、学ぶ孤児ら支援」 返済不要の「みちのく未来基金」5年:東京 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201603/CK2016031102000154.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0951-48/www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201603/CK2016031102000154.html

東日本大震災で親を亡くした子どもたちが無償で大学や専門学校へ通えるよう援助する公益財団法人「みちのく未来基金」(仙台市)の活動が五年目を迎え、これまでに四百三十四人が支援を受けて進学した。基金の代表者が十日、都内で会見し「あと二十年支援を続ける」と決意を述べた。(皆川剛)
みちのく未来基金は、震災孤児と遺児を対象に、大学や短大、専門学校の入学金や授業料を卒業まで援助する。年間三百万円が上限で返済は不要。大学院へ進学する場合も対象になる。
二〇一一年十月、「阪神淡路大震災で子どもたちへの支援が不十分だった」との思いから、ロート製薬大阪市)の呼び掛けで創設。同社とカルビー千代田区)、カゴメ名古屋市)、エバラ食品工業横浜市)が共同運営し、震災当時ゼロ歳の子が大学院を修了する三六年までの活動を掲げる。
会見は、宮城県女川町出身で基金の支援を受ける慶応大三年の阿部真奈さん(21)が司会を務め、ロート製薬の山田邦雄会長は「学生たちはそれぞれ悩みを乗り越えて歩いている。私たちも一緒に学びながら息の長い支援を続けたい」と話した。原資は四社の拠出と寄付で賄い、これまでに二十三億八千万円が集まった。
厚生労働省によると、東日本大震災で親を亡くした十八歳未満の子は千七百八十二人(昨年九月一日現在)。基金は各都道府県や学校を通して支援対象者の把握に努めており、昨年秋には震災三カ月後に生まれた遺児を見つけた。現在も「中学生以下を中心に十分捕捉できていない」といい、保護者らからの連絡を求めている。
問い合わせは事務局=電022(343)9996=へ。

いつか福島で教壇に 高2で被災、専修大4年・池田和希さんの夢:神奈川 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201603/CK2016031102000163.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0952-53/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201603/CK2016031102000163.html

東日本大震災で被災した福島県の教壇に、中学教員として立ちたい−。そんな夢を抱く若者がいる。専修大学人間科学部川崎市多摩区)の4年生池田和希(かずき)さん(22)だ。故郷の福島県富岡町に帰れなくなった自らの経験を踏まえ「子どもたちに伝えたいことがいっぱいある」と話す。 (山本哲正)

多様化する避難者 ニーズに沿った支援必要 さいたまでシンポ:埼玉 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201603/CK2016031102000185.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0953-57/www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201603/CK2016031102000185.html

東日本大震災福島第一原発事故から5年。埼玉県内だけで、今も福島県民を中心に約5000人が故郷を離れた避難生活を余儀なくされている。歳月が流れることで、避難者の生活は多様化し、避難先で周囲から取り残された人もいる。先月下旬にさいたま市で開かれたシンポジウムは、こうした現状への理解と今後の支援のありようを探った。(中里宏)

<大震災5年 茨城に残る影響>(5)農業 出荷制限、風評と闘う:茨城 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201603/CK2016031102000159.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0955-24/www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201603/CK2016031102000159.html

「長かったが、本当に待ちに待った日。やっと生産者に戻れた」。石岡市で原木を使って生シイタケを栽培する野村栄重さん(67)は、ほだ木が並ぶビニールハウスで、昨年四月の出荷自粛の解除を振り返った。東京電力福島第一原発事故の影響で、県から出荷自粛を要請されたのは二〇一二年三月。昨春、約三年ぶりに出荷を再開した。

避難者、母、研究者として… 苦難向き合い、未来を展望:栃木 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201603/CK2016031102000165.html
http://megalodon.jp/2016-0311-0956-43/www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201603/CK2016031102000165.html

東日本大震災から11日で5年を迎える。震災前の日常を取り戻したかに見える県内にも、この5年間、さまざまな苦難や試練と向き合ってきた人々がいる。母親の目線で東京電力福島第一原発事故の影響を注視してきた那須塩原市手塚真子さん(46)、故郷の福島県から避難した大山香さん(50)、研究者として原発事故と向き合ってきた宇都宮大国際学部の清水奈名子准教授(40)の3人に、それぞれの歩みを語ってもらい、残された課題や未来への展望を考えた。 (大野暢子、中川耕平)

広島・中3自殺 報告書で「学校の責任がある」と結論 - 毎日新聞(2016年3月10日)

http://mainichi.jp/articles/20160311/k00/00m/040/096000c
http://megalodon.jp/2016-0311-1023-18/mainichi.jp/articles/20160311/k00/00m/040/096000c

「内規手順すべて怠っていた」
広島県府中町立府中緑ケ丘中3年の男子生徒(当時15歳)が誤った万引き記録に基づく進路指導を受けた後に自殺した問題について、学校側がまとめた報告書が10日、開示された。報告書は、万引きがあった際の面談など内規に定められた手順をすべて怠っていたと指摘。また学校に対し生徒が「どうせ言っても先生は聞いてくれない」と保護者に打ち明けていたことも明らかにした。報告書は生徒の自殺に関し「学校としての責任がある」と結論づけている。
報告書は2月29日付で約50ページ。坂元弘校長ら5人が調査しまとめた。報告書によると、万引き事件があったのは2013年10月6日。広島市内のコンビニエンスストアから1年生の男子2人が万引きをしたと学校に電話があった。日曜日だったが、出勤していた教諭が店に出向き、2人の保護者を呼んで謝罪させた。教諭は翌日、生徒指導担当教諭に口頭で報告。生徒指導担当教諭はパソコンに入力する際に名前を間違え、自殺した生徒の氏名を記入した。
学校は内規で、万引きの報告があった場合は生徒、保護者、担任、学年主任、生徒指導主事の5者面談や別室指導などをすると定めている。しかし同7日に1年生による校内暴力事件が発生し、生徒指導担当教諭らは対応に追われた。同8日の会議で他の教諭から氏名の誤りが指摘されたが、元データは修正されず放置された。本来なら実施されるべき5者面談などは全て行われなかった。
また、自殺した生徒は学校の指導について「どうせ言っても先生は聞いてくれない」と保護者に話していた。保護者が担任と面談した際に明かされたという。報告書は「教職員の誰にも相談することはできなかった。このような思いを抱かせる不十分な教育相談体制になっていた」と分析している。
一方、13年10月の校内会議で、自殺した生徒が万引きしたとする誤った資料が配られて訂正されたが、元データが修正されなかったため、その後6回あった会議でも誤ったままの資料が配られていたことも判明。参加した教諭からは6回の会議では間違いを指摘する声が上がらず、何度も修正する機会があったのに誤ったまま重要書類が保存されてきたことも分かった。

    ◇

学校は12日の卒業式で、自殺した生徒に卒業証書を授与することを決めた。坂元校長によると、遺族からも了承を得ているといい、卒業式で学級代表に渡して遺族に伝達される。【石川将来、真下信幸、安高晋】

「万引き」資料、ミス指摘後も会議に6回提出 中3自殺 - 朝日新聞(2016年3月11日)

http://www.asahi.com/articles/ASJ3B5SVYJ3BPTIL029.html?iref=comtop_6_05
http://megalodon.jp/2016-0311-1000-38/www.asahi.com/articles/ASJ3B5SVYJ3BPTIL029.html?iref=comtop_6_05

広島県府中町の町立府中緑ケ丘中学校3年の男子生徒(当時15)が自殺した問題で、2013年10月にこの生徒が「万引きをした」と誤って書かれた資料が、校内の生徒指導会議で間違いを指摘されたにもかかわらず、その後の会議でも修正されないまま計6回にわたり繰り返し提出されていたことがわかった。
学校の調査報告書や町教育委員会によると、13年10月、生徒指導担当の教諭が別の生徒の万引き事案を電子ファイルに保存する際、誤って男子生徒の名前を記入。翌日にあった週1度の生徒指導会議で、出力した紙の資料が配られた。出席者の一人が誤りを指摘し、それぞれ手元の資料に正しい名前を手書きで直したが、元の電子ファイルは修正されなかった。
このファイルは新たに起きた問題行動を加えていく形式で、翌週の会議以降も計6回にわたり誤った万引き記録を載せた資料が配られた。会議の出席者は生徒指導担当ら十数人。原則同じメンバーだった。学校側は「新たに起きた事案を議論するため、以前の記録には着目していなかった」と説明しているという。
配布資料は1〜2枚程度。会議の回を重ねるごとに新たな問題行動が増え、同年12月以降、男子生徒の名前は紙の資料からは消えた。しかし電子ファイルには残されており、2年後に男子生徒の担任教諭が誤った記録をもとに「私立高への推薦は難しい」と告げた。
問題行動を記録した一覧表は、昨年12月初めの進路査定会議でも配られた。2年前の生徒指導会議に出席した教諭も1人いたが、誤りの指摘はなかった。
町教委の担当者は「後の会議で指摘があればデータを修正できたかもしれず、こんな事態にはならなかった。問題は大きい」と話している。(玉置太郎)

関連サイト)
学校の調査報告書の要旨
http://www.asahi.com/articles/ASJ3B5RS3J3BPITB00X.html
http://megalodon.jp/2016-0311-1003-15/www.asahi.com/articles/ASJ3B5RS3J3BPITB00X.html

「先生、どうせ聞いてくれない」 広島の中3自殺報告書

東京大空襲から71年 各地で追悼 鎮魂と伝承誓う:東京 - 東京新聞(2016年3月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201603/CK2016031102000155.html
http://megalodon.jp/2016-0311-1005-56/www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201603/CK2016031102000155.html

忘れてはいけない。下町を焼き尽くした東京大空襲から七十一年を迎えた十日、各地で犠牲者を悼む集いが開かれた。年々、少なくなる空襲体験者や遺族ばかりでなく若い世代も参加し、記憶の継承を誓った。
約一万二千人が死亡したとされる台東区では、隅田公園の「戦災により亡くなられた方々の碑」の前に遺族ら約百二十人が訪れ、鎮魂を祈った。
碑は区が一九八六年に建立した。追悼集会は区民ら有志でつくる「東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会」が毎年開いている。
神奈川県湯河原町から参加した露木直治(なおじ)さん(84)は、参加者の前で東京大空襲の体験を語った。当時は、現在の台東区今戸付近に住んでいた。両親、妹三人と一緒に火の粉を払いながら必死で逃げた。母が幼い娘三人を連れて逃げることを諦め「あなたとお父さんで逃げなさい」と言い出すと、父が「死ぬときは一緒だ」と説得。家族全員で学校に逃げ込み何とか助かったという。
近所では多くの住民が亡くなった。露木さんは「戦争の被害は甚大。心から犠牲者の冥福を祈りたい」と語った。
台東区教育委員会の垣内恵美子委員長も出席し、戦後七十年に合わせて区内の大学生らがお年寄りの戦争体験を聞き取った「台東区戦争体験記録集」を発行したことを紹介。「区民の財産として広く共有し学習に役立ててほしい。平和の大切さを伝え、受け継ぐのは大人の責任」と述べた。
この日は、浅草公会堂で実行委の主催する「東京大空襲資料展」が始まった。
約三百点の資料を展示。空襲で逃げまどう人々を描いた絵や、焼け跡を撮影した写真、空襲について解説したパネル、東京大空襲の焼失地域を示した地図、空襲後に発行された罹災(りさい)証明書、戦時中の雑誌、児童の疎開先での写真などが並ぶ。実行委員長の川杉元延(もとのぶ)さん(74)は「戦争のひどさを実感し、『戦争は二度と嫌だ』という気持ちになってもらえれば」と話した。資料展は十三日まで(午前十時〜午後五時)。入場無料。 (松尾博史)
◆「絶対戦争しない意思を」江戸川でも250人が参加
約八百人が死亡、約一万一千戸の家屋が全焼したとされる江戸川区では、区民有志が被害の中心となった小松川地区で追悼式を開いた。会場の小松川さくらホールには約二百五十人が集まり、ホール近くに立つ「世代を結ぶ平和の像」にはたくさんの白いキクの花が供えられた。
「世代を結ぶ平和の像の会」が主催する追悼式は、今年で二十八回目。区立小松川第三中学校の二年生、福田茉凜(まりん)さん(14)が平和学習の成果を発表するなかで「命についていろいろと考えた。絶対に戦争をしてはいけないという意思を強くもたなければならない」と訴えた。多田正見区長も「三月十日は都民だけでなく、全国民が心に刻まなければならない日」とあいさつした。 (酒井翔平)
◆体験聞き、思い新たに 都庁で「平和の日」式典
東京大空襲の日にちなみ都が定めた「都平和の日」の記念式典が十日、都庁で、都民や各国駐日大使ら約五百人が出席して開かれた。参加者は空襲に遭った三村栄一さん(83)=千代田区=の体験を聞き、平和への思いを新たにした。
犠牲者の冥福を祈って全員で黙とう後、舛添要一知事は「平和を次世代に引き継ぐことを誓う」とあいさつした。
三村さんは小学六年生のとき、二月の空襲で千代田区の自宅を焼かれ、三月十日に避難先の台東区で再び空襲に遭った。「中央区で見かけた丸太ん棒は実は焼け焦げた人だった。自分は体が焼けなくて幸せだと思った」と振り返り、「戦争のない平和な日々が続くことを願っている」と語った。