首相、改憲は自衛隊員募集のため 9条明記で意義訴え - 共同通信(2019年2月10日)

https://this.kiji.is/467274626826814561
http://web.archive.org/web/20190211071632/https://this.kiji.is/467274626826814561

安倍晋三首相は10日の自民党大会の総裁演説で、憲法9条への自衛隊明記の意義について「都道府県の6割以上が新規隊員募集への協力を拒否している悲しい実態がある。この状況を変えよう。違憲論争に終止符を打とう」と訴えた。自衛隊が災害発生時に「自治体から要請されれば直ちに駆け付け、命を懸ける」とも強調した。
これまでの「自衛隊を明記しても任務や権限に変更は生じない」との説明に対し、変更がないなら改憲は不要だとする野党の批判を念頭に置き、新たな理由を持ち出したとみられる。
一方、石破茂元防衛相は「憲法違反なので協力しないと言っている自治体を私は知らない」と指摘した。

 (関連サイト) 

「自衛隊募集 都道府県6割協力せず」 首相、改憲の必要性強調 自民党大会 - 東京新聞(2019年2月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201902/CK2019021102000137.html
https://megalodon.jp/2019-0211-1059-06/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201902/CK2019021102000137.html

自民党は十日、党大会を東京都内のホテルで開いた。安倍晋三首相(党総裁)は演説で「いよいよ立党以来の悲願である憲法改正に取り組むときが来た」と語り、改憲に改めて強い意欲を示した。自衛隊の新規隊員募集に対して、都道府県の六割以上が協力を拒否していると指摘。「憲法にしっかりと自衛隊と明記して、違憲論争に終止符を打とうではないか」と改憲の必要性を強調した。 (村上一樹)
四月の統一地方選と夏の参院選が重なる十二年に一度の「亥(い)年選挙」に向けては「厳しい戦いになるが、まなじりを決して戦い抜いていく先頭に立つ決意だ」と結束を呼び掛けた。
さらに「十二年前の亥年参院選ではわが党が惨敗を喫した。当時総裁だった私の責任だ。片時たりとも忘れたことはない」と振り返った。
第一次政権時の二〇〇七年参院選で惨敗し、その後の退陣につながったことに「敗北によって政治は安定を失い、あの悪夢のような民主党政権が誕生した」と語った。
毎月勤労統計の不正を巡っては「徹底的に検証し、再発防止に全力を尽くしていくことで責任を果たしていく」と説明した。
ロシアとの北方領土交渉については「私とプーチン大統領の手で必ず終止符を打つ」と力説。北朝鮮による日本人拉致問題の解決にも「私の使命だ」と意欲を示した。

◆「そういう自治体知らない」石破氏、信頼得られぬと批判
安倍晋三首相が自民党大会の演説で、自衛隊の新規隊員募集に対し、都道府県の六割以上が協力を拒否していると発言したことについて、防衛相経験者の石破茂元幹事長は十日、記者団に「『憲法違反なんで自衛隊の募集に協力しない』と言った自治体を私は知らない」と語った。
石破氏は「協力しない自治体がどこなのかということは、自衛隊が築いてきた信頼関係を壊すことになる。協力しない自治体はけしからんと選挙を戦っても、有権者の信頼は得られない」と批判した。
さらに「去年は自衛隊憲法違反と言っている学者がいるから、憲法を変えるという論法だった。今年は自衛隊募集に協力しない自治体があるから、憲法を変えるという論法だった」と指摘した。 (村上一樹)

 

木村草太の憲法の新手(97)県民投票改正条例が成立 各選択肢の意味を明確に - 沖縄タイムス(2019年2月3日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/381362
https://megalodon.jp/2019-0205-1610-09/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/381362

1月29日、沖縄県議会で、「賛成」「反対」に加え、「どちらでもない」との選択肢を設ける県民投票条例改正が成立した。これを受け、投票事務拒否を表明していた五つの市でも、県民投票が実施される見込みとなった。全県実施となり、県民の投票権が確保されたのは大変好ましい。ただ、幾つか注意すべき点もある。
第一に、投票において「どちらでもない」との選択肢が許されるのは、県民投票の特性によるものだ。国政選挙、地方選挙や憲法改正国民投票では、そのような選択肢を設けることは許されない。
法的に見たとき、選挙や憲法改正国民投票の場面では、各有権者は、議員選定権限や憲法改正権を担う「権力者」としての決断を求められる。ここでは、「どちらでもない」などと、決定を先送りする選択肢を設けるのは不適切だ。
これに対し、今回の県民投票を含め、いわゆる住民投票は、行政機関(今回は県知事)が権限行使する際の参考として、住民の意識を調査するものだ。つまり、選挙よりも、パブリックコメントやデモ行進に近く、決断責任は、あくまで県知事にある。それゆえ、「どちらでもない」との消極的選択も許された。そう理解すべきだろう。
第二に、県議会は、今回の経緯が、「違憲・違法の投票権侵害行為に譲歩した前例」と位置付けられないように努力せねばならない。
これまで指摘してきたように、投票事務拒否は、憲法が保障する平等権や意見表明権の侵害だ。もしも選択肢追加によって、もともとの県民投票よりも不適切なものになったのであれば、それは「違憲行為への屈服」であり、許されない。そうだとすれば、今回の条例改正は、「交渉の中で、よりよい選択肢の在り方が発見された事例」として説明されなくてはならない。そのためには、「どちらでもない」という選択肢を加えた方が、元の県民投票よりよいものになる理由を、県議会は説明すべきだろう。
第三に、投票前に「各選択肢の意味」を確定する必要がある。改正県民投票条例10条は、県知事は投票結果を尊重しなければならない、と定める。もしも、「どちらでもない」との投票が多くなった場合、どうすれば県知事は投票結果を尊重したことになるのか。この選択肢の示す住民の意思はあまりに不明確だ。
これを曖昧なままにしておくと、工事反対派は「積極的賛成でないのだから反対の一種だ」と主張し、逆に、国は「反対多数でないのだから、工事を進めて良いのが民意だ」と主張するといった混乱を招くだろう。こうした事態を避けるには、事前に「どちらでもない」の意味を明確にしておくべきではないか。そうすれば、投票権者は意味を十分に理解して投票でき、県知事も解釈に戸惑う必要はなくなる。
この点、「どちらでもない」の意味の説明責任は、議決した沖縄県議会にある。賛成・反対以外の選択肢を設けるべきだと主張した自民党公明党も含め、県民に対してしっかりと説明すべきではないか。また、玉城デニー知事は、そうした説明を踏まえ、玉城氏自身がそれをどう受け止めるつもりかについて、声明を出しておくべきだろう。(首都大学東京教授、憲法学者

 

9条俳句、ようやく掲載 拒否から4年半 さいたま市教育長が作者に謝罪 - 東京新聞(2019年2月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201902/CK2019020102000138.html
http://web.archive.org/web/20190201041357/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201902/CK2019020102000138.html
憲法九条を詠んだ俳句がさいたま市の公民館だよりに掲載されなかった問題で、同市の細田真由美教育長は三十一日、作者である同市の女性(78)に直接謝罪し、二月一日発行のたよりに句を掲載すると伝えた。公民館が掲載を拒否してから四年半。最高裁まで争った訴訟を経て、ようやく正式な発表の場を得た。 (井上峻輔)
細田教育長は、女性が所属する句会の活動場所である同市の三橋公民館で女性と面会。「心よりおわび申し上げます」と謝罪し、句を最新のたより二月号に掲載すると説明した。
女性は「ほっと、安心しています」と話した。
二月号では、女性が詠んだ「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の句を紙面の最後の欄に掲載。「判決を真摯(しんし)に受け止め、今後はこのような事態が生じないように努める」などとした市側の見解も添える。
女性の句は句会で、たよりの二〇一四年七月号の掲載句に選出されたが、公民館側が同年六月に「世論を二分する内容で、掲載は公民館の公平性、中立性を害する」として掲載を拒否。女性は一五年に句の掲載と損害賠償を求め、市を提訴した。
最高裁が昨年十二月に女性と市双方の上告を退け、「作者の人格的利益を侵害した」などとした二審東京高裁判決が確定。判決では掲載義務はないとされたが、市は上告棄却後に句を掲載する意向を示していた。一連の問題は、本紙の読者投稿「平和の俳句」(二〇一五~一七年)が始まるきっかけになった。

◆女性「思い煩わぬ日なく」
公民館だより二月号はB4判で両面刷り。サークル体験や自然探索の案内が目を引く中、「梅雨空に~」の句は裏面の一番下に小さく載っていた。
「ここに来るまでに梅雨空を何回超えてきたか」
三十一日夕、作者の女性は翌日から回覧される印刷したてのたよりを手に取り、つぶやいた。
教育長の謝罪には「四年半にわたり、このことを思い煩わない日はなかった。ちゃんと受け止めて理解してくれたのかなと大変うれしく思う」と応じた。穏やかな雰囲気で「これからも公民館をのぞきに来て」とも呼び掛けた。
今でも月に四回は公民館を訪れる。「私たち高齢者にとっては、自由にのびのびと学べる場所」。そんな当たり前の環境を今後も保障してほしいと願う。
発行部数わずか二千部のたよりに載るはずだった句は、掲載されなかったことによって全国に知られるようになった。「詠み手を離れ、あっちこっちを飛び回っちゃった」
それは望んでいた発表の仕方ではなかった。四年半の時を経て「これでようやく正式な発表になったかな」。
たよりの片隅にある自身の句を見つめ、安心したようにほほえんだ。

9条俳句不掲載を謝罪 さいたま市教育長、作者に - 東京新聞(2019年1月31日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019013102000267.html
https://megalodon.jp/2019-0204-1020-46/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019013102000267.html

さいたま市の女性(78)が憲法九条を詠んだ俳句の公民館だよりへの掲載を拒否された問題で、細田真由美教育長は三十一日、同市の公民館で、女性に「心よりおわびする」と謝罪した。二月一日発行のたよりに掲載する。
女性は「安心した。四年半にわたり、このことを思い煩わない日はなかった」と話した。女性が市に句の掲載と損害賠償を求めた訴訟は、賠償を命じた判決が昨年十二月に確定した。
判決によると女性は二〇一四年六月、市内の公民館で活動する句会で「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ。秀句に選ばれたが、公民館は「公平性、中立性を害する」として、たよりへの掲載を拒否した。
二審東京高裁は昨年五月、一審さいたま地裁に続き賠償を命令。最高裁が同十二月、女性と市双方の上告を退けた。

 

今国会での改憲発議は“困難” 自民党・下村氏 - テレビ朝日(2019年1月28日)

https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000146271.html
http://archive.today/2019.01.28-012421/https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000146271.html


自民党の下村憲法改正推進本部長は27日、28日に召集される通常国会で、憲法自衛隊を明記する改正を発議するのは難しいという認識を示しました。
自民党・下村憲法改正推進本部長:「自衛隊の9条の問題だけを今国会で全部、3分の2で発議するというのは確かにハードルありますよね。時間的にも、中身的にも」
そのうえで、下村氏は「まずは憲法審査会で広く議論することにより、深掘りできるような環境作りをどう作るかが問われる」と述べ、各党が国会に憲法改正案を出し合って議論を進めることに期待を示しました。さらに、「春の統一地方選有権者憲法改正を訴えることがプラスになるような流れを党本部としても作っていきたい」と述べ、国民世論を盛り上げる環境作りに努める考えを示しました。

学者ら新基地違憲声明 「法治」外れた強権やめよ - 琉球新報(2019年1月28日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-867338.html
https://megalodon.jp/2019-0128-1600-05/https://ryukyushimpo.jp:443/editorial/entry-867338.html

安倍晋三政権の強権に直面する沖縄にとって、学問的見地からの心強い味方を得た。
国内の憲法研究者131人が、辺野古新基地建設は違憲だとして反対する声明を発表した。埋め立ての賛否を問う県民投票の結果が出るまで、工事の中止も求めている。
声明は「新基地建設強行は『基本的人権の尊重』『平和主義』『民主主義』『地方自治』という、日本国憲法の重要な原理を侵害、空洞化するものである」「政府が強行し続ければ、日本の立憲民主主義に大きな傷を残すことになる」と指摘している。
これまで県民は、辺野古新基地を争点にした知事選や国政選挙などで新基地反対の民意を何度も示してきた。過去の県民世論調査でも7〜8割が県内移設に反対している。
明確な民意があるにもかかわらず、これを無視する安倍政権は、憲法が保障する平和的生存権を踏みにじり、沖縄の地方自治と民主主義を侵害しており、断じて許されない。
憲法学者らが辺野古基地問題で声明を出すのは初めてだ。工事が強行される現状を見て、研究者の良心に基づき警鐘を鳴らしたと言えよう。
この声明に対し、菅義偉官房長官は「地元市長や知事の了解を得て閣議決定した。まさに憲法の中の手続きをしっかり取った上で実行している」と反論した。
明らかに間違いだ。1999年に県が受け入れた際は「15年使用期限」「軍民共用空港」という条件付きだった。その後、現行のV字案に変更され、2006年の閣議決定で県の条件は破棄された。
地元の合意を得ようとしない政府の態度は一貫しており、この間、法を逸脱した手続きを繰り返している。
県が埋め立て承認を撤回した後、本来は私人の権利を救済するための行政不服審査制度を使って工事を再開した。行政法研究者110人が「違法行為」「制度の乱用」と厳しく批判した手法だ。
土砂の搬出場所も、県に届け出た本部港が使えなくなったため、変更申請をせずに名護市安和の桟橋に変更し、搬出を強行した。埋め立て用土砂も、県の承認を得ずに赤土などの割合を増やしていた。
官房長官が連呼する「法治国家」が聞いてあきれる。一連の行為は法治主義から大きく懸け離れている。沖縄の民意を抑え込むためなら、国家権力は何でもできるとの高圧的な姿勢は、まさに強権国家でしかない。
憲法行政法の専門家の声を政府は聞き入れるべきだ。
声明は、沖縄県民の人権問題であると同時に、民主主義の観点から「日本国民全体の問題である」とも言及する。
全くその通りだ。辺野古新基地が強行されてしまうと、国家方針に反する地元の声は無視できるというあしき前例になる。全国でも起こり得ることだ。民主主義を守るためにも、国民がわが事として考える契機になってほしい。

憲法学者が反対声明へ 新基地建設 120人超が「憲法違反」 - 琉球新報(2019年1月20日)

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-863957.html
https://megalodon.jp/2019-0122-0900-00/https://ryukyushimpo.jp:443/news/entry-863957.html

【東京】安倍政権による辺野古新基地建設強行が憲法の重要な原理を侵害し憲法違反だとする声明を全国の憲法研究者ら有志が準備している。20日時点で、小林武沖縄大客員教授や高良沙哉沖縄大准教授、飯島滋明名古屋学院大教授ら126人が賛同している。24日に東京都内で記者会見して発表する。
声明は、昨年9月の県知事選で辺野古新基地に反対の民意が出たにもかかわらず安倍政権は建設を強行していると指摘し「『基本的人権の尊重』や『民主主義』『地方自治』という日本国憲法の重要な原理を侵害、空洞化するものだ」と強調した。その上で「辺野古新基地建設に関わる憲法違反の実態と法的問題を社会に喚起することが憲法研究者の社会的役割であると考え、新基地建設に反対する」と訴えている。
20日時点で声明に賛同する憲法研究者は、井端正幸沖縄国際大教授や田島泰彦元上智大教授、青井未帆学習院大教授、水島朝穂早稲田大教授、安原陽平沖縄国際大講師ら126人。
辺野古新基地建設を巡っては、県の埋め立て承認撤回に対し沖縄防衛局が行政不服審査法に基づく対抗措置を取ったことに、行政法の研究者ら110人が2018年10月に、国の措置は「違法」だと批判する声明を出した。

9条は大黒柱 「憲法学び実感」 「大工目線」解説本で勉強会 - 東京新聞(2019年1月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019012102000113.html
https://megalodon.jp/2019-0121-0958-20/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019012102000113.html

「大工目線」で憲法の条文を解説した本「大工の明良(あきよし)、憲法を読む」をテキストにした勉強会が20日、宇都宮市内で開かれた。筆者のペンネーム明良佐藤さん(75)も参加し、主権者の国民が憲法を学び、4月の統一地方選や夏の参院選で選挙権を行使する重要性を確認し合った。
明良さんの本は昨年10月に出版。憲法を「国の設計図」と捉え、戦争放棄と戦力不保持を掲げる9条を「世界で最も先進的な構造を持った家の大黒柱」などと表現している。大工や生活者としての切り口が分かりやすいと好評だ。
勉強会は、国防軍を明記する2012年の自民党改憲草案に危機感を持った栃木県益子町の主婦中井美樹さん(39)と宇都宮市の同中江綾(あや)さん(35)が中心となり、17年秋から月1回程度開催。12回目の今回は初めて「大工の明良」を使用した。30代から80代の県内女性8人が参加した。
会では、全員で「第5章 内閣」部分を読んで、議院内閣制の仕組みを学んだ。明良さんは「いい国をつくるには『発注元』の国民が、しっかり意見を出すことが大事だ」と強調した。
生後1カ月の赤ちゃんと出席した中江さんは「専門家が書いた文章は難しいがこの本は読みやすい。憲法と生活が結びついていると実感した」と話した。 (安藤美由紀)

(私説・論説室から) 梅原猛さんの平和思想 - 東京新聞(2019年1月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019012102000139.html
https://megalodon.jp/2019-0121-0951-07/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019012102000139.html

九十三歳で亡くなった哲学者の梅原猛さんから興味深い見解を聞いたことがある。「神も仏も捨てたのが、明治政府です」と−。仏教を排斥した史実はあるが、神を捨てたとは…。はてと首をひねった記憶がある。
「昔から日本人は山川草木すべてが神様だという多神論でした。仏教にも同じ思想があり、神と仏を合体させた宗教を民衆は信仰してきた。神仏習合、それが日本の思想の中心でした。だが、明治になり国家神道という一神教になったのです」
国家主義は古来の思想を無視して、国家神道という新しい宗教を国民に強制した。さしずめ教育勅語はその道具であった。この一神教こそ戦争へと日本人を駆り立て、日本を狂わせた張本人なのだという説明だった。
「日本の伝統では、恨みを持って死んだ人を怨霊神として祀(まつ)りました。祟(たた)りを怖(おそ)れたからです。だから、本来は中国などアジアの犠牲者を祀らなければいけない。国家のために死んだ軍人や人々だけを祀る靖国神社は、古来の伝統に反(はん)しています」
そう語ってもいた。何よりも日本の平和憲法が哲学者・カントが説いた永久平和論に近いと喜んだ。カントは防衛する軍隊は認めたが、侵略する軍隊には反対した。
平和憲法は生かさなければいけない。人類が求めている『超近代』という理想ですよ」との言葉は今も耳に残る。 (桐山桂一)

木村草太の憲法の新手(96)県民投票への不参加問題 市の主張、法律論にならず 条例に事務遂行の義務 - 沖縄タイムス(2019年1月20日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/374571
https://megalodon.jp/2019-0120-1016-37/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/374571

問題の核心は、県民投票の条例が、住民投票を実施するか否かの選択権(裁量)を各市町村に与えているかにある。
この点、宮崎政久衆院議員は16日の記者会見で、市町村に投票事務執行義務があるとの「断定的な判断ができない」と主張した。しかし、同条例5条1項は「県民投票は」「実施しなければならない」と定め、同13条も、投開票事務を「市町村が処理する」と断言している。つまり、県や市町村が県民投票の実施を怠ったり、妨げたりすることは認めていない。条例を読む限り、どう考えても、投票事務遂行は義務だ。
とはいえ、条例自体が違憲・違法なら、事務遂行の義務付けは無効だ。では、県民投票不参加の市は、条例の違憲・違法の説明に成功しているか。
不参加を表明した市長らは、第一に、「賛成・反対」の2択は不適切で、「やむを得ない」や「どちらとも言えない」などの選択肢を設けるべきだと主張する。しかし、「やむを得ない」は「賛成」の一種だし、「どちらとも言えない」なら白票を投じればよい。そもそも、「県民投票に多様な選択肢を設けねばならない」と定めた憲法・法律の規定はない。したがって、2択だからといって、条例は違憲・違法にはならない。
第二に、地方自治法252条の17の2は、県の事務を条例で市町村に処理してもらう場合に、事前の「協議」が必要だとしているところ、今回は、市町村が同意できるだけの事前協議がなかったので、条例は違法だとする趣旨の批判もある。
しかし、地方自治法が要求するのはあくまで「協議」であって、市町村の「同意」までは要求していない。県は、市町村との協議を踏まえ条例を制定しており、法律上の瑕疵(かし)はない。
第三に、県民投票は、憲法が保障する市の自治権侵害との批判もある。確かに、投票事務遂行が、市に過酷な財政負担を課したり、他の事務遂行を困難にしたりするのであれば、そうした主張も成り立ちうる。しかし、今回の県民投票では、地方財政法28条に基づき、各市町村に県予算が配分されるから、市の財政的負担はない。また、例えば、大規模災害の直後で災害対応に手いっぱいといった事情があるならともかく、今回の投票事務遂行によって、他の業務が大規模に滞るなどの主張は聞かれない。
第四に、不参加方針の市長はいずれも、事務執行予算の再議を否決した市議会の議決は重いと強調する。しかし、仮に、市議会が、「女性県民の投票事務に関わる予算」を否決したとして、市長が「市議会の議決は重い」として男性だけの投票を実施すれば、違憲であることは明白だろう。市議会には、憲法が国民に保障する平等権や意見表明の権利を侵害する権限などない。市議会の決定ならば、県民の権利を侵害してよいなどという理屈は、民主主義の下でもあり得ない。
このように不参加方針の市の主張は、いずれも法的な事務遂行義務を否定する法律論になっていない。各市は、一刻も早く、投票事務の執行に取り掛かるべきだ。(首都大学東京教授、憲法学者

同性婚訴訟 法の下の平等が問われる - 信濃毎日新聞(2019年1月16日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190116/KT190115ETI090004000.php
http://archive.today/2019.01.16-014257/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190116/KT190115ETI090004000.php

憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と規定している。これにより同性同士が婚姻関係を結ぶことを否定できるのか―。これを問う訴訟が来月中旬、一斉提訴される。
踏み切るのは全国の同性カップル10組である。
同性婚ができないのは憲法が保障する婚姻の自由を侵害し、法の下の平等に反するとしている。国に損害賠償を求め東京地裁名古屋地裁など各地の裁判所に訴える。同性婚を求めて当事者のカップルが国を提訴するのは、初めてのケースとみられる。
憲法解釈はさまざまだ。裁判所は双方の主張に慎重に耳を傾け、判断してほしい。
訴訟では憲法24条の「両性の合意」が何を指すのかが争点だ。
政府は24条について、同性婚を想定していないとの見解を示している。男女の婚姻を規定しているとの解釈も根強い。
弁護団は「同性婚を禁止した規定ではないと解釈できる」と主張する。旧民法では婚姻には父などの戸主の同意が必要だった。このため、憲法学者には24条は「当事者のカップルが自分の意思で結婚できること」を規定しており、同性同士の婚姻を否定していないという解釈が出ている。
法の下の平等を規定する憲法14条は、人種、信条、性別、社会的身分などにより差別されないと規定する。同性婚を認めないのは差別なのかが問われる。
同性婚は2001年4月に世界で初めてオランダで認められた後、欧州を中心に広がった。アジアでも今年5月に台湾で認められることになっている。現在は先進7カ国(G7)で日本だけが、同性婚やこれに準じた制度を法制化していない。
国内では自治体が同性カップルなどを公認する同性パートナーシップ認証制度が広がりつつある。それでも通常の夫婦と同様の税控除を受けられず、相手が死亡しても遺産を相続できない。
考えなければならないことは、同性や両性を愛することは趣味趣向ではないことだ。生まれ持った性質であり、変わることはないというのが通説である。
異性を愛する人も、同性を愛する人も権利は同様であるべきだ。電通が全国6万人を対象に昨年10月に実施した調査では、8割近くが同性婚に理解を示した。同性婚のパートナーを配偶者として処遇する企業も増えている。社会は実情に即し対応しつつある。裁判所の見識が問われる。

萬平さんも屈した 「人質司法」が変わらぬわけ 勾留理由開示(下) - 共同通信(2019年1月12日)

https://this.kiji.is/456337004541035617?c=39546741839462401
http://archive.today/2019.01.13-010333/https://this.kiji.is/456337004541035617?c=39546741839462401

「よんぱち・にーよん・とーか・とーか」。カルロス・ゴーン日産前会長の勾留理由開示の報道で、30年以上前の入社直後に覚えた“呪文”を思い出した。それと一緒に暗記したのは「巡査」から始まり「警視総監」で終わる警察官の階級だった。

報道機関に入社した新人記者の多くは、まず警察を担当する。いわゆる「サツ回り」だ。「よんぱち・にーよん・とーか・とーか」は、被疑者が警察に逮捕された場合の警察・検察の“持ち時間”である。
警察は逮捕から48時間以内に被疑者の身柄を検察庁に送り、検察官は24時間以内に裁判所に勾留請求し、勾留は10日間ずつ2回認められる。それぞれの節目で起訴されたり、釈放されたりすることがあり得るので、取材の必須ポイントとなる。
記者生活がサツ回りから始まること自体を「権力寄りの姿勢や発想になじんでしまう」などと批判する人も多い。だが、サツ回りが権力監視の姿勢や権力との距離感を学ぶ場だとしたら、初歩の段階で警察を担当する利益はむしろ大きいはずだ。最も直接的に人権を抑圧することのできる機関だから。
そのように抗弁するためには、人権を奪うことの重大性と、人権を保障するシステムの大切さを知ることが前提となる。警察や検察の持ち時間も、捜査当局の仕事を制限しているのでなく、被疑者の人権を守る仕組みとして理解されるべきなのだ。
ところが、なかなかそうはならない。それはメディア組織が総じて、少数者・弱者に目を向けず、その実情に迫る姿勢に乏しかったことに起因する。苦い自省を込めてそう思う。事件における少数者・弱者とは、異論があるかもしれないが、被害者と加害者(または被疑者・被告・受刑者)である。もちろん両者の親族も含まれる。
身柄を長期にわたって拘束する日本の「人質司法」が変わらないのも、人権に対して鋭敏でないメディアのありようが大きな要因なのではないか。
被疑者の実情とはどのようなものか。逮捕されると連日、厳しい取り調べを受ける。取り調べのない時間も、24時間の監視下に置かれる。それもつらいが、日常の人間関係や社会的な関係から切り離されることはもっと過酷かもしれない。
外部との通信や交流は遮断、または制限される。接見禁止処分が付けば、家族とも面会できない。ゴーン前会長は1月9日に高熱を出した。心配する妻キャロルさんは「(最初の逮捕日から)彼と連絡を取ることを許されていないので、私の情報は報道だけに限られている。日本の当局は彼が診療所に運ばれたのか教えてくれないし、拘置所の医療関係者と話させてもくれないだろう」という声明を出した。
自分の身にそんなことが起こったら、とても耐えられそうにない。早く出してもらえるなら、何でも認めてしまいそうだ。それより先に心身に異常を来すかもしれない。実際そういう人が少なくないので、精神医学には「拘禁反応」という診断名もある。
こうした強制捜査は制限的であるべきだというのが法の精神だ。本来、捜査は「任意」が原則なのだ。だから逮捕や勾留については、法律で要件や手続きが厳密に定められている。だが、身柄の拘束が長期化するケースは後を絶たない。最近では学校法人「森友学園」の前理事長、籠池泰典被告と妻諄子被告の299日という例もあった。

NHKの連続テレビ小説まんぷく」の年末最後の回では、萬平さんがこの「人質司法」に屈した。国を相手にした訴訟(正当性は萬平さんの側にある)を取り下げたら釈放してやるという取引に応じたのだ。ふくちゃんの説得によって。
専門家の中には、これは人質司法ではないと言う人もいるかもしれない。人質司法はふつう、被疑者の身柄を長期拘束することによって、捜査当局が自らの主張・立証に有利な供述を引き出すことを指す。最悪の結果は虚偽自白による冤罪である。
まんぷく」のケースは、取り調べ段階ではなく服役中であること、取引の内容が供述ではなく訴訟の取り下げであることなどが、上記の説明とは異なる。だが、人質司法は法律用語と違って厳密な定義があるではない。身柄を拘束することで、当局側が被疑者・被告人・受刑者らと有利な取引をする。広義ではそうとらえていいだろう。
さて「まんぷく」のこの回を見たみなさんはどう感じただろう。
正義を貫くべきなのに屈服したのは不満だと思う人、自由の回復を最優先するふくちゃんの説得にうなずく人、あるいはこのような理不尽な取引を強要する権力側に憤る人…。
だが、さして怒りも覚えず、ドラマの一場面として通り過ぎてしまったとしたら、それこそ人質司法を許してしまうことにつながっているかもしれない。(47NEWS編集部、佐々木央)

憲法の骨抜きあらわに 「ゴーン劇場」が示したこと  勾留理由開示(上) - 共同通信(2019年1月11日)

https://this.kiji.is/456296023422223457?c=39546741839462401
http://archive.today/2019.01.13-010517/https://this.kiji.is/456296023422223457?c=39546741839462401

法廷にいた人たちに疑問や不満はなかったのだろうか。カルロス・ゴーン日産前会長の勾留理由開示の法廷のことだ。
憲法に根拠を持つ重要な人権保障の手続きだが、報道を見る限り、無実を訴えるゴーン前会長ばかりがクローズアップされた。
勾留理由開示という看板に偽りがないなら、この法廷の主役は明白だ。勾留を認めた裁判官である。その人が語る主題は「勾留を認めた理由」でなければならない。では裁判官は何をどのように語ったのか。
映像の中継はないから、新聞各紙を読み比べた。ところが主役であるはずの裁判官の姿は、ゴーン前会長の陰に隠れ、なかなか見えてこない。
裁判官に関連した記述で比較的詳しいものを拾ってみる。まず読売新聞1月8日夕刊1面。

― 多田裁判官はこうした容疑を説明した上で、勾留理由について「事件の内容や性質、被告の供述などから、被告が関係者に働きかけて証拠隠滅を行う恐れがある」と説明。「国外にも生活拠点を置いていることから逃亡の可能性も疑われる」とも述べた―
裁判官の説明は形式的だ。さらなる追及にはどう答えたか。朝日新聞夕刊の1面。

―一方、ゴーン前会長の弁護人は多田裁判官に対し、逮捕容疑について損害を与えたと疑う根拠などを明らかにするよう求めたが、多田裁判官は「捜査中の事件でもあるので、明らかにできない」と答えた―

各紙とも主役と主題はそっちのけで、ゴーン前会長の陳述に多くのスペースを割いている。中にはゴーン前会長の陳述全文を掲載した新聞もあり、無実を訴える「ゴーン劇場」のおもむきを呈した。
ここで法の原則を確認したい。憲法34条を引く。
「何人も、理由を直ちに告げられ、かつ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留または拘禁されない。また、何人も、正当な理由がなければ拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人およびその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」(一部の漢字を平仮名に、旧仮名遣いは現代新仮名遣いに改めた)
後半の「要求があれば、その(拘禁の)理由は、直ちに本人およびその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」という文言が、勾留理由開示の直接の根拠となっている。これを受けて刑事訴訟法82条から86条は、請求者の範囲などを定めた。開示法廷の内容については84条が次のように規定する。

第1項 法廷においては、裁判長は、勾留の理由を告げなければならない。

第2項 検察官または被告人および弁護人ならびにこれらの者以外の請求者は、意見を述べることができる。
これを見て、今回の勾留理由開示の手続きは何の問題もないという人もいるだろう。

だが裁判官が告げたという容疑事実は、この事件に多少関心を持つ人なら誰でも知っている内容だ。逃亡や証拠隠滅の恐れというのは、勾留の要件として同じ刑訴法に定められている事項そのものである。裁判官がそのように判断していることは、勾留を認めたという事実から明白なのだ。
憲法がわざわざ、公開の法廷で勾留理由開示を行えと指示したのは、そんな形式的なことをさせるためではない。当該事件について具体的に、なぜ容疑があると判断したのか、どのような事情から証拠隠滅や逃亡の恐れがあると認定したのかを示さなければならない。
少なくともゴーン会長が無実だと力説したのだから「いや、あなたの容疑性は相当高いですよ」などと反論し、最低限の根拠を示さなくてはならないだろう。それが憲法の求めていることだと思う。
「逃亡の恐れがある」というのも、常識的に見ておかしい。あれだけ有名で顔も知られている人が逃げ隠れできるだろうか。もし自由を取り戻したら、ルノーのトップとして、あるいは日産の取締役として、まず権力闘争に決着をつけようとするのではないか。
そのような当然の疑問に裁判官は一切、答えなかった。
勾留理由開示の手続きは司法官僚によって骨抜きにされ、一般的にこのような形で虚しく行われている。この手続きを知らなかった人も多いはずだ。制度が形骸化しているから、使う人がほとんどいない。勾留された人に、弁護士がこの権利があることを伝えないケースさえあるという。
読売新聞の1月8日夕刊社会面が、今回のいきさつを伝えている。年末に弁護士がこの手続きを提案し、ゴーン前会長が「そういう制度があるなら利用したい」と意欲を示したという。
3回目の逮捕まで制度を知らせていなかったことには疑問を持つが、それでも利用できて良かった。
社会から隔離されていたゴーン会長が、人々に向けて自分の言葉で無実を訴えることができたから。そして私たち市民にとっては、日本の刑事司法の問題点がまた一つ、はっきりと示されたから。(47NEWS編集部、佐々木央)

<代替わり考 皇位継承のかたち>(4) 大嘗祭に国費 違憲可能性 - 東京新聞(2019年1月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019011102000138.html
https://megalodon.jp/2019-0111-0934-38/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019011102000138.html

天皇家の内部から、こういう発言が出てくるとは感慨深い」。元裁判官の井戸謙一弁護士(64)は、大嘗祭(だいじょうさい)をめぐる秋篠宮さまの発言に時代の変化を感じている。かつて井戸は大阪高裁で、平成の代替わり儀式への国費支出の是非が問われた訴訟の審理を担当した。

大嘗祭は戦前の旧皇室典範や登極令(とうきょくれい)に明文化されていたが、戦後すべての法令から消えた。元内閣官房副長官の石原信雄(92)によると、前回は憲法学者宗教学者らからヒアリングを行い、大論争となった。最終的に政府の責任で、憲法皇位世襲制を定めていることから「公的性格が強い皇室行事」と位置づけ、国費でサポートした。
一九九五年三月、大阪高裁は一審と同様、原告の慰謝料請求などを退けた。ただし、判決の結論に影響しない「傍論」で、大嘗祭と即位礼正殿の儀への国費支出を「ともに憲法政教分離規定に違反する疑いは否定できない」と指摘した。
判決原案を書いたのは、主任裁判官の井戸だった。あえて傍論で憲法判断に踏み込んだ理由を「結論に関係がなくとも、できる範囲で答えるべきだと考えた」と明かす。裁判長ら三人の合議でも異論は出なかったという。
国を相手に儀式への国費支出の合憲性を争う集団訴訟は他になく、全国の千人以上が原告として参加した。原告側は「実質勝訴」として上告せず、判決を確定させた。このため国費支出の合憲性について最高裁の判断は出されていない。
阪高裁判決から二十四年を経て、政府は新天皇大嘗祭を再び国費で行う。一部の有識者から内々に意見聴取しただけで、国民的な議論はなく、前例をほぼ踏襲した。関係経費は二十七億円を超え、前回より五億円近く膨らむ。
「宗教色が強いものを国費で賄うことは適当かどうか」。秋篠宮さまは昨年十一月、五十三歳の誕生日会見で政府方針に疑問を示した。天皇家の私的費用の範囲内で「身の丈に合った儀式」とするのが、本来の姿であるとの持論を語った。
発言の趣旨は、天皇、皇后両陛下の姿と重なる。宗教学者島薗進(70)は「今の天皇は、皇室を現代化する中で、国民の負担軽減と国民との距離を縮めるということを言ってきた。秋篠宮発言の意味は長期的に考えていくべき課題だ」と指摘する。
天皇憲法に定める象徴の地位を安定的に維持するには、国民の理解と支持が不可欠だ。井戸は「皇室行事に国費を使うのは理屈上、筋が通らない。皇室への国民の理解や支持を失わせ、自分たちの地位や立場を危うくするという危機感が発言の背景にあるのではないか」と推し量る。
昨年十二月、国費支出に反対する宗教者と市民約二百四十人が東京地裁に提訴した。原告には大阪訴訟の経験者もおり、最高裁まで争うことも視野に入れる。 =敬称略

<代替わり儀式と住民訴訟> 前回は、県知事らの儀式参列が憲法政教分離原則に反するとして出張費の返還を求める住民訴訟が各地で起きた。最高裁は2002年、大嘗祭の宗教性を認めた上で「目的効果基準」に照らし、目的は「社会的儀礼」であり、効果も特定の宗教を援助したり、圧迫したりするものではないとして、知事らの参列については合憲と判断。04年には即位礼正殿の儀への参列も同様に合憲とした。