<金口木舌>児童憲章制定70年 - 琉球新報(2021年5月5日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1316373.html

7歳の時に沖縄戦を体験した男性は、自分の誕生日を知らなかった。戦争で家族を失い、孤児院に身を寄せた。親戚に引き取られた後、戸籍を作った際に終戦記念日の8月15日が誕生日となった

▼戦後、県内には11カ所の孤児院があったとされる。家族を失った多くの子が自身の誕生日を知らず、8月15日で届け出ているのではないか。取材した当時、そう感じた
▼戦後の混乱期を背景に、70年前の1951年5月5日、児童憲章は制定された。児童は「人として尊ばれる」「社会の一員として重んぜられる」「よい環境の中で育てられる」とうたう。当時沖縄は米統治下で、児童福祉法さえなかった
▼憲章制定から70年。スポーツや勉強、やりたいことに挑戦できる環境は以前に比べ整っている。一方で、沖縄は子ども食堂の数が全国最多で、まだまだ支援を必要とする子どもは多い
▼2019年度、県内の児童虐待対応件数は前年度比46%増の1600件余と過去最多となった。コロナ禍でステイホームが長引く中、支援の手が届きにくくなっているのではと心配される
▼今日はこどもの日。本紙の各面では、自分の好きなこと、得意分野に熱中する子どもたちが登場する。その笑顔がずっと続いてほしいと願う。沖縄戦を生き抜いてきた人たちの命のバトンをつなぐ子どもたちに大人として何ができるかを考える日にしたい。

 

<南風>4月28日に生まれて - 琉球新報(2021年5月4日)

https://ryukyushimpo.jp/hae/entry-1316097.html

私の誕生日は4月28日だ。先日41歳になった。4・28でぱっと「屈辱の日」と思い浮かぶ人も多いだろう。
子どもの頃は翌日が祝日だから必ず休みでラッキーな日に生まれたと思っていたし、大学進学から県外に住んでいたから特に意識することもなかった。
だが2013年に当時の安倍政権が主権回復を記念した「祝典」を開催したことにより、それまで以上に「屈辱の日」と呼ばれるようになった。以来毎年誕生日に新聞を見ると大きく「屈辱の日」とあり、沖縄がおかれる現状を改めて意識せざるを得ない。
そして5年前にうるま市でジョギング中の若き女性が米軍属に殺されるという痛ましい事件が起きたのも、4月28日だった。
今年、当日の全国紙を読み比べてみたらA新聞が米軍属事件から5年という記事が出ていたものの、沖縄が日本から切り離された日として報じている新聞は1紙もなかった。地方紙の社説も比較したが、やはり沖縄の話は出ていなかった。
かたや本紙に掲載された銀嶺丸乗組員の西銘文太郎さんの証言は衝撃だ。米軍によるビキニ環礁水爆実験の死の灰を浴びたのに、米軍統治下にあった沖縄からの乗組員は検診の対象にすらならなかったそうだ。
沖縄が切り離された屈辱の日から69年。広大な米軍基地が残されたまま日本に復帰して49年。そして、辺野古基地建設の土砂投入が始まった日。繰り返し琉球処分が行われ、今度は戦没者の遺骨が眠る南部の土砂が新基地埋め立てに使われようとしている。
米軍基地から受けている被害・基地があることによる負担はどんどんひどくなっている感覚こそあれ軽くなったと感じられることはない。補助金と甘い蜜を誘い文句にする政治家もいるが、そんな問題ではない。沖縄の自己決定権を今こそ取り戻そう。
(富田杏理、おとなワンサード代表)

 

【政界地獄耳】立憲民主党の国民投票法対応、付和雷同ではダメだ - 日刊スポーツ(2021年5月5日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202105050000075.html

★ポリシーや筋とは、それが見当外れでも言い続けることが成果になることがある。自民党憲法改正を党内の一部や、支持勢力の顔色を見るために訴え続けていた。安倍政権当時が、改正の機運が一番高まった政権だったが、党内には本気で改正する覚悟などなかったといえる。ところが北朝鮮からミサイルが飛んでくるとあおり選挙に勝ち、今回はコロナ禍を抑えるためとか台湾海峡波高しと言い続けると、また国民は憲法改正が必要なのではないかと考える。

★今回はそれだけではない。自民党が右派へのリップサービスを続けることで効果があるとみるや、立憲民主党も選挙で共産党の支持は黙っていてもついてくるが、自民党嫌いの保守層を取り込みたいがために、国民投票法の審議に応じる構えを見せた。自民党がポリシーや筋をかなぐり捨ててもウイングを広げていくことは国民政党としての宿命かもしれないが、今の立憲がやるべきことは基本政策を固めることだ。

★ウイングは徐々に広げることができるが毎回言うことが変わる政党は信用されない。または党首が変わることで、方向性に変化があるならばともかく、これでは合流協議をして多くが吸収された社民党の面々が浮かばれない。加えて国民は立憲が選挙のために魂を売り、目先の動きに右往左往する政党とみるだろう。党代表・枝野幸男は自らと党を過大評価している。本人は柔軟に対応していると考えているようだが支持者は変節漢ととるだろう。問われるのは筋とアプローチの仕方だ。国民投票法に条件付き賛成で一体幾人の支持者が増えるのか。若い政党は時流に乗るために結党時の理念から変節する場合があるが、それが党内の試行錯誤と切磋琢磨(せっさたくま)から生まれてくるならともかく、付和雷同ではダメだ。(K)※敬称略