(筆洗) 現在、米国のハーバード大学ロースクール学生の男女比率はだい… - 東京新聞(2020年9月20日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/56667

現在、米国のハーバード大学ロースクール学生の男女比率はだいたい同じだそうだ。
1958年にその女性が入学した時は男性500人以上に対して女性はわずか9人。教授の質問に答える時は緊張した。もし自分が失敗すれば女性全体の能力を疑わせることになる。その考えはずっと変わらなかったのかもしれない。米連邦最高裁のルース・ギンズバーグ判事が亡くなった。87歳。
大学教授、弁護士、判事の経歴を通じ取り組んだのはロースクールに限らず、法の下での平等が約束している通り、あらゆる分野で「男女比率」を同じにすることだったのだろう。賃金差別の解消、機会均等。その取り組みと主張は米国のみならず世界の目を覚まさせた。
子ども時分、母親に「レディーであれ、自立した人間であれ」と教えられたそうだ。鋭い意見で「ノトーリアス(悪名高き)」の愛称もあったが、決して感情的にならず、地道な説得によって社会をより良き方向へと一歩ずつ進めていく。それが思慮深い「レディー」の方法だった。
リベラル派だが、最高裁の同僚では保守派の故スカリア判事と仲が良かった。どんなに意見が違っても友情をはぐくめる。話し合える。小柄だが心の大柄な方だった。
議論に勝つ方法を教えている。「大声を出さないこと」。大声を出せば相手と話し合えない。意見対立の時代に大切な教えである。

 

<記者だより>どうなる「女性活躍」:神奈川 - 東京新聞(2020年9月20日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/56655

コロナ禍にあり誰しも苦労や大変さを感じただろうが、やはり男性より女性の負担は大きかったと思う。仕事を失った非正規社員の女性、突然の全国一斉休校で降って湧いた子どものケアにぼうぜんとしたお母さんがどれだけいただろう。
とりわけ苦境に立たされたのがシングルマザー。NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」が七月に行った調査で、母子家庭の18・2%が食事回数を減らし、14・8%が一回の食事量を減らしているとの結果が出た。この日本で、だ。
安倍政権は「女性活躍」の看板を掲げ、待機児童の数は減った。しかし、女性が生きづらい社会のありようが七年八カ月で変わったとは思えない。政権のコロナ対応で改めて感じた。
菅義偉新首相は安倍政権の継承を掲げ、自民党総裁選の政策集に「自助・共助・公助、そして絆」と名付けた。第一に自助を据えたことに加え、職場でも家庭でも、自助と共助の多くが女性に押しつけられやしないか心配だ。「女性活躍」の行方から目が離せない。 (石原真樹)

 

<金口木舌>32軍司令部壕と平和への誓い - 琉球新報(2020年9月20日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1194266.html

8月末、那覇市首里城周辺を通り掛かると、見慣れた守礼門に違和感を覚えた。「守礼之邦」と刻まれた扁額が見当たらない。台風9号に向けた対策で取り外されていた

▼続く台風10号後の9月7日、扁額が再設置された。新型コロナウイルスの流行拡大に伴う県独自の緊急事態宣言も解除され、首里城公園はこの日営業を再開した。設置作業を観光客も見守ったが、その数はまばらだった
守礼門近くには第32軍司令部壕への第1坑口などがある。登城するための最初の正門・歓会門に向かう道からそれる場所にある。設置された説明板前で立ち止まる人はなお少ない
▼昨年焼失した首里城正殿などの主要施設の再建に向けた動きに合わせ、壕の保存・内部公開を求める県民の声も再び高まっている。16日、第32軍司令部壕保存・公開を求める会が県に要請した
▼32軍司令部壕は悲惨な沖縄戦を招いた「生き証人」であり、平和の尊さを伝える戦争遺跡。戦争体験者も名を連ねる会のメンバーはそう訴え、文化財指定などを要請した。那覇市議会も6月、保存を求める意見書を全会一致で可決した
▼県は今後検討委員会を設置し、保存へ前向きな姿勢だ。一方、議論されながら停滞した経緯もある。75年余前、戦禍という暴風が県民の4人に1人の命を奪った。「平和」の看板を二度と外さぬ。その誓いを示す時である。

 

(政界地獄耳) 野党まとまりバージョンアップは成功 - 日刊スポーツ(2020年9月19日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202009190000155.html

★前首相・安倍晋三の退陣、自民党総裁選、菅内閣成立とあわただしく過ぎたが、一方、合流した立憲民主党の規模が拡大され、リニューアルした。国民には代表・枝野幸男、幹事長・福山哲郎と新鮮味がないが、いったいどう変わったのだろうか。政界にも国民の中にも民主党に戻っただけという指摘がある。顔ぶれが変わらないのだから変わるはずがないという理屈だ。だが都知事小池百合子、元民進党代表・前原誠司、連合会長・神津里季生がもくろんだ希望の党とリベラル排除が立憲民主党を生み、野党を強くさせ、国民民主党の勢力を上回っていった。

★あれで野党は終わったと誰もが思っただろう。ところが、いびつながらも立憲民主党を軸に新しい野党を作り上げてきた。ほんの5年前まで、野党は「共産党を除く」野党各党というくくりだったが、その共産党も今では野党共闘の中核を占める。先の首相指名選挙では共産党、国民民主党、れいわ新選組社民党が枝野の名前を書いた。野党はここまでまとまってきた。無論、党が違うのだから同床異夢といえるかも知れない。しかし、違いを認め合い多様性の中でまとまるという過去の野党にない共闘ができ上がりつつある。

★当初、枝野は人事で国民民主党の幹事長として合流を取りまとめた平野博文を指名したが平野が辞退し、福山が幹事長になった。極めて賢明な判断だったと思う。一方、岡田克也野田佳彦らは先輩風を吹かせていろいろと人事に注文を付けた。いつも通りの野党政治のやり方だ。枝野はそれもはねつけた。無論、枝野・福山体制に若手からも異論が出ていることを承知の上で、今はまとまることを選び、それに応えようとする機運は今までにない環境といえる。1つは労組の団結が崩れ、党の発言力が増したこともあるだろう。それで次の選挙でどうなるとまで、捕らぬたぬきの皮算用はしないが、バージョンアップは成功したようだ。(K)※敬称略