【私説・論説室から】心に残る試験 - 東京新聞(2019年8月14日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019081402000223.html
https://megalodon.jp/2019-0815-1043-54/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/column/ronsetu/CK2019081402000223.html

約三十年前、就職試験を受けた外資系メーカーの一次試験がグループディスカッションだった。
その会社は日本で紙おむつを発売する際、二つの選択肢があったという。高品質だが値段も高い商品を売るのか、品質は劣るが値段が安い商品を売るか。布おむつが主流だった日本で、高ければ敬遠される恐れがある。一方で品質に満足が得られなければ、紙おむつの印象が悪くなる。二手に分かれての議論は面白かった。
そんなことを思い出したのは、全国学力テストの英語の問題を見て違和感を抱いたからだ。教室と校舎を描いた二枚の図のどちらが、学校を表すピクトグラム(絵文字)として良いと思うか英語で書く問題は、極端に正答率が低かった。私自身、どちらも図柄が細かすぎると思ったし、どう書いてもこじつけになりそうだった。子どもたちも英語を書く以前のところで戸惑った可能性がある。
国学力テストについては、多額の費用をかけて全校でやるより、学校図書館の本を一冊でも増やす方が良いと個人的にはずっと思っている。全校でやると言うならば、子どもたちの人生に気づきをもたらすような時間にできないものか。テストで出合った問題をきっかけに、職業を選んだというような逸話が生まれるようになれば、私も長年の考えを改めるかもしれない。 (早川由紀美)

 

<仙台市議選>女川再稼働反対21人、市民団体が立候補予定者にアンケート - 河北新報オンラインニュース(2019年8月15日)

http://archive.today/2019.08.15-005951/https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201908/20190815_11027.html

 

「森友」捜査終結 幕引きも忖度なのか - 中日新聞(2019年8月14日)

https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019081402000118.html
https://megalodon.jp/2019-0814-1027-57/https://www.chunichi.co.jp:443/article/column/editorial/CK2019081402000118.html

森友学園」への国有地売却や財務省の文書改ざんをめぐる大阪地検の捜査は再び「不起訴」で幕引きになった。市民の検察審査会が「言語道断」と指弾した問題だ。国会での追及は続けるべきだ。
市民十一人でつくる大阪第一検察審査会が佐川宣寿(のぶひさ)元財務省理財局長ら十人を「不起訴不当」と議決したのは今年三月だ。それを受けての大阪地検の再捜査だったが、結論はやはり「不起訴」だ。
「起訴するに足りる証拠を収集できなかった」と説明したが、納得はできない。検察もまた政権に忖度(そんたく)か、政治判断かと、国民の間で疑念が広がろう。
国有地を学園に八億円余り値引きして売却した理由も経緯も不明なままの捜査の幕引きだからだ。値引きの根拠となった国有地のごみ撤去費の積算額が不適正と認定できるかが焦点だった。
どんな再捜査が行われたのかも国民に不明なままでは、その捜査自体が公正であったかも疑われてしまう。
とくに国有地で開校予定だった小学校の名誉校長に安倍昭恵首相夫人が一時、就任していた。財務省近畿財務局などで作成された文書では十四件の改ざんが行われ、昭恵夫人の名前や「特例的な内容」などの文言が削除された。交渉記録の廃棄まで行われた。
極めて悪質な事案だったといえる。検審は「文書を改ざんする行為は一般市民感覚からすると、いかなる理由があっても許されない」と厳しく批判した。当然の不信であり、怒りの言葉だった。
財務省でさえ調査報告書で認め、佐川氏ら二十人を処分している。いわば証拠がそろった状態なのに、これを不問に付す検察とは何なのか。
「特捜検察は解体すべきだ」などと刑事告発した弁護士らは口にしている。不起訴ありきの国策捜査なら、検察は自ら国民の信頼を失墜させている。
市民の代表である検審が求めたのは、起訴して公開の法廷で白黒つけることでもあった。その意思さえ踏みにじったに等しいではないか。
行政の公平性がゆがめられたのか、国会でウソの答弁がまかり通ったのか、忖度が行政をむしばんでいるのか…疑念は民主主義社会の根幹をも揺るがしている。
真相解明が果たされぬままでは、国民の「知る権利」も毀損(きそん)される。幕引きは許されない。国会が頬かぶりしたら、行政ばかりか政治への信頼も失われてしまう。

 

愛媛の誤認逮捕 尊厳を傷つける捜査だ - 中日新聞(2019年8月12日)

https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019081202000123.html
https://megalodon.jp/2019-0814-1031-45/https://www.chunichi.co.jp:443/article/column/editorial/CK2019081202000123.html

愛媛県警が七月に窃盗の疑いで女子大生を誤認逮捕した。犯人と決めつけ「就職」を持ち出して、自白を迫った。尊厳を傷つける人権侵害である。自白を強要・誘導する取り調べから脱却すべきだ。
事件は今年一月九日。タクシー内から現金約五万四千円などが盗まれた。同県警はドライブレコーダーに写っていた犯人と顔が似ているなどとして、女子大生を七月八日に窃盗の疑いで逮捕した。だが、勾留請求が認められずに、同月十日に釈放されている。
そもそも女子大生はタクシーには乗車していなかった。代理人弁護士が今月一日に女性の手記を公表した。その中では取り調べで捜査員が就職への影響を示唆し、自白を迫ったことが綴(つづ)られている。「就職も決まってるなら大ごとにしたくないよね」「君が認めたら終わる話」「認めないと終わらないよ」などと…。
女子大生は一貫して容疑を否認して、「本当の犯人を捕まえてください」と訴えた。でも「犯人なら目の前にいるけど」と決め付けた態度だった。タクシーに乗車していないことも「記憶ないの? 二重人格?」「罪と向き合え」などと一蹴するありさまだ。
問題なのは取り調べの在り方と裏付け捜査の不十分さだ。強く否認しているのに「刑事全員が私の話に耳を傾けなかった」ことは深刻だ。自白があれば簡単に事件処理ができると考えたのなら甘すぎる。「就職」という大学生が最も敏感な言葉を使って自白を迫るやり方は卑劣に感じる。不利益方向への誘導にあたろう。
五月から警察の呼び出しにも素直に応じてきた。逃亡の恐れもない。そもそも逮捕は必要だったのか。手錠をかけられたショックはいかばかりか。
再捜査で別の女性が浮上し、容疑を認めた。県警本部長は「大変申し訳ないことをした」と謝罪した。愛媛県知事も「重大な人権侵害だ。人生すら狂わせかねないことだ」と批判した。女子大生は「もし勾留されたら、耐えきれずにやってないことを認めてしまうかもしれない」という。
自白の強要はそれほど恐ろしい。不適切な取り調べをチェックできるのが録音・録画(可視化)だが、警察の場合だと裁判員裁判の対象事件のみだ。全事件のたった3%。不十分である。ボイスレコーダーを置くだけでも効果はある。全事件を対象にすべきだし、任意段階も可視化しないと、安易な捜査を招いてしまう。

 

(政界地獄耳) 民主主義を守る努力に敬意を - 日刊スポーツ(2019年8月14日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201908140000052.html
http://archive.today/2019.08.14-010609/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201908140000052.html

★日本ではまもなく74回目の終戦記念日を迎えるが、欧州では全く別の形の終戦の追悼式が開かれる。ドイツでは7月20日、第2次大戦末期のナチスではドイツ軍将校らによるヒトラー暗殺未遂事件が起きてから75年となり、ベルリンで式典が開かれた。民主主義を取り戻すための抵抗としてたたえられている。トム・クルーズ主演で映画化された「ワルキューレ」がまさにこの事件だ。

★暗殺に失敗した将校らが射殺された場所にドイツのメルケル首相が花輪をささげ「不服従が義務となり得る瞬間がある。75年前に抵抗した人たちは、他の人たちが黙っているときに行動した。状況が完全に異なっているとはいえ、今日の私たちにとっての模範だ」とあいさつした。

★今月2日、大戦末期のポーランドの首都ワルシャワを占領下においていたナチスに対して解放と戦後の独立を求めて市民が反乱を起こし、約2カ月間で20万人が犠牲になった「ワルシャワ蜂起」から75年を迎え、敬意と追悼の式典が開かれた。ドイツのマース外相もポーランドのチャプトウィチ外相と市内のワルシャワ蜂起博物館を訪れた。マースは「ポーランドに対してドイツ人が行ったこと、ドイツの名の下、ポーランドに対して行われたことを恥じている」と許しを乞うた。

★民主主義を守ろうとする人たちの努力に敬意を払う発想に我が国は欠けていないか。今でも民主主義はさまざまな形で蹂躙(じゅうりん)されている。戦後生まれが歴史を知らないことを利用するかのように歴史修正主義者が100年余りの近代史を作り替えようとしている。政府や国民は往々にその言動を否定的に評するが、我が国でも元首相・鳩山由紀夫が6月12日、ソウルの延世大学で講演し「日本は戦争で傷つけた人たちや植民地にしていた方々に対し『これ以上謝らなくてもいい』と言ってくれるまで、心の中で謝罪する気持ちを持ち続けなければならない」と発言している。大切な思いはないか。(K)※敬称略

 

<日韓関係悪化とメディア> 嘘だけはやめよう 「対韓輸出規制」報道がつくる「二重の現実」 加藤直樹 - ASIAPRESS(2019年8月13日)

www.asiapress.org

http://www.asiapress.org/apn/2019/08/japan/japan-korea-relations/3/
今回のテーマで言えば、本来は、徴用工判決への報復として輸出規制を行うのは是か非かという議論が広く行われるのが健全なあり方だろう。そうした議論の中で初めて、この選択のメリットとデメリット、正当性と不当性が吟味されるからだ。ところがメディアが事実の代わりに政府の公式見解を客観的事実のように伝えることで、この政策の是非をめぐる議論そのものが成立しなくなっている。いま起きていることが間違いなく日本と隣国の人々の未来を大きく変える重大事であることを思えば、政府の選択の是非をめぐる議論が存在しないのは、深刻な事態だ。
.....

問題は今回の件だけではないし、メディアだけの問題ではない。誰もが「公式見解」を嘘と知りつつ一方でそれを信じているかのように振る舞う言論状況、いわば「現実の二重化」がこのまま社会を侵食していけば、私たちは自己欺瞞のうちに沈んでいくことになる。敗戦へと転がり落ちていった戦時中の日本がそうだった。まともな判断力と教養をもった大人たちが、「本当に」大本営発表を信じていただろうか。

日本とはシステムは違うが、かつてのソ連もまた、人々が二重の現実を生きる社会だった。公式見解や公式統計数字と、本当の意見や本当の数字が二重に存在し、後者は私的な空間でぼそぼそと話されていたのである。こうした状況に対して、作家ソルジェニーツィンは、「嘘によらず生きよ」という文章の中で、「せめて心にも思っていないことを語ることだけは拒否しようではないか」と訴えた。私たちもまた、公式見解ではなく現実を前提に議論すべきだ。せめて嘘だけはやめよう。

 

【特別寄稿】「脅迫されない権利」の侵害だ 木村草太氏がみた表現の不自由展 行政による芸術表現への介入、憲法上も問題 - 沖縄タイムス(2019年8月13日)

http://web.archive.org/web/20190814000210/https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/457930